第20話 二つの会議と一つの人事

 ケルム帝国最高会議。


 それはケルム帝国の皇帝も出席する、帝国における意思決定の最高機関である。

 この日の出席者は皇室関係者に加え、軍部の責任者たるパデル軍務長官率いる軍部の重鎮と、内政部のトップであるメニゲス内務長官率いる政務部の重鎮、そして外務を司るセルベック外務長官率いる外務部の重鎮が一同に介していた。


 この日の会議は、戦力の回復しつつある軍部に関する今度の方針と、それに関する予算案の策定がテーマとなっていた。そしてひと通りの議題が片付いたところで、軍務長官であるパデルは軍の購入している魔石の価格の低下を先日来報告されていた事を思い出すと、ちょうど良い機会だとばかりにこの場で発言を行った。


「昨今、国内に流通している魔石の総量だが、先月と比べて増えている様に思うのだがどうなのかね?」

 髪を全て後ろに流し厳つい表情をしたパデル軍務長官は、内務省を統括する口ひげを蓄えたメニゲスに向かって確認するようにそう問いかけた。するとメニゲスは自分が答える代わりに、流通部門の責任者である若手のロキソンに視線を向ける。


「はい、軍務長官の仰られるように明らかに流通量が増えております。昨年の同時期に比べ約二割増しといった状況でしょうか。その増加分のほとんど全ては、ノバミム自治領から我が国へと持ち込まれたものであります」

「ふむ、ノバミムからか。ということは仕切っているのはオメールセン商会だな」

「はい。仰られるとおりです。どうやらその魔石はオメールセン商会が独自ルートで仕入れたものを、帝国向けに流通させているようです」

 ロキソンは軍務長官であるパデルの問いかけに対して、手元の資料を確認しながらそう回答する。


「オメールセンか……あのゴロツキどもを好きにこの国で取引させるとは、全く嘆かわしいことだ」

 治安維持部の部長職にあり、職務においては冷徹であることで有名なゼリアムが、ロキソンの発言を耳にしてそう口にする。


「だが、奴らの魔石ルートがなければ、次の冬も凍死者を出すことになるぞ。クラリスからの供給を絞られ、フィラメント公国に足元を見られた昨年の二の舞いはごめん被りたいな」

 国内の政治を統括する立場にあるメニゲスは、クラリスとの戦争から国交が途絶えてしまったため、魔石の流通量の減少をきたし、少なからぬ凍死者を出すことになったことを悔いながらそう口にする。


 魔石の供給量が異常に豊富なクラリスなどでは、街灯や家庭での料理など非常に様々な用途に魔石が使用されている。しかし魔石の取れない帝国においては、そのような用途に魔石を使用することは帝都の一部のみに限られていた。

 一般の庶民が魔石を使用するのは主には冬の暖を取るためであり、もともと燃焼効率がよく安全であり、不要な廃棄物を生み出さない魔石は各家庭の冬の生活には欠かせないものであった。

 しかしながら、昨年この国はクラリスとの戦争に負けてしまったため、狙っていた彼の国の魔石を入手することが叶わず、同国からの魔石購入も当然ながら不可能となってしまっていた。そして、唯一の供給先となった魔法大国のフィラメント公国からは足元を見られることとなり、フィラメントはケルム帝国に対し容赦の無い魔石の値上げを通告してきたのである。


「だからといって犯罪者をのさばらしていいというものではなかろう。ましてや奴らの魔石の供給元を考えればな」

 軍との関係が深く、実質は帝国における軍の統括者であるノイン皇太子が忌々しげな表情でそう口にすると、隣に座る第二皇子のトールは訝しげな表情で疑問を口にする。


「供給元……どういうことですか?」

「あの魔石は全てレムリアックで産出されたものだ。トール、この意味がわかるか?」

 皇帝の若き頃にそっくりの威風溢れる顔を歪めながら、ノインが忌々しげにそう発言すると、若いトールは母親譲りの端正な顔を曇らせて思わず呻く。


「そうですか……レムリアックですか」

 トールがその地名を口にした瞬間、軍部の面々の表情は途端に曇る。彼の地を現在治めている男は、彼等軍部の天敵とも呼べる男であり、その男一人に戦争に負けたと考えているものも少なくなかった。


「ええ、しかも今回の魔石販売に関しては、オメールセンが独自にレムリアックでの供給網を確保したわけではなく、奴自身が話を持ちかけたという噂です」

「ユイ……イスターツ。やはりあの男か……」

 内務省流通部のロキソンがそう追加報告を行うと、ノインが深い深い溜息とともに帝国の天敵である男の名前を口にした。

 彼の口からその名前が発せられた瞬間、他の会議の参列者からも驚きと動揺の声が漏れる。そんな中、第二皇子のトールはロキソンに対して疑問の声を口にした。


「しかしそれは変ではありませんか。確かに今、クラリスと我が国との国交は失われ、彼の国からの魔石供給も途絶えています。なのに奴がクラリスの魔石を我が国で売りさばくとは矛盾するように感じますが」

「皇子の言うことは正論でございますが、あの男の手口は我々が思っているより巧妙なのです」

「どういうことですか?」

 ロキソンに代わり、内務長官のメニゲスが肩を落としながら悔しそうに言葉を発すると、トールは訝しげな表情を浮かべて彼に問いかける。


「現在、レムリアックは自由な商取引の認可が下りているそうなのです。その自由に商いができるという建前を利用し、まずノバミム自治領の商人がレムリアックに買い付けに行きます。そして、一度ノバミムへ運び込んだ後で、今度は我が国へ輸送するといった寸法を取っているようなのです。それ故、レムリアックは我が帝国に直接販売していないという体面を国内で保っております。その上、このままレムリアックからの供給量が増えれば、自然とこの国の魔石供給は、レムリアックの意向によって左右されるようになりかねません」


「そしてそのレムリアックを仕切っているのが奴というわけか……これは由々しき事態ではないか。今すぐオメールセンからの魔石販売を差し止めるべきだ」

 皇太子のノインは一同を見渡しながらそう主張するも、その場の一同は顔を伏せるばかりで、彼に賛同するものはいなかった。周囲の反応に意外そうな表情を浮かべるノインに対し、内務長官のメニゲスはかしこまりながら彼に向かって口を開く。


「ですが、ノイン様。あの国の魔石を遮断した場合、代わりとなる魔石の入手先がございません。昨年来、魔法公国に値を吊り上げられて、多数の凍死者を出した惨事の二の舞になりかねませんぞ」

「む、むぅ……それは……」

 メニゲスの発言に対し、それに反論する何ら具体的なアイデアを有さなかったノインは、思わず口ごもってしまう。すると、三長官の中で唯一四十代の若さである外務長官のセルベックが、一同に向かって初めて口を開いた。


「私に一つアイデアが有ります。要するに、あの男の存在がクラリスにあるから危険だということですよね。だとしたらあの男をこの国に引き込んでしまっては如何でしょうか?」

「馬鹿な、ユイ・イスターツをか。そんなことできるわけがないだろ。馬鹿馬鹿しい」

 イスターツに嫌悪を抱く軍部のパデルは、セルベックの話す内容を耳にするなり、ありえないと頭ごなしに否定する。しかし、セルベックは彼に視線を合わせると、さらに言葉を追加した。


「果たしてそうでしょうか? 知ってのように、彼は我が国との戦いであれほどの戦果を示しながら、クラリスにおいてはさほど評価されておりません。より正確に言えば、民衆達の支持はあるようですが、旧態依然とした貴族連中からは総じて受けが悪いと報告を受けております。だとすれば、奴がクラリスに対し盲目に従い続けるかは、いささか疑問符が付くのではないかと思いますが」

「しかし、それはあくまで予想にすぎん。奴自身があの地位で満足している可能性だってあるではないか」

 セルベックの発言に一理あると理解はしたものの、軍部と近い存在である皇太子のノインは、自国の敗北の歴史からその発言を素直に認めることは出来ず、首を横に振って否定する。


「それはその通りですが、その程度で満足してくれる男でしたら、そもそも騒ぎ立てる必要は無いかと思います。別にこのまま放置しておかれてもよろしいかと」

 セルベックがそう言い切ると、会議室は誰も反論できず静まり返る。そうしてわずかの空白の後に、静止してしまった会議を再び動かしたのは、最奥の席に腰掛けていた皇帝その人であった。


「ははは、確かに其方の言っていることはもっともだ。それで、具体的にお主はどうすれば良いと思うておる」

「はい、陛下。彼等の間隙に付け込んでユイ・イスターツを我が国に迎え入れれば、クラリスに関する様々な問題は自然と解決を見ます。その上、この策が上手く行った場合、状況によってはレムリアックの魔石も我らのものとなる可能性まであります。試してみる価値は十分にあると思いますが」

「なるほどな。しかし、万が一奴が断った場合はどうする?」

 笑みを浮かべながら一度大きく頷いた後に、皇帝はセルベックに向かって更に問いかける。するとセルベックはすぐに返答を返した。


「奴が我らに寝返らなくとも、それはそれで構いません。先程も言いましたように、その場合は奴は今の待遇に甘んじる程度の男です。今後の我らにとって、正面から闘う愚を避ければ、なんら特に支障をきたすことはないでしょう」

「だが、どうやってユイ・イスターツを我が方に引きこむというのかね。奴と直接交渉しようと間者でも送り込もうというのか?」

 外務長官であるセルベックの提案に対し、渋い表情を浮かべたノインは、額に皺を寄せながら彼に向かって問いかける。


「いえ、その方法は不可能でしょう。なにしろ奴の周りにはかなり優れた護衛が張り付いているようですから。それに奴の心証を考えても、間者を送るというのは下策と言えるでしょう。むしろそんな小細工をせず、彼の方から堂々と我が国に来てもらえばいいのですよ」

「確かにそんなことができれば苦労はないと思いますが……しかし彼の方から我が国に来るなどと言うことが、果たしてできるものでしょうか?」

 第二皇子であるトールは、セルベックの提案に興味深げな表情を示すと、彼に向かって問いかけた。


「ふふ、それはそう難しいことではないかと思われます。そうですね、現在のあの男の役職はなにか、皆さまは御存知でしょうか?」

 セルベックは皆を見回すようにしながらその言葉を発すると、彼は自信ありげにニヤリとした笑みを浮かべた。





「くそ、イスターツめ」

 ブラウの悔し気な声が場に響き渡る。


 ブラウ家で開かれる定例の円卓会議は、この日は当初より重苦しい雰囲気に包まれていた。それは、もちろん一連のレムリアックにおける成功が原因であった。


「落ち着いて下さい、ブラウ公」

「これが落ち着いていられるか。レムリアックに埋蔵されている魔石はクラリス内の半分に近い量とも噂されているのだぞ。それをあの男が独占しているというのだ。こんな馬鹿げた話があるか」

 ブラウの怒りはこの日沸点に達していた。それは先日のライン公の発表が原因であった。


 もともとこの半年ほどの間、レムリアックでルゲリル病が克服されたという噂自体は王都でも散発的に飛び交っていた。しかしいくらユイ・イスターツであろうと、そんなことは不可能であると当初は誰もその噂をまともに相手にしていなかった。

 しかし、昨日ライン公がレムリアックへの大規模な投資を行っていたことを公表するなり、状況は一変する。つまり、ライン公が大規模な投資を行ったという事実は、ルゲリル病への対処法が実際にあるということを、ライン公が担保した事を意味したのである。

 それ故に、この時点でレムリアックの噂は真実であると、誰しもが驚愕とともに認めざるを得なかったのである。


「ライン公の介入がすでに行われている今、レムリアックの魔石採掘所は更に加速度的に再開発されるか……まさかこんなことになるとは」

 陸軍省次官のエミリオッツは首を左右に振りながら、吐き出すようにそう口にする。


「しかも奴の土地には重税を掛けられない上に、商取引の自由化まで認可してしまっている……我ら自ら約束する形でな」

 戦略省次官であるテムスはエミリオッツに同調するかのように発言した。すると再びエミリオッツは額に皺を浮かべながら口を開く。


「このままでは……そう、このままではこの国は奴に乗っ取られかねんぞ」

 その発言の効果は絶大であった。その場はその言葉が発せられると同時に、完全に凍りついてしまう。

 すると、この会議に参加する貴族の中で最も若い男は、そんな重苦しい会議室の雰囲気を振り払うかのように、やや軽い口調で発言した。


「お待ちください。僕に一つアイデアが有るのですが、聞いていただいてよろしいでしょうか」

「なんだ、ロペン伯爵。何かアイデアがあるとでも言うのかね?」

 この会議の主であるブラウは、その声を上げたロペンに向かい訝しげな表情を浮かべながら、彼の発言を許可する。


「はい。皆さんご存知のように、ユイ・イスターツはレムリアック領の伯爵ですが、その前に彼の本当の所属がどこか覚えておられますか?」

「ん、ヤツの役職だと。それは親衛隊の——」

 そう口に仕掛けたテムスを遮るようにロペンは首を左右に振ると、彼は周囲を見回しながら口を開く。


「違います。確かに親衛隊の顧問という肩書は有りますが、彼の今の所属は親衛隊ではありません。彼の今の正式な所属は外務省。その三位待遇というのが彼の正式な立場です」

「そういえば、奴は軍から外務省へと出向していたか。だがそれがどうしたと言うんだ?」

 エミリオッツはロペンの発言に一つ頷くも、彼の真意が見えずそう問いかける。するとロペンは苦笑いを浮かべながら、彼に向かって返答を口にした。


「実は、先日ケルム帝国から打診が有りましてね。我が国との国交を再開させたいとの事です。そこで、我が国からも外務大使を派遣せねばならないわけですが、あいにく大使職を担う三位以上のものは、ほとんどが他国へと出向している状況です。残念ながら、現在国内に居られるのはそこにいらっしゃる外務次官のレーベ侯爵と、そしてもうひと方しか存在しません。さて、そこでです。皆さんは一体誰を彼の国に派遣すべきだと思われますか?」

「……なるほど、そういうことか。奴に恨みを持つ帝国という穴倉の中に、あえて奴を放り込むと」

 ロペンの発言を耳にしたブラウは、彼の意図するところを理解し歪な笑みを浮かべる。


「どうも、ご理解が早くて助かります。なんだったら、私も彼に同行して万全を期させていただく形としますが」

「ふむ……いいだろう、面白い提案だ。ならばレーベ侯爵、外務次官としてそのように取り計らってもらえるかな?」

 ブラウはここまで一度も発言しなかったレーベに向かってそう問いかけると、彼は組んでいた手を解きゆっくりと首を縦に動かした。


「承知いたしました」

「ふふ、これで奴をこの国から消し去る事ができる。あとは帝国の連中の手腕に期待するとしようか」

 ブラウは会議が始まる前の不機嫌が嘘のように笑みを浮かべると、満足そうに何度も頷いた。

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