第6話 枢機卿の意味

 ホスヘル公国首都ポトゴリカの一角。

 そこにトルメニアの大使館は存在する。


 そして今、その中でも最奥に位置する一室に、一人の男性を迎えていた。

 そう、クレメア教団総主教ラムールである。


「お待ち致しておりました、総主教猊下」

「カロナーク司祭、お迎えご苦労様です」

 一足先に大使館へと乗り込み、そして万全の警備体制を整えていた武装司祭のカロナークは、掛けられたその言葉に深々と頭を下げる。

 しかしそのタイミングで、彼は総主教の背後に存在すべきではない一人の人物をその目にした。


「……どうしてケティス枢機卿がこちらに?」

「私が同行をお願いしたのですが、何か問題がありますか?」

 カロナークの問いかけに対し、逆にラムールはそう問い直す。

 途端、カロナークは内心複雑なものを覚えながらも、慌てて引き下がった。


「いえ、失礼いたしました」

「では、少し彼と打ち合わせを行いますので、人払いをお願いします」

「……了解いたしました」

 解せない。

 その感情がカロナークを包んでいたが、彼が総主教の指示を違えることはなかった。




「さて、わからないという表情ですね」

 あっという間に部屋の中には二人の男性だけが残されると、総主教は自らに同行させた人物に向かいそう問いかける。


「ええ。私はクレメア教団にとっては敗北者であり、そしてキスレチンにとっては裏切り者です。そんな私が、この講和会議に同行すべき理由がわかりません」

 敢えてあるなら何らかの責任を取らされるか、それともキスレチンにその身柄を引き渡すことで何らかの条件を引き出すため。

 それ以外の理由をケティスは自らの身に見出すことができなかった。

 しかし総主教は、そんな彼の発言に対し苦笑を浮かべる。


「ふむ、確かに、貴方が疑問に思われるのも無理はありません。でも、貴方を除き代わりが居ないのですよ」

「代わり……ですか」

 その意味するところがわからず、ケティスはそのまま問い返す。

 すると、総主教は小さく頷き、ケティスにとって思いもせぬ事実を口にした。


「そうです。既に貴方と一部の特別な方を除き、クレメア教団には枢機卿が存在しないのです」

「どういうことですか? いや、いま特別な方とおっしゃいましたね。ということは――」

「ええ、おそらく貴方の予想通りです」

 総主教は動揺著しいケティスの発言を遮ると、微笑みながらあっさりとそう告げる。そして絶句したままのケティスに向かい、総主教は再びその口を開いた。


「全ては御使いの方々の意向によるもの。そして彼等は貴方を私の後継者と考えています」

「後継者? で、ですが、私は外様の人間です。しかも教団に傷をつけた愚か者……とてもそんな資格はありません」

 教団の存在が揺るぐほどの敗北、それを引き起こした張本人こそが自分である。ケティスは自らのことを、はっきりとそう認識していた。

 だが総主教は、そんな彼に向かいまったく別角度からの評価を告げる。


「資格はありますよ。なにしろ、貴方の体には御使いの因子があるのですから」

「御使いの因子……では、まさかクレメア教団とは」

「おそらくは想像の通りです。元々は、この世界の歪みを宗教的に正すための組織。ゼスさまの言葉が正しければ、やむを得ずモデルとなる幾つかの宗教の仕組みを混ぜ合わせた産物とのことですね」

 驚愕の表情を浮かべるケティスに向かい、総主教はにこやかに微笑んだままはっきりとそう告げる。

 途端、ケティスは左右に首を振ると、噛み付くかのような口調で言葉を発した。


「馬鹿な、では私達が信仰してきたものは――」

「神そのものだよ、ケティスくん」

 その声は彼らの後方から発せられた。

 慌てて振り返ったケティスの視線の先に存在した者、それはドラグーンの長として先日彼を救ったエミオルと言う名の蒼髪の青年だった。


「エミオル様」

 総主教の口から発せられたその言葉。

 それを耳にした瞬間、ケティスは全てを理解する。


 彼ら二人の力関係を。

 そして修正者という存在が、彼が考えていたものとはまったく異なっていたということを。


「……そうか、そういうことですか。修正者とはただこの世界に干渉しうる力を持つもの。そう考えていましたが、それは誤りですか」

「ふふ、どうやら理解してくれたようだね。そう、修正者とはこの世界をあるべき姿へと修正する者。そしてそんな修正者の活動を援助するために一つの宗教は作られたのさ。そう、クレメア教という名の宗教がね」

 エミオルは不敵な笑みを浮かべながら、ゆっくりとケティスたちのもとへと歩み寄ってくる。


 なぜ先日はわからなかったのだろうか。

 この圧倒的な存在感、そして明らかに常人とは一線を画す発言。


 それらは明確に示していた。

 彼等は常人と、いやそれどころか、はぐれ修正者などと呼ばれる自分たちともまったく異なる存在なのだと。


「ケティス枢機卿、先程彼が言ったように君が次の総主教さ。だからいつでもスペアとしての役割を担えるよう、ここにつれて来たというわけ」

「エミオル様の仰る通りです。外様である君は枢機卿たちとあまり接してこなかったゆえ知らぬかもしれません。ですが、枢機卿とは修正者としての因子を持つものに与えられる役職なのです」

「な……では、信徒を導くための役職ではないとそう言われるのか!」

 エミオル、そしてラムールから立て続けに聞かされた真実。

 それを目の当たりにしたケティスは、次第に憤りを隠せなくなる。

 しかしそんな彼に向かい、エミオルは容赦なくさらなる事実を突きつけた。


「そうだよ。でも残念ながら因子を発現させられるものは少なくてね。君やそこのラムールのように、不完全発現のはぐれ修正者でも十分に希少なんだ」

「だからこそ、貴重な因子を外に逃さぬための機構。それが枢機卿システムなのです」

「……世界に干渉しうるものを隔離するというわけですか。つまりクレメア教団とは、世界を正す役目を担うと同時に、大きな牢獄というわけですな」

 声を震わせながら、ケティスは認めがたい事実をその口にする。

 途端、エミオルの笑い声が室内に響き渡った。


「はは、面白い例えだね。でもそのとおりさ。事実を知っていたのか知らないけど、枢機卿たちは本来あるべき立ち位置から逃れようとしていた、だから粛清してあげたのさ」

「粛清……だと」

 あまりに不穏極まりない発言を受け、ケティスは背中に冷たい雫が走るのを自覚する。

 すると、エミオルは嬉しそうな笑みを浮かべながら、大きく首を縦に振った。


「そうさ。もうこの世界に君以外の枢機卿は居ない。いや、違うな。もう一方だけいらっしゃるか」

「ゼス・クリストファー」

 エミオルの言葉が指し示す人物。

 それは一人しかなかった。

 しかしその名をケティスが口にした瞬間、彼の首はエミオルの右手によって掴まれる。


「ケティスくん、ゼス様を呼び捨てにするのはこれで最後にしてくれたまえ。あの方は寛容だから何も言われないと思うけど、僕が君のその喉を掻き切ってしまいたくなるのは、止められるかわからないからね」

 そう口にした瞬間、エミオルはその華奢な体のどこに存在するのかわからぬ力で、ケティスを軽く投げ飛ばす。

 掴まれていた首と、地面と接触した背中にははっきりとした痛みが残っていた。

 そしてその痛みこそが、ケティスにこれが現実なのだとそう感じさせる。


「っつ……な、ならば一つ聞かせてもらおう。一体、あなた方はこの私に何をせよと言われるのですかな?」

「あれ? ラムールのさっきの言葉を聞かなかったのかい? 君は別に何もしなくていい。スペアはそこにあるだけで意味を成すからね。それよりラムール、あの男はこの地に来ているのかい?」

「ええ。一昨日には到着したとの由にございます」

 もはやケティスから関心をなくしたエミオルに対し、総主教は彼のもとに入ったばかりの情報を伝える。


「そっか。一度挨拶をしておきたいところだけど、あいにくゼス様がいないので勝手な行動はできないかな」

「……ゼス様はどちらへ?」

 その総主教の問いかけに、エミオルはニコリと微笑む。

 そして彼はゆっくりと、その口を開いた。


「彼の者達の出迎えが終わっているならば、今頃は隣の国を救っている頃だよ。砂漠化を食い止めるゼルバイン王国唯一の魔法使い、クリストファー・ランティスとして」

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