第21話 帝国の一手

 皇帝以外の何人たりとも立ち入ることを許されぬ、皇帝執務室。

 普段はリアルトが一人で黙々と執務を行うその部屋に、次代の皇帝と目される男の姿があった。



「つまり用意していた伏兵は最初から迎撃されるための伏兵だったと、そういうことか?」

 戦いの報告に訪れたノインを一瞥すると、リアルトは報告内容を確認するように問いかける。




「間違いではありませんが、正確には少し違います。伏兵に関しては敵の反応が鈍い場合、そのまま敵陣へと切り込ませるつもりでした。敵陣内に入り込んでしまえば、フィラメントの連中は大規模な魔法が使えなくなります。何しろ同士討ちをしてしまう可能性がありますからね」

「なるほど。伏兵に関しては奇襲が成功しても、別に失敗しても特に構わなかったと」

 顎に手をやりながらリアルトがそう述べると、ノインはニコリと微笑み一つ頷く。



「ええ。この作戦の立案者は、どちらに転んでも勝てる策を我々に提示してきました。さらに言うならば、敵が奇襲部隊を追撃してこなかった場合、また終始遠距離での魔法戦に連中が終始した場合と、それぞれの状況下において細分化した作戦案を我々に提示してきましたね」

「……流石というべきなのだろうな。しかし、先年の我が軍の戦いを考えると、フィラメントの連中には些か同情的になってしまうものだ」

 先年のクラリスとの戦いによる苦い敗戦の記憶から、リアルトは思わず苦笑いを浮かべる。

 すると、ノインも釣られるように苦笑しながら、再び口を開いた。


「はは、私にも少しだけそんな気持ちがありますが、そんなことを思う余裕があるのも今回の戦いに勝利したからこそでしょうな。ともあれ、実際は先程述べたように、敵軍は撤退する我が軍の奇襲部隊と本体を追撃し、まっすぐに軍を進める形となりました。そして我が軍が最初に陣を構えていた場所、つまりレムリアック産の魔石が敷き詰められていた場所へと彼らはたどり着き、そこであいつの出番と相成ったわけです」

「後方で一部隊を預かり受けて待機していたイスターツが、小型の集合魔法を書き換えることで、彼らの足元に敷き詰められた魔石を誘爆させたというわけだな」

 ユイから買い上げた大量の魔石を地面を掘り返して埋めるという作業。最初その工作を行う意味は誰にもわからなかった。

 金額としても決して安いものでなかったが、こうして結果を見てみれば、ユイの提案に乗るという判断が英断であったとリアルトは思わずにはいられない。


 しかしその一方で、一つの懸念が残されていた。

 ユイ・イスターツはどのような技術で、いや、どのような魔法で魔石を爆発させるなどという手段を取り得たのかということである。


「はい。どのような原理かはわかりませんが、彼が引き起こした魔石による誘爆は、集合魔法と瓜二つのような爆発と威力でした」

「それほどのものか……まあ、今はあやつのことは置いておこう。とにかく敵陣内で地中からそんな爆発が起こり、そして準備しておいた他の小型集合魔法を混乱するフィラメントに向けて一斉に打ち込み。チェックメイトとなったわけだな」

「その通りです。ただ残念ながら、敵軍の指導者はことごとくを捕えることができませんでした」

 首を左右に二度振ると、ノインは肩を落として溜め息を吐き出す。



「指導者というと、フィラメントの御三家の当主連中か。奴らも集合魔法に巻き込まれおったというわけだな」

「いいえ、彼等は集合魔法からは逃れていたようです」

「ほう……それでは、単純に逃げられたということか?」

 ノインの返答を耳にして、リアルトは眉間に皺を寄せると、瞳の奥を光らせる。

 しかしその視線を向けた相手は、否定を意味するかのように再び首を左右に振る。


「いえ、ある情報によると、全て戦死したそうです。ただ……」

「ただ?」

「その情報を我が軍にもたらした者がいささか問題でして」

 渋い表情で言い淀むノインを目にして、リアルトはわずかに眉間にしわを寄せる。


「だれなのだ、その人物とは?」

「朱です」

 ノインの口から予想外の人物名が告げられ、リアルトは確認するように口を開く。


「朱……か。つまり我が軍の兵士でもなく、ましてやイスターツでもないと、そういうことだな」

「はい。ユイの奴にフィラメントとの交渉を許可していたのは事実です。ですが、我が軍の集合魔法が敵軍に向けて放たれたそのタイミングで、既にユイの奴は単独で交渉を開始するために動き出していたようです」

 自軍の将兵たちが戦勝を確信し、士気の上がる部下たちに向かいノインが追撃を戒める指示を下していた頃、彼が配慮しようとしていた人物は既に行動を開始していたという事実。

 それをなんとも言えぬ表情を浮かべながら、ノインはリアルトへと告げる。


「あやつに監視役はつけていなかったのか?」

「ロイスを付けてはいたのですが……しかし我が軍の集合魔法が一斉に敵軍に向かい放たれ、全軍の視線と意識が集合魔法の成否に向けられたそのタイミングで、彼はその一瞬の心の隙を突くかのように行動を開始していたようで……」

 今回は味方であると確信をしながらも、念の為として付けていた猫の首の鈴。

 それが戦勝という事実を前にして一瞬緩んだところを、あっさりと出し抜かれた事実にノインは苦笑する他なかった。


「なるほどな。おそらくイスターツの奴は、そこまで含めて全て計算ずくだったんじゃろう。誰にも話さなかっただけでな」

「ええ、あいつの事ですから、きっと他の勝ち方もあったのでしょう。ただ、あれだけ派手な戦いの末路から目を放せるものなどそうはいない。むしろそれ故に、できるだけ派手な終幕を演出しようとしたのかもしれません。あくまで私の予想ではありますが」

 あらかじめ用意された脚本に書かれておらず、脚本家自身のオリジナル台本のみに書かれていたと思われるそのシナリオ部分に対し、ノインは呆れ交じりに言及する。


「まあ、過ぎたことを言っても仕方あるまい。それで、朱の奴はなんて言って来おったのだ?」

「メディウムとフィレオが責任のなすりつけ合いの末に同士討ちとなり、共に命を散らしたと。さらに停戦交渉を行おうとした彼らに向かってウイッラが襲いかかって来たため、止むなく彼が切り捨てたとのことです」

「御三家の連中は全てその場で戦死したと、そういうわけか……何やら非常に臭い話だが」

 眉をピクリと動かし、リアルトがノインをまっすぐに見つめると、彼は確認できた事実を告げる。


「ええ。ですので、念のため彼らが戦闘行為を行ったという地点の現場検証も行いました。すると朱の報告通り、確かに御三家の連中は全て事切れておりました。もっともそこに至る過程が、本当に朱の言った通りかは不明ですが」

「それであやつはどうしているのだ?」

 ここまでの話で、最重要人物からの言葉がないことに疑念を抱いていたリアルトは、ノインに向かって問いかける。

 すると、ノインの口から告げられた内容は、リアルトの眉間のしわをますます深くさせるものであった。


「それが……ユイの奴はウイッラとの戦いで負傷し、意識を失ったままとの事にて、現在は大使館に運ばれ面会を全て謝絶しているようです」

「ますますきな臭い話だな」

「まったくです。あの場で何が起こったのか興味はつきませんが、少なくともあいつが意識を失って大使館に運ばれているのは本当のようです。大使館内の内通者からも全て同様の証言を得ておりますので」

 クラリス大使館に放っている内通者から全て同様の証言を得ていることから、そしてこの重要な局面で彼がその姿を現していないことからも、ユイの負傷は真実であるとノインは確信していた。

 一方、ユイの負傷というピースを盤上に加えられたリアルトは、顎を手でさすりながら一層怪訝そうな表情となる。


「ふむ、やはり何やらタイミングが整いすぎている。お前はそうは思わんか?」

 戦闘後に帝国軍との戦いに敗北した直後、フィラメントの指導者三人が戦争外の闘争で命を落とし、さらに今回の戦いの絵を描いた当人までもが謎の負傷を負ったという事実に、リアルトはきな臭いものを感じ取っていた。


「ええ、私も同感です」

「ここまで話ができすぎているとするならば、メディウムの娘も今回の一件に一枚噛んでいるかもしれんな?」

「……ご存知だったのですか?」

 あえて伝えていなかった情報をリアルトが知っていたことに対し、ノインはドキリとした表情を浮かべる。


「まあな。ディオラムの廃棄姫、注目せぬには些か大きすぎる駒と言えよう。今回の件にどう関わっているのかは知らんが、その娘もその場にいたんじゃろ」

「その通りです」

「しかし親子の再会に、当主同士の相打ち、そして奇人の死。しかも極めつけは英雄の負傷……か」

 あまりにも一局面に事象が集中しすぎていると、リアルトは考える。

 そして何より今回の戦いの絵を描いたはずの人物が負傷したことが、彼にとって最大の腑に落ちない点であった。


「やはり私としても気になるのは、あいつがその場で負傷したという点です。彼が裏で糸を引いていたにしては、あまりに下手を打ち過ぎでしょう」

「それは一理あるな。今回の戦いを完全にコントロールしおった男の仕業だとすれば、些か画竜点睛を欠きすぎている……まあ、この場で結論の出ぬことを議論しても始まらぬか。奴が意識を取り戻してからいくらでも問いただすことはできるであろうし、差し当たってはこれからのことを考えるとしよう」

 リアルトはそう口にするなり、視線を向け直すことでノインに発言を促す。


「はい。とりあえず明日より、フィラメント軍の代理人であるメディウムの娘と和平交渉に当たる予定です」

「代表ではなく代理人と名乗りおるか。混乱の最中にあるフィラメント連中において、たとえ勘当された身であろうとも、他に人材がおらぬのだから止むをえんじゃろうが……どちらにせよ、此度の戦いは我が国にとってはほぼ理想的な結果だったのだろうな。もっとも、もう少し欲を言えば、このままフィラメントを併呑しておきたかったところではあるが」

「それは……」

 そのリアルトの言葉に対し、ノインは軽く唇を噛んで言葉を詰まらせる。


「……わかっている。あやつと約束したのだろ? しかし、律儀にそんな口約束を守るとは、おまえも甘いな」

 現状であればいつでもフィラメントを併合できる上、混乱の最中に併呑するよりも、ゆっくりと真綿で首を絞めて行けばいいと考えていたリアルトは、事実上ノインの判断をその言葉で追認した。


「それはわかっています。ですが、改めて今回の戦いで思い知りました。あの男は、そうユイのやつは本当に底知れません。出来ることならば、いや、絶対に彼を敵には回したくないと思っております」

「その考えは間違っておるとはおもわんがな、ノイン。だが、敵に回さなければそれだけで十分だとお前は考えておるのか?」

 直接的なその問いかけに対し、ノインは抱いていた率直な願望を、そのまま自らの父に向かって吐露する。



「いえ、そうではありません。できることなら、今後も今回のように味方について欲しいと思っています」

「そうか……ならば、ノイン。今回の戦いにて、あの男が我が軍に協力したことをクラリスにリークしろ」

 その指示がリアルトから発せられた瞬間、ノインはその場に固まる。そして何かの間違いではないかと考えると、彼は皇帝に向かいそのまま問い返した。




「は……いま何と?」

「だからユイ・イスターツが我ら帝国に戦争協力したことを、クラリスに伝えよと言っているのだ。ああ、ついでにミリアとの婚約も同時に公表するとなお良いかもしれんな」

 驚いて目を見開くノインに対し、リアルトはその表情に笑みすら浮かべると、なんでもないことのようにそう繰り返した。



「し、しかし……ユイの奴は今回の戦いを勝ちに導いてくれた恩人とも言うべき存在です。そんな彼に対して、そのような仕打ちをすれば、彼のクラリス内での立場が……まさか、彼の足場をわざと崩されるおつもりですか⁉︎」

「ふふ、いささか甘いところは残っておるが、お前もようやく頭が回るようになってきたな。良いか、ノイン。切り札とは漫然と切るべきモノではない。他の選択肢を奪い、相手が道を失ったときにこそ切るべきモノなのだ」

「……ですが」

 ノインとてリアルトの言う策の有効性は理解していた。しかし、今回帝国の危機を救ってくれたユイに対し、そのような非情の策をそのまま受け入れることは彼にはできなかった。



「何を躊躇する。このたびの戦いを目の当たりにして、お前はわからなかったのか? あの男の恐ろしさが」

「いいえ、改めて思い知らされました。敵として正面に立ちはだかるならば、間違いなくあの男こそが、我が帝国の最大の障壁でしょう」

「そこまで理解しておるのならば、答えは一つであろう。今回の策を取れば、あやつには二つの選択肢が残される。無断で帝国に協力した罰を受けてクラリス内での立場を弱めるか、それともーー」

「帝国に恭順して、ミリアと結婚するかですか……」

 リアルトの発言を先回りする形で、ノインは力無げにそう口にする。

 一方、その回答に満足したリアルトは、その表情に張り付いた笑みを崩すことなく、大きく一度頷く。



「そのとおりじゃ。どちらに転ぼうとも、我が国にとっては良好の結果と言えよう。ノインよ、帝国を今後背負うつもりならば、時として非情になれ。その相手が例えお前の友だとしてもな」

 そう発言し終えたリアルトは、これ以上この問題に関して議論の余地はないとばかりに、視線をノインから外す。

 そのリアルトの所作の意味を理解したノインは肩を落とすと、その場で一礼したのちに、執務室から退去した。



「……ユイ。すまない」

 誰もいない伽藍堂とした廊下に、友人を思うノインの言葉が虚しく響き渡った。

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