第8話 朱と黒

 賑やかなる前夜祭も終わり、首都ミラニールの人々が寝息を立てる頃合い。

 かつてこの地の豪商であった旧コニーク邸の裏庭には、ゆっくりと歩く人影が存在した。


「やあ、君が先に待ってくれているなんて珍しいね」

「はは、そうかな。まあ君よりは先にパーティを抜けだしたからね」

 そう口にすると、仮面の男は苦笑を浮かべる。

 そんな彼に向かい、明らかなる不法侵入者は堂々と不穏な事を口にした。


「とりあえず、その暑苦しい格好は外したらどうだい? 君が人の目を気にしなくて済むように、彼等の目はここに来るまでに全て潰しておいたからさ」

「はぁ……まったく君はやることがいつも過激だから」

 カイラ国王の専属護衛であるアインは、目の前の赤髪の青年の言葉に軽く肩をすくめる。そしてマスクを外した後に、頭に付けていた金髪のかつらも取り外した。

 すると、見慣れた黒髪の男の姿がそこに現れ、アレックスは狐目を一層細める。


「ふふ。しかしラインドルが借り上げたのが、まさかこの屋敷とはね。そうだと知っていたら、カインス君も連れてくるんだったよ」

「カインスも同行しているのかい?」

「まあね。保険として、彼ほど頼りになる人間はそういないだろ」

 右の手のひらをくるりと上に向けながら、アレックスはそう口にする。

 アインはその発言に対し、異論はないとばかりにゆっくりと頷いた。


「確かにね。でも、ここに彼を連れてきても、あまり意味なかったと思うよ。彼は生まれも育ちもカーリンなんだからさ」

「そっか……確かにそうだったね」

 アインの言葉を耳にしてなるほどと思うと、アレックスは顎に手を当てる。

 そんな彼の姿を目にしながら、アインはまだ告げていなかった言葉を彼へと向けた。


「そうそう、クレイリーから話は聞いていたけど、どうやらエインスがライン家を継いだタイミングで、君も陸軍省次官へと昇進したようだね。遅くなったけど、おめでとう」

「ありがとう。まあ誰かの言い草ではないけど、要するに望まぬ昇進というやつさ」

「望まぬ昇進?」

 自分ならまだしも、アレックスの口から思わぬ言葉を耳にして、アインは怪訝そうな表情を浮かべる。

 するとそんなアインに対し、アレックスは両手を左右に広げてみせた。


「ああ。貴族院に連なる戦略省と陸軍省の両次官を追い出してしまったら、誰も成り手がいなくなってしまってね。僕達が少し軍内部を脅しすぎたのが良くなかったのかもしれないけどさ」

「少しねぇ……ともかく、君が陸軍省次官に、そしてアーマッド先生が戦略省次官に就任したことはまあわかる。だけど、魔法省のスクロート次官は本当にそのまま留任されたわけかい?」

「フェルナンドが最初に貴族院で切り崩したのが、あの御仁だからね。残りのお二方ほど強固な貴族主義者でもないし、とりあえずは席を預けているよ」

「何かあれば、すぐに斬り捨てればいいと?」

 アレックスの不敵な笑みをその目にして、アインは彼の考えを洞察する。

 一方、彼のその言葉に対し、アレックスが反論することはなかった。


「少なくとも、僕はそう考えている。他の人達は、もう少し穏やかな考えを持っているだろうけどね」

「まあ、意見っていうのは色々あって当然さ。その辺りをうまくやるのも、エライさんのお仕事だろうしさ。そう思わないかい、次官殿」

 意味ありげな笑みを浮かべながら、アインはアレックスに向かってそう口にする。


「とりあえず否定はしないさ。でもこの立場になって、ようやく君の気持ちが少しだけわかった気がするよ」

「どういうことだい?」

「本当に無駄な会議や書類が尽きなくてね。お陰で剣を振るう時間に苦労しているのさ」

 首を左右に振りながらアレックスがそう口にすると、アインは思わず軽い笑い声を上げた。


「はは、だろう。偉くなるってことは、首に巻かれた綱がだんだんと太くなることと同義なのさ」

「残念だけど、ちょっと否定材料は思いつかないかな」

「で、先ほど女性のお尻を追いかけている軍務大臣代理殿はお見かけしたわけだけど、次官級扱いとなった三代目の親衛隊長殿は元気にされているかい?」

 軍務大臣代理となった金髪の青年の後を受け、親衛隊長の職を担うことになった銀髪の親友。

 彼のことをアインが口にした途端、アレックスの目元はわずかに緩んだ。


「ああ。まあ彼の気質は元々責任者に向いているからね。もっとも少し責任感が強すぎるきらいがあるけどさ」

「はは、確かにね。上に立つ人間はほどほどでいるのも一つさ。そのほうが下がやりやすい」

 アインは苦笑を浮かべながら、自らが実践してきた持論を口にする。

 それが意図してであったかには議論の余地があると考えたものの、アレックスは特に反論を述べようとはしなかった。


「それは昔からの君の持論だね。ともあれ、彼も国内のゴタゴタで手が離せない状況でね。残念ながら今回はエリーゼ様共々お留守番さ。でも良かったね。ここに来たのが僕じゃなく彼なら、たぶん朝まで説教されているはずさ」

「はは、ありえる話だね。君であったことを感謝しているよ」

「で、君がラインドルに付いているということは、ブラウ公を北に張り付けさせてくれたのは君の仕業だったというわけだね」

「まあね、否定はしないよ」

 アレックスの指摘に対し、アインは軽く肩をすくめる。


「ようやく納得がいったよ。あのラインドルの軍事訓練の意図が、どうにも理解できていなかったからね。その上で尋ねるけど、君は今回どうして西方会議に?」

 アインの発言に一つ頷きながら、アレックスは問いたかった本題を目の前の男にぶつける。

 すると黒髪の男は、頭を掻きながらあっさりとした回答を口にした。


「軒を借りてる家主にさ、どうしても付いて来てくれって頼まれたからかな」

「……本当にそれだけかい? 君があんな暑苦しい格好までしてさ」

 目の前の男が極端なめんどくさがり屋で、不必要な努力を好まぬことは、その長い付き合いからアレックスは骨身にしみて理解している。そしてだからこそ、わざわざ変装までしてアインが出席していることに、アレックスは違和感を覚えていた。


「いや、もちろんそれ以外にも、一人だけこの目で見ておきたい人物がいたからさ。しかし、アレックス。刀も身につけず、かつらだけではなく顔まで隠していたというのに、よく私だってわかったね」

「そりゃあわかるさ。身長や覗いている口元の形が似ているし、それ以上に歩くときの重心移動の癖が君以外ではあり得なかったからね」

 普通の人物が口にしたなら笑い飛ばしてしまいたくなりそうなその理由。

 だがアインは一切笑うことはなく、逆に真剣な表情でアレックスへと問いかけた。


「そんなに特徴的かい? 歩く時に限らないけど、重心を意識するようかつて散々母親には指導されたんだけどね」

「いや、決して悪いわけじゃないんだ。ただほんのわずかだけ、右足が前に出るときに限り、重心移動が普通より早い。正中に重心を置くよう、たぶん矯正された時の僅かな名残なんだろうね。で、普通の人間にそんな指導は不要。というか、さすが剣の巫女と言うべきなのだろうけどね」

「はぁ……まったく。やっぱり君にはかなわないな」

 アレックスの指摘を受け、アインは頭を掻きながら大きな溜め息を吐き出す。

 そんな彼の反応に、思わず右の口角を吊り上げると、アレックスは一つの問いを口にした。


「それで、君は一体誰に会いに来たんだい? やはりフォックス師かい?」

「いや、違う。もちろんチャンスと感じたからあの場では交渉材料に引き出したけど、私の本命はあくまでこの国の軍務大臣殿さ」

「なるほど。つまりケティス氏というわけか……」

 ケティス・エステハイム。

 その名はキスレチンの危険な政治家の一人としてアレックスの耳にも当然入っていた。だからこそアインの発言に対し、アレックスは納得とともにわずかに表情を曇らせる。


「ああ、その通り。統一宗教主義戦線の当主にして、この国の軍務大臣殿さ」

 アレックスの表情を目にしたアインは、クラリス王国の情報収集を担う戦略省戦略局がきちんと機能していることを見て取り、確認するようにそう告げる。

 すると、アレックスは彼の予想を上回る言葉を口にした。


「これは僕の仮説だけどね、もしかしてミラホフ家のウイッラ君と近い者じゃないかな? キスレチンのケティス氏はさ」

 このアレックスの問いかけは、完全にアインの予想を上回っていた。


 もちろん彼とて、士官学校時代からの付き合いであり、アレックスの能力が銀髪の親友と並び極めて高い水準であることは理解している。しかしながら、極断片的な情報で自らやクレハ達の考えに至るとは、さすがにアインも思ってはいなかった。


 一方、珍しくアインが虚を突かれた表情を浮かべたが故に、アレックスは自らの問いかけが正鵠を射たことを理解する。


「ふふ、君でも顔に出るんだね」

「……アレックス、どうしてそう考えたんだい?」

「君がわざわざリスクを犯して表に出てきたということが半分。それとあと半分は、正直言ってカマをかけてみただけさ。外れたら勘違いだと笑えばいいだけだからね」

「はぁ……そういえば、君は直接彼を目にしたわけだからね。感づいたとしても不思議ではないか」

 アインはそう口にすると、あの時その場にいた者の顔を脳裏に浮かべた。そしてその中で、今は近くにいない赤髪の魔法士にも注意が必要だと改めて考えなおす。

 そんな風にアインが険しい表情を浮かべるのを目にしたアレックスは、目の前の親友に向かい人差し指を一本立てながら、ゆっくりと口を開いた。


「ひとつだけ君に言っておくよ。さすがに今回は、表立って君のために動くことはできない。だから、もし僕の力が必要となるならば、十分なお膳立てをしてくれるかな」

「君はあくまでクラリスの代表団の一人だからね。うん、わかっているよ。君がこの地に来てくれた事自体、十分すぎるほど幸運な話だからね。第一、もとよりそんなに無理はするつもりはないさ」

 アレックスに向かって苦笑を浮かべながら、アインは自らの立ち位置を告げる。

 すると、アレックスはその表情を緩めた。


「ふふ、ならいい。そうと分かれば、お互いこの会議と言う名の舞踏会を楽しむとしよう」

「おや? 君が楽しみなのは模擬戦だけだろう」

「もちろん否定はしないよ。でもね、一番戦いたい目の前の人物とも、そして一番楽しめそうなキスレチンのウフェナ君とも剣を交えることができなそうだからさ。正直言って、ちょっと不満なんだよ。どうしてエキシビジョンの一試合ずつだけで、トーナメント形式ではないのかな」

「そりゃあ、君に潰されたくなかったんだろうさ。彼等自慢のウフェナ君をね」

 試合相手の抽選に何らかの細工がなされることを前提としたアレックスの発言に対し、アインはそのことを認めつつもその理由を端的に口にした。

 アレックスはそのアインの発言に対し、小さな溜め息を吐き出すと、一度表情を整えなおす。


「まあ仕方がないか……ともかく、いつもの刀は使わずその腰に下げたものでやるつもりなら、十分に注意することだね」

「わかっている。で、その上で、君に少し頼みがあるんだけどさ」

「なんだい? 先に彼を潰しておいて欲しいとかかい?」

 まったく表情一つ変えること無く、アレックスはさらりと危険な発言を口にする。

 一方、そんな発言にもかかわらず、彼らしいと思ったアインは、思わず笑い声を上げた。


「はは、それはどちらかと言うと、君の願望だろ。ともあれ、そんな過激なことは頼まないさ。私がお願いしたいというのは、少しリハビリを手伝って欲しいっていうだけでね」

 そのアインの言葉を耳にした瞬間、アレックスはいつも以上に目を細めると、眼前の男の表情を慎重に窺う。


「……おやおや。さて、どういう風の吹き回しだい?」

「残念ながら、一年ほど研究屋になっていたものでね。正直なところ、少し実戦感覚が鈍っているのさ」

「なるほど。ふふ、いいよ、君が求めるなら、願ったりかなったりさ。ただ残念なことは、君の得物がアレじゃないってことだけど」

 アインの腰元に視線を落としたアレックスは、そこにあるべきものがないこと、そして一本の細身のレイピアが代わりにささっていることを心底残念がる。


「アレを使ったらさすがに目立つからね。だからこそ、君の手を借りたいわけさ」

「まあ仕方ないか。それに君がアレを手にしてたら、実戦を離れているとか関係なく、とても加減なんてできそうにはないし……ね!」

 そう口にした瞬間、アレックスは一瞬で間合いを詰めると自らの剣を一閃させた。

 だが、その長い付き合いの経験上、最初からその可能性を予期していたアインは間一髪で一歩飛び下がる。


 そしてアレックスの剣は虚しく空を切った。


「おいおい、今すぐとは言っていないだろ。それにリハビリなんだから、もう少し私に合わせてくれ」

「ちょうど監視者たちの目を潰して来たんだ、今が絶好の機会さ。それに手加減は多少心がけてみるけど、正直言って僕は十二年ぶりのこの機会を逃すつもりはないよ」

「まったく……これじゃあどっちが希望したのかわからないな」

 アインはそう口にするとともに、アレックスの間合いに入り込み、レイピアの突きを放つ。


 しかし一撃目を回避されたことで、動揺無く直ぐ反撃が来ることは、アレックスとて想定済みであった。

 彼は自らの剣でレイピアを弾くと、もう一度アインに向かい距離を詰めようとする。

 だがそんな彼を待っていたのは、アインの予期せぬ一撃だった。


 全く予想外の一撃を、ギリギリ眼前でやり過ごしたアレックスは、改めて一度間合いを取り直す。


「……そうか。君には刀が無くてもそれがあったよね。ふふ、実戦不足か。欠片もそうは思わないけど、こうなれば僕のためにも、ここからは少し本気で遊ばせてもらうよ、ユイ」

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