とある探索者たちの一日(後)
素材は敵からの、探索者たちの隠語。
戦闘勝利後に残される魔物の死骸。
ハクスラで直接 “金貨” が手に入る迷宮探索者にとって、そこから得られる素材は取り立てて魅力のある戦利品ではない。
むしろかさばり、大量の金貨や
そういった素材集めは冒険者の生業だった。
探索者は迷宮での
探索者ギルドが官営なのに対し、冒険者ギルドは民間の互助組織だ。
暗黙の協定が結ばれ、ふたつのギルドが互いの
魔物を狩っての素材集めは、冒険者の大きな収入源だ。
探索者が、希少な魔物が泉のように湧き出る迷宮で素材狩りを行なえば、冒険者の重要なたつきを奪うことになり、レア・マテリアルの値崩れも引き起こす。
探索者ギルドから迷宮での素材狩り禁止令が出され、探索者たちも従った。
だから魔物の死骸に価値を見いだす迷宮探索者はいなかった。
――『
迷宮の外に魔物が存在しない『
その価値は純金の迷宮金貨の比ではなく、肉、皮、毛、牙、骨、爪、その他ありとあらゆる器官が、都が買い上げ国と分け合ったあとに様々な研究機関や企業に分配、または払い下げられていた。
素材の中では特に “毒液” の価格が高止まりしている。
毒を持つ魔物が迷宮から出た場合に備え、血清の製造と備蓄が進められていたが、血清の原材料となる “魔物の毒液” が絶望的に不足していた。
毒を持つ魔物は多種にわたるが、その一種ずつに血清を作らなければならない。
一種ずつから “毒液” を集め、少しずつ “子ウシ” などに注入し、血液中で “抗体” を作る。
この “抗体” が血清になる。
動物の抗体であるために人によっては
繁殖力の旺盛な “
◆◇◆
ケイコは倒した “大鼠” の喉を、
鼠の毒袋はここにある。
不衛生な環境で生息しているため、ばい菌で毒になると思われがちだが、違う。
そんな生やさしい相手ではない。
だから咬まれれば一瞬で
ケイコは死骸から毒袋を取り出すと、容量一リットルのプラ容器に中身を注いだ。
鮮やかなオレンジ色に満たされていくボトル。
まるでアメリカで売られているオレンジジュースだ、と思った。
そして朝食で飲んだ同色の液体を思い出して、ケイコは吐きたくなった。
魔物の解剖学上の知識は、迷宮が出現してから一般に開放されるまでの七年間に、研究と蓄積がなされた。
その土台となったのが、自衛隊員や警察官から選抜された調査隊だ。
志願者の中からエーテル耐性を持つ者で編成された彼らは、地下三階までの浅層階を攻略したが、続出する殉職者に調査を断念せざるを得なかった。
志願したとはいえ公務員が命を落としている事態に批判が噴出し、時の政府与党が腰砕けになったのだ。
そして以後の探索を『自己責任』の名の下に一般の希望者に委ねるしかなかった。
奇しくもそれは、『向こうの世界』の国々が騎士団や軍兵の損耗を抑えるために、迷宮を民に開放したのと同じ構図だった。
解剖学を含む調査隊の持ち帰った知識は、“
講習も定期的に行なわれていて、探索者なら無料で受けることができた。
そのうち “魔物解体技能一級” とかの資格ができそうだ、というのは探索者の間で交わされているジョークだ。
今はまだ需要が供給を大幅に上回っているので心配はないが、あるいはこれから先そういう時が来るかもしれない。
一匹から容器の五分の一、二〇〇ミリリットルほどが取れた。
これが外界の
迷宮の魔物はどれも馬鹿デカく手強いが、この点だけは助かる。
“大鼠” は三~九匹の群れで襲ってくる。
先程は “
慎重にトドメを刺したつもりだったが、一匹の毒袋が破れていた。
“大鼠” の毒液 は今、一〇〇ミリリットルで三〇〇〇〇円の値が付く。
六〇〇〇〇円を稼ぎ損なった計算だ。
まだ
パーティは、もう少し稼ぐことにした――。
結局その日の素材狩りは最初の “大鼠” の群れを含めて、二回で打ち止めだった。
もう一回は “
それ以外に遭遇したのは全て
・
・
・
傷を負い疲れ切ったケイコたちは、地下一階の始点に戻ってきた。
あとは僧侶が残る精神力の分だけ傷を癒やし、鑑定屋がまだいるようなら戦利品の目利きを頼み、地上に戻るだけだ。
鑑定屋はいた。
しかし見慣れた隻腕の男ではなく、もっと若い男だった。
聞くなら今日から開業したレベル5の
隻腕の男は戻ったのか? と訊ねると新しい鑑定屋は言いづらそうに、同業の先輩に開業の挨拶をしたところ、何も言わずにただうなずき、回廊を北に向かって歩き去ってしまったらしい。
ろくな装備もない隻腕の後衛職がひとりで迷宮を進めばどうなるか。
元古強者の鑑定屋が分からぬはずもない。
ただ、そういう時がきたのだ、と思うほかはない。
迷宮に潜る者の心に触れるは無作法、触れぬが作法。
それが迷宮無頼漢たちの乾いた悟りだ。
パーティは新しい鑑定屋に入手した剣の目利きを頼んだ。
後を継いだ鑑定屋の記念すべき初仕事だ。
二回ほど失敗したあと、識別に成功した。
なんと+1相当の魔剣 “
未だ世界で五本と確認されていない逸品だ。
三階で手に入るとは望外の幸運と言えるだろう。
沸き立つ仲間たちを尻目にケイコは、隻腕の鑑定屋が消えた回廊の先を見つめた。
男の背中は見えない。
ただいつも通りの線画の迷宮があるだけだった。
縄梯子を上り、地上に出る。
都会のど真ん中だがそれでも、身体を包んだのは清冽な空気に思えた。
迷宮の入口を見張り、内郭の出入り口を守る警衛所に入る。
入口横の滅菌室で入念に滅菌されたあと、金属探知機で検査され、戦利品の金貨を一枚残らず強制的に換金させられた。
今日のメインである三種の毒液も、買い取りカウンターで売却する。
迷宮金貨と合わせて、素材の買い取り額は一〇〇万を超えた。
魔剣の価値が一〇〇〇万だから文句なく、パーティ結成以来最大の成果だ。
疲れ切ってはいたが全員が、羽のような足取りでシャワールームに向かう。
湯船に入念に浸からない限りこびりついた悪臭は取れなかったが、自他の血と汗と
汚れた装備を真空パックして、手押し車で運ぶ。
身体と一緒に滅菌してはいるが、こちらも臭いが酷い。
ホテルのコインランドリーにある装備品専用の消臭器を使った、徹底した手入れが必要だった。
ホテルに戻ってレストランで、祝杯をあげる。
稼ぎはパーティ用を含めて七等分され、それぞれの口座に平等に分配された。
初めて手に入れた魔剣はじっくり眺めたあと、酔っ払う前にフロントに預けた。
ジャンケンか、コイントスか、はたまた腕相撲か。
ふたりいる戦士の間で、熾烈な装備者争いが待っている。
パーティは大いに痛飲し、ひとりを除いて千鳥足で自分の客室に戻った。
酒豪のケイコは一番、正気を保っていた。
狭苦しいユニットバスにそれでもゆっくり浸かり、疲れと臭いを取る。
湯上がりの火照った身体で缶ビールを煽りながら、窓の外を見つめる。
明かりを落とした客室に飛び込んでくる、光の洪水。
都会の夜は、昼間よりもさらに明るい。
ケイコは友人に今日の成果を知らせようとスマホを手に取った。
上京して数年。
故郷の友人とはすっかり疎遠になってしまっている。
今いる唯一の友人は数ヶ月前に知り合った、年下の世界最強探索者だ。
LINEにメッセージを打ち込み送信をタップしかけて、やめた。
友人は迷宮でこそ最強だが外に出れば、旦那にぞっこんの既婚者だ。
この時間に迷宮の話は野暮というものだろう。
ケイコは缶ビールを片手に、再び窓の外を見た。
迷宮に消えた隻腕の鑑定屋の姿が、夜景に重なる。
(そこに救いはあったんだよね)
手向けの酒を、ケイコは捧げる。
Fin
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お読みいただき、ありがとうございました
お気に召していただけたら★★★をいただけますと大変嬉しいです
引き続き、第二回の配信をお楽しみください
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第二回の配信はこちらから
https://kakuyomu.jp/works/16817330665829292579
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エバさんが大活躍する本編はこちら
https://kakuyomu.jp/works/16816410413873474742
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実はエバさん、リアルでダンジョン配信をしてるんです!
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