第18話 悪魔と対峙するもの
トルメニアの首都となるアンクワットの一角。
そこに一人の枢機卿の邸宅が存在する。
常日頃から人気の存在しないあまりに巨大な邸宅。
だがこの日、その中には珍しく屋敷の主たちと、そして異邦人の姿が存在した。
「目の前にしながらみすみす取り逃す……こんなことのために、僕はわざわざ海をわたってきたつもりは無いのだが?」
少年然としたボーイッシュな見た目の黒髪の少女。
彼女は眼前で椅子にもたれかかる男に向かいそう言い放つ。
すると、ゼスと名乗る青年は小さくため息を吐き出し、その後にゆっくりと口を開いた。
「わかっているさ。でも本来の使命を果たせず、帰国するわけにも行かないだろ。差し当たって、改めての手はずは任せてもらいたいところだね」
「見事にしてやられたお前に、本当に出来るのか?」
挑発と呼んで差し支えないその言葉。
それを受け、ゼスの背後に控えていたエミオルが激昂する。
「貴様!」
「エミオル、構わない」
剣の巫女である咲夜に向かい詰めよらんとしたエミオルを、ゼスは片手で制す。そして彼はそのまま、目の前の少女に微笑みかけた。
「確かに裏をかかれたのは事実。だが帝国というカードは彼が持つ最も強い札さ。それさえわかっていれば、やりようはある」
「そうだといいのだけどね」
「ああ、それは僕も同じ認識さ。何れにせよ、あの地で待っていても彼が現れることはない。あの彼と対峙するのには、僕らの協力が必要。そうだろ?」
「……いいだろう。また準備ができれば呼んでくれ」
ゼスの言葉は真実であり、他の選択肢を持ち得なかった咲夜は、舌打ちを一つした後に引き下がる。そしてそのまま、彼女に与えられた部屋へと歩み去っていった。
「よろしいのですかゼス様。あんな小娘を自由にして」
「別にかまわないさ。僕も見た目はこの通りガキに過ぎないしね」
「それは……」
自らの外見のことを口にしたゼスに対し、エミオルは沈黙する。
少し意地の悪い言い様であったかと反省したゼスは、改めて話を本題へと戻した。
「ともかくさ、僕らにとって何ら不利益があるわけではない。奴らのバグを封じるには、こちらもこの西方にはないバグを用いるべきというシンプルな話だからね」
「その程度には腕が立つと?」
「少なくとも、先代の息子とは五分以上に渡り合っていたようには見えたかな」
もっともあの男が何らかの奥の手を隠し持っていなければという注釈付きではある。
しかしその危惧を敢えて言葉にしなかったゼスは、それだけを述べてエミオルへの回答とした。
すると、エミオルは最も重要かつ問題となる人物のことをその口にする。
「つまりは、朱に対抗するための人材だと?」
「ああ。リカバリを行うには、この世界とプログラムとをつなぐ鍵が必要だ。そしてその鍵は彼が所持している。調停者の謀によってね」
「本来はブリタニアに安置されているべきカリブルヌス……ですか」
ブリタニアが有する至宝、神剣カリブルヌス。
ただ頑丈で優れた切れ味を有する以外に、一つだけ特別な力が込められた彼の剣は、今や朱い死神とも呼ばれる一人の剣士の手元に存在していた。
「でも悪いことばかりではない。ブリタニアに安置されている方が対処がしづらかった面もある。何しろ彼の国は、表面上ではプログラムのルールに従い運営されている。僕らがそれを乱すことは規定違反だ。何しろ正史にはそのような事象は存在しないのだから」
「それはそうですが、しかし……」
「言いたいことはわかる。でも、それを否定すると私達の存在意義はない。我々はあくまでこの世界の目的のため……正史を守るために動く。その為に、もう何百年にも渡って彼と戦い続けているんだ。残念ながら、お互いともに認識は出来ていないけどね」
ゼスはそう口にすると、自嘲気味に笑う。
それに対しエミオルは、首を左右に振りながら正直な内心を呟いた。
「前回の記録を引き継げさえすれば……記録のバックアップを置くことさえできれば奴の好きになどさせなかったものを……」
「それは言いっこなしさ。マスターは既に亡く、この世界は彼の目指したものを描き出すために存在する。そして僕らはそれを守るための存在。そう、彼が目指した世界の正史をね」
「そう……ですね。その通りです」
小さく、しかしはっきりとエミオルは頷く。
そんな彼に向かい、ゼスは決意に満ちた言葉をその口にした。
「おそらく調停者も、あの剣が鍵であることを認識しているようだ。だからこそ敢えて自分では持たず、あの朱に持たせているんだろう」
「流石に我ら二人で襲えば、如何にバグとはいえ封じ込めると思いますが」
「自分自身の改変まで行うならば、僕もそのとおりだとは思う。が、そんな隙を彼らが与えてくれるかは別問題だろうね」
そこまで口にしたところで、ゼスは椅子から立ち上がる。そしてそのまま窓際まで体を移すと、夜の帳が落ちたアンクワットの街並みを眺めやった。
「……彼らはどう動くでしょうか」
「分からない。だが相手の出方を待つのは、僕たちのやり方じゃない。そうだろ?」
「はい、仰る通りです。此度のことで些か浮足立っておりました」
侮っていた相手によって、完全にしてやられたという現実。
そのことをようやく自らの中で消化し終えたエミオルは、あくまで淡々とした口調でその事実を認める。
それを受けてゼスは自分も同様だとばかりにその口を開いた。
「仕方がないさ。まさかあそこまでしてやられるとは思わなかったからね。でも、ここまでさ。彼のことを……そう、ユイ・イスターツのことを認めよう。今代の調停者は我ら修正者の対等なる敵手だと」
「対等……ですか」
「ああ、対等さ。だからこそ不利な今、軽挙妄動すべきではない。もちろん剣の巫女という切り札は上手く使うつもりではあるけどね」
そう、自分たちにあって敵方にはないカード。
それは間違いなく、今代の剣の巫女であるあの少女にほかならない。
だからこそ、そのカードの切り方こそが彼らの、そしてこの世界の行末を決めるのだとゼスは考えていた。
一方、エミオルの思考はさらにその先へと進む。
「この世界の破綻……つまり現史の限界は、おそらくはあの調停者も気づいていると思われます」
「少なくとも、あと十年、二十年は大丈夫だろう。だがゼルバインの砂漠化は更に進行し、遠からぬうちに西方もその波に飲み込まれる。少なくともその段階までには、彼も何か手を打ってくるだろう」
「果たして、調停者がそこまでこの世界のことを気にかけるでしょうか。いえ、対等に見ることに不満があるわけではありません。ですが彼に関しては、どうにも自分と周りのことしか考えていないのではないかと思う節が、私には感じられるのです」
エミオルにしてみれば、自分たちの敵は不可解極まりない行動原理を見せる相手であった。
いつもどこか覚めた目線で世界を見つめているようであり、そして持ちうる使命からは考えられぬほど、怠惰な言動と行動をしばしば垣間見せる男。
考えれば考えるほどに、不可解な男であった。
そう、ユイ・イスターツと言う名の調停者は。
「良くも悪くも彼は、やはりあの先代の剣の巫女の息子さ。常に自分本位に生き、そして自分勝手に世界を救おうとしてた女。その行為は僕たちが評すべきものではないけど、きっと彼も最後は同じ道を歩みたがると思う。これはあくまで推測だけどね」
「いえ、私もそうではないかという気がします。ですが何れにせよ、差し当たって我々の成すべきことは、彼と朱を排除する。それだけです」
「ああ、そのとおりさ。そしてその為に――」
「枢機卿、失礼致します」
咲夜が退室してから閉じられたままであった扉。
その外から、彼らの部下に当たるケリレッヒ司教の声が発せられた。
ゼスはそのまま彼の入室を許可すると、意外そうな表情を浮かべながら声をかける。
「どうしたんだい、司教。こんな時間に」
「その……枢機卿あてに封書が届けられましたため、至急お届けすべきと判断した次第でして」
「封書? って、なるほど……ね」
手渡された封書の差出人の名を目にしたゼスは、わずかに口元を歪める。
そう、たった今まで話題とした人物の名がそこに記されていたが故に。
「ユイ・イスターツ……奴からですか」
「ああ、そのようだ」
それだけを述べると、ゼスは封書の中身へと視線を移す。
そしてその内容を隣から覗き込もうとしたエミオルは、その文面を目にした瞬間、大きくその瞳を見開いた。
「ば、馬鹿な。奴め何故我々にこんなことを……いや、それよりもなんという手を打つつもりなのだ!」
「ふふ、ははは。なるほど、そうかそのつもりか、調停者」
驚愕し、後に憤慨したエミオルの隣で、ゼスは突然気でも触れたかのように笑い出す。
そしてひとしきり笑い声を上げたその後に、真顔となった彼は敵手たる男がいるであろう西方の方角を見つめ、吐き捨てるように言葉を絞り出した。
「西方の民は彼のことを英雄などと呼ぶらしいが、実に愚かなものだ。あの男は決して英雄などではないさ。彼こそこの世界の敵、そして理を破壊する最悪の悪魔なのだからね」
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