一如

Lolo

一如

 自分は”それ”と何度も闘ってきた。


 負けた例はない。

 苦戦を強いられる時もあるが、最終的には自分が相手の息の根を止めていた。


 ”それ”はヒトの形をしていて、血相を変えて襲い掛かってくることもあれば、泣きわめいているだけの時もある。

 ”それ”と対峙するとき、自分には”闘わなければいけない”という確かな意志が何故かあって、ひたすら一方的に殴り続ける。ただひたすら攻撃していれば勝てる。


 一方的に敵を蹂躙できる快感。

 同時に胸に残るのは、”それ”を倒した時にわずかに心を締め付ける罪悪感。


 そのせいで、自分は”それ”の正体が何なのか、感づいていた。




 ――チャイムが鳴り、解放感。胸の中の黒いシミは消えず、いつにも増して深いため息をつく。人生でついたため息の数は、先程まで教壇に立っていた中年男性よりも多い自信がある。


 授業はほとんど聞き流していたはずなのに、このまま机に突っ伏して眠ってしまえそうなほどの疲労を感じ、動きが鈍り、帰り支度が遅くなる。


 気が付くと、教室中に立ち込めていた疲労感はどこかに消えていた。


 授業が終わるや否や、周りの連中が足早に教室を出ていく様子は、規則正しく並んでいた分子が熱運動により周囲に発散していく図を思い出させる。


 自分は思考する。


 なぜこんなにも空虚なのか。


 本当に嫌だ。この変わり映えのしない日常も、変われない自分も。


 今まで感じたことのないような居心地の悪さが歩調を加速させ、校舎を後にすると、降りしきる雨に向かって強引に傘を差した。


 いつもの帰り道を、いつものように歩く。いつの間にか街路樹が紅葉していたようだが、落葉した場所が歩きにくいと思うばかりだった。


 高校に入学して二年半が過ぎたが、帰り道に連れ立って横を歩くような人間がいたことはない。そのことに寂しさを覚えることもあれば、気楽に感じることもあった。徐々に考えることすら面倒になって、最終的には受容という形で気持ちに始末をつけた。

 

 今は、友達がいないくらいで落ち込んだりしない。誰かと比べることもしない。今年は大学受験の年だし、誕生日が来れば成人になる、ということになっている。


 精神的にももっと成長しないといけない。大学生になったらバイトという名の"社会勉強"をして、"就活"をこなし、”いい感じ”の企業に就職できるようにしないといけない。もちろん、新しい環境に身を置けば友達も作れるかもしれない。


 でも……


 本当のところ、不安しかなかった。成人になったところで何かが変わるとも思えなかったし、大学で友達を作ったりバイトをしたり、ましてや就活をしている自分なんて一切想像出来なかった。


 気が付くと、自宅の前まで来ていた。郵便受けに入っていた数枚のチラシを引き抜いて、玄関ドアの鍵を開ける。


 両親は共働きなので、この時間には家には誰もいない。貴重な、一人だけの時間だ。しかし、何かをしようという気分でもなく、リビングのソファーに身を投げると、強めの睡魔に襲われた。ぼーっと授業を受けているだけでも、疲労は溜まるものらしい。




 最近は、”それ”に対して、負けたいと思うようにまでなっていた。可哀想という気持ちもあったし、負けたらどうなるんだろうという好奇心もあった。


 ”それ”の状態を見れば、すでに勝敗は決しているようだった。いつものように自分が勝つのだろう。しかし――――ただなんとなく――――えもいわれぬ圧のようなものを感じていた。


 自分で自分がよく分からなかった。勝ちたいという気持ちが、闘争心が、みるみるうちに失せてしまっていた。勝敗など、どうでもよくなっていた。


 気が付くと、自分は負けていた。




 それからというもの、色んな事が上手くいかない日々が続いた。色んな事、とは言っても受験生の本分は勉強なので、ストレスの主たる原因は成績の下落であった。


 あからさまにやる気が失せ、授業中にノートを取らなくなった。


 家に帰っても宿題をせず、ゲームをするようになった。


 家事手伝いと共に何の役にも立たない常識をぶつけてくる親に対し、反抗的な態度を取るようになった。


 まるで、自分が自分でないようだった。今まで以上に不安が加速するのを感じていた。そして、何よりも”それ”との闘いに勝てなくなっていた。


 生活面や成績にも影響が著しく出始め、危機感を覚えた自分は”それ”に勝てないことにも恐怖を覚え、対処法を考えることにした。”それ”に勝てないと、勉強どころじゃない。自己が崩壊してしまう。


 しばらくの間考えていたが、良い案は浮かばなかった。そもそも、何をどう考えたらよいか、分からない。”それ”に勝つためには強くならないといけない。でも何をどう強化すればよいのだろう?

 

 思えば、自分は自分のことをちゃんと理解しているのだろうか。最近、自分というものを見失っているような気がする。自分のことを、もっと知る必要がありそうだ。


 自分は、今まで何をしてきたのだろうか。本当に平凡な人生だったので、印象的な出来事はすぐには思いつかない。それでも、目を閉じて、過去を巡る。自分の人生の物語の断片から、これからの自分に必要なものについて、ヒントをかき集めてみる。


 小学生の頃。


 中学生の頃。


 高校生になってから今まで。


 思い出す。駆け巡る。

 

 周りの音や、景色をシャットアウトして、感覚を研ぎ澄ませ、ただ過去の自分とだけの繋がりを得る。




 長い時間をかけて旅を終えると、強い日の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。一晩中考えていたので、朝になってしまっていた。しかし、カーテンを開ける気はない。太陽光ごときに祝われる筋合いはない。今日は、学校を休むことにした。一日使って、己を強化する計画を立てたい。


 頭痛を理由にベッドから動かずにいると、親も察してくれたようだった。学校への連絡もしてくれたようで、昼ご飯は適当にあるもので食べていい、と言われた。そもそも、学校を休むこと自体少ないから、怪しむ様子もなく心配している様子だった。


 徹夜の影響は色濃く、罪悪感がよぎる前に深い眠りについた。




 目が覚めると、周囲から音が消えていた。時刻は昼の12時を回っている。親は、とっくに仕事に行ったようだ。リビングに行き、食事を摂る。柔らかな光が差し込んでいる。キョロキョロと、周りを見渡す。テレビ、ソファー、小さな本棚と写真立て。それぞれが、それぞれの役割を全うするかのように、あるべき場所に佇んでいる。いつもと変わらないリビングの風景。耳を澄ませると、どこかで誰かがピアノを弾いているような音が聴こえた。


 スマホで、お気に入りの動画を観る。自分の部屋に戻り、ゲームをする。毎日、こんな過ごし方が出来たらいいのにと思った。だが、仮病を連続で使うのはまずい、というのは何となく自分にも理解できていた。明日は流石に学校に行かないといけない。宿題も溜まってしまう。




 ――あまりにもゲームに集中していたせいで、親の帰る時間が迫っていたことに気づかなかった。慌てて証拠と電気を消すと、ベッドに潜り込む。何なら、このまま目を閉じて眠ってしまってもいい。

 

 ふと、何らかの感情がよぎる。その感情が不安であることに気づくと同時に、大事なことを忘れていたことにも気づく。

 

 そういえば、己を強化する計画を立てるんだった。電気をつけ、机に向かう。やるべきことをいくつかピックアップしてみよう。

 

 ▼精神強化

 ・何か大きな長所を作る。→自信up


 ・やってみたかったことにチャレンジしてみる。→向上心up


 ・ゲームや動画視聴は決められた時間内でする。→精神力up


 ――上二つは繋がってそうだな。


 ▼肉体強化

 ・毎日、スクワットをする。→筋力up


 ・お菓子やデザートは食べないようにする。→健康up


 ――健全な精神は健全な肉体に宿る。が、腕立て伏せは苦手なので避けた。スクワットは全身運動だから別に良いだろう。 


▼知性強化

 ・読書をする。→知力up


 ・大学やその他の進路、興味のある分野について調べてみる。→視野up


――これらは毎日というより思い立った時にやるようにしよう。




 こんなものだろうか。これらを日々の宿題や予習に加えて生活に組み込むようにしよう。途中で帰ってきた母親が部屋に入ってきたが、勉強しているようにしか見えなかったようだ。頭痛は治ったと伝えると、安心した様子で姿を消した。


 修練は、次の日から開始した。つまらなかった日常も、自分の努力次第で変わるのだと思うと、モチベーションが高まった。仲間を作ろうとは思わなかったが、自分自身が魅力のある人間になれば、自ずと寄ってくるだろうと考えていた。


 様々な修練を行ううちに、心身ともに強くなっていくことが実感できた。成績は持ち直してきたし、体はシュッとしてきたような気がするし、今までラノベぐらいしか読んだことなかったけど、読書は性に合っているかもしれない。


 そして、新しく絵の練習も始めた。小学生の頃は漫画家になりたいと思ってたけど、上手い絵なんて描けなかったし、夢のまた夢だと思っていた。だが、今からでも遅くない、と思う。絵が上手ければ、漫画家じゃなくても、イラストレーターとかデザイナーとかにもなれる可能性がある。幸い時間はたっぷりあるし、ちょっとずつ練習すればいい。


 学校ではいつも存在感を消すようにしているので、自分がちょっと変わったところで気づかれるはずもない。成績がちょっと上がったところで、褒めてくれる誰かもいない。でも、それでいいと思った。他人なんて関係ない。自分が自分の頑張りを認めていれば、それでいい。学校帰りには足しげく図書館に通い、その日の宿題を終わらせ、帰宅後は読書・絵の練習に勤しんだ。好きなイラストレーターの動画や配信を観ることも増えた。


 絵の練習が継続出来ているならば、他の一切を許容するようになった。1か月後には筋トレはほぼしなくなっていた。イラストの勉強の為、漫画を読み、アニメを観るようになった。

  

 ある時を境に、絵の練習をストップした。ある程度までは描けるようになったが、それ以上は上手く描けなかった。しかし、焦りは無かった。上手い人の絵をもっと見て勉強し、その後でまた練習を再開すればいいと思った。そして、漫画を読む量を増やし、アニメを観る量を増やし、好きな絵描きの配信を観る量も増やした。楽しみが増えたことで、日々が明らかに彩られ、豊かになった。




 しかし――闘いの時は、いつも突然に訪れる。


 ”それ”との闘いのことなど、完全に頭から抜けてしまっていた。だが、いつにも増して自信だけはあった。最近は少しサボり気味だが、修練はちゃんと行った。メンタル的にも成長したし、確実に前よりは強くなったはずだ。


 いつものように、その場所には”それ”が佇んでいた。しかし、違和感を感じる。その正体に気づくより前に、”それ”は闘争心むき出しで襲い掛かってきた。


 戦闘開始。これまで幾度となく闘ってきた相手だが、恐怖を感じたのは初めてだった。速度、力、防御、どれをとっても確実に自分を上回っている。一撃が重い。避け切れない。混乱する脳内でただ一つ、”負ける”ということだけは理解していた。


 勝敗は、あっさりと決した。惨敗だった。”それ”は、強くなっていた。そして何より、強くなったと思っていた自分は、思い込みに過ぎなかった。むしろ、弱くなっていたような気さえする。


 目の前が暗くなっていく。なぜ? なぜ負けたんだ?

 

 意味が分からなかった。今までの努力は何だったのか。身体から力が抜けていき、膝から崩れ落ちる。勝てるはずだった。勝つはずだった。なのに、負けた。自分は強くなったつもりでいただけなのか?


 感情は、涙へと変わる。


 何を憎めばいいのか? 自分は、自分なりに頑張った。もちろん怠けた部分もあったが、今までの自分と比べたら、モチベーションも高く、エネルギッシュに動けていた方だ。これ以上を目指さないといけないのか? これ以上、頑張れというのか? そんなこと、無理だ。自分が自分のことを一番分かっている。ただでさえ怠け癖があるのに、それでも自制しながら短い期間だけどやってこれたのに、その上で更なる努力を強いられるのか? もう、わけがわからない。何も信じられない。自分を信じられない。”それ”が強くなった理由もわからないし、自分が弱くなったとしたらそれもそれで絶望的過ぎる。


 もう、絶望でしかない。落涙が、止まらない。


 自分は、何もかもを投げ捨てた。




 可哀想な自分。努力は報われず、跳ね返って自分を攻撃するものなのか。もう、自分なんて知らない。もう、面倒見切れない。どれだけ頑張ったか。他人から見れば大したことなくても、自分から見れば頑張った方なんだ。なぜ、誰も認めてくれないのか。


 苦しさを分かってくれる人がいないことに、今更後悔する。どうせ元から話す人間なんていないと思い、独り自分の殻に閉じこもる。どうやら自分は、自分のことを過大評価していたらしい。自分は、こんなにも無力で、無価値で、無意味な存在なのだ。誰からも覚えられず、認められず、独り死んでいくだけの存在なのだ。


 必死で積み上げてきたつもりだったものは、吹けば飛ぶほどの価値無きものだった。悲しみのハンマーによって打ちひしがれ、堕落するまでに時間はかからなかった。




 それから先の生活については、未来の自分が見たら確実に記憶から抹消するであろうと思えるほど退屈で、怠惰な日々であった。自分でそれを意識したならば、また際限ない悲哀のもやに覆われることは承知の上であったので、自分自身をメタ的に見ることをやめた。


 ただただ時間だけが過ぎた。無駄なことだと分かっていても、願わずにはいられなかった。どれだけ願っても、時間は過ぎ去った。むしろ、時間に置き去りにされているようだった。現実世界を捨て、非現実のみを愛した。

 

 突如、原因不明の頭痛や腹痛に襲われることもあった。その度に欠席数が増えた。成績が落ちることは一向にかまわなかったが、周りの生徒から奇異の目で見られたり、親にとやかく言われたりすることは耐えがたく、出来るだけ出席だけはするようにした。


 生きているのか、死んでいるのか分からない。そんな状態で日々を過ごした。様々な現象に対する反応が遅くなり、脳細胞のほとんどが機能を停止しているような気がしていた。この頃はもう、自分が自分である感触を失ってしまっていた。人との会話を避け、非現実に浸るようになり、非現実に浸っている間だけは全てを忘れられた。


 虫が飛んでいた。鬱陶しいから手で払った。


 鳥が飛んでいた。強くあこがれた。


 鳥になりたい。鳥になって全てから解放されて、自由気ままに生きていきたい。群れる必要は無いけど、仲間がいればもっと良い。”生”を身体いっぱいで謳歌して、気が付けば死んでいたい。なぜ人間は、ヒト用の翼を開発しないのだろう。どこまでも飛んでいきたいと、思ったことが無いのだろうか。自分だけがおかしいのか。自分だけが、あの一点の曇りも無い澄み切った大空を謳歌したいと思っているのか。それとも、世の中はこの空と同じくらい澄み切っていると、本気で思っているのか。


 


 もう、冬になっていたらしい。薄手のパーカーじゃ耐えきれないほど寒く感じる。感情は無くなったけど、感覚はまだ残っているようだ。味のしない授業を噛んで捨てると、帰路につく。とにかく授業が長く感じる。どうせ聞かないのだから、休もうが同じなのに。それでも、耐えて、耐えて、耐え抜く。冬眠する動物のように、厳しい冬を凌ぐ。暖かい春を切望して。


 その夜は中々眠れなかった。夜遅くまで起きていることはしばしばあるが、今日はむしろ早めに寝るつもりだった。なのに、身体が眠ろうとしない。痒い訳でもないのにむずむずする。焦れば焦るほどうまく寝付けない。それでも、少しずつ意識は遠のいていった。


 


 気が付くと、いつもの学校—―ではなく、いつもの戦場にいた。


 ”それ”はもはや”それ”と呼べる形態ではなく、異形と呼ぶにふさわしい姿をしていた。その姿からは、闘うことなく自分の戦意を喪失させるには十分すぎるほどのおぞましさが感じられ、それはまごう事なき敗北を意味した。しかし、降参すれば終わるような闘いではない。異形はこちらを真っすぐに見据え、動いた。残像だけが見える。


 突如、今までとは比にならないほどの苦痛を感じた。痺れる身体に、止まぬ攻撃。敵の攻撃は一打ごとに威力を増し、自分の内側を深く傷つける。知らぬ間に巻き付いていた分厚い鎖が、容赦なく身体を締め付ける。


 生きていて感じたことのない苦痛に対し、対処する術は存在しなかった。もう、ひたすら耐えるしかない。そう考えていた。恐怖で頭がおかしくなりそうだった。立っているだけでやっとな状態だった。


 まともに動かない脳を使って悩みに悩みぬき、それでも答えは出ず、ただ攻撃を我慢し続ける。いつ死んでもおかしくないと思っていたが、死ぬことはおろか、意識を無くすことさえ許されなかった。


 おぼろげながら、異形の表情を読み取る。苦悶の表情。敵も苦しんでいるのだ。そう考えると、終わりのないと思われた闘いにも、終わりがあるかもしれないという希望があるように感じた。


 長い時が過ぎ、苦痛が止んだ。現実世界とは違い、時間の経ち方が同じなのかは分からないが、それでも日が昇り、また沈むのを三回は繰り返すほどの時間が経っているような気がしていた。その一方で、一瞬のことであったようにも感じられた。


 決着はつかなかった。自分は、耐え抜いた。自分も”それ”も、ただただ地に伏せていた。朦朧とする中で、それでも、達成感や充足感は得られていないことに気づいていた。


 双方が眠りにつき、起きたとき、世界が霞んで見えていた。




 ???は空を飛び、世界を見渡す。


 角ばった豆腐たちを頭の中で想像する。


 黒く塗りつぶされた光と共に進む。


 ミニチュアのような世界。???の求める何かは、どこにある?


 全てを眺める。全てを観察したつもり。

 

 何もしっくりくるものは無い。色づいて見えるものは無い。


 しかし、煌々と輝く自分の心臓だけは、目に焼き付いて離れなかった。




 自分は”それ”と対話する。


 内側だけが色づいて見える。


 世界は内側に全て凝縮されている。


 ”それ”との闘いは続く。

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