飲むか、反るか

語部

飲むか、反るか

 大雪が降る中、俺は速足で駆けていく。

 開けた雪道を麓まで下り遭難を免れるべく、極寒の中の進軍を続けていたからだ。

「あとどれくらいだ……」

 荒い呼吸とともに溜め息交じりの言葉が漏れる。もう体力はとっくに消耗し切っていて惰性で足が動いていると言ってもよかった。 

 しかし、一秒でも早く山を下りたいと急いでいた足がふと止まった。

「これは──」


 雪で霞んだ視界に入って来たのは一台の自販機だった。どうやら動いてない様子もなく、仄かな明かりを発している。

 その自販機に俺は誘蛾灯に群がる虫のように近づいていった。ここ数時間の歩みの中、想像以上に横殴りの雪が体温を奪っていって何か温かいものを欲していたのもあったからだ。

 だが、目の前の自販機と対峙し、しばらく財布の中や登山用の服装に備えてあるポケットを弄っていくうちに自然と身体が静止した。そして雪が止んだ雲間から垣間見える歪な月を呆けた表情で仰いだ。

 確かに自販機は正常に稼働していた。だが、その飲み物のほとんどは売り切れていて残っていたのは冷たいアイスが二種類、温かいホットが一種類だけ。

 加えて手元の所持金が足らなかった。正確には紙幣が使える自販機ではなかったからだ。無論、電子マネー等が使える新しいタイプでもない。

 わずかに持っていた小銭でも、遠慮がちに表示されている冷たいアイスを買うのがやっとの額が掌に収まる程度しかない。


 改めて俺は視線を自販機に戻す。

 そして落ち着いて考えを巡らせた。まず体調面からみて今は空腹だが、それ以外はまだ良好な方だろう。自販機に足が向いたのも寒さと言うより何時間か分からないくらい延々と歩いてきたことによる喉の渇きの方が優先的にそうさせたと感じるのが自然だ。

 だとすると──。


 俺は一つの答えに辿り着いた。現状として温かいホットを選ぶことはできない。何か飲むとするなら冷たいアイスの中の二種類だけだ。コーラとオレンジか……やはり現状を見て自販機を前に何も飲まないという選択肢も消える。

 もはや飲み物の温度などと贅沢は言ってられない、まず身体に取り入れるべきものは水分。周りには雪が沢山降り積もっているが、自販機の冷たいアイスの方がまだ温かいホットと考えられる温度差はある。あとこのコーラとオレンジに糖分が含まれてることをみても、残りは好みの問題というくらい些末なものになる。

「よし──」

 俺は軽く両頬を手で叩いて少し気を入れ直した。くだらない雑念に囚われ過ぎた己を正すためだ。

 もうとるべき行動は決まっている。あとはそれをさっさと実行するのみ。

 自販機に握っていた全ての硬貨を投入し、点灯したコーラとオレンジのボタンを俺は同時に押した。

 別にどっちを飲みたいか迷っている訳じゃない、どちらでもいいくらいの適当さが衝動的にそうさせただけだ。


 ガタンッ。


 結果としてオレンジジュースが入った小さなペットボトルが落ちてきた。

 そう、それでいい。

 俺は得心して取り出し口に手を入れようとした。その瞬間──。

 

 ピーピーピー!

 

 想定外の電子音が耳の奥に突き刺さった。

 俺は少し驚き異音の発信源に目をやろうとした、それと同時に自販機が機械的な光を一斉に発する。

 一瞬不可解に感じたが自販機の一連の動きを見て、

「ああ、そうなのか──」 

 全てを理解した俺はすぐに納得が出来た。

 自販機は古ぼけていながらも正常に稼働していた。だが、一ヶ所だけやけに劣化して表示されてなかったある部分──。

 よく見れば微かに分かる、抽選くじの数字の電光部分が切れかかっていたからだ。

 俺はそれに気づかず頭の中で奔走していたが、自販機は通常通りに飲み物を落とし、くじの抽選をして当たったことを伝えただけに過ぎなかった。


 こんなこともあるんだな・・・。

 予定外の温かい缶コーヒーを手にしながら俺はどこか安堵した気になった。

 生きていて自販機に翻弄されることはそんなにない。少しおかしな体験が出来たと思えば話のネタくらいにはなるだろう。

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