第19話 犯罪者より手の早い英雄

 クラリス王国の南西、そして帝国から北西の方角にノバミムと呼ばれる小さな自治領は存在する。


 元々この土地はノバミム共和国と呼ばれる小国が存在していた土地であった。しかし共和国自体は四十年ほど前に帝国の侵略を受け、大陸西方の地図からその名は消滅している。


 では、なぜこの土地が現在自治領となっているのか。

 それには帝国側の事情が存在している。


 この土地を侵略した帝国は、もちろん当初の段階ではこの地をそっくりそのまま併合する予定としていた。

 しかしながら、元々この小国は共和制により運営されている。そのため、帝国の帝政文化とはなかなか馴染みにくい土地柄であった。


 それ故に帝国は、いくつかの段階を経てこの国を統治していく計画を立案する。

 当初は直接統治を行わずにあくまで自治領扱いとし、ある程度この土地の思想や文化が帝国と馴染んだ時点で、段階的に帝国に吸収していくというものであった。


 だがこの計画はさらなる多くの問題を生み出すこととなった。

 それは帝国領土でありながら完全に帝国が支配している土地ではない為、これまで帝国で活動しづらかった様々な暴力組織やならず者達が、こぞってこの土地に流入して来たのである。


 しかも帝国国内の治安担当者は、この犯罪者集団の移動が帝国内での犯罪率の低下に繋がると考え、意図的にこの移動を黙認した。

 臭いものに蓋をしただけとも揶揄される帝国からの犯罪者の流出は、ノバミムへの犯罪者の大量流入とセットであり、それに伴い急速にノバミムの政情は不安定となっていく。


 もちろんこの政情自体、帝国としてはかの地域を併呑する為の口実として当初利用するつもりであった。しかしながら、想定外の問題がここに起こった。それは国内の有力者達が、ノバミム併呑に対する反対意見をこぞって提出したことにである。


 有力者である帝国の地方領主たちは、自らの領地に居座っていた犯罪者たちがノバミムへと移り住むことで、各領地の明らかな治安の向上を認めていた。

 だからこそノバミムを併呑することで、再び彼等に舞い戻られてはかなわないと難色を示したのである。


 一方、帝国への併呑を主張する者たちは、ノバミムに巣食う犯罪者達を軍事力で持って一掃すると強気に主張した。

 しかし相手とするのは、これまで帝国の治安担当者の手から逃れ続けてきた者達である。それ故に、本当に彼等を一掃できるのかは大いに疑問視され、その成功を信じきることは誰にも出来なかった。


 そういった議論が続けられること早二十年。

 結局何らの結論が出ないまま、ノバミム自治領は犯罪者やチンピラ、そして闇社会に関わる人々の天国として今日も存在し続けている。




「自治領主。要するにあんたが言いたいのは、俺らにレムリアックに行って、魔石を分捕ってこいってことだな」


 ノバミム自治領に数ある犯罪組織のうち、その半数を従えていると噂される最大組織セラーレム。

 その組織の長であるオメールセンの自宅に、ノバミム自治領主の姿があった。


「……ああ、その通りだ。理解頂けて助かるよ。先程も言ったように、彼の地域はどうやら本当にルゲリル病を克服したらしい。だとすれば、あの土地には膨大な魔石資源がまるまる眠っているということになる。それをみすみす放置する手はないからな」

「ただなあ、領主さんよ。あんたらのような自治領の正規の人間が、今回の作戦に参加しないってのは少々虫が良すぎるんじゃなねえか?」


 まるでもやしのような官僚然の自治領主を睨みつけると、オメールセンはドスの利いた声でそう告げる。

 すると、帝国から選ばれて統治を行っている自治領主は、どうにか怯えを押し殺しながら、自らの立ち位置を説明した。


「わかっているのだろ、オメールセン。この自治領は表向き帝国ではないが、実質的にはその支配下にあるのだ。それ故に、我らがノバミムの者として彼の地へと侵攻すれば、ヘタしたら再びクラリスと戦争となる。だからこそ、正規の兵士ではないお前たちに依頼しているのだ。それに正直言って、お前たちの組織の方が私達より力を持っているしな……出来れば、私にこんなことを言わせないでくれ」


 自治領主のポナパルトは、悔しそうな表情を浮かべながらそう口にする。

 このノバミム自治領において、まさにセラーレムの力は絶大であった。


 確かにこの土地には、帝国から大小様々な悪党が移ってきている。

 しかしセラーレムの頭であるオメールセンは、もともと表向きは帝国の大商人であり、そして裏の顔は帝国の暗黒街の顔役の一人であった。


 そんな彼が築き上げたセラーレムの組織力は、他の小勢力などとは比較にもならない。それどころか、現在では既に自治領主のそれを明らかに上回っていた。


「ああ、ちゃんと理解しているんだな。だったら話しがはえぇ。今回レムリアックを落としたら、あの地域で上がる収益の三割をよこしな。それが最低の条件だ」

「三割だと……馬鹿な。あそこに埋蔵されている魔石をまともに掘れば、帝国の年間魔石消費を優に超えるだけの収穫があるんだ。その三割など払えるものか。第一、そんな馬鹿げた条件を認めれば、きっとすぐにでも帝国自体がお前たちを潰しにくるぞ」


 オメールセンの強欲ぶりに驚くと、ポナパルトは首を左右に振りながら反論する。

 しかしオメールセンは、そんな自治領主の警告を鼻で笑った。


「ふん。本当にあの土地からルゲリル病が消えたか、そんな確証はどこにもねぇ。自らの手を汚す事無く、さらにそんな危ねえ場所に俺たちを送り込もうとするんだ。それくらいだしてもらわねぇと釣り合いが取れねぇな……まあ、別にどうしても嫌だっていうんなら、俺達はやらないだけだ」

「くっ……わかった。だが今は即答できないから少し待ってくれ。帝国の担当者と、クラリスの貴族院の内通者に相談し、近いうちにもう一度条件を見直すから」

「早いことしてくれよ。俺達としちゃあ別にあんた達に言われなくても、勝手にあの土地に攻め入って、必要な分だけ魔石を分捕って来てもいいんだぜ」


 オメールセンは自分が優位に交渉を進められていることに満足すると、笑みを浮かべながらポナパルトにそう勧告する。


「分かった。お前たちの考えは分かったから、我々が条件を提示するまで動くのは待ってくれ。すぐに返事はする」


 ポナパルトは自らの不利を悟り、下唇をかみながら悔しそうに立ち上がる。そして彼は、肩を落としながら、オメールセンの部屋から退出していった。


「ふん、奴も所詮は帝国の犬か。まあ、あれくらい弱気の領主様だと、俺達も仕事をしやすくて助かるといったもんだ」


 ポナパルトの後ろ姿を見送ったオメールセンは、満足気な表情でそう呟くと、手元のグラスにオー・ド・ヴィを注ぎ込む。そして彼はグラスを口元へと近づけると、まずはゆっくりと鼻孔を通して香りを楽しむ。


 そして一口、二口。

 少しずつ喉が焼ける喜びを楽しみながら、彼は至福の時を感じていた。


 しかしそんなオメールセンの楽しみは、横合いから発せられた部下の無粋な声によって阻害されることとなる。


「頭……ちょっといいですかい?」

「なんだ一体。馬鹿の相手をしたばかりで疲れているんだ。どうでもいい事なら後にしてくれ」


 手元のグラスをテーブルの上に置き、オメールセンは頬に傷のある部下を一睨みした。

 その刺すような視線に部下はすくみ上がったものの、報告を漏らした場合の処罰が脳裏をよぎり、恐る恐るの体で口を開く。


「へ、へぇ。実はウォール商会なるところの商人が、頭に会いたいとここを訪れておりまして……頭への直接の面会を求めております」

「ウォール商会? 何だ、その商会は。初めて聞く名だが」


 その名を耳にするなり、オメールセンは首を傾げる。

 脳内で帝国とノバミムにおける主だった商会の名前をリストアップしたものの、ウォール商会なる名前はどこにも存在していなかった。


「それが……どうも、従業員も数名しかいないような小さな商会のようなのです。面白い話を持ってきたから取り次いでくれと、商会の代理人と名乗る黒髪の男が、どうも入り口で騒いでいるようでして」


 大組織であるセラーレムの頭の家に、そのような小さな商会の人間が正面から堂々と訪問するなどということは、まさに異例であった。

 それ故に、部下達もどのように応対するべきか苦慮したため、直接オメールセンの下に報告へ訪れたのである。


「ふん、そんな小さな商会など相手にしていられるか。うるさく言っているのなら、適当に腕の立つやつを集めて叩きだしてこい」

「……分かりました。すぐに手配します」


 オメールセンのやや怒気を含む言葉を耳にするなり、部下の男は部屋から立ち去ろうとする。

 しかしそのタイミングで、また別の部下が部屋の中へと慌てて駆け込んできた。


「報告します! ウォール商会と名乗る者たちの一団ですが、うちの警備のものがちょっかいを掛けたことを機に、下のロビーで暴れまわっております」

「馬鹿野郎! そんなことはいちいち報告せんでいい。それよりも、さっさとそんな連中を排除しちまわねえか!」


「そ、それが、奴らの中に異様に腕が立つ剣士が三人ほど混じっているんです。中でも赤髪の剣士は、一人で十人単位の警護の者を傷一つ受けることなく倒すありさまでして」

「ああん? 剣士が三人? ていうか、なんでここに商売に来た商人の中に、剣士が混じっているんだ。お前の報告の意味がわかんねえよ」


 興奮状態で意味の分からぬ報告を行った部下を、オメールセンは睨みつけるような視線を向けながら叱責する。

 しかしそんな合間にも、またしても新たな部下がオメールセンの部屋へと飛び込んできた。


「魔法士です! 赤髪の女魔法士が奴らの中におりまして、廊下を好き放題に破壊し、現在この部屋へと向かっています」

「また赤髪か。というか、魔法士ってなんだ。そいつらただのカチコミじゃねえか、馬鹿野郎! さっさと屋敷内にいる全員に声を掛けて、そいつらを囲んじまえ!」


 顔を真っ赤にしたオメールセンは、怒声をまき散らしながら椅子から立ち上がると、部下たちに向かって指示を下す。

 しかし魔法士の存在を報告した部下は、オメールセン以上の恐怖を目の当たりにしたためか、ブルブル体を震わせながら指示の再考を求めた。


「む、無理です。とても俺達の手に負えるような奴らではありません。連中はすぐにでもここに乗り込む勢いで迫っています。急ぎ脱出の準備を!」

「馬鹿野郎! この屋敷には百名以上の護衛を入れているんだ。中には帝国の正規兵だった奴もいる。数人程度で乗り込んできて、ほんの数分でここまでたどり着くなんて、普通できるわけねえだろ」


 不甲斐ないことを口にする部下を睨みつけながら、オメールセンは彼を罵倒する。

 しかしそんな彼の見解に対し否定的な声が、突然部屋の入口から発せられた。


「いやぁ、普通はそうなんだけどね。今回連れて来た連中はちょっと非常識な奴ばかりでさ、迷惑をかけるね」


 耳慣れぬ声に気づき、オメールセンは視線を部屋の入口に向かって動かす。

 するとそこには、目にしたことのないだらしな気な黒髪の男がいつの間にか存在した。


「て、てめぇ!」


 慌てて後ろを振り返ったオメールセンの部下たちは、明らかに仲間ではないと判断すると、怒りの形相を浮かべながら、黒髪の男へと飛びかかる。

 しかしながら、彼らが黒髪の男の下へと辿り着くことはなかった。


 何故ならば、彼らがたどり着くより早く、眠たげな目をした女剣士が部屋の中へと飛び込んできたためである。

 彼女は自らの身の丈ほどありそうな長剣を軽々と振るうと、剣の腹の部分で男たちを次々と殴り飛ばし、そのまま昏倒させていった。


「だ、だれだ、てめえらは!」


 目の前であっという間に引き起こされ、そして終結を見た戦闘行為。

 その光景を目の当たりにしたオメールセンは、精一杯虚勢を張りながらも動揺隠せぬ声で、そう問いただす。


「そっか、自己紹介がまだだったね。私はウォール商会の代理人でユイ・イスターツと言うものなんだけど、君が頭のオメールセン君でいいのかな?」

 頭を掻きながら苦笑いを浮かべると、ユイはそのように自己紹介を行う。

「ああん、ユイ・イスターツ? 知らん名だな。俺のこのセラーレムに喧嘩を売りに……ん、ユイ・イスターツ……ちょ、ちょっと待て。まさか貴様!」


 自治領内の組織や商人の名前を脳内で検索するも、オメールセンの辞書にその名前は全く記載されていなかった。しかしながら、ユイ・イスターツというあまりにも有名な名前は、すぐにとある人物のことを想起させる。


「ああ、ちょっとだけ自己紹介が足りなかったかな。一応、ウォール商会の代理人ではあるんだけど、おまけとしてクラリスにあるレムリアックの領主なんかも務めている。もしかしたら、そっちの方が通りがいいかもね」

「……旦那、当たり前ですぜ。ウォール商会なんて名前、カインスが住んでる田舎村の連中以外、誰も知るわけ無いやでしょう」


 ユイの後方に控えていたクレイリーは、自らのハゲ頭を撫でながら、先ほどの紹介に呆れてそう指摘する。


「確かにそうかな。でもさ、結構好きなんだよ。ウォール商会の代理人という役職がね」

「英雄……ユイ・イスターツ。まさか本物か……」


 オメールセンはわずかに後ずさりながら、ゆっくりとつばを飲み込む。

 彼からしてみれば、まさに青天の霹靂と言っていい出来事であった。何しろ今現在において、大陸西方で最も有名な男が彼の目の前に居るのである。


 一方、そんな驚愕の眼差しを向けられた黒髪の男は、少し照れたように頭を掻きながら、その見解を一部訂正した。


「はは、そんな呼ばれ方をすることもあるかな。でも帝国に近い君達からしたら、私は敵役であっても、英雄というのはちょっと違う気もするけどね」

「なるほど……俺達の考えが甘かったということか。ここまで攻めこまれちまったら諦めるしかねえが、実はちょうど先程まで、自治領主とあんたの土地に攻め入る計画を話していたところだったんだ。だが、実際にそんなことをしたところで、この現状を見れば結果は散々なものだったろうな」


 先ほどのポナパルトとの会談を思い出して、オメールセンは自嘲気味に笑う。

 実際に先ほどまで、レムリアックを蹂躙することなど、赤子の手をひねることよりも簡単だと彼は考えていた。しかしながらこの惨状を前にして、彼は自身を笑う以外の選択肢を持ち得ない。


 もちろんそんな彼の考えも、無理の無い一面が存在する。

 なぜならば、今までレムリアックを治めていた者達は、ほとんど王都から間接的な統治を行っており、彼の地の所有権が王国預かりとなってからもそれは同様であった。


 それ故にユイが領主になったことは把握していたものの、まさか英雄と呼ばれる男自身が、直接彼の地に入っているとは考えていなかったのである。


「ふむ、間一髪といったところかな。実際、いずれ君たちは私達の所に来るんじゃないかと思ってはいたんだ。ただね、一度戦端が開かれてしまえば、今後友好的に話し合うことができなくなるかも知れない。だからさ、今日は平和的に話し合いをするために、こうして君のところに訪ねてきたんだ」

「……俺には、脅しに来たとしか聞こえねえがな?」


 たとえ先に手を出したのが自分達の方であろうとも、ユイの引き連れてきた連中は先ほどまで彼の部下たちをさんざん弄んでいたのである。

 にもかかわらず、あっさりと平和という建前を口にする目の前の男に対し、オメールセンは恐怖以外の何物も感じなかった。


 だが彼とて大組織の長である。

 それ故に、地面に這いつくばる部下たちに恥じないよう精一杯の虚勢を張り、彼はユイに向かい対峙していた。


 一方、あからさまな警戒を感じ取ったユイはゆっくりと首を左右に振ると、彼に向かって敵対の意志はないとばかりに微笑みかける。


「そんなことはないさ。うちの連中には命は取るなと言ってある。今、フートと対峙した彼等もそうだし、多分君の部下たちも大方は無事だよ」


 ルゲリル病対策に忙しいリュートの代わりとして、呼んでもいないのに勝手にやってきた赤髪の女性のことだけが、一抹の不安としてユイの脳裏を掠めた。

 それ故に彼は、加減を知らない彼女のことを考慮して多分という言葉を添える。


「へぇ、つまりは手加減してさえこれだけの力があると……なるほど、噂に聞く親衛隊という組織は、これほどのものというわけかい」


 もう脱帽せざるを得ないという心境で、オメールセンはそう口にした。

 すると、親衛隊の存在を把握されていると思っていなかったユイは、少しばかり意外そうな表情を浮かべる。


「ふむ、なかなか詳しいじゃないか」

「なんせあんたは有名人だからな。帝国内は当然だが、このノバミム自治領でもあんたの名前を知らない奴はいないさ。もちろんあんたが最初に組織したっていう、親衛隊の存在もな。それで、この俺に何の用だい? 攻め込まれる前に、俺のタマを取りに来たってわけじゃなさそうだが」

「ああ、できればそういうことはしたくないかな。私は面倒事が嫌いでね。今日は君と商売の話をしに来たんだよ」


 ユイが両手を左右に広げながら彼に向かってそう口にすると、オメールセンは眉間に皺を寄せて思わず聞き返す。


「……商売?」

「さっきも言っただろう。今日の私は、ウォール商会の代理人としてここに来ている。それでだ、オメールセン君。君の表向きの顔であるオメールセン商会の会長として、もし良かったら私と取引をしないかな? 君たちにとって、決して損にならない話だと思うんだけどね」

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