仮初の洛園

雨宮霊

エピローグ:雨が連れ出す

 ザーザーと雨が降る中を、僕は一人手に手紙を握りしめ、駆け抜ける。

 不思議と既視感を覚える土砂降りの雨の中。

誰かからの醜悪な悪意も、正義感故に振りかざされる自分本位な優しさも全てどうでも良かった。


 雨の声が世界の醜さを隠していた。


 荒い息で胸が脈動する。心臓の鼓動が高まるにつれて溢れ出すのは今はもういない少女への溢れんばかりの愛おしさ。

 だがその鼓動を抑え締め付けるのは、もう会えないという事実への胸を引き裂かんばかりの寂寥感。

 走り続け霞がかった視界に白い壁と屋根を突き抜ける高い鐘が印象的な協会が見えた。

 そうやって少しずつ近づくにつれて強まる寂寥感と愛おしさ。

 辿り着いたときに、果たして僕はどうなってしまうのかと疑ってしまう。

 もしかしたら永遠に辿り着かないのかもしれない、そんなあり得ない妄想が浮かび上がるほどに。

 だがそんな妄想を逆説するかのように目の前にはボロボロの納屋がいつか見た時と変わらず、まるで待っていたかのように立っていた。

 辿り着いた頃にはあんなに降っていた雨も鳴りを潜めパラパラとしたものへと変わっていた。

 彼女の手紙に綴られた言葉を思い出す。

 ―私の家にある日記を開いて。

 言葉の意味は分からない。だがそれをたかが雨ごときで後回しにすることは出来ない。

 はやる気持ちを抑えつつ、古びたドアを開き、留め具が軋む音とともにそのドアが開かれた。

 彼女の香りが鼻腔を擽る。

 そこには、かつて訪れた時と何ら変わらない彼女の部屋があった。

 相変わらず家具はベッドと服をしまう用の戸棚しかない簡素なものだったが、よく見てみると多少埃が被っている。誰も来ていないのかもしれない。

 ―この村には、やはり彼女がいなくなって悲しむ人間などいないのだと、分かり切っていたはずなのに、それでも寂しさを覚える。

 そうやって部屋を眺めていると戸棚の上に一冊だけ紙の束を見つける。

 紐でくくられたそれにはこの世界の言葉で『日記』を指す意味の言葉が書かれていた。

 彼女の日記。

 目的の物を握る指が震えだす。

 開く前に少し目を閉じて自分のこれまでを思い浮かべる。

 静かな流れのようにスラスラと零れ出す思い出。

 その思い出はどれも美しく、尊い。だが一方でその裏に隠れた彼女の悲しみや怒り、虚しさ、焦燥を想えば言葉を尽くしても表しきれないほどの後悔が自分の肩に圧し掛かる。


 ―ねえ、アコ。僕の選択は正しかったのかな?


 今はない少女に問いかける。

 普通からあぶれないために、当たり前を身に着けて、それを自ら捨てた癖に、結局君へ伸ばした手は落ちていく君の手をつかみ取ることが出来なかった。

 そうやって夢想していると、鳴りを潜めていた雨が帰ってきたようでまたザーザー降りになっていった。

 

 雨は乾いた大地を潤し、そこに生きるものへ恵みを与え、蛙鳴蝉噪は感謝の音色を奏でだす。

 だが一方で、雨は土壌を絆し、土石を誘いそこに住むものを飲み込み容赦なく奪い去る。

 

 画一的な物など何もないのだろう。きっと幾つもの正しさが繋がって角を作ってそれぞれが交わらないように保ち続ける。

 どれも繋がっているのだ。正しさなどはその時次第。

 

 意を決して彼女の日記を開いた。そこに広がるのは、僕の知らない彼女の物語。

 

 そうして、日にちが流れるにつれ辿り着くのは、僕が初めてこの世界にやってきた日。

 ふと、あの日も雨だったな、と彼女の思い出と共に逡巡を巡らせていった。

 

 プロローグ、終

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