その掃除屋は爪を隠す

篠浦 知螺

第1話 フェーブル

 ゴーン……ゴーン……午後三時を知らせる鐘の音が、フェーブルの街に響き渡る。

 ここは、王都から馬車で五日もかかる国境近くの街だが、峠の麓の宿場町として古来より栄えてきた。


 こちらの国からは沿岸で採れる塩が運び出され、峠の向こうの国からは肥沃な穀倉地帯で採れる穀物が運ばれてくる。

 フェーブルは峠の手前の最後の街で、旅人の多くはここで英気を養い、夜明けと共に峠を越えていく。


 街の東側には牧草地が広がり、羊や牛の放牧が行われていて、洞窟で熟成されるチーズは名産品として知られている。

 街から西に歩いて半日ほどの所には、中規模のダンジョンもある。


 凶悪な魔物や価値の高い鉱石などは出ないが、駆け出しから中堅へと上がろうとする冒険者にとっては、丁度良い難易度らしい。

 交易に関わる者、牧畜に関わる者、冒険者、それに、古い石造りの街並みと美しい山並みを目当てに訪れる観光客、今日もフェーブルの街は賑わっていた。


「マサ! ギルドに依頼を出しておいたから、頼むぜ!」

「来週になっちまうかもしれないけど、大丈夫?」

「あぁ、問題ない。それを見越して早めに依頼したからよ」

「さすがだね。いつもありがとう」

「こっちこそ、助かってるぜ」


 依頼を終えてギルドに向かう途中、宿屋と食堂を営んでいるモレロさんから声を掛けられた。

 俺の名前は神林雅之かんばやしまさゆき、いわゆる勇者召喚に巻き込まれたモブだ。


 こちらの世界に来て、もう五年目になる。

 高校一年生の秋、放課後の教室で日直の日誌を書いている時に、陽キャの五人組と一緒にこちらの世界に召喚された。


 他の五人は、すげぇ魔法やら魔力やらスキルを授かっていたが、俺が手にしたのは清浄魔法のみで魔力値はたったの二。

 召喚に関わった連中の憐れみの籠った視線に晒された居心地の悪さは今でも覚えている。


 元の世界に戻るには、召喚された勇者たちが魔王を倒さないといけないそうだが、そんな場所に俺がついて行けるはずがない。

 なので、身分証と手切れの金を貰って、自由に生きることにした。


 清浄魔法に磨きを掛けながら、あちこちフラフラ旅をして、フェーブルに辿り着いたのは二年前の夏だった。

 高原の涼しい気候が気に入ったし、何より食い物が美味い。


 物価は他の街に比べると少々高めだが、街の雰囲気が気に入って根を下ろすことにした。

 俺の仕事は、清浄魔法を活用した掃除屋だ。


 魔法を使えば、厨房の壁や天井にこびりついた油汚れも、宿屋の風呂場の頑固なカビも一発でピカピカだ。

 一件あたりの報酬は、場所や広さにもよるが五百から二千リーグ、日本円にすると五千円から二万円ぐらいにあたる。


 そんな清掃依頼を一日に三件ぐらいこなしているから、ぶっちゃけ懐は温かい。

 今日も三件目の依頼を終え、街の人達と挨拶を交わしながら、中心部に建つギルドへ報告に向かうところだ。


 フェーブルのギルドは、仕事に関する全般を扱う組織だ。

 アニメやラノベに出て来る冒険者ギルドと商業ギルドを一つにまとめた感じで、フェーブルの金に関わることの殆どがギルド経由で行われているそうだ。


 石造りの三階建ての建物は、古くは要塞として使われていたこともあるらしい。

 外観は厳めしい造りだが、内部は綺麗に作り変えられている。


 現代日本とまではいかないが、昭和初期ぐらいの役所といった感じだ。


「依頼完了の確認をお願いします」

「お疲れ様です、マサさん。三件ですね、少々お待ちください」


 あと一時間ぐらいすると混みあうが、この時間のギルドのカウンターは空いているから、お目当ての受付嬢を選んで依頼完了の報告ができる。

 そのために依頼をさっさと片付けて、この時間に戻ってきているのだ。


 リュシーちゃんは、受付嬢になって三年目だから十八歳になるはずだ。

 少し緑がかった金髪を肩の辺りで綺麗に切り揃え、ほっそりとした顔に笑みを絶やさない人気の受付嬢だ。


 噂によればエルフの血を引いているそうで、声を掛ける冒険者は後を絶たないが、ナンパに成功した者はおらず、身持ちが固いことでも知られている。

 俺の場合、休日以外はほぼ毎日依頼完了の報告をしているが、プライベートで食事やデートに誘ったことはない。


 ていうか、日本に居る頃からモブキャラだから、どうアプローチして良いのか分からないのだ。


「はい、確かに確認いたしました。報酬はどうなさりますか?」

「全額口座に入れておいて」

「かしこまりました……」


 そう言ったものの、リュシーちゃんは深いグリーンの瞳でジッと俺を見詰めて小首を傾げてみせた。


「ど、どうかしたの?」

「いえ、マサさんって、報酬はいつも口座に入れっぱなしですけど、お金使わないんですか?」

「えっ? 使うけど……というか、使わないと生活できないよ」

「ですよねぇ……でも、お金下ろしてませんよね?」

「あぁ……小銭を稼いでるからね」

「ギルドを通さないと、トラブルになっても知りませんよ」

「大丈夫、大丈夫、一回あたり二百リーグの現金払いだから」

「それならいいですけど……」


 おぉぅ、ちょっと口を尖らせて可愛いじゃないか……お持ち帰りしてぇぇぇ。


「えっと、明日の依頼も受けておきたいんだけど……」

「はい、だいぶ溜まってきてますけど……」

「今、何件?」

「えっと、十三件です」

「モレロさんのも入ってる?」

「はい、入ってます」

「まぁ、大丈夫でしょ。いつものように、依頼が早かったものから三件くれる?」

「では、こちらになります……」


 食堂が二件に、雑貨屋が一件、もう一件やってできないこともないが、そうするとギルドに戻るのが遅くなるから止めておこう。


「うん、この三件を受けるよ」

「分かりました、よろしくお願いしますね」

「じゃあ、また明日……」

「はい、お疲れ様でした」


 俺がカウンターを離れると、他の受付嬢の溜息が聞こえてきた。

 分かってるよ、今日も誘えなかったよ、どうせ俺はヘタレだよ。


 カウンターを離れた俺は、ギルドの裏門に足を向ける。

 これからが、小銭稼ぎの時間だ。

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