第8話 謝罪
「申し訳ありません……ユイ」
「止めてください、エリーゼ様。もう女王になられたんですから、そんな軽々しく頭を下げないで下さい」
ユイは心底弱ったように頭を掻きながら、目の前で頭を下げるエリーゼに向かってそう告げる。
エリーゼの女王就任式典の翌日、ユイ達はラインバーグやエインス達とともに、王宮の親衛隊室にて今後の方針を検討することとしていた。
約束の時間ぎりぎりに到着したユイが部屋に入るなり目にしたもの、それは自分に向かって頭を下げるエリーゼの姿であった。
「でも私が軽率な取引を彼等としてしまったから、貴方をレムリアックなんかに封じる羽目になってしまって」
帝国軍の侵攻以降、自らの内に秘めるとある目的のために、ユイをどうしても貴族に取り立てたいとエリーゼは考えていた。
しかしながらそんな彼女の願いは、これまでそのことごとくを貴族院によって阻害されてきたのが実際である。
だがそんな中でのラインドルにおけるユイの功績は、貴族院に対して格好の交渉材料だとエリーゼは考えた。
それは貴族院自身がユイの昇進を阻むために、なんらかの別の形での恩賞を模索している向きがあったからである。
それ故にエリーゼは、当初は男爵か子爵あたりの階級を与える形で貴族院と交渉するつもりであった。
だが王女就任に関する交渉の際にエリーゼは思わぬ自体に遭遇することになる。
それは貴族院を取り仕切るブラウからの、ユイに対する貴族就任の提案。
エリーゼは思わぬ事態に戸惑いながらも、自らが胸に温めていた提案を逆に提示されたことに喜び、その目を曇らせる。
そして更にパーティーの場で、伯爵という想定外の爵位を提示されたことで、今度はその嗅覚を鈍らせた。
そうしてブラウから提示された餌に飛びついた彼女は、悪手を打つこととなる。
「エリーゼ様。まさか貴族院がこうも用意周到にレムリアックを押し付けてくるなんて、誰もわかりはしませんよ。むしろ私としては、別に失敗して当たり前という気持ちでやれますし、逆に新米貴族としては気楽だというものです」
ユイがエリーゼを気遣うようにそう話すと、反対の方向からエインスが笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「そうですよ。それに先輩は往生際が悪いですからね。この間も、土壇場でブラウ公に向かってとんでもないこと言い出しますし」
「税の減免のことかい?」
「そうです。それと十倍の税金を払うって話もです。正直言って、また無茶を言い出したと思いましたよ」
エインスは肩をすくめながら呆れたような口ぶりでそう告げると、ユイは弱ったように頭を搔く。
「おいおい、最初に無茶を言ってきたのは向こうだろ、この順番を間違えないでくれよ」
「ブラウ公が悪辣な罠を仕掛けてくるのは、存在意義そのものだからある意味妥当だ。それよりも本当にどうするつもりだ、あんな大見得を切って」
それまで石像のように腕を組んで押し黙っていたリュートは、射すくめるような視線をユイに向けると、そのままゆっくりと唇を動かす。
その鋭い眼光を真正面から受け止める形となったユイは、すぐさま視線を反らすと、とぼけたように曖昧な返事を口にした。
「まあ、なるようにしかならないさ」
「なるようにだと……流れに身を任せるだけで十倍の税を収めるれるようになるのなら、世の中苦労する領主などいないと思うが?」
短いながらも軍生活の殆どを王都勤務で過ごしきたリュートは、貴族たちの中の格差とその栄枯盛衰をこれまで幾度も目にしてきた。それ故に彼は、皮肉めいた言動を取りつつも、ユイに向かって真剣に取り組むよう示唆する。
一方、そんなリュートの意図をなんとなく理解したユイは、自らの考えを伝えるために、ある問いかけを口にした。
「はは、確かに。でも根本的な問題としてさ、彼等が本当に十年も私を伯爵待遇のままにしておくと思うかい?」
「なるほどね。どうせすぐに難癖を付けて領地と爵位を奪い取りに来るだろうから、十年後の約束など空手形同然だと言うわけだ」
その場に同席していたアレックスは、いつも以上に目を細めながらそう呟くと、ユイは苦笑いを浮かべつつ小さく頷く。
「うん、半分は正解かな。どちらにせよ、彼らの真の狙いは私の失脚さ。だから彼等が難癖付けてくる前に、もらえるものはもらっておこうと思ってね。まあ最悪十年後全くダメだったら、私が責任をかぶって逃げてしまえばそれで終わりさ」
「はぁ……どうせそんなとこだろうと思っていましたよ」
エインスは呆れたように溜め息を吐くと、目の前の机に突っ伏す。
ユイはそんな彼に目をやりながら、わずかに時間を気にする様子を見せていた。
すると、そんな彼の仕草に気がついたアレックスは、この会議において一つだけ残された空席に視線を向ける。
「しかしラインバーグ大臣は如何されたのかな。あまり時間に遅れるような方ではないはずだけど」
「ふん、ユイの奴とは違うんだ、なにかやむを得ない理由があられるのだろう」
腕組みをして目を瞑ったままのリュートは、アレックスの発言を受けてラインバーグを擁護する。
しかしそのリュートの言葉の中に含まれていた毒に対し、ユイはげっそりした表情を浮かべながら思わず反論した。
「おいおい。それじゃあさ、まるで私がいつも会議に遅刻しているみたいじゃないか」
「それ以外の何かに聞こえたか?」
突然槍玉に挙げられたが故に、ユイは頬をふくらませながら反論する。
しかしリュートは子供っぽい仕草を見せるそんな彼を容赦なくバッサリと切り捨てた。
途端、ユイは一層不満そうな表情となると、そのまま苦言を呈す。
「いいかい、リュート。正直言って、ここ最近の会議に私が遅れたことはないよ。嘘だと思うなら調べてみたらいい」
ユイは両手を広げながらそれだけ告げると、言いたいことは言い切ったとばかりに、大きなあくびを一つ行う。
そんなユイの行動と発言に対し、最も早く反論を口にしたのは、いつも時間調整を押し付けられる羽目になっている彼の後輩であった。
「そりゃあ、先輩は自分に関わる全ての会議を、尽く午後に開くよう口出ししてきましたからね。しかし今日も自分の都合でこの時間を決めたっていうのに、どうしてそんな眠そうにしているんですか……念の為に言っておきますけど、いつものように会議に飽きて昼寝するのは止めてくださいね」
「勘弁してくれよ。私がちょっと昼寝をするぐらいで誰に迷惑をかけるというんだい……って、こんな事を言っている場合じゃない。今日は次の予定が入っているんだ。申し訳ないけど、私はここで失礼させてもらうよ」
ユイは時間を確認しながらそう口にすると、苦笑いを浮かべつつ困ったように頭を掻く。
「ちょ、ちょっと。一体、どこに行くつもりですか先輩。先輩の都合に合わせたこの会議は、まだ始まってさえいないんですよ」
「いや、そうなんだけどね。でも少し急ぎで、どうしても外せない用があってさ。あ、これを作っておいたから各自目を通しておいてくれ。今回のことで必要になるものと人員の草案だから。もっとも、このあとで多少は変わる部分が出るかもしれないけど」
ユイは椅子から立ち上がると、今後の計画について三枚の用紙にまとめた計画書を皆へと配る。
そこには今後領地経営を行っていく上で必要となる物資や人材、そしてそのコストがおおまかに記されていた。
計画書を配り終えたユイは、皆の注目が紙面へと移ったことを見計らうと、そのまま部屋の入口へ向けて移動を開始する。
だがそんな彼の動きに気がついたエリーゼは、今にも部屋を立ち去ろうとするその背中に声をかけた。
「お待ちなさい、ユイ。別にこの会議を抜けるのは構わないけど、行く前に一つだけ聞いておきたいことがあるの」
「何でしょうか、エリーゼ様」
「先日あなたは二つお願いを口にしましたよね。その二つ目としてあなたは、名前のことを要求しました。ずっと気になっていたのだけど、あれには何か意味があったのですか?」
エリーゼはあの日から気になっていた疑問を、ユイに向かってぶつける。
するとユイは、一瞬なんのことかわからず首をひねった。
「名前の件って……何か有りましたっけ?」
「……先輩。先日ブラウ公を前にして、フォン・レムリアックを名乗らないと言っていたじゃないですか。その件ですよ。やはりこんな時間になってもまだ寝ぼけているんですか?」
ジト目でユイを睨みながらも、エインスは彼に記憶の助け舟を出す。
すると、ユイはようやく伯爵名を名乗らないと口にしたことを思い出した。
「ああ、あれね。あった、あった。えっとあれはさ、もし受け入れていたら、長ったらしい名前になってすごく面倒じゃないか? 主に署名する時にさ」
「まさかとは思いますが、署名する際の文字数が増えるのが嫌だった……とか。いくらなんでも冗談ですよね?」
エインスはユイのことであるから、事実である可能性は低くないと認識していた。
しかしながら仮にユイの考えだとしても、そのあまりにひどい理由に、エインスの脳はその可能性を理解することを拒む。
だが残念なことに、疑念を抱かれることになった当の本人は、そんな後輩の悲しい予想をあっさりと肯定してみせた。
「冗談ですかって言われても……そんなに変なことを言っているかい? 例えばフォンなんて一度書くだけなら三文字だけど、仮に月に一万枚の書類にサインするとすれば、三万文字も書く量が増えるんだよ。場合によっては伯爵号も記載しなければいけないし、そんな面倒なことはやってられるわけないよ。あんなのはさ、どこぞの貴族なんかが、せっせと書いていればいいのさ」
「先輩は以前からどこか価値観がおかしいと思っていましたけど、ここまでとは……というか、僕もどこぞの貴族なんですよ、それも結構大きな」
エインスが心底呆れた表情を浮かべて肩を落とすと、ユイはあまり気にしていないのか、頭を掻きながら軽口をたたく。
「ああ、そういえばそうだったか……じゃあ、エインスも辞めれば?」
「できるわけ無いでしょ! 全く先輩はこれだから……リュート先輩も何とか言ってやってくださいよ」
「俺に振るな。こいつの性格に関しては、とっくの昔に諦めている」
ユイの書いた草案を目に通すことに忙しいリュートは、期待に満ちた目で見つめてくるエインスに対し、条件反射的にそう口にする。
「ともかく私は行くよ。あまり待たせたら、すぐにへそを曲げる人物との約束だからね」
「ユイ。この忙しい時期に、君がわざわざ会いに行くへそ曲がりってことは、今から士官学校に行くということかな?」
「ああ、ちょっとあの頑固親父に会わなければいけなくなってさ。そういうわけで、あとはよろしく」
それだけ口にすると、ユイは後ろを振り返ること無く、そのまま部屋のドアから出て行ってしまった。
そうして残された者達は顔を見合わせると、真っ先にエインスがエリーゼへと謝罪する。
「すいません、エリーゼ様。せっかく今日はエリーゼ様がお越しになられたというのに、相変わらずあの人はマイペースで」
「いえ、構いませんよエインス。今日の私は彼に謝るためにここに来たんです。ですから、特に気にしていません」
エリーゼはニコリと微笑んでそう口にすると、彼女は再びユイが書いた手元の草案へと目を落とした。
そうして皆がその資料を読み込み出したせいか、会議室は幾ばくかの合間静まり返る。そしてその沈黙が破られたのは、ノックの後に部屋のドアが開けられる音が響いた瞬間であった。
「すまんな、ちょっと遅くなってしまった」
「待っていましたよ、ラインバーグ。しかしあなたが遅れるなんて珍しいですね」
申し訳なさそうな表情を浮かべながら部屋へと入ってきたラインバーグを目にして、エリーゼは微笑みながら声を掛ける。
「おや、エリーゼ様もお越しでしたか。いや、申し訳ありません。実は内務省経由でここへ来たのですが、先ほど王城の入り口で帝国の外交大使と顔を合わせてしまい、多少時間を食ってしまったもので……まあそれはともかく、ユイのやつはどこへ行かれました?」
「先輩なら先約があると言って、この手抜きの資料をここに置いたまま士官学校に行ってしまいましたよ」
エインスは手元の走り書きに等しい草案の紙を示しながら、困った表情を浮かべる。
すると、ラインバーグは余っていた草案を手にすると同時に、あいつらしいと苦笑いを浮かべながら手近な椅子へと腰掛けた。
「……そうか、ならヤルムの奴からの伝言はまた今度だな。ともあれ、まずはこの資料とやらに目を通させてもらおうか」
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