第17話 リュート・ハンネブルグ

「リュート・ハンネブルグ……確かあの男の後を引き継いだこの国の親衛隊長ですか」

 忌々しげな視線を向けながら、エミオルは思わず舌打ちする。


 状況は既に最悪であった。

 もとより圧倒的に兵数的に不利であり、それを魔法の書き換えとドラグーンの練度によって補っていたのである。にも拘わらず、さらなる敵の増員という事態は、戦場において決定的な変化をもたらせた。

 一方、戦いの趨勢を変化させたその当人は、いつもの険しい表情を浮かべたまま、眼前のエミオルを睨みつける。


「あいつの後という不見識な発言は改めてもらいたいな」

「せめて、後輩の後って言ってもらわないとね」

「ふん、まああの馬鹿から引き継ぐより、エインスから引き継いだ方がスムーズであったのは事実だろうな」

 アレックスの軽口を受け、リュートはエミオルを見据えたまま軽く鼻息を立てる。そしてそのまま彼は、改めてその口を開いた。


「いずれにせよ、だ。貴様たちはここで終わりだ。おとなしく武器を捨てて投降しろ」

「冗談を。なぜ私たちがその様な真似をせねばならないのですか。もしや数さえ揃えば勝てると、そう認識していらっしゃるのですか。実に浅はかです」

 リュートの降伏勧告を、エミオルはあっさりと切って捨てる。

 それに対し、リュートは眉をわずかに動かすと、小さく頭を振った。


「この光景を見て、そんな大言壮語が紡げるとは恐れ入ったものだ」

「残念ながら彼の言葉は大言壮語ではありません、事実です」

 それを口にした瞬間、この場における最も小柄な体躯の少年は、一瞬でリュートとの距離を詰める。そしてそのまま彼の手に握られたナイフが高速で振るわれた。


「なるほど、やはり速度も人間離れしています。ですが惜しむらくは、既に貴方の身体能力は確認済みだと言うことです」

 その言葉を紡いだのは、一瞬で剣を煌めかせ、先ほどとは逆にナイフを受け止めた男。

 彼は狐目を更に細めると、そのまま剣をスライドしゼスの首を狙う。

 しかし彼の剣はただ虚空を切った。


「……やはり貴方だけは厄介ですね」

 一瞬で後方へと飛び退ったゼスは、忌々しげな表情を浮かべる。

 一方、アレックスはそんな彼の発言に対し、苦笑を浮かべてみせた。


「さて、それはどうでしょうか。ともかく貴方の相手はこの私です」

 言葉と同時に、今度はアレックスが距離を詰めにかかる。

 そして交わる鋼と鋼。


 だが結果は異なる。

 それはアレックスが明確に攻め、そしてゼスが守勢に回るという結果だった。


「虚実入れ混ぜた攻撃。貴方の人の悪さがわかりますよ」

「ふふ、褒め言葉と受け取っておきます」

 アレックスはそう口にするとともに、一瞬でゼスの側面に回り込み再び剣撃を放つ。


 視線、重心移動、そしてフォーム。

 一つ一つがフェイントを織り交ぜてあり、それは間違いなくただ一つの技術を追い求めたものにしか成しえない境地に彼は立っていた。

 だからこそ肉薄する。


 人間の皮を被った、この世界の守護者とも呼ぶべき化身と。


「勘違いしていました。貴方はバグによって生み出されただけの存在であると。いや、それは間違いではないのでしょう、でもそれを磨き上げたのは貴方自身。なるほど尊敬に値します。ですが、本当に良いのですか?」

「さて、何のことですか?」

 剣とナイフがぶつかりあう中で、二人の視線は重なる。

 そしてその直後、ゼスは不敵な笑みを浮かべてみせた。


「ここで私と踊っていて良いのかということです。エミオルの相手として彼では荷が重いのではないですか」

 不敵な笑みとともに放たれた言葉。

 ここで目の前の朱色の死神の足を止めるだけで良いと、ゼスは結論づけている。

 つまり遠からぬうちに、エミオルと挟み撃ちにできるという確信が彼には存在した。


 そして何より、もしもう一人の厄介な男が姿を表そうとも、そのための対策として一人の女性を配置している。だからこそ彼は、ただただ致命傷だけを避け、目の前の死神との戦いを引き伸ばすことに専念していた。


 しかしそんなゼスに向かい、思いもよらぬ言葉が目の前の男から発せられる。


「はて、それはどうでしょうか。残念ながらあなた方は何もわかっていないようですね。彼がどれほどの存在なのかということを」





「あのバグと引き離されてしまい、心細そうですね」

「ああ、そのとおりだ。あいつがこの俺抜きで大丈夫か心配なものでな」

 アレックスとゼスの戦いへとわずかに視線を向け、リュートは目の前のエミオルに向かいそう答える。

 途端、エミオルは呆れたような表情を浮かべてみせた。


「ふふ、大きく出たものだ。無知ゆえの自信……恥ずかしいものだ。自らの理解が足りないことに気づけないとは」

「ふん、あのガキといい、貴様といい口だけは一人前だな。ユイの奴は放言を繰り返してきたが、それには結果を伴わせてきた。さて貴様たちはどうかな?」

 その言葉と同時に、彼の眼前には魔法の風が収束を開始する。そしてリュートは、エミオルを睨みつけるとその呪文を口にした。


「ホワールウィンド!」

 言葉と同時に解き放たれた旋風。

 それはまたたく間にエミオルに向かい襲いかかる。


 しかし銀髪の青年は眉一つ動かすことはない。

 ただ彼は力ある呪文を紡ぎ出した。


「Magiccode access……hack!」

 発せられた言葉と同時に、旋風はその向きを反転させ真っ直ぐにリュート目掛けて加速する。

 それに対し、リュートは舌打ちを一つするとともに、側方へ転がりながら回避してみせた。


「魔法を奪う……か」

「ふふ、あの忌々しい調停者の関係者だけあって、驚き自体ないようですね。結構、今ので終わってしまってはつまりませんから」

 指を一本立てながら、エミオルはリュートに向かいそう告げる。そしてそのまま、彼は嬉しそうに言葉をつづけた。


「さて、自分の力が通じないとわかったところで、どうあがくつもりですか。せいぜい無様に慌てた姿を見せてもらいたいものです」

「ふん、別に慌てることなど何もない」

「そう言いながら、魔法の構築は辞めたようですね。悪くない判断です。ですが魔法を使えぬ魔法士に勝利はない。というわけで、これで終わりです」

 言葉と共に、エミオルは腰に下げていたショートソードを抜き放つと、リュート目掛けて斬りかかる。

 その剣閃には力と、速さと、確信と、そして嘲りが込められていた。

 一介の魔法士に本気を出しすぎたという嘲りが。


 だが次の瞬間、彼の手には肉以外のものにぶつかった感触が走り、そしてその目は大きく見開かれる。


「なるほど、確かに魔法の構築は控えた。だからといって、剣を振るわぬとは言っていない。ましてやこの程度のへなちょこな剣しか振るえぬ者を前にしてな」

 その言葉と同時に、受け止めたエミオルの剣を払うと、体ごと彼に向かい体当りする。

 おかしな膂力を発揮する華奢な青年と、そして古強者とも呼ぶべきリュートの鍛え上げられた肉体。


 その初めての邂逅は、一方的な結果を生み出した。

 つまりより質量と加速度の少ないものが、勝るものに弾き飛ばされるという結果が。


「くっ、泥臭い真似を!」

「魔法士として綺麗に戦うつもりなど毛頭ないさ。そんなことでは勝てぬと思い知らされてきた人生だからな」

 士官学校に入学したあの日まで、自らは最高の天才であり、己以上の者など存在しないとうぬぼれていた。

 だが士官学校へ入学したあの日、自らは井の中の蛙であると思い知らされてた。

 そして追いかけられる側から追いかける側へと代わり、必死に走り続けたからこそリュート・ハンネブルグの今がある。


「くそ、認めましょう。貴方は厄介な魔法士であると。だがそれでも、魔法士である限り私に勝利はない」

 舌打ちとともに素早く起き上がり、エミオルはリュートに向かい再び距離を詰める。

 それを目視したリュートはわずかに右の口角を吊り上げると、右手を前へと突き出した。


「ダブル……ゲイル!」

 生み出されるは二つの疾風。

 それは生成されると同時に、間髪入れずエミオル目掛け解き放たれる。


「懲りずに魔法ですか。理解力が乏しいようですね。Magiccode access」

 疾風をその視界のうちに捉えたエミオルは、またたく間に魔法の制御権を奪い取る。そしてそのまま目の前のリュート目掛け逆進させようとした瞬間、彼は思いもかけぬものをその目にした。


「ダブルゲイル!」

 二つの新たなる疾風。

 それは制御権を奪われた疾風たち目掛け放たれ、接触とともに周囲に乱気流の如く不規則に風が暴れだす。


 そしてエミオルは目にした。

 魔法と魔法が重なり合ったまさに真正面から、一人の男が風によって髪を振り乱しながら彼の胸元へと飛び込んできたことを。


「確かに貴様は魔法士の天敵だ。だがより厄介な天敵と十年以上付き合ってくれば、戦い方の一つや二つ考えつくものだ。惜しむらくは、貴様たちのそばにはあの厄介な二人がいなかったということだな」

 天才であるという自信を粉々に砕かれたあの日から、彼は常にあの二人に負けぬために、そして負かすために走り続けてきた。


 だから彼はこんなところで敗北の二文字を味わうつもりはない。

 例え目の前の青年がこの世界の守護者であろうとも、この世界で彼が自らに勝ち得ると認める者はたった二人しか存在しないのだから。


 そして驚愕の表情を浮かべる青年に向かい、一筋の鋼の剣閃が振るわれた。

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