第5話

 それからしばらく経った、大安吉日のとある日。身内だけの式ではあるが、遠藤家には家紋入りの幔幕が張り巡らされた。この日に合わせて、東京から敬司も会津に戻ってきていた。今は生計を立てるために、東京の中学校で教鞭を取っている。父が江戸定府だった頃に興味本位で習い覚えた英語が、このような形で役立つとは、思わなかった。

 敬司も、遠藤家の家紋を染め抜いた紋付き袴を身に着け、日頃の彼に似合わず神妙な面持ちで、親族の席についている。

 それにしても。久しぶりに帰ってこいという父からの手紙には、驚いた。何か変事があったかと慌てたが、手紙を読み進めていく内に、剛介と伊都が結婚することになったと書かれていた。

(あの伊都と剛介が……)

 敬司が会津を離れたとき、伊都は十歳、剛介は十四歳、敬司は十七歳だった。しばらく会津に戻れなかった敬司から見れば、伊都も剛介もまだまだ子供のように感じていたのだ。だが帰郷してみると、伊都はまだ幼さは残るものの、体つきも女らしくなってきているし、剛介も背が伸びて「青年」と呼ぶのに相応しい体つきになっている。もっとも背は敬司よりもやや低いが、動作は俊敏さを感じさせる。受け答えも卒がなく、有事の際には、きびきびと働いてくれそうだった。

 その剛介はというと、今はやや落ち着かない様子で、花婿の座についている。まだ、伊都の支度が整っていないのだ。式が始まるまでの間、義弟を少しからかいたくなって、敬司は剛介の側に膝を進めた。

「緊張しているな?」

 敬司の言葉に、剛介は、顔を赤らめた。

「どちらから、結婚を言い出した?」

「私からです」

 やや憤然とした様子で、剛介が答える。

「本当かよ」

 半ばからかい気味に突っ込みを入れながらも、その言葉は嘘ではないだろうと、敬司は思った。眼の前の義弟は、一見大人しく見えるが、なかなか気骨のある人物らしいと、四年前に初めて声をかけたときから、感じていた。そうでなければ、あの戊辰の戦いの後、会津にとどまって生き延びようとはしなかっただろう。

 そこへ、花嫁の付き添い役を務める登美子が、顔を覗かせた。

「嫁御寮人のお支度が整いました」

 その言葉に、剛介は背筋を伸ばした。やがて、登美子に手を引かれて、しずしずと伊都が剛介の隣にやってきた。その姿は、真っ白な練絹に包まれ、まばゆいばかりである。胸元には、錦繍に包まれた遠藤家伝来の懐刀。口元には、真っ赤な紅が引かれていた。伊都の顔は見慣れているはずなのに、天女もかくやと思われる姿である。やはり緊張しているのか、やや強張った面持ちだが、それが美しさに磨きをかけている。しばし、剛介はその美しい姿に見惚れた。しゅっと打掛の裾を捌き、伊都が剛介の隣に座る。

 式が始まった。三々九度の盃を交わし、祝詞が上げられる。高砂が唄われると、これで世間的には剛介と伊都は夫婦として認められたことになる。伊都がまだ十四のため、新法ではもう一年待たなければならない。だが、そんなことはさしたる問題ではなかった。

 

 夜。新枕の邪魔になってはと思ったのか、清尚と敬司は親戚の家に泊まりに行くといって聞かなかった。

「せっかく東京から帰ってきて、親類の家に泊まりに行くというのもなあ」

 わざとらしく、敬司が大仰に溜息をついてみせる。そのくせ、その目元は笑っているのだから、始末が悪い。明らかに、女に疎い剛介をからかっている。恥ずかしいったら、ありやしない。

「敬司!」

 終いには、清尚に怒鳴られる始末であった。

「へいへい」

敬司が首を竦める。

「それでは、お帰りは明日ですね」

 兄に構わず、伊都が淡々と続ける。その口ぶりは、落ち着き払っており、既に人妻の貫禄とも言うべきものが見え隠れしていた。

「それでは、皆にもよろしくお伝えくださいませ」

 きっちりと両の手を揃えて、額づいて二人を見送った。

「うむ」

 清尚が軽くうなずき、玄関の扉を開けた。もっとも、親戚といっても数丁離れたところに住んでいる、ごく近所の者である。剛介も、「行ってらっしゃいませ」と、両名に向かって頭を下げた。不意に、敬司が頭を寄せると、剛介の耳に「うまくやれよ」と吹き込んだ。

(何ということを、言ってくれるのか)

 剛介の顔は、恥ずかしさで今にも火が出そうだった。


「――それにしても、父上。わざわざお膳立てまでしてやらなければ、ならないものでしょうか」

 宿泊先の親類宅で、敬司は父親に訊ねた。出るときには行きがけの駄賃代わりに義弟をからかってきたのだが、妹が今頃剛介の腕の中で女になっていると思うと、それはそれで複雑なものがある。つい、父親に愚痴をこぼしたくなるのだった。そういえば、父親と会うのも、斗南藩から敬司が一時帰国して以来、久しぶりだった。余談だが、白虎隊の解団式も、斗南の地で行われている。

「あのままでは、伊都も行かず後家になりかねなかったからな」

 清尚は、苦笑いで返した。娘の頑固さは、父親である清尚はよく知っている。自分が気に入っている相手でないと、嫁入りそのものすら拒みかねなかった。剛介が伊都の懸想に応えてくれるのならば、これほど目出度い話はなかった。

「そういえば、会津に来たばかりの頃から頑なでしたね、剛介の奴も」

 生真面目な義弟のことだ。あの義弟はまだ学生であるから、うっかりすると、夫婦の営みよりも学業を優先しそうだ。今頃、どんな顔をして伊都と向かい合っていることやら。

 久しぶりに会った義弟は、いくらか人間味を取り戻しているように感じられた。かつて猪苗代で無理やり酒を押し付けたのも、あまりにも長いこと能面のようだった剛介が、このままでは精神的に壊れてしまうと危惧した、敬司なりの配慮だったのである。まさか、妹を妻に迎えるとは思わなかったが。

「心底打ち解けられていないのは、相変わらずだがな」

 父の言葉に、おや、と敬司は眉を上げた。四年も会津にいるのだから、とうに馴染んでいたかと思っていたのである。

「学友もいないわけではなさそうだが、家に連れてきたことがない。腹を割って話せるまでには至っていないのだろう」

「ふうん」

 清尚が知っているのも、武谷の家の簡単な情報や、敬学館付属の手習い所に通っていたことくらいまでだった。それに加えて、大壇口や母成峠で参戦していたくらいの知識しか、清尚も教えてもらっていないという。

「会津への義理立てで、二本松の話をしたがらないのでしょうか」

「恐らくな。だが、二本松への望郷の念は、まだ秘めていると見た」

「というと?」

「毎月二十九日には、二本松の方角へ向かって手を合わせている」

 父親の言葉に、敬司ははっとした。二十九日は、二本松城落城の日である。

「剛介は、やはり二本松の益荒男ですか」

 思わず、そんな言葉が口をついて出た。敬司も、鶴ヶ城に籠もって落城に立ち会っている。そのために上野寛永寺に送られ、その後斗南藩に行く羽目になったのだが、それに飽き足らず、上京した。そもそもは江戸生まれの江戸育ちだから、東京の生活にはすぐに馴染めた。だが、剛介は二本松で生まれ育ち、目の前で恩師や朋輩を殺された。そして、城が燃えるのを眼の前で見ているしかなかった。話を聞くだけでも、敬司とはまた別の苛酷な戦に立ち向かってきたのだと、あの日、感じた。武士の子として生まれ、君公の前に死ぬのが当然と教え込まれた剛介にとって、今生きている事自体が、奇跡のようなものである。

「そもそも、お前が会津に戻ってくれば丸く収まるものを」

 清尚が、息子を軽く睨んだ。だが、会津藩の士分だったとは言え、文字通り江戸っ子の敬司には、会津での生活は窮屈に感じられるに違いない。江戸に長くあった清尚はそれが分かっていたから、敢て上の息子を呼び戻すことはしなかった。

 もしかしたら、剛介も同じ様にこの会津での生活に、息苦しさを感じているのではないだろうか。

「もしも」

 万が一、剛介が会津を出ていきたいと言ったのならば、そのとき父は、どうするつもりなのだろう。敬司はそんなことをぼんやりと思ったが、思いを振り払うように、頭を振った。今日は目出度い日なのだ。たとえ剛介の本質が二本松の益荒男であろうと、妹を抱けば、益荒男の荒肝も一時であれ、和らぐだろう。まだ剛介は十八なのだ。少しくらい、普通の男としてのときめきを手に入れてもいいではないか。


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