宝石の魔女は願えない

兎紙きりえ

第1話

手の中の小瓶から一粒。

取り出した赤色はどこまでも澄んでいて、月を覗けば、注ぐ光が万華鏡みたいに乱反射して煌めいた。

名も知らぬ宝石は他にも沢山、瓶の中に詰まっている。

青に黄に紫、ピンク。色も形もバラバラなのにその全てが息を呑むほど神秘的に輝いている。

それが、私の手にした『魔法』の正体だ。



街外れの丘には魔女が住むとの噂があった。

雑木林を抜けた先にある、その丘にはボロっちい木造の小さな家だけが建っていて。

いつも家の煙突からもくもくと、赤だとか青だとかの煙が立ち上らせている。

そんなのだから、街の住人たちは滅多に近寄らないし、当の本人もそれを良しとしてるらしい。

街行く人に声をかければ、誰もが魔女を知っていて。だけど、そのほとんどは魔女の姿を見たことが無いって言うだろう。

やれ野暮ったいローブを着ていただとか、しわくちゃ枯れ木のおばあちゃんだったとか、それこそ噂程度にしかならない話ばっかりだ。


そんな魔女に私は出会った。

それも、つい数日前に。


教えて貰った道はもう随分と昔の記憶のようで、目の前には道を覆い隠す程の緑が一面に広がっていた。

腰の高さまで伸びた雑草がずっと続いてるから視界が悪い。道なんて見えたものじゃない。

しかもだ。街は人の喧騒で溢れていたけど、森の中は静かだ。たまに風にそよぐ葉の掠れる音や、落ち葉を踏んだしゃくりとした音すらも不気味に聞こえてくるとなれば、余計な不安感も掻き立てられる。

もし、このまま見当たらないとして無事に帰れるのか?

後ろを振り返れば静まり返った森が陰を落として今にも飲み込まれそうだ。

ごくり。喉を鳴らす音はやけに大きく感じられてつーっと汗が垂れる。

貰った手書きの地図が何度も取り出されてくしゃくしゃになった頃、やっとのことで木漏れ日の差す隙間から目的の建物が見えた。


「あれが魔女の家……」


思い返せば家と呼べるのかすら怪しい程には傷み崩れていた木材の寄せ集めだったが、その時だけは、すんなりと目的の建物だと理解出来た。

さっきまでの道が嘘のように、その丘の周囲だけ景色が開けていて、背の高い木々の代わりに一面の花が地面を埋めつくしていた。


花々の絨毯を切り分けるように、小屋に続く一本の道が土の色を見せていて、手招くように私を誘う。

ギィ。と立て付けの悪いドアを開く。鍵はかかっていない。

家の中に入ると真っ暗で、ドアの開いた隙間から入ってくる光だけが充満する埃と散乱した家の様子を浮かび上がらせていた。


「……そこに誰か居るのかい?」


暗がりの奥、しわがれた声だけがやってきた。

地の底から絞り出すみたいに細くて弱々しいその声は、不気味なほど音の無い部屋の中でも危うく聴き逃しそうになるほどだ。

その時、風に吹かれたのだろう。中途半端に閉じていたドアが大きく開く。

伸びた光が、脚の折れた机を前に安楽椅子に座った人の姿を暴いた。

よれた黒いローブで全身を覆い、フードを目深に被った小さな人。

見える肌は口元と、指先くらいのもので、いずれも枯れ木のように細くてしわくちゃだ。


「悪いね、もう目も使い物にならなくなってきてね」


顔だけを僅かにこちらに向けて老婆は続ける。


「でも珍しい、こんな辺鄙な場所に何の用かね?」


老婆の問いに私は正直に答えた。


「魔法を教えてもらいに来たの」


「何を言い出すかと思えば……。魔法ねぇ」


くっくくと笑っては、咳き込む老婆。

今にも消え入りそうな命がそこにあった。


「まぁ、それも貴方が本物だったらの話だけど」


「どこに行くんだい」


「帰るのよ。噂は所詮、噂だったってわけ。魔法なんて嘘っぱちで死かけの婆さんがいただけなんて」


捨て吐くような言葉だけ残して踵を返しても魔女は肯定も否定もしなかった。

その反応が私の神経を逆撫でる。


「やっぱり魔女なんて、居なかったのよ。じゃあね、街にでも行って面倒見てくれる人でも探しなさいな」


私は苛立っていた。

安楽椅子に座った弱々しい姿を見れば数分前の自分が何故あんな噂を信じてやまなかったのか不思議にすら思えてくる。

同時に噂に踊らされていただけだと思うと、今更ながらに盲信していた自分が恥ずかしくなって、行き場の無い憤りは回り回って自分を貶めた。

すぐにでもこの場所から出て、どこか、誰も居ない場所にいきたかった。

誰でもない誰かにこの怒りをぶつける事で自分を保ちたかった。


「魔女は居ないさ、だが……魔法なら、ここに」


そんな私を引き止めたのは、やはり、ちぎれそうなくらい細い声だった。

コトン。と物音がして、振り返る。

音がしたのは老婆の座る安楽椅子の横。

脚の折れて不安定に軋む机の上。

ぽつりと置かれた小瓶に私は目を奪われた。

ぐるぐると心に淀んでいた黒い感情を全て吹き飛ばすほどに小瓶に詰められた物は美しい。

まるで、そこだけ劇場のスポットライトを当てたみたいに、もしくは満天の夜空を切り取って詰めたみたいに、手を伸ばさずにはいられない輝きがそこにはあった。

この世の物ではない。

触れずとも、なんだかそんな気がして老婆の言う魔法という言葉を私は飲み込んだ。


「これがあんたの欲しがってる魔法さ」


ひょい、といつの間に投げたのか小瓶は宙を舞って、慌てて伸ばした私の手の中に不自然なほどにすっぽりと入ってきた。


「そいつを飲み込んでから願いを思い浮かべるといい。もし魔法があると信じてるならね」


言葉が終わるより早く、どこからが吹いた風によってドアは閉じていた。

最後の瞬間、フードの下から覗く宝石のような瞳が見えた……気がした。


あれから、あの魔女には会っていない。

すぐにドアを開けたけど、魔女はおろか、彼女がかけていた安楽椅子も、まるで最初から無かったみたいに綺麗さっぱり消えていた。

残ったのはポケットに入れていた小瓶。そこに詰まった色彩豊かな宝石達だけだった。

飲み込めば願いを叶えてくれる宝石。

果たしてその効果は本物だった。



始まりは泣き腫らした子どもを助けたこと。

傍には背の高い木と枝に絡まった風船があって、それが泣いている原因だとすぐにわかったから。

「ちょっと目を瞑っててね」

駆け寄って、宝石を飲む。『空を自由に飛びたい』と願えば、嘘みたいに体が軽くなって、とんっ!と軽く足で地を弾けば、ふわりと風に揺れる羽毛のように宙を舞っていた。

枝に引っかかった風船くらい簡単に届いた。

今でもあの子の笑顔は覚えてる。

次はやせ細った老人を助けた。

夜の風に晒されて、行く宛ても無く彷徨う姿がとても寂しそうだった。

聞けば残り幾ばくかの命、明日死ぬかもしれないのだと。誰も悲しませないよう、夜闇のうちに消たいのだと。

話し終えた老人は、またとぼとぼと歩き出して立ち去ろうとしたから。

「死ぬならせめて、最期に何か願うことは無いの?」

枯れ木のように細く丸まった背中を追いかけると、振り向いてぽつり。

「願いが叶うんなら、そうだな。最期に会いたい奴がいるんだ」

彼はそう言うと一枚の写真を取り出した。

「もう随分会ってないが、最高の相棒だったんだ」

色褪せて、端の折れた写真はけれどもずっと大切に保管されていたのだろう。

私は小瓶から一粒取り出して、飲み込んだ。

願うのは『邂逅』。

彼が望む最期のひと時を過ごせるようにと願う。

やがて、街の影から人影が飛び出してきた。

驚きに満ちた老人の顔を見れば、あの人影こそ、探していた人物なのは明らかだった。

涙を流してお礼の言葉を告げた彼は夜の闇に消えていった。


その次は何だっけ。そうだ、街を寒波が襲ったんだ。農作物もダメになって、食糧庫は崩れた雪に街ごと押し潰されて、誰もが絶望していた時だ。

食糧が底を尽き、外への道は吹雪の壁で覆われ、他の街へ救助を求めた者は誰一人として帰っては来ない。明日のことなど考える余裕すら無くなるくらい、街が死に瀕していた。

私は一粒飲み込んだ。そして願う。『街を覆う吹雪を止めて』と。

願いに答えるように外への道は開かれた。あれだけ白く漂白されていた視界ははっきりと空と土の色を取り戻していた。

それでも街の人の目に灯は戻らなかった。

一粒飲み込む。願う。『街の人が幾日食べても尽きない食糧』を。

突如として目の前にパンに肉、野菜が山のように積まれていた。

街中の人に配っても配っても無くならないほど膨大な食糧の山だった。

だというのに、まだ人は立ち上がらなかった。

一粒飲んでは願う。『壊れた街が元に戻る』ことを。

雪に押し流され、潰されていた街並みが夢現から目覚めたみたいに形を取り戻していた。

壊滅的な状況に陥っていた街は一晩のうちにかつての活気を取り戻していた。

誰もが『魔法のようだ』『奇跡だ』と讃え、歓喜に震えていた。

やがて、人々は街を救った数々の『奇跡』の理由を知りたがった。

私の存在に行き着くまで、そう時間はかからなかった。

最初のうちは良かった。

救われた命を喜ぶ声が、感謝を伝える声が毎日のように届いた。ポストから溢れるほどに手紙が詰め込まれた。街を歩けば誰もが私を賞賛した。

だけど、そんな声も一年と経たずに数を減らして二年、三年と遂にはとんと聞かなくなった。

後に残ったのは、私服を肥す為にやれ、無限の財貨を与えて欲しいだの、誰々が憎いから報復して欲しいだのという醜い者たちばかりだった。

更に年月を重ねれば、何故、もっと早くに助けてはくれなかったのかと嘆く者たち、大切な人が無くなったのは力を隠していた私のせいなのだから死者を生き返らせる義務があるのだと非難する者たちが出てきた。



そうして、いつしか人は気付いてしまう。

そうだ。この街のにはもう一人、『魔女』と呼ばれる存在が居たことに。

あの時、『魔女』は何故助けてはくれなかったのか。

いや、魔法を使ったのはもしかしたら私じゃなくて魔女のほうなんじゃないか、と。

次第に人は証明を求めた。

かといって過ぎ去った時の中であの瞬間の出来事を証明するのは無理な話だ。

だから、人らは簡単な話にしたがった。

『魔女を殺せ』

それが街の人達から私に伝えられた次の願いだった。

私がホントの魔女なら、あの年老いた魔女程度殺せて当然だろう。それが魔法の使える証明になる。誰かがそう言った。

救ったのがお前であってもなくてもどちらでもいい。要は、お前が街の為に動くのかどうかだ。と誰かがそう言った。

もしあの時救ってくれたのがお前ならあの魔女は偽物だ。魔女を騙る偽物には罰を。誰かがそう言った。

始まりは誰の言葉なのか。

それが分からなくなるくらい、混ざりあって大きなうねりとなった『総意』が私に願った。

『魔女を殺せ』『魔女を殺せ』『魔女を殺せ』

それは私が聞いた中で最も醜い願いだった。

優しい顔を見せていた彼が。いつも楽しそうに走り回っていた子供たちが。

威勢のいい挨拶を聞かせてくれた店主さんが。

口を揃えて、私に願っていた。

たまらなく恐ろしい光景だった。

それは願いという名の呪いだった。



けれども私に拒否権など無かった。

聞き入れなければ、排斥される魔女は私の方なのだと、容易に理解出来たから。

かつてそうしたように、私は魔女を訪ねた。

あの時、力なき少女でしかなかった私が『魔女』と呼ばれ、空っぽだった手の中には冷たく輝く鈍色があった。

命を奪う。その瞬間を想像するとぶるりと体が震えて止まなかった。

ぎぃ。と記憶の中と同じように建付けの悪いドアを開けると、薄明かりの中、埃っぽい室内に『魔女』は居た。


「懐かしい顔じゃないか、どうしたんだい」

相変わらず消え入りそうなほど小さい声だった。



魔女は多くは語らなかった。ただ、異様なほど落ち着いていて、

「相変わらず辛気臭そうな娘だね。……いや、そうか、あんたも……」

得心がいったように、頷くと、少しだけ悲しそうに震えては、私に手を伸ばした。



(ぱきり.......?)

砕けるような音がした。


見えてしまった。

伸ばしたその手。

枯れ枝のような老人の腕はそこに無く、煌めく結晶が腕の形でつづいている。


「これかい?そうさね、これは呪いだよ」

魔女は空を見つめていた。遠い、遠い過去に思いを馳せるように。

「昔にもね、居たんだよ、アンタみたいに自分を厭わずに誰かの助けになろうとした馬鹿が。だけども、その娘の末路は悲惨なものだった」

遠くを見つめていた瞳は、ふと、落とされて視線が腕に向けられる。服に隠れてはいるけれど私の腕も同じように結晶化している事実を見透かしているみたいだった。

「あたしも昔はあんたみたいな人間だった。魔法で誰かを助けて、そんな自分に酔いしれて、でも進めば進むほど私の体は蝕まれた。他でもない願いの力で」

野暮ったいロープがするりと床に落ちた。

人の形がそこにはあった。

かろうじて人ではあったのだ。ただ、その大部分は色彩豊かな宝石と化していた。

見覚えのある、小瓶に詰められていた宝石の輝きによく似ていた。

「願いには対価が必要なのさ。当たり前の道理だろう。元々、分不相応の力なんだ。差し出せるものなんて自らの体くらいのものだろうさ」


魔女が話せたのはそこまでだった。

突然苦しそうに、顔を歪ませて、胸を抑えていた。

何度も咳き込んでは、苦しそうに呻いていた。

その体が限界なことはいやでも理解できた。


「ねぇ!なんで貴方は願わないの!?助かりたいとか願えばいいじゃない!!願ってよ!持ってるんでしょ!?」

「…………私はもう願えんさ。次に願えばこの体が持たないことくらいよく分かってるんだ。それに、もう叶えたい願いなんて持っていないさね」

あぁ、宝石の魔女は願わない。

もうすぐ死ぬというのに。私は殺しに来たのに。

死を受け入れているようにも、望んでるようにも見える魔女が不思議で仕方なかった。

一歩。近づいた。魔女は静かに笑って仰向けに転がった。

ゆっくり、のっそり、いっそ、傷んだ床板ごと沈んでくれたらなんて思いながら、魔女の上に跨って、力いっぱいその胸に刃を突き立てた。

肉を裂いた感触は無く、ぱきぱきと薄氷を割った感触が幾重にも手に響いただけだ。

震える手から視線を上げれば、安らかに事切れた老婆がそこに居た。

小屋を出る。陽光に当てられているというのに全身の震えが止まらない。

血が急に冷めきったみたいだ。

思考は上手くまとまらなくて、どう帰ったのかすら覚えてない。

気付けば家のドアが目の前にあった。

重いため息が喉の奥に溜まって、疲れきった四肢に上手く力が入らない。



「私は……」



ナイフをしまった反対のポケット。

取り出したのは私の魔法。

小瓶に入れられた、煌めく宝石達。

残る宝石は少ない。

これが無くなったとき、私はどうなってしまうのか。

押し潰されそうな不安をしまい込んで、ベットに倒れ込んだ。



魔女の言う通り、それからも願いを叶えることに私の体は宝石に変わっていった。

まずは左手が完全に碧と黄の混じった鉱物へと変わり果てて、左足も既に膝の辺りまで変化が始まっている。

鉱物に成り代わった体の部位は、今までのようには動かせない。

どうやって動かしてたのか、なんて初めて考えたかもしれない。結局、どうやっても動かせばしなかったけど。

左腕はいつもだらりと垂れ下がり、左足は引きずるようにして歩く。

今日は誰を助けようか。

腕が全部隠れるくらいの野暮ったいローブを着て、動かない足の代わりに杖を手に取る。

いざ出ようとドアを開けようとした時、ガラスの窓に映った自分の姿が見えてしまった。

そうだった。

私は思い出して、顔に手を伸ばす。

人肌の滑らかさだとか温かさを感じられるのは半分ほどしかなくて、つるつると冷たい感触が手に伝わってきた。

口はまだ侵食されて居ないみたいだけど、髪と目はもうダメみたいだ。

目玉を触ってみる。痛みも触られた感覚すらも無くなっていて、ただの顔の段差にしかなっていなかった。

通りで今日は視界が狭いわけだ。

遠近感も薄れてそうだし転ばないように気を付けなきゃな〜って考えつつ、気を取り直して外に出る。

お日様の光が照らす街にはまだ私の助けが必要な人が残ってるんだ。

幸いにもまだ右手も右足も動いてる。

片方だけだけど目も見える。口はまだ動いてくれる。

だから行かなきゃ。

私は一歩、踏みして、砕けた。

ぱきぱきと、砕けて割れて散った破片が、自分の足だと気付くまでそう時間はかからなかった。

泣きたいくらいなのに、涙は出ない。

嗚咽だけが辛うじて盛れていた。


ふと、視界に1つの影が落ちる。


「泣いてるの?」


小さな少女がそこにいた。


「ごめんなさい、私、目が見えなくて。どうすれば助けられる?」


もう耳も遠くなってきていたはずのに、その声は染み入るみたいによく聞こえた。


「大丈夫。ちょっと転んだだけだから。それより、なんでこんな森の奥へ?」


私の言葉に少女は何の疑問も持たず「そう、よかった」と静かに安堵していた。目が見えないのはホントみたいだった。

そんな少女がなぜ魔女を、私を探すのか。


「あのね、魔女を探しているの」


どくんと心臓が跳ねた。


「そう、魔女を……」


声が震えてるのが自分でもわかった。

あぁ、全く、この世界というのは何とも残酷なんだ。

私は覚束無い手の感覚を必死に思い出して、ポケットに入った小瓶を取り出した。

カラン、と小気味よい音がなって残り1つになった『魔法』が輝いた。

陽の光を帯びて真っ赤に光るその色に、私はどうしようもない懐かしさを抱いて、同時にその懐かしさが私が既に人間とは遠い存在になってしまった事実を突き付けているようだった。


「大丈夫だよ。貴方、魔女を探してるのは目が見えるようになりたいから?」

「なんでわかったの!?」

「お姉さんだからね。それより、そんなに目が見えるようになりたいの?そりゃ、色々と不便だろうけどさ」

「うん。それもあるんだけど、やっぱりパパとママにメイワクをかけたくないの」

「迷惑……そんなこと……」

「パパもね、ママもいっぱい笑ってくれる人だったの。でも、病気で目が見えなくなってからずっと暗い声で……だから、きっとこの病気がなくなれば、もとに戻れるんじゃないかって……」

「――――そう、君は優しいね」

頬に触れる。久しく忘れていた暖かさがそこにあった。

力を手に入れてから、私は多くの汚い世界を知った。

誰かを救おうとすればする程、利用しようと現れる腐った連中。それも一人二人じゃない。中には無自覚な奴だって居た。

心底吐き気を催す人間の穢らわしさを見てきた。

それでも魔法を使い続けたのは捨てられるのが怖かったこと以上に、純粋に信じていたんだ。

何も持たなかったあの頃、温かく受け入れてくれていた街が好きだったから。

汚い人間の性を見せられるたびに、私欲に溺れた願いを叶えるたびに、ひとつくらい誰かを想う願いがあってもいいいじゃないかと。

そんな美しい世界があってもいいじゃないかと信じて誰かを救っていたんだ。

かつて何も持っていない自分が許せなかったのは、美しいこの世界に自分が必要とされていない気がしたからだ。


砕ける音がした。

命の尽きる瞬間だと分かった。

宝石の魔女になって尚、願ってしまった私の末路。

ぱきぱきと、手の先から少しづつ感覚が薄れていって、全てが宝石となって砕け散る。

それが私の終わりみたいだ。


明確に近づいてくる死を背後に感じながら、私は最後の一粒を口に含んだ。

最後の魔法を飲み込んで、願う。

最期の願いは祈りにも似ていた。


私はきっと、どこかで、ううん、最初から間違えてしまったのだろうけど。

彼女なら、誰かの為を思える彼女なら、私に見えなかった世界が見えるのかもしれないから。

だから、次に目を覚ました貴方の映す世界が、どうか美しいものでありますように。

ただ、そう願う。

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宝石の魔女は願えない 兎紙きりえ @kirie_togami

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