届かない音
犬屋小烏本部
第1話聞こえない音たち
霧が立ち込めて前が見えない。物が熱くて、冷たくて味がわからない。色んな臭いが交ざって臭いがわからない。
何かが何かを邪魔して、届く前に消されていく。それが重要なものであっても、どうでもよいものであっても、届かない限りそれが何かはわからない。
もしかしたら、何もないのかもしれない。
それならいっそ、始めから見つけなければいいと思うことがある。
綺麗なものも、汚いものも。良いものも、悪いものも。必要なものも、要らないものも。全部、全部知らなければ、最初に届いたときにどんなものであってもそれは「特別」なものになる。
だから、自分はいつまでもその「はじめ」をとっておいているのだ。
ハズレくじを引いた自分に、いつも言い聞かせる。自分が持って産まれたこの条件は「アンラッキー」ではなく「ラッキー」だったんだ。
きっとその「初めて」は自分にとって一生に一回のスペシャルプレゼントになる。とてもとても大切なもの。
だから、慎重にならないといけなかったんだよ。だから、自分はいつまでも無垢なままでいさせられているんだよ。
その「初めて」を より素晴らしいと感じるために、自分はこのハズレくじを手に取った。
ぼくはそういう風に自分に言い聞かせることで、人生に絶望することなく一見他の人と同じように立ち続けることができている。
そう、思いながら、ずっと、生きてきた。そう、思っていた。
ぼくは、耳が、聞こえない。
ぼくは、生まれつき、耳が、聞こえない。
それでも、なんとか生きてきて、生活してきて、働いて、生きている。
趣味は、読書。
本の中だったら、聞こえない音も、聞こえる気がする。
好きな、天気は、雨。
降る前の、独特の、匂い。そう、世に言う、ペトリコールと、いうもの。土臭い、あれが、ぼくは、嫌いじゃ、なかった。
空から、水粒が、無数に、落ちてくるのは、楽しい。水溜まりを、作って、その中に、飛び込んだ、粒が作る、波紋も、綺麗だ。
どしゃ降りも、にわか雨も、夏の夕立も、どれも、いいかな。時偶、あられや、ひょう、雪に、変わるのも、面白い。
地面を、叩く、水たちを、見ていると、たとえ、無音の世界であっても、時間が、あっという間に、過ぎていく。
でも、降りすぎて、誰かを、害するのだけは、いただけない、かな。
天災が選べないということはぼくだってよく知っている。この耳が聞こえないことのように、どんなに神様に祈っても変更が利かないものなんて、世界にはたくさん存在している。
だから、ぼくは、神様に、祈らない。
ああ、そうだそうだ。
ぼくの、記憶の、中に、一番、強く残っている、景色は、あの日の、夕立。
空は朱色に染まって、まるで雨なんて降りませんよという顔をしていた。そういう顔をしている時こそ、夕立はやってくる。
どこからか流れてきた雲が、中にピカリと光る雷の竜を潜ませて豪雨を降らせる。
夕立というものは、嫌いでは、ないけれど、突然の、ハプニングで、全身、ずぶ濡れは、ちょっと、辛いよね。
あの日も、そうだった。
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