第14話 呼び出し

「フェルム君、フェルム君はいるか?」

 集団講義の授業を前にした休憩時間。

 そのタイミングで、次の授業を担当しない教授が姿を現すと、学生たちは一様に驚きを見せた。


 一方、学内で最も有名な教授に直接名指しをされた学生は、やや戸惑いを見せながらも素直に返事をしてみせる。


「はい、レリム先生。僕ならここにいますが……」

「ああ、そこにいたか。ちょっと至急の用でね、私に付いて来て欲しい」

 レリムはそう述べると、フェルムの返答を確認することなく、そのまま踵を返し部屋から出て行く。


「ちょ、ちょっと待って下さい、レリム先生」

 教室内の視線を一身に集めたフェルムは、突然の状況に戸惑いながらも、慌てて彼女を追いかけた。

 そして部屋を出て、少し離れた場所に彼女の背中を見つけると、再び彼は声を上げる。


「レリム先生。一体何の用なんですか?」

 小走りで彼女の下に追いついたフェルムは、率直に自らの疑問をぶつける。

 すると、普段はあまり見せない険しい表情で、レリムは回答を口にした。


「何の用かって? ふん、そりゃあ急用さ。詳しいことは奴に聞け」

「奴?」

「お前の担当教官にだ。私もあくまで奴に呼び出された一人にすぎないからな」

 そう口にし終えると、無駄口は終わりだとばかりに、彼女は口を真一文字に閉じる。そしてそのまま彼女は歩くスピードを上げた。


 足早に歩み続けるレリム。

 そんな彼女を横目で見ながら、フェルムは間違いなく普通ではない何かがあるのだと感じとった。


 レリム教授がかつてレジスタンスに所属し、ラインドル事変における功労者の一人であることは、この学園内にいるものなら誰しもが知るところである。

 そして同時に、この学園においても最強の魔法士と見なされていることもまた事実であった。


 しかしながら現在、そんな学園内で並び立つもののいないはずの彼女の表情は、非常に険しいものであった。

 だからこそフェルムは、彼女がそんな表情を浮かべる理由を、早足で歩みながらも考え続ける。


 だが、彼の中での結論が出る前に、隣を歩くレリムが突然足を止めた。

 そう、彼の担当教官であるアインの実験室の目の前で。


「イス……アイン、入るよ」

 一瞬、何か異なる名前を口にしかけたレリムは、隣にフェルムがいることに気がつくと、慌てて呼ぶ名を言い換える。

 そして少しバツの悪そうな表情を浮かべたまま、中からの返事を確認することなく彼女は部屋のドアを開けた。


「おおレリム、早かったな」

 フェルム達が姿を現した瞬間、部屋の中心部で椅子に腰掛けていた中年男性が、軽薄そうな笑みを浮かべながらそう口にする。


「あまりに急な呼び出しだったから、実験材料を全てフイにしたけどね。後で軍に弁償してもらうよ」

 レリムは薄い笑みを浮かべる男性をキッと睨むと、はっきりとそう言い切る。そしてそのまま手近な椅子へと腰を下ろした。


「はは……まあ、俺の金じゃないからいいか。で、そっちにいるのが例の学生君かな?」

「ああ。彼がうちの期待の星さ、マルフェス」

 そのレリムの言葉が発せられた瞬間、フェルムは驚愕のあまり目を大きく見開く。そしてわずかに声を震わせながら、目の前の男に向かって話しかけた。


「も、もしかして、マルフェス将軍……ですか?」

 現在、ラインドルの軍の頂点に存在するマルフェス・フォン・ロマン。

 レリムと並ぶラインドル事変の代表的な功労者であり、将軍職と近衛隊長職を兼務するカリスマの存在をその目にして、フェルムは思わず後ずさった。


「ああ、そうだ。初めましてだな、フェルム君」

 いずれフェルムがたどり着きたいと夢想している地位の男は、右の口角を吊り上げニコリと微笑むと、軽い口調で彼の名を口にする。

 すると、その事実を前にして、フェルムは一層の驚愕を覚え、慌てて目の前の男に向かい問いを放った。


「ど、どうしてマルフェス様が僕の名を」

「そりゃあ、こいつに聞いたからさ」

 マルフェスはあっさりとそう口にすると、部屋の奥を右手の親指で指し示す。

 そうしてフェルムが視線を動かした先には、机に足を投げ出しながら苦笑を浮かべている男が存在した。


「おいおい、学生相手に嘘をつくのは良くないな。元から知っていたんだろ。うちの学長を通してさ」

「まあな」

 アインはやや口を尖らせながら抗議すると、マルフェスは両手を左右に開き、その指摘を認める。

 一方、そんな二人のやりとりにフェルムは目を白黒させていたが、その場にいたもう一人の女性は、やや苛立たしげな声を発した。


「くだらない話はあとにして、さっさと本題に入ってくれないか。あたしも別にヒマじゃないんだし、第一そんな悠長にしていられる状況でもないんだろ?」

「ああ、残念ながらな」

 レリムの発言を受け、マルフェスは表情を引き締め直す。そして、重々しく彼は頷いた。


「あの……申し訳ないのですが、状況とは一体?」

 まったくその場の会話が理解できなかったフェルムは、恐る恐ると言った体で、三人に向かいそう問いかける。

 すると、マルフェスが無精髭を撫で付けながら、三人を代表して口を開いた。


「フェルム君。今から話す内容は、国家機密だ。絶対に他言しないように注意してくれ」

「は、はい」

 この国の軍のトップの口から発せられた秘密厳守の依頼。

 その意味するところは、これから彼の口から発せられることがただならぬことであることをフェルムに感じさせた。


 しかしながら、実際にマルフェスの口から放たれた言葉は、そんな彼の予感の遥か上をいった。


「アルミム様とルナ様が攫われた。そしてこの場にいるメンバーで、お二人を奪回する」

 一瞬、フェルムはその言葉の意味を理解できなかった。

 そして次の瞬間、彼は何かの聞き間違いなのではないかと考える。


「ちょっと待ってください。いま、何と言われましたか?」

「前国王であられるアルミム様と、第一王女のルナ様が攫われた。だからそんなお二人を奪還するために、君をここに呼んだと俺は言ったのさ」

 フェルムの求めに応じて、改めて繰り返されたマルフェスによる説明。

 だが二度ほぼ同じ内容を耳にしても、フェルムは目の前の男が、何らかの目的で彼をからかおうとしているのではないかと感じずにはいられなかった。


「じょ、冗談ですよね。マルフェス……様」

「……まあ、そう考えるのも無理は無いな。だが、受け入れがたいことではあるが、紛れも無い事実だ」

 そのマルフェスの断言を受けて、フェルムは頭を金槌で殴られたかのような衝撃をうける。


 まさににわかには受け入れがたい事実。

 突きつけられた突然の話を否定してもらいたいと期待し、フェルムはすぐさまその場にいる残りの二人に向かって順に視線を向ける。


 だが、視線の先にいた彼らから返されたのは、無言という名の肯定であった。


「フェルム君。繰り返すようで申し訳ないが、お二人が攫われたのは事実だ。そして今日ここに君を呼んだのは、この作戦に君に参加してもらうためだ」

 動揺著しいフェルムをその目にしながら、マルフェスは彼に向けて改めて今回の呼び出しの趣旨を説明する。


「僕がですか!? ですけど、僕は学生で――」

「ああ、それは知っている。だが今回の作戦の指揮者が、君を参加メンバーに加えた。だからこそ、君はこの場に呼ばれたんだ」

 首を左右に振りながら否定しようとするフェルムに対し、マルフェスははっきりとした声で、彼に向かいそう告げた。


「作戦の……指揮者? マルフェス様が指揮を取られるのではないのですか?」

 先ほどマルフェスは、この場に集まっているメンバーで攫われた二人を奪還すると口にした。

 それが事実とするならば、今回の作戦が間違いなく国家を揺るがしかねない最重要な作戦であることは必定である。


 そしてだからこそフェルムは、当然今回の作戦はマルフェスが立案と指揮を行うのだと考えていた。

 だが、この国の軍の頂点に位置する男は、ほんの僅かに表情を緩めながら、はっきりと彼の問いかけを否定する。


「残念ながら、今回の俺はただの一兵卒さ」

「マルフェス様が……一兵卒……」

「ああ。この奪還作戦に関して、我々は決して失敗ができない。そしてだからこそ、今回の作戦案を立案し指揮を行うのは、今現在この国にいる中で最も優れた人物さ」

 そう口にしたマルフェスは、ゆっくりと部屋の奥に向かって視線を動かす。


 その動かされる視線の先に誰がいるのか、フェルムは誰よりもわかっていた。

そしてだからこそ、フェルムは自らの口元を震わせる。


「アイン……先生」

 フェルムは震える声で自らの担当教官の名を口にした。


 この国の軍の頂点に立つマルフェスが、そのプライドを排して自らより優れていると評するに足る人物。

 そんな化け物のような存在は、大陸西方にたった一人しか存在しない。


 そう、だからこそフェルムは以前から抱いていた疑念が真実であると、ここに確信した。



 アインと名乗っている目の前のだらしない男こそ、かつてレジスタンスと伴にこの国を存亡の縁から救った、あの救国の英雄ユイ・イスターツであると。




【あとがき】

本日、やる気なし英雄譚コミカライズ第2巻が発売となりました。

このようにコミカライズ版を出させて頂く事ができるのも、全ては応援してくださっている皆様のおかげにほかなりません。

これからも頑張ってまいりますので、引き続きよろしくお願いいたします。

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