折り鶴のヒーロー

アイビー ―Ivy―

ヒーロー

 馬鹿笑いしていた。息切れするほど楽しかった。

 上履きと靴下をぺいっと脱ぎ捨てて、裸足で階段を駆け上がった。窓の外は猛暑で、蝉がミンミンジージー鳴いていて、自分も滝のように汗をかいていたのに、足裏から伝わる階段の温度はひんやりしていて冷たくて、ときどきツルツルしていて、コケかけた。前を走る柊木が「ドジ野郎―っ!」とけたけた笑って、イオも「何だと!」と叫び返した。胃がひっくり返るほど大爆笑していた。テンションの上限が悲鳴を上げて突き破ってしまって、手に負えなかったし負う気もなかった。端的に言うと楽しすぎたのだ。

 そのまま屋上まで駆けあがって、鉄製の扉を派手な音を立てて開け放して、そのまま炎天下の中を駆けた。太陽がじりじりと肌を焼く。イオたちはアーだのウオーだの、よくわからない叫びを上げながら、四肢をめちゃくちゃに振り回して走って、走って、走った。その日の空は青かった。


 そして、鉄柵に足をかけ、二人で柵の向こうへ跳んだ。


 柊木の白金の髪が揺れて、イオの笑い声が一瞬途切れて、裸足の下の……ワインレッドのマニキュアをした指の下の……ちんまりと花が咲き誇る花壇が並べられた中庭を見て、ちょっとだけ浮遊感を楽しんで……そして、飛んだ。

 背中に翼がバサリとひらいた。純白の翼だ。ふかふかしていて、分厚くて、血が通っていて、羽がふわふわと靡く翼だ。背中をすっぽり隠すほどの翼だ。今日一番の叫び声を上げた。


「サイッコーッ」

「あははははは!」


 空を蹴って、ぶわりと吹き荒れた風に乗っかって、上を泳ぐ柊木を見上げた。空を泳ぐ魚だ。柊木は、柊木って名前のくせに、夏の空がよく似合った。原色のような青。絵具をぶちゅっとぶちまけたような空。鳥よりも高く、紙飛行機のように風になぶられながら飛んだ。笑い声が絶えなかった。

 太陽がある方向と同じ方向に飛んで、笑い疲れて、飛び疲れて、あはあは宙を泳ぐように笑うようになった頃、教会の十字架の上に降り立った。柊木は右側、イオは左側。十字架の縦の棒を挟んで、一休みした。


「あー、もう無理。俺飛べねえ」

「ぼくも無理ぃ! キッツ。マジで、あは、ふざけてんじゃねーの」


 教会の前は森が広がっていた。世界の全てを覆い尽くそうとでもしているかのような、広い森。濃い緑で、もっさもっさと葉が生い茂り、さわさわと揺れている。楽しそうだなぁと思って、歌った。森が歌っているみたいだったから、思わず、といった感じで、学校で習った聖歌を歌った。音程とかはもう気にしていない。


「ひいらぎ~」

「ん、何?」

「おまえさ、アレだよ。あのぉ~……あー、そうそう、ヒーローってやつだ」

「ひいろお?」

「そー」


 聖歌は途中でほっぽり投げて、十字架の縦の棒に寄りかかる。


「神様なんて信じてなかったし、今も特に信心深いわけじゃないし。でも、俺、柊木が神様ならロザリオを握れるんだよ。だって、俺を助けてくれた」

「嘘でしょ。あれで助けたって言うの?」

「もちろんだ」

「うっわあ、末期じゃん」


 柊木は十字架の上に、危なげなく立つ。


「見て、イオ。夕暮れだ。ぼくの一番嫌いな時間だ」


 知っているよ、と返して、森の向こう側へ沈む光を見ていた。

 橙の荘厳な光。青かった世界が橙に染まる。きっと、この翼も、十字架も、柊木も、イオも、等しく橙に染まっていくのだ。青々と茂る森も、寂れた教会も、みんな一緒だ。

 孤独とまるっきり反対の感情が、涙のように溢れた。

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