第9話 憂いと覚悟
キスレチンの辺境に当たるスウィツァ。
その地をひたすら北西に向かう馬車の一団がある。
大規模な商団と比すれば、少ない数のようでもあったが、護衛として周囲を警戒するものたちはとてもそのあたりの酒場で雇ったような傭兵であるとは思えぬ体つきをしていた。
「ゼスさま、もう間もなくクラリス王国の国境に差し掛かります」
警護を行っていた男たちのリーダーは、馬車の中で憂いを帯びた表情を浮かべる少年に向かいそう声をかける。
すると少年は、急に意識を取り戻したかのように、警備を取り仕切ってくれたランティスへとその視線を向けた。
「そうか、意外と手間取ったね」
「キスレチンの者共が、あれほど我が物顔に海に繰り出しているとは、思いもしませんでした……」
トルメニアではなくクロスベニア連合の商団を装い、商船に乗ってトルメニアを発った彼らは、自国が負けたことを海の光景から思い知らされた。
それまでならばトルメニアとの関係から、あれほどの帆船を見ることはなかった。しかし今、キスレチンは内海を自らの領土であるように、自由に振る舞っていた。
もちろん彼らの観測外においては、そのことで帝国と少なからぬ諍いが生じつつある。
だがそのことは彼らにとって問題とはならない。現在の彼らが優先すべきは、いかに早く、そして敵の目をかいくぐってあの男を打ち倒すかにあるのだから。
「ランティス、商船を装って交戦を避けると決めたのはこの僕だ。君は気にしなくていい」
「恐れ入ります」
ゼスの寛容の言葉にランティスは深々と頭を下げる。
そんな彼の髪には明らかに昔は見受けられなかった白いものが混じっていた。ゼスはそんな彼を見つめて、小さく息を吐き出すと胸に秘めていた言葉を彼へと告げる。
「ここまででいいよ、君たちは」
「な……そんな……」
突然発せられたゼスの言葉に、ランティスは呆然とし、そして信じられぬとばかりに何度も首を振る。
しかしそんな彼に向かい、ゼスは優しく労いの言葉をかけた。
「これまで本当に長く尽くしてくれた。感謝している。だがここから先、君たちを国に返すことは約束できない。だから自由にしてくれればいい」
自らの手足として動くために、苦悩の末に魔法という名の禁忌を手にした者たち。
そんな彼らをゼスは愛し、そして同時に悲しんでいた。
だからこそ、彼は一つの線を引くことをずっと考え続けてきた。
自分たちと信徒との、自分たちとドラグーンとの、そして自分たちと人間との。
そして彼はここにその線を引く。
ここからは自分たちだけの戦い、そして自分たちだけの領域。
そう定めることで、彼らを開放させてやりたかった。
繰り返す前の最後くらい、故郷で家族と過ごす時を授けることができればと。
そんなゼスの思いから発せられた言葉。
それをランティスたちドラグーンの者たちは、思わぬ形で実行する。
「自由に……ですか。わかりました。ならばそうさせて頂きます」
軽く頭を告げ、そしてランティスは再び馬車の隣で当たり前のように警護を再開する。
その行為を目の当たりにして、ゼスは戸惑いを覚えずにはいられなかった。
「……どうしたんだい。戻らないのか?」
「ええ。自由にされよとゼス様は申されました。ならば私はゼス様についてまいります。全ては自らの自由意志によって」
それは決して曲げぬ信念から発せられた言葉であった。
だからこそ、ゼスも彼を説得することはできぬと悟り、彼らしからぬ冗談を口にする。
「はぁ……確かにこの地は忌むべきキスレチンではあるが、君までもが彼らの自由主義を倣うとはね」
「我ら全てを合わせても、ゼス様一人の力に遠く及ばぬことなど承知しております。それでも、必ず露払いは必要です。そしてその役目こそ我らが本懐。今度こそ我々はトルメニアを、トルメニアのあり方を守るのです」
「トルメニアのあり方……か」
既にかつての輝きを失った大国。
だがそこに暮らす人々は、未だにその胸に輝きを秘めていた。
絶望の中にこそ救世の道があり、そして辛苦の果てに正しき導き手とならん。
思わずそんな教えの一説がゼスの脳裏をよぎる。
別に彼らが教えたことでも、指示したことでもない。
絶望の淵にあった人間たちが、自らの心を支え震わせるために編み上げた希望の教え。
決して魔法排斥だけではない。
そんな側面がクレメア教には間違いなく備わっていた。
「何れにせよ、そしてどんな終末を迎えることになろうと、我らはトルメニアの影であり、同時にあなたとともにある存在です。どうか最後までその誇りを全うさせて下さい」
「……いいだろう、ランティス。この僕に従え。僕は……この僕は君たちを必ず次へと連れて行く」
その言葉は力強く、そしてゼスの表情を覆っていた憂いは晴れる。
そのことを誰よりも喜んだのは、警護として同行するドラグーンの面々であった。
誰しもが思わず零れそうになる涙をこらえ、ひたすらに前を向く。
するとそのタイミングで、先行していたはずの蒼髪の青年が、いつの間にかゼスの馬車に入り込んでいた。
「ゼス様、やはり国境線の警備は厳重。どうやらクラリスはキスレチンと共同で事に当たっている模様です」
「ありがとう、エミオル。つまりは実力にて排除するしかないか」
先行偵察を行ってくれたエミオルに感謝の言葉を述べ、ゼスはやや強い口調でそう告げる。
それに対しエミオルは、迷わず首を縦に振った。
「はい。肝要なのは速やかに敵を排除し、そして足跡を消して素早く敵国内に潜伏し直すことかと」
「やはり君たちの力も借りねばならない……すまないな」
ゼスは改めてランティスたちに向き直ると、真摯な声でそう告げる。
それに対し、ランティスは毅然とした表情のまま、首を二度左右に振った。
「先程も言ったとおりです。それこそが我らの自由意志であり本懐であると」
その言葉は力強く、そして溢れ出さんばかりの決意がうかがい知れた。
だからこそ、ゼスはもう迷わない。
「いいでしょう。クラリス国境を突破する。速やかに、適切に、そして圧倒的に」
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