第15話 お節介焼き
クラリスの大使館からほど近い酒場。
そのカウンター席に空のジョッキを並べる赤毛の女がいた。
「親父、もう一杯エールをおくれ」
「なぁ、嬢ちゃん。いつもうちを贔屓にして貰ってるからあまり言いたくないんだが、ちょっと飲み過ぎじゃねえか? まだ来て間もないっていうのに、今日はちょっとペースが速すぎるぜ」
酒場のマスターは心配そうな表情を浮かべながら、新しいエールを渡すことを躊躇する。
「いいんだよ。あたいだって飲みたい夜くらい有るんだ」
「いや、飲みたい夜って、毎晩うちに飲みに来てるじゃねえか……はぁ、わかったよ。エールを一杯だな」
彼女に反論するや否やすごい勢いで睨まれたマスターは、慌てて逃げ出すようにナーニャの眼前から退散する。
「ふん、素直に新しいのを出してくれりゃあいいんだ」
ナーニャはそう呟くとタイトスカートからすらっと伸びた足を組む。そして待ちきれないとばかりに、テーブルを人差し指でコンコンと叩きながら、エールの到着を待った。
「そう急かさないでくれや、嬢ちゃん」
弱った表情を浮かべながら、マスターがジョッキいっぱいに注いだエールを運んでくる。
そしてナーニャがそのジョッキを受け取ろうとした瞬間、彼女の後ろからぬっと伸ばされた手がそのエールをかっさらっていった。
「うん、なかなかいい味だね。仕事の後にはちょうどいいや」
「……なんだ隊長かい。あたいに何のようさね」
ナーニャは勝手にエールを奪い取って彼女の隣に腰掛けたユイに向かい、きつい視線を浴びせる。
しかし、ユイはそんな眼差しなど気にした様子もなく、あっという間にエールを飲み干し、空になったジョッキをテーブルに置いた。
「ん? 別に用なんてないさ」
「そうかい……ならいいんだ」
ナーニャがそう口にするのを契機に、二人の間にわずかな沈黙が訪れる。
そしてその沈黙を破ったのは、全く空気を読まないユイの一言であった。
「マスター、エールをもう一杯お代わり」
ユイが頭を掻きながらマスターに依頼すると、マスターは二人の間の微妙な空気を察して、そそくさと新しいエールをユイの前に置いて立ち去る。
そうして、目の前に置かれたエールを、なんの遠慮もなくユイは飲み始めた。
「って、本当に酒だけ飲みに来たんじゃないだろうね、あんた。普通はさ、部下を慰めるために酒をおごるとか、優しい言葉をかけるとか、他にすることがあるだろ」
「何で酒をおごるが一番に来るのかは引っかかるけど、そんなものなのかもね。でもさ、私は君を信じているから」
「は? なんて言ったんだい、今」
ナーニャはユイの言葉を耳にするなり、目を見開き彼の方へ顔を向ける。しかしユイは彼女の視線に気づきながらも、まっすぐに正面を見たまま、彼女とは視線を合わさずに口を開く。
「いや、だから私は君を信じてるって言ったんだよ。そりゃあさ、飛び出した国だとは言え、故国のフィラメントが帝国にちょっかいをかけて、戦争になりそうって言うのに平常心でいろとは言わないさ。そのちょっかいの掛け方も掛け方だったしね……でもさ、君がそれくらいのことで押しつぶされたり、私の前からいなくなったりしないって信じているから。だから私は、君の隣でのんきにエールを飲んでいられるのさ」
ナーニャに向かってそう告げると、彼は再びエールをジョッキを手にとって、喉へと流しこむ。そんな彼の言葉と仕草に、ナーニャは先ほどまでの不機嫌な表情をわずかに緩める。
「そう言えば、あんたは昔からそう言うやり方だったよね。カーリンで初めてあった時も、そしてあんたの下で働き始めた時もずっとそう。偉くなって、伯爵にまで上り詰めて、英雄なんて呼ばれてさ……でもいつまでたっても、あんたはあんたのままだ。全く、一向に成長しやしない」
ナーニャはやや遠い目をし、ユイと初めてあった日のこと、そしてカーリンでの日々を思い起こしながらそう口にした。
「その通り、私はいつも私さ。だからあのディオラム家の廃棄姫も、カーリンのごろつき達の頭をしていた赤毛の魔法士も、そして私の部下であるただのナーニャも、全て君は君さ。別に過去を否定することも、肯定することも必要ない。ましてや過去に縛られる必要もない。私はそう思っているんだけどね」
「あたいはあたい……か」
ナーニャはユイの言葉を受けて、そっと自分に聞かせるように呟く。
「ああ、私は私の部下の中で、もっとも遠慮なく私のことをないがしろにする君のことが大好きだけどね。それじゃあ、失礼するよ。夜更かしは美容の敵だからね」
それだけ口にすると、ユイは残ったエールを一気に飲み干して立ち上がる。そしてマスターに代金を手渡し、そのまま店を出ようとしたところで、彼の背中にナーニャの声が響いた。
「あんたが……いや、隊長が美容を気にする必要はないよ。隊長はそのままでも十分、馬鹿で魅力的さ。だから、あたいは隊長の下を離れる気はないさ。これからもね」
ナーニャはいつもの声でユイの背中にそう告げると、彼は背中越しに片手を上げてそのまま店を出ていった。
「ふん、なにが別に用は無いだ。あのお節介焼きめ」
気がつけば彼女の分の伝票まで無くなっており、ユイが支払ったことに気づいてナーニャはそう毒づく。
そして、席を立ち上がりそのまま店を出ると、彼女は頭上に広がる星々に向かって笑みを浮かべた。
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