第15話 英雄の教え子

「ともかく、本題に入るとしようか。マルフェスさん、軍の方は?」

 皆の視線が集中したことに思わず苦笑すると、アインはその流れを切るように話を本筋へと戻す。

 すると、そんな彼の意図がわかったのか、マルフェスは薄く笑いながら口を開いた。


「ああ、予定通り準備は行っている。うちの副官のプレスタは有能だからな。数日中にはクラリス国境に向けて主力を動かせるだろう」

 マルフェスは定期的に送られてくる部下の報告を元に、大まかな予想を口にする。

 だが、その発言に驚きを見せる者が存在した。


「え、クラリス? ちょっと待ってください。ルナ様たちは北へ向かわれていたはずですよね。そこで捕らえられたのではないのですか?」

 出発する前に、ルナから目的地を告げられていたフェルムは、聞いていた方角とは真逆へ軍を動かすという話に面食らう。

 そんな軽いパニック状態であるフェルムに向かい回答を口にしたのは、彼の担当教官であった。


「ああ、そうだよ。ルナ様たちは、北の旧ムラシーン領で捕らえられている」

「だったらどうして?」

「ルナ様たちを助けることはもちろん大前提だよ。だけど、残念ながらそれだけでは不十分なんだ。今回の敵の狙いは別にルナ様たちを捕えること自体にないのだからね」

 アインは頭を掻きながら、目の前の教え子の疑問に答える。

 だがその回答自体が、さらにフェルムの困惑を強めさせる結果となった。


「捕えることにない……では、何のためにルナ様達は」

「全てはとある国が、再来月に開かれるちょっとした寄り合いに際して、場の主導権を握る為さ」

「国……寄り合い……それはもしかして西方会議のことですか?」

 間近に迫っている国同士の寄り合いと呼べるものと聞いたところで、フェルムは八年に一度開かれる会議を思い浮かべると、その名前を口にする。

 すると、そんなフェルムの見解に満足したマルフェスは、大きくひとつ頷いた。


「ふむ、そのとおり。全てはとある国が西方会議で主導権を握るために仕組まれた話だ。そしてそのための駒の一つとして、ムラシーン派の残党らしきものは利用されているに過ぎない」

「ああ。だからこそ、あの二人は生かされているはずだ」

 マルフェスの発言を引き取る形で、アインは自らの見解を付け加える。

 そんな彼の言葉を耳にしたレリムが、自らの予測を口にした。


「つまり時間稼ぎが目的と、そういうことかい?」

「ああ。万が一お二方に何かあった場合、西方会議までに今回の件はあっさり片付くだろう。お二方の存在がなく、まともにラインドルの国軍を動員していいのなら、今回の規模の反乱など問題にならないレベルだからな」

 レリムの発言に頷くと、マルフェスはやや渋い表情を浮かべながら、あえて想像したくもない仮定を口にした。

 そんな二人の会話を受けてアインは、頭を掻きながら補足を行う。


「でもね、それでも彼らの目的は最低限達せられてしまう。何しろ内乱で前王を失ったばかりの国が、どの面を下げて会議に乗り込むことができるかってなるだろうからね」

「たぶんな……結局のところ、連中にとってこの国の王族の存在は、その程度の対象としか認識されていないだろう。実に腹立たしいことだが」

 そう発言したマルフェスは軽く下唇を噛む。

 そんな彼の心境を理解し、アインは苦笑を浮かべながら口を開いた。


「それは仕方ないさ。彼らはあくまでの共和国の人間だからね。王政というものを肌身を通して理解している私達とは違うさ」

 そのアインの言葉が空間に放たれた瞬間、フェルムはそこから今回の黒幕の存在を理解すると、眉間にしわを寄せながら口を開く。


「共和国……ということは、今回の事件は」

「ああ、キスレチン。キスレチン共和国が今回の絵を描いている」

 アインは自らを見つめてくる生徒に向かって、はっきりとそう断言する。

 しかしその答えに対し、わずかな疑念を抱いたフェルムは、まっすぐにアインへと疑問をぶつけた。


「ですが、先生。あの国は確か平和外交を旨とする革新派が選挙で勝利しましたよね。にも関わらず――」

「はぁ、まだまだだな。まあ、触れている情報が選別されているから仕方ないのだろうが……ともかく、奴らの平和主義はあくまで名目だけのものさ。国内での戦いに勝つためのな」

 フェルムの発言を遮る形で、マルフェスは彼に真実を伝える。


「えっ……」

「平和とは実に使い勝手のいい言葉さ、フェルム君。もちろんそのままの意味で用いられれば何より美しい言葉であるけど、必要とあれば他国を攻める口実にも使うことができる便利な言葉にもなりうる。まあ言葉なんてものはさ、その国ごと、いやその個人ごとに辞書が必要なほど、その意味するところは異なるものだからね」

 フェルムに向かってアインは、溜め息混じりにそう告げる。

 そして彼は、一度確認するように一同を見回すと、改めて本題を口にした。


「というわけで、彼らの目的を理解した上で私達がどうするかだが、先程も言ったようにルナ様たちを助けるだけでは不十分なのさ。だから今回私達は、二方面への同時展開作戦を行おうと思っている」

「二方面同時展開……」

 アインの発言を耳にするなり、フェルムは思わずつばを飲み込む。

 すると、アインは彼に向かって一度頷いてみせた。


「ああ、君や私達ここにいるメンバーは、北の旧ムラシーン領へ向かう。だがこの国の軍の主力は、南部のクラリス国境付近で派手な軍事演習を行うこととする。さて、なぜそうするのかわかるかい?」

「キスレチン方面に軍を向けるのではなく、クラリス方面にですよね。だとすると……対外的な演出……でしょうか。ルナ様たちは決してさらわれていないという」

「七十点。まあ演出という意味ではそのとおりさ。だけどその目的が若干異なる。とはいえ、君がアクセスできる情報から推測しているのだから、十分に及第点とは言えるかな」

 フェルムの解答に満足すると、アインは右の口角をわずかに吊り上げる。

 しかしこれまで試験という試験でほぼ間違えを経験したことのないフェルムは、満点ではないということに不満を覚え、すぐさまその理由を求めた。


「では、あとの三十点は?」

「これは西方会議に向けての、クラリスに対する牽制さ。いや、より正確に言えば、クラリスにいる一部勢力に対する牽制。それがきっと西方会議を有利に進めるために必要となる。だけどさっきも言ったように、これは君が得られる範疇外の話だ。だから十分に及第点だし、この際は気にしなくていい」

 両手を左右に開きながら、アインは苦笑を浮かべる。

 一方、知らないことで減点されたことから、フェルムはほんの一瞬その表情に不満の色を灯した。

 そんな彼に気づいたマルフェスは、軽い口調で横から口を挟む。


「まあ学生のテストと違い、必ず答えられないことはあるものだ。実際の政治や戦争ってものはな。ともかく、そこの先生さんよ。学生への講義はこれくらいにしてもらって、改めて俺達が何をするのか説明してもらえるかな?」

 実際にマルフェスはアインと打ち合わせを行っており、彼自身が何をすべきかは把握している。

 しかし、まったく今後の予定を聞かされていないレリムやフェルムに配慮し、彼はあえて自らの分も含めての説明を求めた。


「ああ、そうだね。先ほども言ったように、軍の主力は南部の今回の軍事演習に参加してもらう。だが君の虎の子は、私達のサポートとして北に向かわせてくれ」

「近衛のことだな。分かった。早急に準備させよう」

 アインの意図するところを汲みとったマルフェスは、二つ返事でその依頼を受け入れる。

 すると、椅子の背にもたれかかりながらレリムは、目の前の黒髪の男に向かって口を開いた。


「で、研究を中断させられてまで呼び出されたあたしは、一体何をすればいいんだい?」

「ああ、レリムさん。君には北に向かうチームの表の主力として働いてもらう。でもね、その前にちょっとだけして欲しいことがあるんだ」

「北へ向かうことは了承した。それで、して欲しいことってなんだい? もったいぶらずにさっさといいな」

 わずかに視線を強めたレリムは、アインに向かってすぐに回答を求める。

 その彼女の反応に苦笑すると、アインは彼女にとって予想外となる頼みを口にした。


「北へ向かう準備が整うまでの間、そして北へ向かう道中、彼に訓練をつけてほしい」

「訓練?」

 アインの発言を耳にするなり、レリムは訝しげな表情を浮かべる。

 しかし、発言した当人は特に気にする風もなく、その詳細を口にした。


「ああ。君の付加魔法を、彼が使えるよう指導をお願いしたいんだ。特に例の魔法をね」

「アスィエ……か。そりゃあ別に構わないがね。だがあたしの指導料は高いよ」

 アインが魔法の種類まで指定して依頼してくることから、明らかに何らかの必要性に駆られてのものであるとレリムは理解した。だからこそ彼女はそれ以上詰問することなく、あえて不敵な笑みを浮かべてみせる。


「はは、わかったよ。カイルには後でたんまり研究費が出るよう、事が終われば私から頼んでおく」

「カイル?」

 どこかで聞いたことがある名前によく似た響きでであり、フェルムはなぜか引っ掛かりを覚える。

 その問いかけに対しアインは軽く苦笑すると、あっさりとその話題を流した。


「ああ、私の友人の名前さ。ともかく、今の話を聞いていたからわかると思うけど、現地につくまでの間、君には彼女の指導を受けてもらう。たしか君はもともと、レリムさんに魔法を学びたかったんだろ? ふふ、ちょうどいい機会さ」

「それは願ってもない話です。ですが……」

 こんな状況下において、指導を受けさせられることの意味がわからなかったフェルムは、戸惑いを見せた。

 すると、そんな彼の反応に不満を持ったのか、彼を指導することとなるレリムが、横から言葉を挟む。


「フェルム、つべこべ言うなら何も教えないよ。いいかい、そいつが必要といえば、非常に不本意ながらだいたい必要なことさ。気にくわないことは少なくないけどね」

 叱りつけるようなレリムのその発言を受け、フェルムはそのまま押し黙る。

 そうして、場の空気が硬くなったところで、改めてアインが皆に向かって口を開いた。


「とりあえず当面のおおまかな方針はそんなところかな。で、今からは具体的な準備内容についてを少し説明しよう」






「レリム先生、ちょっと待って下さい」

 アインからの説明が全て終わり、一同が彼の研究室を退室したあと、自らの教授室に帰ろうと廊下を行くレリムの背中に、フェルムは声を掛けた。


「あん? さすがに指導は明日からだよ。あたしにもしなきゃならない準備ってものがあるからね」

「いえ、そのことではなく、一つお聞きしたいことがあって」

 真面目で知られるフェルムの用件を、今すぐの指導だと考えたレリムに対し、フェルムはすぐに首を振って否定する。

 その時の彼の表情を目にして、レリムは目の前の青年が何を求めているのかを言外に悟った。


「……アイツの事か」

「レリム先生、教えてください。アイン先生は……アイン先生は何者ですか?」

 いつかは誰かから問いただされる可能性が少なからず存在すると、そうレリムは考えていた。そしておそらく最初にその問いかけをするのが、目の前の青年だろうとも。

 だからこそ、彼女はあえて目の前の青年に対し、言葉を返す。


「その問いかけをこのあたしにするってことは、既に君なりの答えがあるんだろ」

「はい。あの人に関しては色々とおかしすぎます。ただの流れの研究者がアドラーの書を保有し、更に王族の武術の指導を行う。ここまででも十分に普通では無いのに、その上、今回のルナ様を奪回する作戦に関し、マルフェス様を逆に指揮するなんて……そんなことの出来る人物なんて、存在するはずがないんですよ。たった一人を除いて」

 そのフェルムの返答。それを耳にした瞬間、彼女は彼が正解に到達したことを理解した。

 だからこそ彼女は、彼に向かって確認するように一つの問いかけを行う。


「なるほど。君の中で答えは出ているわけだ。で、確認するけど、君は本当にそれが知りたいのかい?」

 そのレリムから投げかけられた問い掛けに対し、フェルムは一瞬戸惑いを見せる。

 そしてわずかに視線を外すと、彼は悩める自らの心境を吐露した。


「正直なことを言うと……わかりません。いや、もちろんこんなモヤモヤしたままでは嫌だとは思っています。でも、真実を確認する事に対する怖さがあるんです。そう、今の僕と先生の関係が壊れてしまう、そんな気がして……」

 その物言いと表情から、レリムは目の前の青年の迷いを理解した。しかしだからこそ、彼女は彼を突き放す。


「だとしたら、あたしから言うことは何もないな」

「……レリム先生」

 思わぬ教師の言葉に、フェルムは情けない声を上げる。

 そんな彼に向け、レリムは諭すように口を開いた。


「いいかい、フェルム。今回あいつに頼まれて、暫くの間はあたしが君を預かる。まあこの際だから正直に言うけど、君は本来うちのゼミに来る予定だったんだ。あたしも君を指導したいと思っていたし、君がゼミに来たいと言ってくれているのを知っていたからね」

「えっ……」

 突然切りだされたレリムの話に、フェルムは反応できずその場で固まる。

 だがそんな彼を無視するように、レリムは言葉を続けた。


「だけど、そんな折にあいつがここに来た。ビグスビー学長は……うちの義父は、君のことを非常に高く買っていてね。だからこそ、研究機材を借りに大学へ来たあいつに向かい、一つの条件をつけたんだ。一人だけ、生徒の指導を受け持ってくれってな」

 少し遠いところを見る視線になりながら、レリムは彼の配属が決まる直前のことを口にして、一度溜め息を吐き出す。

 そして目の前の青年に向かい、彼女は軽く苦笑を浮かべ直すと、再び言葉を紡ぎ始めた。


「最初あいつはあまり乗り気でなかったようだけど、あいつのことを知る学長以外の何人かも、君のことを彼に依頼した。そして昨年君が書き上げた付加魔法に対するレポートを読んだところで、ようやく彼は条件を飲んだ。まあ、そういう経緯さ、君があいつのところに配属されたのはね。で、あいつのもとに行くのならばと、私は君のことを断念したのさ」

 ずっと行きたいと願っていたレリムのゼミに所属することができなかったその理由。

 納得がいかず知りたいと願っていたその理由を突然告げられ、フェルムは思わず呆然となる。

 するとそんな彼に向かい、レリムは真剣な表情でひとつの事実を突きつけた。


「フェルム。君は将来、この国における彼の唯一の教え子であるという看板を背負うことになる」

 表向きは教え子と名乗ることが出来ない王女の存在をあえて除外し、レリムはフェルムに向かってそう告げた。

 そんな彼女の意図を知ってか知らずか、フェルムは引っかかった一つの言葉をレリムに問う。


「唯一?」

「ああ。あいつがこの国で教えるのは、君が最初で最後さ。もともと一年で、あいつはこの国を去る予定だったからね」

 そのレリムの発言を耳にするなり、フェルムは目を見開くとそのまま絶句する。

 そんな彼に向けて、レリムは彼の置かれた立ち位置を自覚させるよう、更に言葉を紡いだ。


「そんなわけで、この国の中であいつの直接の教え子になれるのはたった一人。そのたった一人の枠に対し、皆が君を推したからこそ、君はあいつの下にいる。いいかい、残された時間は決して多くない。自らが置かれた状況を、そしてその意味をもう一回考えなおしておくんだね。英雄の教え子君」

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