悪役令嬢は選択肢の幅に文句が言いたい!
チョコころね
前編:悪役令嬢は選択肢の幅に文句が言いたい!
「公爵令嬢アリステア・シオン・イーブイ! 貴女に下された裁定はこれです!」
宰相のゲオルグ・ガガーリンが、王家の紋章の入った紙を高く掲げた。
そこに羅列されている文字を読んで、アリステアは思わず膝をついた。
「な……」
「よもや否やはありませんな?」
「なん……」
「審議時間は実に一昼夜に渡りました。これ以上の成果は出ないでしょう!」
「何なのですか!これは?」
公爵令嬢は礼儀に反さない程度に、非難の声を上げ、力の抜けた足を叱咤して立ち上がった。
「エステヴァン王子殿下に、最大限の譲歩をいただいた結果です!」
彼女の足から、また力が抜けそうになった。
「…何故、何故あの方の譲歩をいただかなければならないのです! 私はもう、あの方の婚約者ではないのですよ!」
宰相は秀でた額に手を当てた。
「そうです。そこが問題なのです。貴女が殿下の婚約者であられれば、こんな事態にはならなかったのです」
頭にカッと血が上ったが、何とか貴族令嬢の矜持を失わぬよう、アリステアは抗議する。
「おふざけにならないでいただけます? 婚約解消はあの方のお申し出によるもの! 文句はあちらに言ってくださいませ!」
幼い時に国に決められ、アリステアと婚約した第一王子は、神聖教会が『聖女』を選出した途端、そちらに鞍替えした。
「国王陛下もそれを、お認めになられました。私と王家とはもう、縁もゆかりもございません!」
「ですが、『聖女』様がお隠れになられた今、王家は正式な謝罪の元、貴女様との復縁を望んでおいでです」
「だから、おふざけにならないでと言ってるんです!」
デリカシーの欠如した宰相に、扇子を投げつけたい衝動を抑えるため、アリステアは両手をぎゅっと握った。
特別に編成された騎士団と共に、2、3の戦場を巡った後、『聖女』は行方不明となった。
公式には『魔物との戦いで力を使い果たした』とされているが、巷の噂では、『騎士の誰かと駆け落ちした』、が有力だ。
「謝罪なんて要りません。婚約解消の場で誓約されたように、二度とあの方を私の前に出さないでくださいませ!」
「その誓約があるので、私がここにいるのです。本来でしたら殿下が、直接貴女様に謝罪したいと…せめて誓約の撤回をお願いできないでしょうか?」
「できません! ですからその裁定も無駄でございます!」
真っ直ぐ人差し指で、掲げられた書状を指し示す。
アリステアはもう礼儀も何もかも、かなぐり捨てたくなった。
「大体、そこに書かれた他の方々は何なんですの!?」
王家の紋章入りの羊皮紙には、以下のように書かれていた。
『面会日程』
月の曜日:エステヴァン第一王子
火の曜日:クラウス・スレイ侯爵令息
水の曜日:ローランド・モン公爵令息
木の曜日:ケネス・ビスク伯爵令息
金の曜日:ハーモン・メイス辺境伯
見た瞬間、紙を燃やさなかった自分を褒めてあげたいと、アリステアは床を踏みしめる足に力を入れる。
「陛下は、聖女に成り代わり魔獣を退けた貴方様に、最大の敬意を払いたいとそう仰せです」
こんな訳の分からない問答をする羽目になるなら、さっさとこんな国見捨てればよかった…、アリステアは胸の中で吐き捨てた。
「ここにある名前は、いずれも、わが国が誇る心身壮健、頭脳明晰、容姿端麗な独身の貴族子弟のものです」
宰相は無駄に胸を張った。
第一王子の名があるだけで、その前提は崩れているというのに。
「イーヴイ公爵令嬢、陛下はこの中から、貴方様の伴侶を選んで欲しいとの仰せです」
『余計なお世話ですわ!』
心底からの叫びは、口に出せない。
一応コレは『国王陛下』の、国一番の権力者の要請なのだ。
落ち着け、落ち着けとアリステアは自分に言い聞かせる。
王宮で王に逆らうのは、得策ではない。
「そこに並んだ名前の中で、まず、エステヴァン殿下ですが、あの方は永遠に私の前に姿を現せられない誓約です」
「そこを何とかしていただければと…」
アリステアはギロッとそちらを睨んで、一国の宰相の口から出る、世迷いごとを断ち切るように言葉を続ける。
「次に!スレイ侯爵令息、ビスク伯爵令息にはご婚約者様がいた筈です」
「まだ婚約期間中です。他に良い縁があっても不思議ではありますまい」
「…そう。私と婚約していたエステヴァン殿下もそうでしたわね」
アリステアは口の端を釣り上げた。
宰相が怯む気配を感じたので、とても鏡には映したくない表情になっているんだろうなと思う。
もとより政略結婚だ。
愛だの恋だのは関係ない。
ただし、感情でなく契約で結ばれた以上、何よりも強固な筈の、国と家との厳重で細かい取り決めを、あの軽薄王子とその父はいとも簡単に踏みにじった。
『アリステア、真実の愛の前には、人の世の決め事など、何の意味も持たないと思うんだ』
(なにが『真実の愛』よ!その『人の世』に住んでいるんじゃないのですか、あなたは!)
『イーヴイ公爵令嬢、国の為にエステヴァンを諦めてもらえないだろうか?』
(笑わせないでくださいませ陛下。貴方様の御自慢の息子は、国にも私にも何の価値もありません!)
あの場で、アリステアが魔力を暴走させ、辺りを火の海にしなかったのは、皮肉にも辛く厳しい王妃教育の賜物だった。
少しはあった彼らへの親愛の情も、今ではあふれる憎しみの養分でしかない。
「何の非もない婚約者を替えることが出来る方は、また同じように替える事も可能でしょう」
この期に及んで、復縁を望んでいるというエステヴァン王子のように。
「私は、そんな不実な方は
万感の思いをこめて、きっぱり言い切った。
「…で、ではモン公爵令息はいかがでしょう? 婚約者もいませんし、御身分的にもこれ以上釣り合うお相手はいますまい」
さすがに不利を悟ったのか、宰相は婚約者アリの二人を蒸し返さず、他の令息を勧めて来た。
「ローランド様には、熱愛中の恋人がいますわ」
「まさか、令息の周りには女性を匂わせる話すら出ては来ませんよ」
「恋人というのは、いつも彼の側にいる秘書の、ゼレノフ男爵子息です」
宰相のニコニコとした笑顔は、一瞬で凍りついた。
「もう八年越しの純愛ですわ…羨ましいこと」
この場に、地獄のような沈黙が落ちた。
本人から、好きにバラしてくれて構わないと、アリステアは言われている。
大方、あちらも積まれた縁談にうんざりしているのだろう。
この場所にいるのは宰相とアリステアと書記官。
あと護衛の兵士が何人かいるが、皆口は堅そうなので、早々に広がりはしないが、ある種の牽制にはなる筈だ。
「そ、そのようなお話は…」
「私たちは幼馴染です。不本意ながら彼の嗜好は、小さい時からよく知っております」
彼の初恋は、アリステアの家庭教師だった。
『アリスちゃんがうらやましいよ…』
当時7歳の又従兄弟に言われた時には、さすがに5歳の彼女も目を見張った。
以来、彼の好みは一貫して、知的な
あるいは、だからこそエステヴァンとの話が終わった後、アリステアはローランドに契約結婚を申し入れることも、少しは考えたのだが。
(でももう、婚姻にも世間体にも愛想が尽きたわ)
おかげで、そんな不自由な真似、ローランドにもさせないですんだので良かったと思う。
「…そして、メイス辺境伯ですが、最初の奥様を亡くされたのはご不幸だと思いますが…」
「そう、そうですぞ! 伯は奥様を亡くされてもう3年たちます。新しい奥方を迎えられても不自然ではありますまい」
何より辺境伯の勇猛果敢さは、国境線を越えた隣国にも響き渡っており、またご本人は音に聞こえた美丈夫…と、続く美辞麗句を、アリステアはゆっくりと遮った。
「…ゆえに、若い頃から様々な貴婦人から、慕われていたそうですね?」
「え?えぇ、ですが辺境伯は奥様一筋で、後添えを迎えては…」
「奥方様が生きておられた時はそのようでしたが、最愛の奥方様を亡くされた喪失感が大きかったのでしょうか? 奥方様の葬儀から半年もたたない内に、愛人を家に入れ、さらに今ではもうお一人。新しい愛人と元の愛人
…宰相様におかれましては、ご存じありませんでしたの?とアリステアが問うと、その場には再び深い沈黙が流れた。
辺境伯の家令が、余程上手く隠していたらしく、まだ宮廷には伝わっていなかったようだ。
(まぁ、遠い国境沿いの話ですしね)
彼女も先日までは知らなかった。
ただし正確な情報であるのは間違いない。
その場にいた人間から聞いたのだ。
最初の勢いがすっかり消えた宰相に、アリステアは笑いかけた。
「…本日のお話は、これで終わりですわね。ではごきげんよう、ガガーリン侯爵閣下」
ドレスを摘み、一礼して出口に向かうと、侍従がゆっくりとドアを開けた。
背中に強い視線を感じたが、アリステアは部屋を出、王宮を後にした。
「お疲れ様です!上手くいきました?」
アリステアが自室として使っている、公爵領別邸に入ると、メイド姿の明るい金色の髪の娘がパタパタと駆け寄って来た。
「まぁ何とかね…」
ソファに腰かけ息をつくと、別のメイドがお茶とお菓子を持ってきた。
金髪の娘が笑顔でワゴンを受け取った。
「後は、私がしますので」
軽い口調に、メイドは微かにこちらを伺ったが、アリステアが頷くと静かに頭を下げ、壁際に控えた。
金髪の娘が、テーブルにお茶とお菓子をセットするのを見ながら、疑問を口にする。
「なんで、まだメイドの服を着ているの?」
「コレ、気にいっちゃって!メイド服着るのが夢だったんですよー」
公爵邸のメイド服は、オーソドックスな、白襟のついた黒のワンピースと白いエプロンだ。
金髪娘は嬉しそうに、ひざ下までのスカートを少し持ち上げた。
「…変わってるわね」
「えー、アチラでは結構流行ってたんですよー」
明るい口調に、アリステアは頭を軽く振った。
「…変わった場所だったのね」
金髪娘…元聖女のエリザ・シャリアンは、『エリザ』としての生まれる前の記憶があるという。
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