第20話 ルシーダ平原の戦いⅢ
彼方より飛来する巨大な光と熱の集合体。
それを目にしたマリアーヌは、隣に立つフランツに向かって悲鳴に近い声を上げた。
「し、司令官。先ほどの謎の巨大魔法が、我が軍中央部に向かっています!」
「急ぎ散開させろ。直撃だけは避けるのだ!」
貴族院に直撃した際の光景を目にしていたフランツは、最悪の事態を想定しながら、素早く指示を下した。
もはや眼前のクラリス軍の背を追うことも忘れて、彼らはひたすらに予期されうる着弾地点からの回避を図る。
そんな彼らの努力は、見事に実ることとなった。
地面と衝突すると同時に放たれる光と熱。
そのまさに中心部からの退避に、殆どのブリトニア兵は間に合ったのだ。
「ちゃ、着弾しました。ですが、被害は軽微。ギリギリですが散開が間に合った模様です」
次々と届けられる報告を確認し、マリアーヌは安堵の表情を浮かべながらそう告げる。
すると、フランツもようやく眉間の皺を解いて、満足そうに頷いた。
「間一髪のところだったな。しかし距離があったおかげとはいえ、一度見ていなければ、手のうちようがなかった」
「はい。しかしあのとんでもない魔法は、何なのでしょうか?」
「おそらくは……集合魔法だろう」
フランツは苦い表情を浮かべながら、たった一つだけ考えられたその魔法の名を告げる。
しかしそんな彼の仮説を、マリアーヌは素直に同意することが出来なかった。
「集合魔法……帝国が開発したと言われるあの魔法のことですか。では、帝国とクラリスは手を結んだと?」
「わからん。だが、あの遠くに見える小集団は、帝国の者たちなのかもしれん。いずれにせよだ、第二撃をくらわんためにも、いますぐクラリス軍を一飲にして――」
「司令官、敵です!」
フランツの言葉を遮るような兵士の叫び声。
それを耳にして、フランツは咄嗟に東の上空へと視線を移す。
「敵だと……まだあの化け物のような集合魔法は見当たらんが」
「違います。魔法ではありません。クラリス軍です。先ほどの魔法が直撃した場所に、突如としてクラリス軍が殺到して来ました」
「なん……だと!」
慌てて下げた視線の先。
そこにはその背を追いかけていたはずのクラリス軍が存在した。
彼らはいつの間にか反転し、我が軍へとその矛先を向けている。
その狙いはたった一点。
先ほど魔法が直撃した地点、つまり部隊が最も手薄となっているブリトニア軍の中央部であった。
「進め、進め。敵陣の中央突破を図る好機は、今この時をおいて存在しないぞ!」
エレンタムの覇気溢れる声が、戦場にこだまする。
指揮官のその言葉を受け、戦場を駆ける兵士たちは、次々と敵中央部目掛けて突入していった。
「さすがです、エレンタム様。敵陣の中央が薄くなることを見越して、再反転中央突破を図られるとは」
賛辞を口にしながらも、上官のエレンタムが行おうとした反転に対し一度は疑念を呈したミカムルは、自らを恥じずにはいられなかった。
一方、そんな副官の内心を知ってか知らずか、エレンタムは首を二度左右に振る。
「ミカムル、それは違うな。その賛辞は私ではなく、あの男に与えられるべきだ」
「あの男……それはやはりユイ・イスターツのことですね」
「ああ。集合魔法はたしかに素晴らしい魔法だ。どんな取り引きをしたのかは知らんが、彼らをこの戦場まで連れてきただけでも、十分称賛に値するだろう。だがしかし、それ以上に賞賛されるべきは、彼のその運用方法だ」
エレンタムは険しい表情を浮かべながら、この状況を生み出してみせた男のことを、ほぼ手放しで賞賛してみせた。
一方、彼の副官であるミカムルは、上官の口走った一つの言葉が理解できず、わずかに首を傾げる。
「運用方法……ですか」
「集合魔法には、致命的な欠点がある。あの破壊力故に、味方を巻き込みかねぬというな。だからこそ、普通に考えればその運用には少なからぬ制限が課されることになる」
「例えば既に我々と彼らが交戦を開始していた場合、彼は集合魔法を撃てなかったというわけですね」
敵味方入り交じる混戦状態において、集合魔法を撃つことが何を意味するか、それは自明の理であった。
そんなミカムルが出してきた喩えに対し、エレンタムは迷わず首を縦に振る。
「その通りだ。だからこそ、奴はまず貴族院へと集合魔法を打ち込んだ。自分たちの存在と切り札を見せつけるためにな」
「見せつけるためというのは、もしや我々にだけではなく、ブリトニアにも?」
「ああ。もし集合魔法の狙いが、最初からブリトニア軍であった場合、その後どうなっていたと思う?」
「それは先程以上の損害を敵に与えられていたと思いますが」
ミカムルは迷うこと無く単純な回答を口にする。
すると、彼の上官はそんな彼の言葉を否定すること無く、ただ一言だけ付け加えた。
「一度だけはな」
「一度だけ?」
「そうだ。集合魔法の威力を目にした敵は、死にものぐるいで我々に取り付いてくるか、早期撤退を決心しただろう。前者ならば、味方である我々を巻き込む集合魔法は撃てない状況で戦いを継続することになる。そして後者ならば、集合魔法を警戒された状況で、今度は我々以上の総数となる貴族院とブリトニア連合と正面切って戦うことになっただろう。いずれにせよ、あまり芳しい未来とはいえんな」
エレンタムが口にした仮定。
それを頭のなかで反芻したミカムルは、確かに否定出来ないことをすぐに理解する。
「確かにそのとおりですね。イスターツ閣下の率いておられる帝国兵はその数があまり多くないご様子ですし、かつて我が軍を壊滅させたような威力の集合魔法は使えないでしょう。となれば、正面決戦となった場合、結果がどう転ぶかは予断を許しません」
「そう、だから彼は我々がブリトニアと接敵する直前に、貴族院に最初の一発目を撃ちこんだのだよ。私に対して自分の描く絵に乗れという意味も込めてな」
「それほどまで考えられた先手だったというわけですが……」
エレンタムの解説を受けて、ミカムルは思わず黙りこむ。
もちろん彼も救国の英雄の能力は十二分に知るところであった。しかしながら、目の前で次々と動く戦況を、最も兵士数の少ない部隊を率いる男が、完全に支配しているという事実に驚愕を禁じ得ない。
だが、彼に驚いているだけの時間が与えられることはなかった。
なぜならば、先頭部隊に同行していた兵士が、大急ぎで司令部へと駆け込んできたためである。
「司令官、先頭部隊は完全に敵の後衛を完全突破。敵軍の分断に成功しました」
「ユイ先生! クラリス軍の先陣が中央突破に成功しました!」
後方から駆けつけてきた一人の青年。
彼は槍を手にする上官に向かいそう報告を行う。
「そっか。で、彼らはどう動き始めている?」
「敵左翼を包み込むように動き出しています。おそらく半分に分断した敵を半包囲すると思われます」
そのフェルムの報告を受け、黒髪の男は一度息を吐きだす。そして槍の穂先を喉元に当てた初老の男へと、彼はその視線を移した。
「チェックメイト……ですね」
「なぜ、こんなことに。我らのほうが数的に優位だったはずだ。それが……」
自らに向けられた槍先へとその視線を向けながら、エミリオッツは首を左右に振りつつそう口にする。
そんな彼の言葉を耳にして、ユイは手元へと槍を戻すと、その視線をもう一人の敵指揮官へと向けた。
「残念ながら勝敗はほぼ決しました。私としては、クラリスの人間同士でこれ以上戦いたくはありません。どうか降伏してくださいませんか、テムス次官」
「クラリスの者同士で殺し合い……か。確かに貴様の言っていることはわかる。だがここで我々が降伏すれば、貴族院に連なる者達、そして彼らの家族や治めている民たちの運命が終わることになる」
貴族院の後押しがあったとはいえ、テムスとて戦略省の頂点にまで上り詰めた男であった。もはや自分たちに勝機がないことは理解できている。
だがそれでもなお、彼は突きつけられた現実を、そのまま受け入れることは出来なかった。
「そんなことはありません。ええ、貴族院の中枢たる円卓会議の面々は流石に無罪とは出来ないでしょう。ですが、それ以上の人間に累が及ぶことを私も、そしてこの国の女王陛下も望まぬはずです」
「望む、望まないの問題ではない。これは先祖代々受け継がれてきた、我々の誇りを失うことと同義なのだ。だからこそ、私は貴様を――」
「止めろテムス。それは私の仕事だ」
ユイに向かって一歩踏み出そうとしたテムスを、横から制したのは既に愛槍を失ったエミリオッツであった。
「エミリオッツ次官……」
「無茶をするな、エミリオッツ」
再びユイと対峙しようとするエミリオッツに向かい、テムスは慌てて彼を止めようとする。
だがそんな彼を、エミリオッツは一喝した。
「貴様には、この部隊の指揮官としての仕事がある。ここで貴族院の武人として、奴に立ち向かうのは……そして最後を飾るのは私の仕事だ」
「な……では、お前は奴の勧告を受け入れるつもりなのか」
「そうだ。それが私の意志だ。覚えておいてくれ、テムス」
そう口にすると、護身用に備えていた腰の剣をエミリオッツは抜く。
その姿を目にして、ユイは大きく息を吐きだした。
「エミリオッツ次官。貴方自身は受け入れてくださらないのですか?」
「無理だな。俺はテムスほど知恵が回らん。信じられるものは、貴族として流れるこの血と誇り、そして陸軍軍人としての力だけだ」
そう口にすると、エミリオッツはテムスを後方に突き飛ばし、一歩前へと歩み出た。
「……やむを得ませんね」
「行くぞ、イスターツ!」
その言葉を吐き出すとともに、エミリオッツは手にした剣を大上段に掲げ、一気にユイに向かって振り下ろす。
裂帛の気合とともに放たれた一振り。
だがそれは、彼の愛槍によって受け止められることとなった。
「あなた方の誇りは何処で歪んでしまったんでしょうね、エミリオッツ次官」
その言葉が吐き出されると同時に、槍をくるりと回転させたユイは、その後頸部の部分に柄の一撃を叩き込む。
そして一人の老武人は地面へと崩れ落ち、黒髪の男がその場に残された。
「エミリオッツ!」
「大丈夫です。意識をなくしただけですよ。申し訳ないですが、この戦いの責任者にはまだ消えてもらうわけにはいきませんので」
慌ててエミリオッツへと駆け寄ったテムスをその目にしながら、ユイはため息混じりにそう告げる。そして彼は、改めて目の前の元上司へと問いを口にした。
「テムス次官、改めて問います。降伏を受け入れて下さいますね?」
「……やむを得んな。わかった、貴様達の――」
「ダメですよ。全然ダメ。なんですかこれは? あまりにつまらない。少しは観客の立場に立ってくださいよ。こんなワンサイドゲーム、誰が楽しめるっていうんですか?」
テムスの言葉に被せる形で発せられたその言葉。
それはユイ達の側方から発せられたものだった。
声の主を視線で追った瞬間、ユイは久しく感じて来なかった悪寒というものを覚える。同時に脳内では、けたたましく危険を訴える鐘が鳴りだした。
そう、目の前の少年は、ユイにとって……いや、この世界にとって本来は存在してはならない類のものであることを、彼は直感的に理解したが故に。
「君は誰だい?」
そう問いかけながら、自分の額に嫌な汗が流れるのを感じる。
これは、そう、かなり、よくない。
居てはならない存在。こんな戦いなど、軽く霞んでしまうほどの災厄。
にも関わらず、ユイにすら気配を悟らせることなく、銀髪の少年はまるで最初からそこにいたかのように存在した。
そして道ばたで友人にであったような気軽さで、彼は声をかけてくる。
「初めまして。トルメニアの枢機卿でゼス・クリストファーと申します。以後お見知り置きをお願いしますよ、調停者さん」
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