第9話 もう一つの計画書
「こんばんは。アズウェル先生、いらっしゃいますか?」
アズウェル教室のドアをノックすると、ユイはどうせ返事など期待できないと知っていたため、特に気にすることなく中へと入る。
「なんじゃ、誰かと思えば貴族に成り上がりおった元校長か。こんな時間にここへ来るとは、ワシに何か用か?」
額にわずかにしわを寄せるも、机の上の書類から一切視線を動かすことなく、アズウェルは返事をする。
そんないつになっても変わらぬ姿にユイは苦笑いを浮かべると、散らかり切った部屋の真ん中に放置されている椅子へと、特に断りを入れることもなく腰掛けた。
「一応この時間に訪問しますと、昼には届くよう手紙を書いておいたんですけどね」
「手紙……ああ、これか。ふん、この論文よりはどうでもよさそうだったからな。当然、まだ読んどらん」
手元に置かれた未開封の手紙を摘み上げると、本当に感心なさ気な様子で、アズウェルはそう言い切る。
そのあまりに雑な扱いに、思わずユイは頭を掻くと、一つ溜め息を吐出した。
「はぁ、どうせそんなところじゃないかと思っていました。取り敢えず、今日は先生に見て頂きたいものがありまして、その採点をお願いできたらと参った次第です」
「採点? ワシは忙しいんじゃ、お前の相手をしとる暇などないぞ」
取りつく島も無いようなアズウェルの拒絶を耳にして、ユイは弱ったように頭を二度掻く。そして腰掛けた椅子から立ち上がると、そのままアズウェルの机の側へと歩み寄っていった。
「ええ、わかっていますよ。でも、決して無駄な時間にはしません。まあ騙されたと思って、これをすこし見て下さい」
ユイはそう口にするなり、先ほど提示した草案とは明らかに分量が異なる書類の束を、アズウェルの読んでいる論文の上へと置いた。
そこで初めてアズウェルは顔を上げると、不快な表情をユイへと向ける。
「しつこいやつじゃな、お前も。ふん、最初の一ページだけは目を通してやる。それがくだらんかったら、それ以上はもう読まんからな。なになにコード理論を応用したレムリアックにおける諸政策について……おい、ユイ。お前……」
「まぁまぁ。そんな怖い顔をせずに、中に目を通してくださいよ」
題名を目にした瞬間、厳しい表情となったアズウェルに向かい、ユイは両手を前に突き出して落ち着くように告げた。
アズウェルはそんなユイの反応に舌打ちを一つ打つも、目の前の紙の束に対する興味が勝ったためか、彼はすぐに視線を紙面へと戻すと次々に読み進めていく。そして最後の一枚を読みきったところで、彼は視線を上げ、ユイを睨みつけた。
「ここまでの計画を練り上げていながら、肝心の魔法に関する記述が見当たらん。ユイ、まだ何か出し惜しみをしているだろう? さっさとそれを出せ」
「はいはい、わかっていますよ。というわけで、こいつが今回の鍵となる魔法書です。最も中身はまだほとんど白紙のようなものですが」
ユイは降参とばかりに両手を上げると、その後自らの鞄の中に入れておいた赤い背表紙の本を提示し、そのままアズウェルへと手渡す。
そうして本のページをめくり始めたると間、アズウェルの眉間の皺はますます深いものとなっていった。
「ユイ……お前まさか、ユニバーサルコードに触れるつもりか?」
「他に選択肢がありませんからね」
ユイは視線を逸らしながら、苦笑交じりにそう告げる。
その回答を受けたアズウェルは、文章の途中の空白や完全な白紙混じりの本を一気に読み進めていき、そして最後の一ページをめくったところで深い溜め息を吐き出した。
「……どうやら本気のようだな。それで貴様はどれくらいの確率で、こいつを完成させることができると思っておる?」
「そうですね。正直言って、現段階では二割あれば良い方じゃないでしょうか。やってみないとわからない不確定要素が、あまりに多すぎますからね」
「そうか、二割か……」
ユイの予測を耳にしたアズウェルは、自分の考えをまとめるために腕を組んだまま、その場で黙り込む。
「少し甘く見積もってですけどね。ですが、まあそんなものかと思います。正直言って、普通にやってもあの地をまともに発展させられる可能性はゼロですからね。それを踏まえて言えば、かなり良い確率じゃないかと思いますよ」
そう述べると、ユイは両手を左右に広げながら、軽い笑みを浮かべる。
一方、そんな彼の見積もりを耳にしたアズウェルは、黙したまま口を開くことはなかった。
だからこそユイは、そんな彼に向かい追撃ともいうべき言葉を更に重ねる。
「まあ先ほどの予想は、あくまで私一人の力ではという仮定です。そしてだからこそ、こうして先生のところへ足を運んだのですよ。先生の力を借りることが出来れば、もう少し分の良い賭けになると思いましたので。で、徹夜で準備した私の計画ですが、採点はいかがでしたか?」
頭を掻きながら、ユイはアズウェルに向かってそう問いかける。
すると、黙したままであった老人は、ギロリとユイの瞳を睨みつけた。
「なんじゃ、本当に採点して欲しかったのか? ふん、零点じゃ」
「えっ……そんなにお気に召しませんでしたか?」
「ふん、内容には問題などありはせんわ。こんな馬鹿げた代物、お前以外の者には想像することさえできん。しかしな、こんな汚い字で書かれたものに点数などやることができるか。学生の答案なら、そのまま突っ返してやるところじゃ」
アズウェルが鼻息を混じりにそう言い切ると、ユイは苦笑いを浮かべつつ肩をすくめる。
「はは、それは失礼。なにぶん時間が全然ありませんでしたので、それくらいはお目こぼしいただけると助かります」
「お前に今更、字の綺麗さを求めても無駄か。ちっ、まあそれはいいだろう。それよりもだ、性格の悪いお前が、無抵抗にレムリアックへ封じられることを飲んだとは思えんのだがな。一体ブラウの奴に、どんな無理難題を押し付けてきたんじゃ?」
目の前の黒髪の男がまったくの無抵抗にレムリアック領を拝領したとは考えられず、アズウェルは少なくとも何か仕込みをしているのではないかと予測する。
そのまさに今回の急所の一つを尋ねられたユイは、両手を挙げて降参の姿勢を取ると、その予測が正しいことを肯定した。
「あらら、お見通しですか。いや、あまり大したことじゃないんですけどね、十年の間だけ税を軽減頂くことと、自由な商取引を行うことですよ。もちろん十年後以降に現在収めている十倍の額の税を国庫に払うという約束と引き換えですがね」
「……貴様、ブラウを嵌めよったな」
アズウェルは口元を皮肉げに歪めながらそう口にすると、ユイは弱ったように頭を掻く。
「えっと、何のことでしょうか?」
「ふん、この詐欺師め! しかし面白くなってきたわ。お前がここを立つ予定は何日じゃ?」
それまでの表情とは一変し、悪巧みをする悪の研究者然とした笑みを浮かべたアズウェルは、矢継ぎ早にユイの予定を問いかける。
「今のところ、十日後の予定ですね」
「十日か……ふむ、ならば今は少しでも時間が惜しいな。今日から雑用は全て部下に任せて、貴様はここでわしと合宿じゃ。良いな? では、早速今からとりかかるぞ」
アズウェルは最高に面白い研究材料を見つけたとばかりに歪んだ笑みを浮かべると、もはやユイの返事を確認することなく再び視線を資料へと移した。
一方、そんな周りの都合などお構いなく、全てを自分の研究の都合に合わさせる老人を目にして、ユイは懐かしさと苦笑を浮かべる。
こうして自らの研究室に研究室に引きこもりっぱなしの幽霊教授と、士官学校から左遷された前校長との合宿は、まさにこの瞬間から開始されることとなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます