第21話 官邸

 キスレチン共和国の大統領官邸。

 その現在の主である第六十二代大統領のトミエル・ブラウンは、いつになく険しい表情で目の前の男の報告を聞いた。


「つまりクラリスの連中は、のこのこ西方会議に来る可能性が高いと……そういうことかね?」

「ええ、その通りです大統領。当初は不参加と思われておりましたが、突如参加の意思を表明してきましたようで」


 トミエルの所属する民主改革運動と連立政権を組む統一宗教主義戦線。その副党首であり、現政権における外務大臣を務めるハムゼ・パミルは、大統領に向かって淡々と報告を口にした。

 その瞬間、トミエルは眉間の皺を深くする。


「しかしおかしな話だな、外務大臣殿。確か彼の国は内戦寸前で、とても外部に代表団を送り出すことのできる状態ではないと聞いていたのだが、つまり実態は違ったということかね」

「いえ、本来ならばおっしゃる通り、参加は不可能なはずでした。ですが、余計なことをしてくれた国がありましてね」

「余計なことをした国? また帝国が何か画策したというのか」

 大陸西方において不倶戴天の敵と言うべき国家が頭をよぎると、トミエルは忌々しげな表情でそう問いかける。

 しかし彼の正面に立つ初老の老人は、あっさりと首を左右に振った。


「いえ、ケルム帝国ではありません。問題の国家はラインドルですよ」

「ラインドルだと……彼の国は我々の予定通り独立クーデターが起こり、今頃はクラリス以上に身動きがとれなくなっているはずだが?」

 情報部主導で極秘裏に発動された作戦の存在を知るトミエルは、意外そうな口調でハムゼに尋ねる。

 すると、ハムゼはわずかに視線をずらし、彼の元へともたらされた最新の情報をその口にした。


「少し計算外の事がありましてね。彼の国の若き愚かな王が何をとち狂ったのか、軍の主力を南部へと差し向けたのですよ」

「何……つまりクーデターを放置して、クラリスへ侵攻したということかね」

 ラインドルが軍の主力を南部に進めたという意味。

 それをそのまま解釈するならば、クラリスに対する侵攻以外の何者でもない。


 もちろん、現在のラインドルの状況故に、クラリスへの侵攻自体到底有り得ない話ではあった。

 だがそれでもなお、他に考えうる選択肢が、トミエルの手元には存在しなかった。


「私も最初はそうかと思いました。ですが、どうも悠長に演習をしているというのですよ。それもクラリスの国境付近で」

「演習だと? 威嚇の間違いじゃないのか」

 わずかに眉を吊り上げたトミエルは、怪訝そうな表情でハムゼへと問い直す。


「ええ。私もそう思いました。なので、真偽を確認するために、情報部の者を数名派遣しました。そしてその結果を端的に言いますと……どうやら本当にただ演習だけを行っておるようです。もちろんクラリス側からしたら、威嚇行為以外の何物でもないと思われているようですが」

「……どういうことだ。理由もなしに気まぐれで軍を動かしたというなら、ラインドルの王がただの愚か者と言うだけの話だ。だが、さすがにこの状況下で、そのような命令を出せば、部下の誰かが諌めもしよう。いささか解せんな」

 ハムゼからの報告を受けたトミエルは、顎に手を当てると、そのままの姿勢で考え込む。

 するとすぐさま、ハムゼが一つの仮説を口にした。


「私も同じ見解です、大統領。少なくとも、何らかの政治的要求をクラリスに突き付けるのではないかと考えてはいたのですが……今のところ情報部よりそのような動きは無いとのことです」

「内戦状態にあるクラリスに対する脅し。そう考えるのが筋ではある。だが、そのような動きも存在しないということか?」

「少なくとも現在のところは……」

 そう述べたハムゼは、首をゆっくりと左右に振る。

 その仕草を目にしたトミエルは、大きな溜め息を一つ吐き出した。


「不自然で不可解な話だな。だが、これではっきりしたことが一つある」

「なんでしょうか?」

「現国王であるカイラ王が、前国王である父親を見捨てた可能性が高いということだ」

 ここまでで得た情報から、トミエルは一つの結論を導き出した。

 もちろん結論を出すには情報量が不十分であることも彼は認識している。だが少なくとも、父親の命を最優先していないことは明らかであると、彼にはそう思われた。

 そのトミエルの解釈を耳にして、ハムゼはわずかに考えこむと、小さく一つ頷く。


「確かに、その通りですね。とするならば、前王達の存在を無視して、このまま独立クーデター派を終始無視し続けるつもりかもしれませんな。長期的に見るならば、奴らの国自体にとって、そう悪い判断ではないでしょうし」

「私もそう思う。しかし思い切った判断だ。カイラ王が父親の存在を疎ましく思っていたという可能性はないか?」

 トミエルは前国王を最優先にしない理由として、彼らの間の感情のもつれに答えを求める。


「我らの画策を、これ幸いと利用したというわけですか……親子仲は良好であったと伝わっております。もっとも本当の腹の中は、誰にもわからないものですが」

「しかし人質が役に立たんとなると、今回のクーデターはこのまま失敗に終わるか」

 机の上に置かれた冷めきったコーヒー。

 それを口元へと運ぶと、トミエルは一口だけ飲み込み、不味そうな表情を浮かべる。

 そして彼が再びコーヒーカップを机の上へと置いたのを見計らい、ハムゼはゆっくりと口を開いた。


「ご予想のとおりとなるでしょうな。我々が画策しておいてなんですが、所詮たかが一地方領のクーデターです。たとえ連中が軍を本気で動員しなくとも、周囲を固め放っておけば、そう遠くないうちに限界点を迎えざるを得ない。むしろこの選択肢を取るならば、ラインドルは人質の命以外、何も失うことはないでしょう」

「もちろん国内の支持は失うかもしれん。だが奴らは我らのように選挙を必要としない王政、比較的傷口は浅くて済む……そこまで理解した上で、家族を犠牲にしたのならば、カイラ王は中々に恐ろしい男と考えるべきだな」

「ええ。善王という噂でしたが、あくまで国民に対するポーズということかもしれません。しかし、若いのになかなかどうして」

 指導者は冷徹なリアリストであるべきと、ハムゼは常に考えていた。

 その意味では、彼の目の前にいる大統領は及第点と彼は考えている。


 しかしそれと同時に、ハムゼはあることを改めて確信していた。

 彼の所属する統一宗教主義戦線の党首であり現在軍務大臣をつとめているかのお方こそ、目の前の大統領などと比較にならぬほど、指導者として完成された存在であると。


 一方、そんなハムゼの考えをよそに、大統領であるトミエルの思考は、未だ目にしたことのないラインドルの若き王へと向けられていた。


「この調子ならば、おそらく来月の西方会議に何食わぬ顔で出席してくるかもしれん。父親を見殺しにした狂人の王がな」

「狂人の王……ですか。確かにそうかもしれませんな。もともと王子の身でありながら、レジスタンスを率いてムラシーンを打倒した過去もございます。今度の西方会議では十分にお気をつけ下さいませ」

 いずれ目の前の男の民主改革運動を打倒するつもりではあった。だが現在は連立政権を組んでいるが故に、目の前の大統領にそうやすやすと倒れられてはかなわない。そんな思考が頭をよぎったが故、ハムゼは念のため大統領に注意を促す。


 一方、そんな彼の注進をやや疎ましく思いながら、あえて表情に出さずトミエルは受け入れてみせた。


「もちろんだ。性格が残忍であろうとなかろうと、我が国に悪影響がなければ関係のない話だ。だがいずれにしても、もし奴が実際に来ると言うのなら、その際に十分品定めをすべきだろうな」

「はい。我々の御し得る相手なら利用する、そして御し得ぬ相手なら」

「消えてもらうだけだ。ラインドル王国ごとな」

 そう口にしたトミエルは薄く笑う。

 その大統領の反応に、他党の人間でありながら、ハムゼは頼もしく感じた。


 そうして二人の間での会話が一瞬途切れた間。

 そのタイミングを見計らったかのように、大統領の執務室の扉がノックされる。


「失礼致します、大統領」

「その声はウフェナ君かな。入ってきたまえ」

 扉の外から発せられた声を耳にして、大統領官邸の警備主任を務めるウフェナと理解すると、トミエルは入室の許可を与える。

 そして一呼吸の間をとったのちに、入り口の扉が狭く感じられるほどの巨体が、室内にその姿を現した。


「おや、これはハムゼ外務大臣もお越しでしたか。大統領、ラインドルに向かわせていた第二情報部のクルネルソン隊長が、先ほど戻ってまいりまして……大統領に面会を求めております。そのご報告に参った次第で」

「何、クルネルソンが?」

 ウフェナの口から発せられた人名を耳にするなり、トミエルは眉間のしわを深くする。

 その反応を目にして、ウフェナはわずかに躊躇しながらも、改めて口を開いた。


「はい、何やら緊急の用だと」

「……まあいい。連れてきたまえ」

「はっ!」

 大統領の許可を受けたウフェナは、敬礼を一つ残し、足早に部屋から退室していく。

 そうして再び部屋の中が静まったところで、トミエルはハムゼに向かってその見解を求めた。


「外務大臣、どう思うかね?」

「そうですね……この中途半端な時期に戻ってきたということは、炊きつけた連中だけでクーデターを完遂させる準備が整ったか、それとも――」

 少し迷いを見せながら、ハムゼがもう一つの予想を口にしかかる。しかし、そんな彼の声を遮るかのように、ウフェナの大きな声が部屋の外から発せられた。


「大統領。クルネルソン隊長をお連れしました」

「通し給え」

 警備主任の声を受けて、トミエルはすぐさま入室の許可を下す。

 そして部屋の扉が開かれると、汚れきった衣類に身を包んだ若い男が部屋の中へと姿を現した。


「夜分失礼致します、大統領」

 表情をこわばらせながら、クルネルソンはトミエルに向かって頭を下げる。

 そんな彼の姿と、そして彼自身から放たれる悪臭に気づき、トミエルは不快げな表情を浮かべた。


「クルネルソン君。君は確かラインドルで公務の最中であったと思うが……それ以上にその姿は一体どうしたのかね?」

「それが作戦上やむを得ない事態に遭遇しまして……ともあれ、至急ご報告せねばならぬことが在りました故、ラインドルから着の身着のままに駆けつけた次第です」

 自信家でナルシストな青年は、自らの味わった屈辱にその表情を歪めつつ、どうにか返答を絞り出す。

 一方、以前よりそのエリート思考を快く思っていなかったトミエルは、そんな彼の発言に対し冷たい声で追及を行った。


「ほう。作戦故に、と。つまり君に任せていたラインドルでの計画に関わることだな。で、例の計画はどうなったのかね」

「それが……旧ムラシーン領の独立計画は……失敗いたしました」

 恥辱のあまり言葉を途切れさせながら、クルネルソンは彼の味わった事実を報告する。

 途端、室内の温度がまるで真冬のように冷え込むのを、彼ははっきりと感じ取った。


「……具体的に説明してもらえるかな?」

 トミエルの口から放たれる、冷徹な声。

 それを真正面から受けたクルネルソンは、軽く下唇を噛んだのちに、ポツリポツリと言葉を発する。


「敵は……ラインドル王国軍は、主力を囮として南部に向けました。そして我々の警戒がほんの極わずかだけ緩んだ隙に……ムラシーンの居城であったミレンベルグ城を……敵の精鋭で強襲してきたのです」

「確か前国王と第一王女を人質にしていたと聞いている。まさか人質を奪い返された上に、壊滅したなどとはいわんよな、クルネルソン君?」

 目の前の自信家の様相と声から、ハムゼは最悪の結末が引き起こされた可能性を疑う。


「それは……」

 外務大臣であるハムゼからの追及の声に対し、クルネルソンは表情を歪めるばかりで、なんら言葉を発することができなかった。

 その反応を目の当たりにしたトミエルは、大きなため息を吐き出す。


「まあ、失敗は構わん。もともとクーデターを起こさせること自体が目的ではなかったのだからな。で、連中の足をラインドルに止められる程度のことは成せたのだろうな?」

「いえ……」

「まさか、あれだけの予算と時間を投じながら、何一つ成果を挙げられなかったと、そういうことかね?」

 クルネルソンの情けない返答に、さすがにトミエルはいらだたしげな声を発する。

 すると、自信家でいつもは能弁なクルネルソンはその場で黙り込んでしまった。


 そうして、場はたちどころに沈黙によって覆われる。

 そんな凍り付いてしまった空間において、場の空気に全く似つかわしくないハムゼの笑い声が突然響き渡った。


「ははは、まあ大統領。彼自身奮闘したのは、今の彼の姿が物語っております。国のために身を粉にして働いたことは事実のようですし、今日のところはこれくらいにしてあげましょう」

 そのハムゼの声が空間に広がった瞬間、クルネルソンの表情にわずかな光が差し込む。

 しかし、この場に存在するもう一人の男は理解できないとばかりに、一層不快げな表情を浮かべた。


「……少し甘いのではないか、外務大臣?」

「努力を評価しないことは、我ら自由の民の行うことではありませんよ。それで私からの提案なのですが、彼のその献身的な努力をたたえ、魂の救済を与えてあげるのがよろしいかと思います」

 歪んだ笑みを浮かべたハムゼから発せられたその言葉。

 それを耳にした瞬間、クルネルソンは顔面を蒼白にさせると、取り乱しながら慌てて口を開く。


「お、お待ちください!」

「どうしたのかね、クルネルソン君。いつも自信家の君らしくもない。地母神セフエムの元へ、魂の救済を求めに行く権利を与えようというのだ。これ以上ない名誉だぞ。どうした、もっと胸を張り給え」

 自らの信仰するクレメア教の神の名を交えながらハムゼはそう言い切ると、彼は右の口角を吊り上げる。

 その表情を目にしたクルネルソンには、目の前の男が悪魔の化身としか思えなかった。


「どうか、どうかもう一度だけ私に機会を!」

「おいおい、今のその姿は本当に君らしくないな。どうやらラインドルの空気に当てられて、その身を包む魂が汚れてしまったようだ。ウフェナ君、そこにいるかな? 彼を連れて行ってくれ給え」

 部屋の外に向けて、ハムゼは大きな声で命令を下す。

 途端、筋骨隆々の大男が部屋の中に姿を現し、そしてじたばたと暴れるクルネルソンを羽交い締めにした。


「お慈悲を、私にもう一度機会を」

 クルネルソンの懇願する声が、部屋の中に響き渡る。

 しかし、その声に反応を見せるものは誰もいなかった。

 そして彼は、警護主任に強制的に連行されていく。


「しかし、まさか主力を囮として南部に向ける……か。狂人の王と言ったのは訂正せねばならんな。そして……」

「はい。想像以上に、ラインドルは侮れない」

 トミエルの危惧を受けて、ハムゼは自らも同意見だとばかりに言葉を続けた。

 すると、トミエルは大きくうなずき、そして敵方の思惑に思いを馳せる。


「だな。しかし、連中も思い切った策を取るものだ」

「もしや……いや、考え過ぎか」

「なんだね、外務大臣。何か気づいたことでもあるのかね?」

 急に言葉を切ったハムゼに対し、トミエルは真剣な面持ちで問いただす。


「いえ、あり得ぬとは思うのですが、クラリスの北部にはあの国の貴族院の面々がその領地の多くを保有しています。何より、彼等の中心たるブラウ公は北部の大貴族。もしラインドルの連中の狙いがクーデターに対する囮というだけではなく、クラリス北部の貴族連中を封じ込めるために、南部に軍を派遣していたのだとしたら……」

「まさか……奴らがそこまでして、クラリスの連中を西方会議に出席させる理由がないはずだ」

 クラリスとラインドルは同盟関係にはあるも、それはあくまで相互の妥協によって成り立った関係に端を発する契約である。

 現国家元首同士に面識がないことは、キスレチンの情報部が既に調査済みであり、相互間交流も乏しいと判明していた。


 ただ気がかりな点としては、二つの国家を繋ぐ人物が、たった一人だけ存在することにある。


 だが、彼の人物は数年前に消息を絶ち、現在はその生死さえ不明であった。

 だからこそハムゼは、偶然の重なりをその目にして敵を過大評価しようとしているのではないかと、一度自らの思考を落ち着ける。


「ですな。たまたま状況が重なっただけ。おそらくはそういうことでしょう。ですが、もし西方会議で彼の二国が連動し、我々に主導権を与えさせない算段をした上でのものとすれば……恐るべき知恵者でしょう、この絵を描いた者は」

「ふむ。ただの不幸な偶然とは思うが……しかし、警戒はするとしよう」

 ただの偶然。

 ハムゼの言葉を聞いた上で、改めてそう考えるのが自然であると、トミエルは考える。しかしながら、彼はこれまでの政治生活で繰り返してきたように、保険のための言葉をあえて外務大臣に向けて口にした。


 そんなトミエルの内心を見透かしながらも、ハムゼは大きく一度頷く。そして自らの視線を西の方角へと向けながら、ゆっくりと口を開いた。


「ええ。来たる西方会議は、我々が作り上げ演出する舞台。そこを土足で入ろうとするつもりならば、その汚れた足ごと浄化して上げる必要があるでしょう。我らが地母神セフエムの名の下に」

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