第20話 代償の違い

「コードへの干渉……いや、同調したというのか!」

 ユイの右の瞳が淡い黄金色に染まり、そして自らの姿を完全に捉えていることに気づくと、ウイッラは思わず後ずさる。


 一方、ユイは荒い呼吸を繰り返しながらも、必死に自らの意識と自我を繋ぎ止めながら、ウイッラ目掛けて駆け出した。


「さて、終幕としようか。狂言回し君」

「ふざけるな! 喰らえ、カランバノ!」

 ウイッラは迫り来るユイ目掛けて、巨大な氷柱魔法を解き放つ。


 しかしユイは予め予期されていたかのように巨大な氷魔法をサイドステップで回避すると、ウイッラへとさらに肉薄する。


「魔力だけを代償にコードの中へと自身を落としこんでいる君と違い、私は全てを使って君のいる世界に片足を踏み込んでいる。だから、君の魔法は私に届く。だけど当たらなければ全て無駄に過ぎないさ。もちろんマイスム家の当主の魔法だったなら違っただろうけど、君の程度の魔法ならね」

「あまり舐めるなよ、イスターツ! プルガトリオ!」

 フィレオに劣ると評されたウイッラは、眉を吊り上げると、ユイ目掛けて煉獄の炎を解き放った。

 しかしフィラメント式のその炎魔法を構成段階から察知していたユイは、フィレオが魔法を放つより早く後退し、距離を取り直す形であっさりと回避する。


 二人の攻防はまさに一進一退であった。

 魔法式を編み上げる構成段階で察知し、一切被弾することなく接近を試みるユイに対し、ウイッラは彼に近寄る隙を与えぬために大規模魔法を連発する。


 その応酬は外から見れば互角の戦いに見えたかもしれない。

 しかし、間近で見ると二人の天秤は明らかに傾きつつあるように思われた。


 もはや何十度目となる煉獄の炎を解き放ったところで、回避する側であり続けた黒髪の男は、体力の限界をきたして足をもつれさせる。

 バランスを崩したユイは歯を食いしばると、崩れる体勢をどうにか持ち直しながら、間一髪のところで側方へとダイブした。


「ふふ。コードに同調することで、僕と戦うところにまでたどり着いたこと。それは評価してやるよ。だけど、どうやらここまでのようだね」

 ユイによる世界への同調魔法の限界に、ウイッラは感付き始めていた。


 魔力だけを使用して世界の裏側に身を隠す彼の魔法と異なり、原理はわからないもののユイの魔法は世界と彼自身とを同調させることで、世界の裏側に干渉していると彼は考える。


 しかし生身の体にてそのような同調を行うことは、自身の全てを逆に世界から干渉されるリスクが存在することを意味した。

 そしてその仮説を証明するかのように、ユイの表情には疲労と消耗が色濃く写る。


「はぁはぁ……確かに君みたいにコードに自分を組み込むのではなく、同調を維持し続けなければいけない私の方は、魔力を捧げるだけでは補うことができないからね。だけど、事はそう単純じゃないさ」

「ハッタリを口にして時間稼ぎか? しかし先代を葬った貴様の実力がその程度とは。警戒してこの場を立ち去ろうと思ったが、まったくそんな必要はなかったな。貴様のその情けない姿、先代が見たらさぞ嘆いたことだろう」

 体を投げ出す形で飛んだユイは、荒い息を繰り返しながら地面に這いつくばったあと、片膝をついたまま起き上がって来れなかった。

 しかし、その視線だけははっきりとウイッラを捉えると、顔面に苦笑を浮かべる。


「……確かに私はもう限界さ。立ち上がることさえできないからね。でもね、私の役割はもう終わったからかまわないのさ」

「ほう、役割が終わりか……それは自らの敗北を受け入れたということかな?」

「違うよ。私は私の果たすべき役割を全て終えたと言っているんだ」

 ゆっくりと重い首を左右に振ったユイは、はっきりとウイッラに向けてそう告げる。


 すると、その言葉の意味を理解できなかったウイッラは顔面に疑問符を浮かべた。


「なに?」

「まだわからないのかい? 今の自分の姿を見て見なよ」

「自分の? 何を世迷いご……なんだと!?」

 ユイの言葉を馬鹿にするように、自らの体へと視線を落としたウイッラは、自らの身体を目にして驚愕の表情を浮かべる。


 彼の視線の先には肉体があった。

 そう、透き通って目にするはずの大地ではなく、血肉を持った彼の肉体が。


「一度陸上に生活の場を移した生物は、もはや長いこと海の中に居続けることはできない。そう、それは君たちも同じさ。ミラホフ家のウイッラに受肉した君は、もはや高次の世界に住み続けることはできない。にも関わらず、水の中で酸素をバカスカ使うかのように魔法を無駄に使い続ければ、いくらウイッラの体を使っているとはいえ魔力切れを起こすのは自明の理さ。自分がどうしてフィラメントを操りこの戦いを起こそうとしたのか、それを忘れてしまった君のミステイクだね」

 ユイはウイッラに接近できないと悟った段階で作戦を切り替えた。可能な限り安全マージンを削り、回避時にウイッラの魔法と自らとの距離を近づけるという作戦に。


 ウイッラの放つ魔法の威力が威力だけに、これには大きなリスクが伴った。その上、今回は世界に同調しながらという条件が重なり、本当にギリギリのところであったといえよう。

 だが結果として、目の前の手負いの獣を追い詰めることに夢中になり魔法を使い続けたウイッラを、ユイはコードの世界から引きずり出すことに成功した。


「なるほど。さすがはユイ・イスターツ……というべきかな。だが、それがどうだというのかね? 今の貴様はその母の形見を振るうことも叶わず、コードを書き換えることさえできない。違うかね?」

「さあ、どうだろうね……」

 ウイッラが実体化したため既にユイは自らの魔法を解除してはいたが、失われざるべきものを失いすぎた彼は、表情筋をわずかに動かしてニヤリとした笑みを浮かべるのが精一杯であった。


 そのユイの反応を強がりとしか認識できなかったウイッラは、途端に勝ち誇った笑みを浮かべる。


「ふん。強がりは止めるんだな、イスターツ。貴様にコードを書き換えることができるなら、貴様は既にクラッキングしていたはずだ。だが、貴様はそうしなかった。なぜか? それは貴様一人では世界を改編することができないからだ」

 ウイッラは確信を持ってそう口にすると、もう話すことはないとばかりに右手を前に突き出し、ユイに向かって炎の魔法を構築し始める。

 そんな彼の姿を目にして、ユイは薄く笑った。


「はは、君はなにか勘違いしているようだね。もし君が私を近づけさせまいと魔法を使い続けるのなら、私は世界改変をする必要はなかった。君をこちらに引きずり戻せば、それだけで終幕を意味するわけだからね。というわけで後は頼んだよ、アレックス」

 もはやウイッラの編み上げようとする魔法から逃れるすべを持たなかったユイは、全てを任せることができる相手に向かって、そう口にする。


 すると、ユイの口からその名が発せられた瞬間、いつの間にか二人の死角に潜んでいた赤髪の男が、完全に気配を殺したままウイッラの間合いへと飛び込んだ。


「ユイ、まったく君は無茶をしすぎる。しかも、いつの間にか僕まで共犯にして……言っておくけど、君と一緒にあいつに怒られてはあげないからね」

「朱……だと!」

 ウイッラは驚愕のそして恐怖をその表情に貼り付ける。

 彼は完全にその男の存在を失念してしまっていた。



 そう、剣など自らの身体には通らないと確信してしまっていたが故に。



「さようなら、ウイッラくん」

 編み上げかけの魔法さえ霧散させて動揺するウイッラの懐に、アレックスは一瞬で入り込む。そしてウイッラに反応する暇さえ与えず、横薙ぎの一閃を浴びせかけた。


 その剣光は例えようもないほど美しく、そして真一文字という言葉そのままに、ウイッラの体は上下二つに分断される。


「い、イスターツ……やはり貴様らが我らの最大の障壁なのか。だが今のお前を見る限り、やはりコードへ同調することはできようとも、コード自体を改編することはできないに違いない。ならば、我々の近い未来の勝利は……グフッ」

 ウイッラの最後の言葉が語り終えられることはなかった。

 冷たい笑みを浮かべたままのアレックスが、まゆ一つ動かすこと無く頭部を一刀両断した為である。


 三分割されて全ての生命活動を停止させた彼の体は、少し前まで半透明であったことなど嘘のように、赤い血液を周囲に撒き散らしていった。


「例え親玉がやられても、意志を継ぐ者達は存在する……か。魔法士を消すために、魔法士となる。君たちのその節操の無さだけは、私としても案外嫌いではないけどね」

 ウイッラの最後を見てとったユイは、駆け寄ってくるアレックスに向かい微笑みかけると、静かにその瞳を閉じた。

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