偏物天使はかく語りき

四葉みつ

左手に黒い羽根

第1話 旅立ち

 一筋の煙が、木々の隙間から立ち上る。

 静かな森の奥。手作りの祭壇の前で、十五歳くらいだろうか、旅装束を身にまとった小柄な少年が祈りを捧げていた。

 村や森の外には悪鬼がはびこる危険な時代。そのために、成人の儀式を迎えることの出来ない者は単独で旅に出ることは禁止されている。

 そしてこの少年は今まさに、その成人の儀式を終えようとしていた。

「そのおんみたまよ、われをまもりたまえー」

 いささか棒読みな気がしないでもないが、ようは儀式が終わりさえすればいいのである。この儀式に効力はなく、あくまでも村のしきたり的なものなのだ。遠い昔からこうやって森の精霊からの祝福を受け、人々は旅に出る。

 少年は深々と頭を下げて何らかの恩恵を受けた気になると、その祭壇の火をササッと消した。

「よし、こんなもんか」

 しかしひとりで初めて儀式を終わらせると、なんだか一回り大きくなった気がする。今日は彼にとって初めての旅立ちの日。今まで行ったことのある家族旅行とは違うのだ。

 少年は手早く儀式の祭壇を片付けると、森の出口の方へと向かった。


 木々の間を抜けた途端、眩しい日の光に照りつけられて、少年を目を細めた。

 目の前にあるのは白い……。

「俺のパンツかよ。なんて雰囲気のない……」

 目の前では少年が普段身につける下着が、そよそよと風に揺らいで揺れていた。暖かい日の光を浴びているそれは、身につけた瞬間さぞやほっこりとすることだろう。履き心地を想像して、少しだけ幸せな気分に浸る。

「あら、リリス。儀式が終わったのね」

 その白き召し物の向こうから、よく知った顔がひょっこり現れた。紛れもない、少年リリスの母親だ。幸福感に酔っていたリリスは、途端に顔の筋肉をピッと引き締めた。

「なんだよー。せっかく格好よく儀式を終わらせたと思ったら、こんなところにオチ?!」

「なによオチって。それにしても貴方もようやくひとりで儀式が出来るようになったのね」

 洗濯物を干し続けながら母親がしみじみと言ってくる。

「母さん、別に今日でサヨナラってワケじゃないんだから」

「でもひとりで旅に出るのは大変なことよ」

「旅って言っても、隣町に忘れ物を届けるだけでしょ」

 リリスは苦笑いをこぼした。

 今回は旅とは言わない、いわば初めてのおつかいだ。隣町で仕事をしている父親に忘れ物を届けに行くだけである。

 たったそれだけなのに、村から出るだけでも必ずあの大げさな儀式が必要になる。風習とは不可解なものだ。

「あらリリスちゃん、旅装束! やっと一人旅に出られるのね!」

 庭先で母親と話しているところへ、通りかかった隣のおばさんが声をかけてきた。

 やっと、などと言われるともう身も蓋もない。どんなに格好をつけたところで、リリスがこの村で成人の儀式を終えていない最後の一人だ。彼よりも年が若い子ども達は、すでに儀式を終えて容易に他の村と仕事で行き来したり、冒険で遠い地へと旅立っている。

 母親とおばさんで井戸端会議を始めたところで、リリスはそろりと庭を出ることにした。これ以上二人に絡まれていては出発が遅れてしまう。

「あ! リリス、ちょっと待って」

 庭の垣根を越えようとしたところで母親に呼び止められた。

 振り返ると、彼女は抱きしめてくる。

「ちょ、母さんっ」

「黙ってなさい」

「だって、子どもじゃないんだから!」

「我が息子に神の御加護を」

「……」

 母親の柔らかく、しかしあまりにも真剣な声にリリスは黙り込んだ。一分弱の短いお祈りの末に、母親からふわりと解放される。

「……今のも儀式かなにか?」

「ううん、ただのスキンシップ」

「なんだよっ」

 リリスは思わず赤面した。なんか騙された気分だ。儀式でも何でもないんだったら、端から見ればただの甘えん坊の十五歳じゃないか。

 ここにずっといたら延々とこうやって遊ばれる気がする。

「行ってきます!」

「行ってらっしゃい、気をつけるのよ」

「分かってるって!」

 庭先でふわふわと笑う母親に手を振ると、リリスは村の外へと駆けだした。

 キラキラと光る、未知の世界へ。

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