第20話 英雄の教え子たち

「人質はまだか?」

 眉間にしわを寄せながら、眼前の近衛兵たちを視線で牽制しつつエレンバウアーはそう問いかける。


「はい。まだケテルのやつは戻ってきません」

「クソッ、何をやっているのだ。いつ連中が、突入してきても不思議ではないのだぞ」

 そう口にすると、エレンバウアーは額の汗を拭う。

 元宮廷魔法士長であったレリムの攻勢魔法により、既に城門は半壊状態であった。つまり今、ラインドルの近衛兵たちが一気に押し寄せてくれば、恐らくたちどころに突破されるであろうことを、エレンバウアーは他の誰よりも理解していたのである。


「しかし奴らは先程まで暴れていたのに、どうしておとなしくなったのでしょうか?」

「我々の中に人質の影を見ているんだろう。だが、奴らとて我らとお見合いに来たわけではない。早く人質を奴らの前に晒さなければ、いつ連中が突入してきても不思議ではない」

 エレンバウアーはムラシーンの下に仕えていた頃より、状況判断能力に定評があり、それ故若くして部隊長に抜擢されている。

 彼は考える。

 近衛の狙いはレリムの魔法による城門の爆砕、そしてそこから一気に城内になだれ込み、混乱に乗じて人質を救出することが当初の計画であったのだろうと。


  しかしながら、ムラシーンの築いた城壁の魔法抵抗性は、連中の想像以上に強固なものであったため、彼らは城門の破壊に失敗した。

 その間に自分たちが素早く即応してみせたことによって、混戦状態を作り出すことに失敗した近衛たちは、一度作戦の見直しを図っているに違いないと。


「イヤ、離して!」

 崩壊しかけの城門を挟んだエレンバウアー達と近衛との刺殺戦。

 それを決壊させたのは、とある若い女性の叫び声であった。


 待ちに待った女性の声を耳にした瞬間、エレンバウアーは眉間の皺を消失させると、嬉々とした表情で後ろを振り返る。

 その彼の視線の先には、目深にヘルムをかぶった兵士が、一人の少女を手荒な扱いで連行してくる光景が存在した。


 ラインドル王国第一王女ルナ。

 彼女は手首を後ろ手に縛られ、兵士によって強引に歩かされる。だが少女は悔しげな表情を浮かべながらも、精一杯の抵抗とばかりに、もがくように散々あばれていた。


「遅かったな。だが、これで一息つける」

 これで近衛の連中に対し、絶対的優位を確立したと判断したエレンバウアーは軽く胸を撫で下ろす。

 もちろん後ろ手に縛られているにもかかわらず、まるで野生の動物のように暴れながら自らのもとに連れられてくる王女の姿には、彼とて苦笑を浮かべずにはいられなかったが。


「くそ、離せ、離しなさい!」

 ラインドル王国第一王女であるルナは、高貴な顔立ちを完全に失い、髪を振り乱しながら一心不乱にわめきたてる。

 皆の視線の集中するその姿を前にして、エレンバウアーは呆れたように小さくつぶやいた。


「……まるで獣だな。たとえ王族といえども、自らの命を握られたら品性さえ失うということか」

「やむを得ないでしょう。いくら王女とはいえ、まだ十代の子供。周りの大人が取り繕わねば、その中身など普通のガキに過ぎませんよ」

 エレンバウアーの側に控えていた彼の部下は、首を左右に振りながらそう口にする。

 すると、そこでエレンバウアーは連れてくるはずのもう一人の人物がいないことに気がついた。


「アルミムの奴はまだか?」

「そのようですね。まあ老人を動かすのは、若者と違い大変なのでしょう」

「ふむ、それもそうか。たとえ暴れる獣といえども、足が満足に動く方が、動かしやすいだろうからな」

 副官の回答に、エレンバウアーは納得してみせる。

 そうして二人がそんな会話をしている間にも、兵士たちの視線を一心に集める獰猛な王女は彼の眼前まで連行されてきた。


「さて、ルナ王女。久々の外の空気はいかがなものですかな?」

 エレンバウアーは余裕のある表情を見せながら、必死に縛られた後ろ手を解こうと身をよじるルナに向けてそう問いかける。

 すると王女は、乱れた髪の合間から、憎々しげな瞳をエレンバウアーへと向けた。


「あなたが私をこんな目に! 今すぐ離しなさい!」

「御冗談を。あなたは私達の切り札なのです。あなたを救いに来たあのバカどもに対するね」

 エレンバウアーは右の口角を吊り上げながら、ルナにそれとわかるようにその視線を近衛たちへと向ける。


「近衛部隊……彼らが私を助けに!」

「ええ、そのとおりです。無力でお荷物なあなた方を助けに、彼等はのこのことやってきたのですよ。しかし恥ずかしいと思いませんか?」

 そう口にすると、エレンバウアーは見下すかのような視線を目の前の王女へと向ける。


「恥ずかしい?」

「ええ。ムラシーン様はすべてを自らの手で勝ち取り、そして成し遂げようとされた。それに比べてあなた方は、王家という血筋の上に胡座をかき、国の足を引っ張るのみ。自分では何もしないし、何も出来ない。そのことを恥じてもらいたいものですな」

 彼自身の唯一の尊敬の対象であり、仕えるべき対象であったムラシーン。


 悪しざまに彼のことを言う者が圧倒的多数ではあるものの、エレンバウアーはその自らの力で道を切り開く姿に惹かれ続けてきた。

 一方、目の前にいる小娘は、そんな偉大な彼のかつての主に比べ、人に頼らねば何一つできぬ、なんと矮小な存在だろうか。

 少なくともエレンバウアーは、そう感じずにはいられなかった。


 だがそんな時である。


 後ろ手を縛られ、無意味に髪を振り乱しながら暴れていた少女。

 彼女はピタリと、突然抵抗を止めた。


 そして軽く頭を振り、目の前に掛かっていた髪をどかすと、彼女は不敵に笑ってみせる。


「ふふ……ふふふふ」

「何がおかしい? 自身の無力さを感じて気でも違ったか」

「違うわ、あなたの言ったことが可笑しくて笑ったのよ。自分で……ね。いいわ、自分で何とかしてみせましょう」

「なんだと?」

 最初、エレンバウアーは王女の発した言葉の意味がわからなかった。そしてそれ以上に、彼女の顔に浮かんだ表情が彼には理解できなかった。


 だが、彼はありえぬものをその目にする。

 先ほどまで後ろ手に縛られ、連れてきた兵士が握る紐によって、行動を拘束されていたはずのルナ。

 そんな彼女が、突然彼の眼前に飛び込んできたのである。


「喰らえっ!」

 ルナの口から発せられた、下品ながらも威勢のよい言葉。

 それが周囲に響き渡ったとほぼ同時に、エレンバウアーのこめかみを少女の右足が蹴りぬく。

 そして次の瞬間、エレンバウアーの巨体はその場に崩れ落ちていった。


 その場にいたほとんど誰もが、まったく理解不能なその光景を前にして、凍りついたように身動きを取ることができなくなる。

 だが、例外は王女以外にも一人だけ存在した。


「全くなんと言うべきか……ともかく、僕は僕の仕事をしましょう。リュミエール!」

 彼女をこの場へと連行してきた兵士は、何故か諦めたかのような表情を浮かべながら、右手をそっと頭上にかざす。

 そして小さな魔力の球体を生み出すとまっすぐに空へと放ち、そして次の瞬間、まばゆいばかりの光が一瞬虚空に広がった。







 ミレンベルグ城のバルコニー。

 先ほどまで二名の弓兵が詰めていたはずのこの空間には、現在全く異なる別の人影が存在した。


「どうやら、予定通りことが運んだようですね」

 黒髪の男は動かした体をほぐすように大きく伸びをしながら、眼下の光景を目にしてそう口にする。


「我が娘ながら……これでは本当に嫁の貰い手に苦労しそうじゃ」

 もはやはしたないという言葉が、アルミムには虚しくさえ感じていた。


 彼の視線の先では、たとえ演技とはいえ気品のかけらもない様相の愛娘が、スカートをはためかせながら敵将にハイキックを見舞う光景が、つい先程繰り広げられたのである。

 この作戦を立案したアインとしても、前国王たる彼の内心を思わずにはいられなかった。


「すいません。私の一番良く使う手ではあるのですが、ルナ様のお力を借りずには、どうにも実行できなかったものでして」

「助けてもらった身じゃ。これ以上は言わんが……しかし我が娘がことを成し得なかった場合、その方はどうするつもりだったのだ?」

「そうですね。その時は仕方ないので、ここから飛び降りて、もう少しだけ私が働かなければいけないところでした」

 今、床に転がっているバルコニーの弓兵を片付けたことで、アインとしては今回の一件に関しては自らのノルマを果たしたつもりであった。

 しかしながら、近衛の突撃の最中も眼下の戦場で暴れ続けている少女と青年が未熟であれば、もう一働き必要であったことは自明の理である。それ故に彼としては、指導した甲斐があったと苦笑せずにはいられなかった。


 一方、そんな目の前の黒髪の男の内心を知らぬアルミムは、ここから飛び降りるとしたアインの言葉を、何らかの冗談だと受け取る。だからこそ彼は、アインが全幅の信頼を娘たちに持っていたことに驚きをみせた。


「ここから飛び降りるとは、面白いことをいうものじゃな。しかしその方にそんな冗談を言わせるぐらい、ルナの技量は上がっておるのか」

「いや冗談というわけではなく、これくらいの高さなら普通に……まあいいか。ルナ様に関しては、実際に良い筋をされておられます。まして、今回は万全を期して彼を付けておきましたしね」

 五点着地すれば特に問題無いと考えながらも、わざわざ説明するのが面倒と感じたアインは、そのまま話を続ける。


「ふむ、あの青年だな。確かビグスビーのやつが、そなたに一人学生を預けるつもりだと言っておった。それが彼ということか」

「ええ。とても才能豊かな青年です。将来が楽しみですよ」

「ほう、その方がそこまで言うか」

 アインの反応を受けて、アルミムは興味深そうに視線を強める。


「元々、王立大学では完成品とまで言われていたようですしね。いずれそう遠くないうちに、カイラ様の側に仕えることになるでしょう。もちろんお互いが望めばですが」

「それは楽しみじゃな。しかし出来ることなら、そんな彼の教師とともに仕えてくれたら言うことなしなのじゃが」

「はは、それこそ面白い冗談です。いい加減な私に王宮勤めなんて不可能ですよ。ああいう場で必要な忍耐力は、数年前までに全て使い果たしてしまいましたから」

 聞くものが聞けば、それほど忍耐していなかったじゃないかと突っ込まれかねない発言を口にしながら、アインはやんわりと拒絶の意思を伝える。

 一方、予め予期された回答であったものの、アルミムは残念そうに首を振った。


「そうか……して、その方は今後どうするつもりじゃ?」

「そうですね。カイラ様との約束もありますし、今年いっぱいはこの国に滞在するつもりです。せっかく作った予備も、一つ使ってしまいましたしね」

 そう口にしたアインは、ポケットの中に戻していた透明な結晶を、空に昇った月へとかざす。


「残念な話じゃな。して、その先は?」

「今のところ、私自身はまだ歴史の表舞台に出るつもりはありません。ちょっととある集団に関して、極秘裏に調査を進めてもらっているところですので、それが確定するまでは……ですが」

「集団?」

「ええ。私の……いやうちの家族の仇敵と呼べる者達がおりましてね。それに関して、ちょっと時間――」

 フィラメントの気味の悪い魔法士の引き笑いを脳裏によぎらせながら、アインはそう説明を口にしかける。

 しかしそのタイミングで、彼の声を遮るように突然側方から激しい水しぶきの音が彼の耳に入った。


「何者かが、水堀に飛び込んだか」

「そのようですね。そしておそらくは……」

 アインはそこまで口にすると、一度言葉を止める。

 すると、眉間にしわを寄せたアルミムは、彼の先を促すよう問いを口にした。


「おそらくは?」

「おそらく、今回の絵を直接描いた者たちでしょう。この一連の騒ぎで、最も得する筈だった国家から来た……ね」

 眼下の敵兵の中に、明らかにそれらしき人物たちを認めなかったアインは、首を左右に振りながらそう口にした。

 そして彼はそのまま、自らの視線を逃亡者たちの向かうであろう南東の方角へと向け、再び言葉を紡ぐ。


「さて、変なところでトラブルを起こさず、せいぜいうまく逃げてくれることに期待しましょうか。周囲に配備していたマルフェスさんの兵士を、今回の黒幕のもとに案内してもらうためにね」

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