第23話 裏側のセカイ
「……敗北カ。敗北なのカ。このボクたちが、ボクたちが負けたと言うのカ。なんてことダ、アア、なんてことダ。この世界に受肉することが如何に難事であるか、キミたちは理解できないのカ」
完全に周囲を包囲された絶望的なまでの状況。
それを前に、ウイッラは頭を振りながらユイに向かいそう慟哭する。
それに対し、ユイは小さく溜め息を吐きながら淡々とその口を開いた。
「それは君たちの都合さ。この世界のことは、この世界に生きる者たちが決める。本来、この世界にあらざる君たちではなくね」
「イイダロウ。認めよウ。事ここに至って認めるとしよウ。このセカイではキミが、キミたちが一枚上手ダ。ああ、あくまでこのセカイという小さな小さな箱庭の上でならば……ネ」
迫りくる帝国兵たちをその視界に収めながら、ウイッラは顔をあげるとはっきりとそう宣言する。そしてそのまま、一つの呪文を唱え始めた。
「The truth leads me into the code!」
ウイッラの口から聞き慣れぬその言葉が吐き出される。
兵士たちを前進させていたノインは、警戒するとともに一時全身を停止させる。
だがなんの奇跡も、異常も、変化も何も起こらない。
そして何も生じない。
ただ彼らの眼前で起こったことは一つ。
ウイッラがまるで糸の切れた凧のようにその場に崩れ落ちたということだけであった。
「勝った……のか?」
ゆっくりと警戒しながらウイッラに近づいたノインは、恐る恐るといった口調で誰にともなくそう問いかける。
それに対し、彼のもとへと歩み寄ってきた黒髪の男は、未だ表情を緩めることなく、短い回答を返した。
「一応はね」
「一応?」
思いもかけぬ回答にノインはそう問い返す。
するとユイは、まるで戦闘が続いているかのように、警戒を緩めることなく返答する。
「そう、この状況は目的にして通過点。彼に今の魔法を使わせること自体がね」
「見えたのか?」
埃を払いながら、痛む体にムチを打って歩いてきた銀髪の男。
ユイはそんな彼に向かい、小さく首を縦に振る。
「ああ。ただすぐに書き換わってしまうかもしれない。だから私は行くよ」
「あの時、俺がこの地で言った言葉は覚えているか?」
「……もちろんだよ」
ほんの僅かに間の置かれたユイの言葉。
それを受け、リュートは深遠な面持ちのまま、はっきりと彼に向かい自らの思いを告げる。
「ふん、お前は忘れっぽい。特に自分に不都合なことは特にな。だからもう一度だけ、そう、もう一度だけ言っておく。ユイ……お前の代わりはいない」
「……リュート」
「ふん、すべてが終われば、しばらくは休ませてやる。だから行って来い。お前にしかできないことを、お前なりにな」
それはリュート・ハンネブルグなりの精一杯の言葉だった。
そしてその事を誰よりも理解するユイは、初めてほんの少しだけ頬を緩める。
「そうするよ。それと、今の言葉を忘れないでね。終わったら、絶対に休み続けてやるつもりだからさ」
「ふふ、少しうかつだったんじゃないかなリュート。まあ、君のそういう甘いところは嫌いじゃないけどね」
ゆっくりと近づいてきたもう一人の戦友は、苦笑を浮かべながらリュートのことをからかう。
そうして銀髪の男がそっぽを向くと、アレックスはいつものキツネ目を細めながら、改めて黒髪の男へと言葉を向けた。
「僕たちが直接手を貸せるのはここまでだ、ユイ。だから待っているよ、キミが戻ってくるまでここでね。何しろ君とはまだ正式には白黒ついていない。少なくとも僕はそう認識しているから」
「……私は自分に黒が付いたと認識しているけどね。ともかく、手合わせするかはさておき、できる限り待たせないようにはするよ」
ユイは親友に向かいはっきりとそう告げると、その視線をウイッラへ、そう、ウイッラであった地面に横たわる肉体へと向ける。
そしてそのままと、彼はゆっくりと自らの右手をただの器となった肉体へとかざした。
「コードは見失っていない。これならばアクセス可能さ、予定通りにね。マテリアルコードアクセス、パワーリベレーション」
言葉とともに、ユイの胸に掛けられていた紅色のペンダントは光を放つ。
そして彼の口から力ある言葉が紡がれた。
「ユニバーサルコード……アクセス」
純白の何も存在しない空間。
いや、何も存在しないというのは語弊が存在する。
空間のいたるところに、言語らしき明らかに不可解な文字列が生まれては消え、そして羅列されていた。
そんな空間に、新たな文字列が急速に記述されていくと、突然一人の男が空間の中にその姿を現した。
「ふむ……どうやら戻れたようだな。あのセカイの肉体は失う羽目になったが」
言葉とともに男は深い溜め息を吐き出す。
彼の姿は些か変貌を遂げていた。
自らを変容させて纏ったウイッラというものとは異なる。あえて言うならば、以前にエミオルと名乗っていた姿を老成させたものに近いと言えようか。
そんな彼は安堵と後悔ゆえ、その場に立ち尽くすと深い溜め息を吐き出す。
だが次の瞬間、彼の首元はこの場にいるはずのない男の右腕によって締められる形となった。
「早合点は良くないな。君の肉体は保護している。だから必要となれば、戻ればいい。もっとも、その機会があればだけどね」
首を絞められているという事実、そして突然向けられた言葉。
そのいずれもが、彼にとって信じがたい一つの事実を示していた。
だからこそ、男の両目は見開かれる。
「な、まさか!?」
「初めて君に感謝するよ。案内、ご苦労さま」
言葉とともに、複雑で不可思議な文字列から生み出された黒髪の男は、地上でエミオルと称した男の意識を刈り取る。
そして彼の体から力が抜け、そのまま地面へと崩れ落ちた瞬間、突然空間の中に一人の青年の拍手音が鳴り響いた。
「人の身でありながら、よくもここまでたどり着いたものさ。素晴らしい、本当に素晴らしい偉業だ。もっとも同時にこの上ない罪悪を犯した事を意味するけどね」
銀の長い髪を持ち整いすぎた容貌を持つ青年。
それははっきりと一人の人物の面影が存在した。
そう、地上におけるある宗教組織の頂点に存在し、ゼスと自ら名乗っていた少年の面影が。
「……なるほど、それが君の本当の姿というわけだ」
青年の姿をその目にして、黒髪の男は思わずそうこぼす。
すると、つい先程彼が殺したはずの人物は不敵な笑みを浮かべてみせた。
「禁忌とされた世界の裏側へようこそ、ユイ・イスターツ」
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