第10話 敗北、そして

 帝都のまさに中枢部とも呼ぶべきレンド城の大広間。

 ここに一人の男が表情をこわばらせ、肩を震わせながら、片膝をついて頭を垂れていた。


「負けた……か」

 彼の前方に設置された玉座に腰かけていたリアルトは、悔しさのあまり涙を流しながら震えている彼の息子に視線を向け、溜息を吐き出す。

 リアルトの言葉を受け、広間内全ての者の視線を集めるトールは、震える声で更に自らの敗戦を口にした。


「申し訳有りません。本来ならば我が身を捧げて敗北を償うべき所を、パデル長官を……そうパデル長官を見殺しにして、おめおめと生き延びてしまいました」

 かつて自らの軍事指南役を勤め、そして帝国における軍務長官の名前を口にしたとき、厳しくも愛のあったその指導の思い出がよみがえり、トールは思わず声を詰まらせた。

 そんな彼の言葉を耳にしたリアルトは、眉をピクリと動かすと、あえて彼に向って平坦な声で話しかける。


「ならばトールよ。貴様がまずすべき事は、余に向かって敗戦を詫びることでは無かろう。パデルの死を無駄にせぬ為にも、先ほどの戦いでなにがあったのか、この場で皆に説明せよ」

「はい……フィラメントは、そうフィラメントは集合魔法に対抗する為の防御魔法を編み上げておりました」

 トールが苦悶の表情を浮かべながらそう述べた瞬間、真っ先に声を発したのは、皇帝の傍に控えていたノインであった。


「集合魔法がまたしても破れたというのか!」

「はい。此度の戦い、我らは完璧に集合魔法を編み上げ、そして敵軍の中央部に向かい楔として集合魔法を放ったのです。しかしながら敵軍の編み上げた不可思議な無数の光の壁の集合体によって、我らの集合魔法は弾かれました。そしてその弾かれた我らの魔法は……あろうことかエーデミラス城塞に」

「エーデミラスの失陥は……我らの集合魔法がその直接原因であったと、つまりはそう言うことか?」

「……無念な事ながら、その通りです。集合魔法の被害にて城塞守備隊兼南部方面軍は壊滅。そのほとんどが死亡したと報告を受けました」

「ほとんどが死亡……だと」

 ノインがトールの報告に思わず息を飲む。

 元々、集合魔法の開発及び運用は彼が一手に担っていたこともあり、自らのこれまでの成果のその結末が、彼の意図するものとは全く真逆のものとなった失望のあまり、彼はそれ以上言葉を続けることができなかった。


「おそらくは最初から狙われていたのだろうな。弾かれたグレイツェン・クーゲルの軌道が、あまりにも奴らにとって都合がよすぎる」

 動揺隠せぬノインの代わりに、リアルトはトールの報告に対しての論評を加える。

 すると、皇帝から見て右方に控えていた内務長官であるメニゲスが、首を左右に振りながら失意の伺える言葉を発した。


「でしょうな。しかしあれほど莫大な研究費を投じて編み上げたグレイツェン・クーゲルが、こうも簡単に防がれてしまうとは」

 内務長官として集合魔法による有用性を認め、莫大な研究費をノインとともに練り上げたのが彼であった。その彼としても、この結末には失望を感じずにはいられず、思わずその場で俯いてしまう。


「それで、現在の敵軍の動向はどうなのだ?」

 心の整理はつかないままであるも、軍の統率者であるという責任から、ノインは絞り出すように言葉を紡ぎ、軍務副長官のホプカインへとそう問いかける。


「はっ、現在フィラメント軍は南部方面からここレンドに向けて進軍中。南部諸侯を制圧しながら北上しているため、進軍速度はやや遅くなりましたが、それでも遠からぬ内に当地へ到着すると思われます」

 フィラメント軍は帝国軍と決戦の際に後背を突かれることの無いよう、周辺の貴族領と彼らの私兵を順に制圧しながら緩やかにレンドに向けて歩を進めていた。

 その報告を受けたノインは、頭を振りながら、思わず呟きを口にする。


「時間がない……か」

「それにつきまして、南部方面の貴族より続々と援軍要請が届いておるのですが……」

 明らかに答えのわかりきった内容を口にして、ホプカインは返答を聞く前に肩を落とす。

 そんな彼の仕草を目にしながら、ノインは唇を噛みつつ、誰もが理解している現実を口にした。


「わが軍には現状、援軍を送るだけの余剰戦力がない。本来、こういう事態のための援軍として用意していたのが南部方面軍であったのだからな」

「わかっております。彼らには申し訳ないことですが、少しでも時間を稼いでもらう壁となってもらうしかないでしょう」

 強く歯を食いしばりながら、苦渋の表情を浮かべつつホプカインはそう述べる。

 そのホプカインの思いはノインも同様であった。しかし彼は軍の統率者として現状の把握を感情より優先させる。


「この戦いを勝利で収めれば、きっと彼らには厚くこの借りは返す。だから、今はフィラメントを倒すことだけに専念しよう。ホプカイン、どこまで人員は確保できた?」

「王都に残しておりました残存兵力と、今回トール様が無事送り届けてくださいました魔法士中心の増援軍の残兵合わせまして三万。これに再建中のクラリス方面軍の人員やレンド周辺の諸侯軍を合わせまして最大で三万四千名程と見積もっております」

 その数字をホプカインが告げた時、その場にいるものすべてが渋い表情を浮かべた。

 クラリス侵攻以前の帝国は間違いなく大陸西方最強の国家であり、その兵数は八万を優に超えていた。それが今や半数にも満たなくなっていたのである。

 そして何より数の上では敵軍より数的優位とはいえ、その質に思いが到ったとき、彼らは自軍の不利を悟らざるを得なかった。


「三万四千名……か。厳しいな、魔法士は通常一般兵二名分以上とよく言われるが、今回の敵兵の魔法士はあのフィラメントの奴らだ。奴らの軍がほぼ無傷に近い状態……つまり二万名近く残っているとするならば、実際は四万名の軍に等しい」

「そして奴らは魔法士主体であるが故に、攻城兵器を必要としないと……フィラメントには震動破壊呪文があるからな」

 ビブラシオンと呼ばれる接地型のフィラメントの震動破壊呪文。

 直接城壁に取り付かなければ発動できないという難点があるも、その存在のためにこれまで幾度も国境沿いに建設した砦や防壁をフィラメントに壊されてきた彼らは、通常の籠城戦が困難であることを理解していた。


「集合魔法さえ機能すれば例え四万だろうが、倍する八万だろうが勝利は難しくないのでしょうが……」

「言うな……今更、泣き言を言っても始まらん」

 ここに至って仮定など無意味だとばかりに、ノインは頭を振る。

 そうしてその場に沈黙が訪れたところで、この場にいる最高権力者がゆっくりとその口を開いた。


「このまま奴らと戦って必ずしも負けるとは、余は思わん。だが我が軍が不利なのは事実じゃろう。となるとだ、やはりあの男を動かすしか無かろうて」

「ユイ・イスターツ……ですか。しかし!」

 以前から、皇帝があのクラリスの英雄に対しなにやら策を練っていたことを内務長官のメニゲスは知っていた。だが彼はユイ・イスターツという名前の異国人の能力は認めながらも、他国人であるという不安を払拭できずに否定的な声を発する。

 しかしそんな彼の言動などまるで存在しないかのように、リアルトはそのままノインへと視線を向けた。


「予は少し席を外す。後のことは任せたぞ、ノイン」

「陛下、どちらへ?」

 ノインは会議をここで抜け出してまで、皇帝が向かう先が気になり、そのまま問いかけた。


「最愛の娘の所にじゃよ。では……な」

 そう口にしたリアルトは、もう後ろを振り返ることなく大広間から緩やかに歩み去っていく。

 そうして彼がいなくなったところで、メニゲスにはある仮説が脳裏に浮かび、思わずその場でつぶやく。


「ミリア様のところ? ……まさか陛下は!」

「……ああ。陛下はあいつに差し出されるおつもりのようだ、我が妹をな」

 リアルトの策を把握していたノインは、驚きを隠せぬ内務長官に向ってそう事実を伝える。

 すると、メニゲスは一瞬言葉を詰まらせた後に、否定的な言動を口にした。


「馬鹿な、敵国の男ですぞ。それも庶民の出の!」

「確かにユイの奴は庶民さ。ただし、誰よりもあいつを嫌いだった俺の気持ちを変えるほど、際立って有能な……な」

 今回のリアルトの謀り事を受けて、間違いなく困惑の表情を浮かべるであろうユイの動揺する姿を脳裏に浮かべる。

 そして彼はまるで彼の友人のくせが写ったかのように、ゆっくりと頭を掻くと、深い溜め息をその場に吐き出した。

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