第3話「たった一つの甘いクレープ」(前編)
あれは高校二年生の時の話だ。
趣味に使う金などなく、将来のことばかりを考えて勉強に明け暮れていた。
塾に行く金すらないのだから、自分で勉強する以外の選択肢はなかった。
そうやって、現実的に必要だと思ったことだけを選んで、この時間でしか手に入らないものというのをないがしろにしてしまっているところもあった。
仲の良い友達はいて、特に過不足なく学生生活を送れているのだからそれでいいと思った。思っていた。
そんな俺を変えてしまったのは一つ年下の女の子だった。
移動教室の時に渡り廊下で彼女を見つけたとき、俺は思考が停止してしまった。
肩まで伸びたサラサラの黒髪。こぼれんばかりの瞳は、年不相応な童顔をさらに助長していて俺の好みドストライクだった。
俺は基本的に家で勉強をしていたのだが、彼女とお近づきになりたくて彼女が勉強している図書館で勉強するようになった。
彼女はとても頑張り屋だった。本当にいつも勉強に熱心に取り組んでいる。
だが、彼女には友達と呼べるような子がいないようだった。
学校でも彼女の姿を目で追うようになってしまったからわかったことだが、いつも一人で行動していて、勉強している姿以外はろくに見たことがなかった。
彼女は医者を目指しているらしい。と言うのは友人から聞いた話だ。
「お前、まだあの後輩ちゃんにご執心なんだってな」
唯一無二の友人と机を向かい合わせてお昼を食べていると、いつものように友人は俺をおちょくり始めた。
「なんだよ。お前には関係ないだろ?」
気恥ずかしくなりながら弁当をつつき始めると、友人は急に真剣なトーンになってこう言った。
「やめとけ。住む世界が違いすぎる」
「……どういうことだよ?」
「あの子はな、この辺でも有名な大病院の娘さんだ。この学校も結構進学校だし……まあ、そこそこの家の子供とかエリートな感じなのとかが何人かいるが……その中でもあの子は別格だ」
……だからって、諦める理由にはならないだろ。
「まあ、そう睨むなって。冷静になって考えてもみろ。俺も噂で聞いただけだが、一人っ子な上に母が他界しているらしい。つまるところ、あの病院の跡取りなんだろうよ。だからみんな距離感測りかねてるって言うか、別世界の住人だと思って生活してるんだ」
なんだよそれ。
「だから睨むなって。お前がそういうのが嫌いなことはわかってるけどよ。こればっかりは運が悪かったと思って、あきらめたほうが良いと思うぜ? お前が医学部に行ける可能性はほぼゼロだ。万が一付き合えたとしても、忙しい医学生と一般ピーポーじゃそのうち破たんする」
「それは……」
「別に俺だって意地悪で言っているわけじゃないんだ。それに、初恋は実らないって言うだろ?」
「……」
「まあ、そう言って諦められるもんじゃないのは、わかっているけどな。現実はしっかり認識しておかないと、突きつけられた時に傷つくのはお前なんだぜ?」
「……ああ」
友人に悪気がないのはわかっていた。俺のことを思ってくれていることも。
でも、当然諦めるなんてことはできなくて、俺はやっぱり図書館に通い続けた。
図書館の利用者が少なかったからか、距離を詰めるチャンスは意外と早い段階で訪れた。
「あの……」
そう言って話しかけてきたのは、意外にも彼女のほうからだった。
「へぁっ!」
まずい。驚きすぎて変な声出た。
彼女の顔が思ったよりも至近距離にあったのだから仕方ない。
そう自分に言い訳をしつつ、やり直す。
「なに、かな?」
「あ、はい。えっと、その本……」
「ん?」
彼女の目線の先にあったのは、俺の使っている参考書だった。
「これがどうかしたの?」
「……手に入らなくって。妥協してたんですけど……やっぱり必要なんです。あの、急に本当にすいません。少しで良いんで見せてはもらえないでしょうか?」
「あ、えっと……」
これはチャンスだ。千載一遇のチャンスだ。……モノにしなければ。
間違いなく、それ以外のことは考えていなかった。
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