第52話 男同士の酒

 心に迷いが生じて揺れ動いている。

 絶海の孤島に一人きりで暮らしているのではないから、回りの状況に影響を受けるのは当然なのだが、ここ最近は色んな事が起き過ぎている。


 フェーブルに残るべきか、それとも他の街に移るべきか。

 リュシーとの関係を進めるべきか、それとも別れるべきなのか。


「一緒に来てくれって行ったら、フェーブルを捨てて付いて来てくれるだろうか……」


 はっきり言って、俺の稼ぎは悪くない。

 悪くないどころか、同年代の連中に比べれば何倍も稼いでいる自信がある。


 人生は金だけじゃない……なんてよく言うけれど、異世界から召喚されて帰る当ても無かった俺が頼るものは金しかなかった。

 清浄魔法を使った掃除のテクニックは、言わば頼りとする金を稼ぐために、必要に迫られて編み出したものだ。


「でもなぁ……預金の殆どはギルドの口座に預けっぱなしだからなぁ……」


 普段の生活は、ギルドの裏手でやっている小銭稼ぎで十分すぎるほど賄える。

 だから、万が一の時に頼りにする金は、安全なギルドに預けてきたのだが……まさか、ギルドと敵対する可能性までは考えていなかった。


 仮にフェーブルから逃げ出して、ギルドに口座を凍結されたら、手持ちの金だけでリュシーを養っていくのは少々厳しい。

 それに、違う街に行ったら、今と同じように掃除だけで稼げるようになるには時間が掛かる。


 そもそも、掃除の仕事は駆け出し構成員のための仕事で、俺みたいな二級認定の構成員の仕事ではないのだ。

 フェーブルならば何も言われない清掃業務の受託も、他の街では奇異な行動だと思われかねない。


「はぁ、どうしたもんかねぇ……」


 せっかく体力を目一杯消費してスッキリしたはずの頭が、面倒な悩みで埋め尽くされていく。

 雉鳩亭に帰った後、食堂に顔を出した。


「ドナートさん、酒を一杯もらえますか?」

「おっ、マサが酒を頼むとは珍しいな」

「えぇ、ちょっと飲みたい気分なんで……」

「持っていくから座っていてくれ」


 俺の他にも宿泊客がいたはずだが、既に食事を終えて部屋に戻ったのだろう。

 ドナートさんは、大振りのカップを二つと、スライスした三種類のチーズを皿に盛ってきた。


「一緒に飲んでもいいか?」

「勿論……」


 カップを合わせてから、ぐっと酒を喉に流し込む。

 まだ若い葡萄酒なのか、渋味の少ないフレッシュな味がする。


「新酒ですか?」

「いや、こいつは去年の仕込みだ。今年の酒はまだ出回っていない」

「なるほど……」


 何がなるほどなのか、自分でも分からないが、普段厨房にいることの多いドナートさんとは、あまり言葉を交わす機会が無いので、何を話して良いのか分からない。


「マサ、いつもペタンとミルネの面倒をみてもらって、ありがとうな」

「いいえ、こっちも良い気分転換になってますから」

「何か悩みでもあるのか?」

「んー……悩みというのか、地元民と余所者の違いとか、男の責任、無責任とか……」

「さっきの娘か?」

「ええ、まぁ……」


  皿に盛られたチーズに手を伸ばして齧ると、口の中にスモークの香りが広がった。

 チーズのコク、塩気、スモークの香りのバランスがいい。


 そこにフレッシュな葡萄酒が加わると、牧草地で青空を見上げているような気分になった。


「同意の上なら、子供が出来るまでは好きにすればいいんじゃないのか」

「いや、それは男としては無責任じゃ……」

「なんでだ? 女だって意思があり、自分の考えで行動している。男に守られているだけの存在じゃないぞ」

「そう、ですね……」


 ドナートさんの言葉に頭を殴られたような気がした。

 これだから女性経験の少ないコミュ障の陰キャは駄目なんだと我ながら思う。


 男は守るもの、女は守られるものと決めつけて、リュシーを一人の人間としてキチンとみていなかった気がする。


「マサ、男にも選ぶ権利があるし、女にも選ぶ権利がある。合意の上なら好きにすればいいし、その後、自分の思うような相手じゃなかったんだとしたら、それは互いに見る目が無かったってことだ。地元とか余所者とかは関係ない」

「そりゃ、ドナートさんは地元だから……」

「俺はフェーブルの生まれじゃないぞ」

「えっ、そうなんですか?」

「王都では、ちょいと名の知れたレストランで働いてたんだけど、同僚に気に食わない野郎がいてな、腹に据えかねて、殴って、怪我させて、店に居づらくなって……流れ流れてフェーブルまで来たんだ」

「じゃあ、ドナートさんは婿養子なんですか?」

「あぁ、最初は泊まり客だった」


 丁度、今の俺みたいに雉鳩亭を定宿にしてギルドで仕事を探して働く日を続けているうちに、一人娘だったマリエさんと惹かれ合って関係を持つようになったそうだ。


「子供が出来るまでは責任を取る気は無かったんですか?」

「いや、俺はマリエに惚れてたから、一緒になる気だったぞ。でも子供が出来るまでは男と女は対等だから、衝動に身を任せてもいいんじゃないか?」

「でも、子供が出来る可能性はありますよね?」

「そうだな。子供が出来たら話は別だ。子供を産んでくれる女の方が偉いんだから、男は責任もって尽くさないと駄目だぜ」

「なるほど……」


 今度のなるほどは、ちょっとヒントを得られた時のなるほどだ。

 ドナートさんの話を聞いているうちに、俺は色々考えすぎているように思えてきた。


「マサ……」

「なんですか?」

「うちのマリエも、昔はマサを訪ねてきた娘みたいな体型だったんだぜ」

「えぇぇぇ! 嘘ですよね?」


 リュシーは良く言うとスレンダーな体型だが、言い方を変えると貧乳な部類にはいる。

 一方のマリエさんは巨乳は巨乳だけど、くびれどころか妊娠中かと思うような腹をしている。


 ドナートさんが、王都のレストランで磨いた美味しい料理を作って、食べさせて、今の体型になったらしい。


「嫁を太らせるのは男の甲斐性だ。まぁ、たまに行為の最中に、乳と間違えて腹を揉んで平手打ちを食らったりするけどな」

「いや、何してるんすか……」

「それになぁ、子供を身ごもると大きくなるんだぜ」

「そうなんすか?」

「おぅ、急にドーンと来るから、それをいかにキープさせるかだな」

「なるほど……」

「マサ、無いものは育てればいいんだぜ」

「なるほど!」


 この後、ドナートさんとの謎の乳談議は、マリエさんの平手打ちで強制終了させられるまで続いた。

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