第3話 外務省省外会議室

「先輩……なんですかこの部屋は。というか、いつの間にこんな大量の本をここに持ち込んだんですか」


 長年の付き合いのある先輩が国に戻ったと聞くなり、彼が最も居そうな場所へと足を踏み入れた青年は、自らの予測が正しかったことを理解する。

 しかしながらそれは、あまりに残念な光景によって引き起こされる頭痛と引き換えであった。


 この国の親衛隊長であるエインスが目にしたもの。

 それは軍務庁舎内にある旧親衛隊室を埋め尽くすかのように乱雑に積み上げられた本の山と、その中に埋もれるようにして眠っている救国の英雄ユイ・イスターツの姿であった。


「ん? ああ、エインスか……おかえり」


 聞き慣れたエインスの声を耳にしたユイは、周囲の書物の山を崩しながら、ゆっくりと体を起こす。

 そして寝ぼけ眼でを数回擦ると、二度頭を掻いた。


 そんな堕落と怠惰を体現するかのようなユイの姿を目にして、エインス呆れたような表情を浮かべる。


「おかえりじゃないですよ。というか、なんでこの部屋に泊まっているんですか?」

「そりゃあ官舎がないからさ。まさか半年もたたぬ内に呼び戻されるとはさすがに思っていなかったからね」


 まだ眠そうな目をどうにか開く努力を行いながら、ユイは苦笑を浮かべつつそう答える。

 確かにユイの言うとおり、現在のエルトブールにおいて彼の住居は存在しなかった。それは以前まで軍の借り上げの官舎に住んでいたことに理由がある。


 彼が外務省の人事でラインドルへ向かうと決まった瞬間、既に彼の住んでいた家には別人の転居が決定されていた。

 だが突然ユイが帰国したからといって、元々の官舎に移り住んだ家族を追い出す訳にはいかない。それ故にユイは、自らのすみかが決まるまでこの旧親衛隊室で過ごすことを、彼の中だけで決定した。


「あのね、先輩。いいですか、ここは軍の施設なんですよ、それもこの国の中枢と呼ぶべき施設です。そんな中を住居にする人間がどこにいるんですか?」

「でもさ、もう私の住居って宣言しちゃったし……」

「宣言した? ……まさか」


 ユイの言葉を耳にするなり嫌な予感を覚えたエインスは、慌てて部屋の外へと駆け出す。

 そして部屋の入口に掛けられた木製の板を目にした瞬間、彼は全身を脱力させるとその場にへたり込んだ。


「親衛隊室兼外務省省外会議室兼『イスターツ家』って……先輩、軍というものをなめているでしょ?」


 かつて第二校長室と書かれていた部分は縦線を引いて取り消され、そこには外務省の文字が記されている。そしてさらにその脇には小さくイスターツ家という記載がボロボロの看板に添えられていた。


 もはやどこから突っ込んでいいのかわからぬエインスは、疲れきったかのように両肩を落としながら部屋の中へと戻ってくると、その看板を書き上げた人物をジト目で睨む。


「別に舐めてはいないさ。何事も有効活用だよ。どうせ夜間は誰もこの部屋を使わないんだ。私が一人ここで暮らしていても特に問題はないだろ?」

「あるんですよ問題が。ああもう、家くらいなら申請してすぐに用意しますから、とっとと出て行く準備をしてください」


「やだよ。だって家なんかに住むと、すぐ散らかるじゃないか。ここだったらその心配がないしさ」

「ここが散らからないのは、先輩が散らかしても、クレイリーさんたちが掃除してくれているからです。ほんと先輩は一人では生きていけない人なんですから……いい加減いい歳なんですし、結婚でも考えられたら如何ですか?」


 エインスからの小言を耳にして、ユイは困ったように数度頭を掻く。


「私がかい? はは、相手もいないのに、結婚なんてできるわけないだろう……それに何より」

「……何より?」


 エインスは嫌な予感を覚えながらも、ユイに向かって視線を合わせる。

 するとユイはだらけた表情のまま、迷いなく一言言い放った。


「めんどくさい」

「……はぁ」


 ユイの言葉に呆れた果てたエインスは、再び全身を脱力させると、深い溜め息を吐き出す。

 そんなエインスの反応に納得がいかなかったのか、ユイは唇を尖らせながら反論した。


「おいおい、そんな呆れた顔をするなよ。それにお前こそいい加減、腰を落ち着かせたらどうなんだ。大公の子息たるもの、あまりフラフラしてるのは、どうかと思うけどな」

「ぐぅ……また痛いところをつきますね。昨日も父さんに言われましたよ」


 昨夜もいつものように裏庭からこっそりと帰宅したエインスであるが、間の悪いことにその現場を父であるジェナードに見つかってしまった。

 そのせいでさんざん説教を受ける羽目となり、エインスはその記憶を蘇らせるなり、思わず渋い表情を浮かべる。


 一方、そんなエインス達の情景が脳裏に浮かんだユイは、こられきれず軽い笑い声を上げた。


「はは、あの人らしい」

「……まあ、今はその話はいいでしょう。それより、一体この本はどうしたんですか? どれも士官学校の貸し出し禁止印が押してあるみたいですけど」


 エインスは周囲に転がっていた本の数冊を手にとってパラパラとめくり、その中身を軽く斜め読みしていく。

 白魔法原論、世界構造学概論、根源論、ワームラー冒険譚、病理気学大全、そして標準呪術学。


 それらはジャンルや内容において全く関連性を見出すことができず、さらに中にはエインスの知らない言語で書かれたものまで混じっていた。


「ああ、これは全部アズウェル先生の私物さ。どうも教授室と研究室に本が収まらないから、こうやって貸し出し禁止にして、図書館に置かせてもらっているみたいだね」

「……いつものことながら、先輩の趣味ってわからないですよね。まあ、この部屋に住む住まないは置いておくにしても、こんなふうに貯めこむんじゃ無しに、ちゃんと返してきてから次を借りてきてくださいよ。念を押しておきますけど、ここは先輩の私室ってわけじゃないんですからね」


 エインスは首を左右に振りながら、呆れたようにそう告げる。

 するとユイは誤魔化すような苦笑いを浮かべながら、頭を二度掻いた。


「ああ、後ろ向きに検討しておくよ」

「後ろ向きって……はぁ、なんか先輩と話しているとどっと疲れてきましたよ」

「それは大変だ。じゃあ、お大事に」


 ユイは軽い笑みを浮かべてそう口にすると、再び眠気に誘われるまま目を閉じようとする。

 その姿を目にしたエインスは、両手をわなわなと震わせながら、目の前の堕落青年を叱りつけた。


「ああ、もういい加減起きてください! 今日は用があって、先輩に会いに来たんですから」

「ふぅん、そりゃあ奇遇だ。そういえば、私も君に用があるんだった」


 半分閉じられかけた瞳のまま、ユイは悪びれた様子もなくそう返す。


「なんというか、とてもそうは見えませんけど」


 もはやこれ以上たしなめる言葉を口にする気力も失ったエインスは、やや皮肉気味にそう言い放つ。

 するとユイは、そんな彼の意図を気にした素振りを見せず、要件を切り出した。


「ともかく君の要件はわかっているよ。早く挨拶に来い、たぶんそのあたりの話だろ」

「わかっているんじゃないですか。だったらあの方の機嫌が悪くなる前に、早く行ってあげてください」

「はは、そうしたいからここで待っていたのさ」


 自らの発言に対しまるで噛み合わぬかのようなユイの回答。

 それを耳にしたエインスは、思わず眉間にしわを寄せた。


「……どういう意味ですか?」

「言葉通りさ。王都に着いたのは一昨日なんだけどね、どうにも取り次いでもらえなくてさ。それどころか、君たちへの接触も横槍を受けていてね」

「なんですって!?」


 思わぬユイの発言に目を見開くと、エインスはユイに向かって思わず詰め寄る。


「はは。落ち着きなよ、エインス」

「落ち着いていられますか。一体どういうことなんですか!」


 表情を険しくしたエインスは、ユイに向かって強い口調で詰問する。

 そんな目の前の青年の反応に、ユイは軽く肩をすくめると、頭を掻きながら口を開いた。


「さあね、それは先方に聞いてくれ。昨日一昨日と色々理由を付けられて、私の行動が制限されていたのは事実だからさ」

「……もしや貴族院の仕業ですか?」


 現在のユイの置かれた状況から、最も考えられうる厄介な相手のことをエインスは口にした。


「まあ他にも私に嫌がらせをしたい奴はいるだろうけど、あれだけ組織的に動けるのはたぶん彼等くらいだろうね」

「だからここにいらっしゃったというわけですか……」


 ユイの全ての行動が一つの線でつながったエインスは、真剣な表情を浮かべると、目の前の男性に対してわずかに申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「ああ、そういうことさ。別に君の家に行っても良かったんだけど、まだジェナードさんたちを巻き込みたくはなかった。私に対する警戒が、どういう目的によるものかわからなかったからね」

「今はわかったんですか?」

「いや、依然として不明さ。何しろ、士官学校の図書室とこの部屋以外には何処にも行ってないんだ。まあ無駄に無関係の人を巻き込みたくはなかったし、ここにいればいずれ君たちの方から接触してくれると踏んでいたのもあるけどね」


 待ち人がきたことに対する感謝の意を込めて、ユイはエインスに向けて軽く微笑んで見せる。

 しかし笑みを向けられた当事者は、そんなユイに向かって苦言を呈した。


「……そういうわけだったんですか。でもそれなら、最初からそう言ってくれればいいじゃないですか」

「はは、確かに。まあ、眠くて少し目的を忘れていたんだよ。そこは気にしないでくれ」


 あっさりした口調でどうにも情けない理由をユイが口にすると、エインスはあえてその言葉を聞き流す。そして彼は改めて話を本題へと戻した。


「しかし連中は何のために……もしかして先輩が二位になる件を妨害しようとしているのでしょうか?」


 エインスの口から飛び出した思わぬ称号。

 それを耳にしたユイは、露骨に嫌そうな表情を浮かべる。


「二位……二位だって? 確認するけど、この私がかい?」

「ええ、もっぱらの噂ですよ。ラインドルでの政変を片付けたユイ・イスターツが次は二位になるとか、外務省もしくは戦略省の次官になるとか」


 先日、貴族などが出入りするバーで見聞きした内容を、エインスはそのまま口にする。

 するとユイは本気で嫌そうな表情を浮かべ、すぐに愚痴をこぼし始めた。


「勘弁してくれよ。また仕事が増えるじゃないか。そういった偉い人がやる類の役職は、やる気がある優秀な人がやればいいんだよ。もしそんな下らないことのために監視されているんだとしたら、喜んで拒否してあげるからさっさと手を引いてくれないものかな。これじゃあ、ぐっすりと眠れやしない」

「さっきまで、ぐっすりと眠っていらっしゃいましたが」


 あまりに自分勝手な言い分を述べるユイに対し、エインスは呆れた表情を浮かべたままツッコミを口にする。

 しかしその程度の指摘などどこ吹く風といった様相で、ユイは話を先に進めて行った。


「それはそれ、これはこれさ。ともかく、私の昇進がらみで妨害工作か……しかしそれだけだと変だな。別に私が誰かと接触することを完全に防げるとは思っていないだろうし、現にこうして君とここで会っている」

「既に今日の段階で妨害工作が解除されたという可能性は如何ですか?」


 もちろんあまり露骨にならないように、軽い妨害を貴族院は取っている可能性も考えられた。しかしそれならば、今回のエインスからのユイとの接触に関しても、何らかの邪魔があってしかるべきだと彼は考える。

 それ故に彼は、貴族院のユイに対する妨害工作は、昨日まで行われていたものだとあたりをつけた。


 一方、ユイはその両者の可能性を天秤にかけながら、その両方であった可能性を検討する。

 それは特定の人物に対する面談は、無理矢理ではあるが一応なんらかの理由を付けて遮断されていた。逆に言えば、書物を借りる為に士官学校に訪れるなどといった行動には一切の制約を受けていない。


 だからこそ自らに対する監視と妨害はあくまで最小限のものであり、そして現在エインスと特になんらかの抵抗を受けず面談していることから、時間的な観点からも極めて限定的なものであったと解釈した。


「確かにそれも否定出来ないな。連中はこの二日間の間、できることなら私に君たちと接触させたくなかったというわけだ。さてそれではこれほどゆるい妨害であった理由はなんだろうか……ふむ、もしかすると妨害工作を正面から行うと、それ自体が関係者に対するメッセージになることを恐れたのかな」


「どうでしょうか。仮にそれが真実だとして、そこまで彼らが情報を与えたくないと考える理由はありますかね。いや、もうすぐエリーゼ様の女王就任式がある。となると、やはりそれに絡んで何かを企んでいると考えるべきでしょうか?」

「わからない。でも、十分に有り得る話だね……エインス、君に一つお願いがあるのだけど頼めるだろうか?」


 顎に手を当てながら次の一手を模索したユイは、真剣な表情浮かべながらエインスに視線を向ける。


「部屋の片付け以外でしたらなんなりと」

「じゃあ、君の方で私とエリーゼ様との面談を取次いでくれ。もう彼らの妨害はないかもしれないけど、その方がより確実だろうからね」

「分かりました。きっとエリーゼ様も首を長くしてお持ちになっているでしょう。すぐに手配しますよ」


 エインスの返答を受け軽く苦笑を浮かべると、ユイは少し間をとったのちにゆっくりと頷いた。


「ああ、ありがとう。ちなみにエリーゼ様の女王就任式典はいつの予定なんだい?」

「現在のところ十日後です。ですから、エリーゼ様が先輩の到着にやきもきしていたのもその辺りにありまして」


 エリーゼに関するくだりを軽く肩をすくめてやり過ごしながら、ユイは相手方の思惑を脳内で模索する。そして思わず思考過程が彼の口から言葉としてこぼれた。


「ふむ、十日か。何か政治的にしかけるとしたら、確かに今が最後の機会だったというわけかな」

「先輩?」

「あ……いや、気にしないでくれ。ただのひとりごとさ」


 口にするつもりのなかった内容を耳にされて、ユイは恥ずかしそうに頭を掻く。

 すると、エインスもあえてそれ以上言及しなかった。


「ともかく、エリーゼ様の件は明日にも面談※して頂けるよう手配しておきますので」

「よろしく頼むよ」

「では、僕はこれで。あと、ちゃんと自分で片付けしておいてくださいね」


 エインスはユイに向かってそれだけ告げるとそのまま部屋から出て行く。

 そしてドアが閉じる音を確認すると、ユイはゆっくり深い溜め息を吐き出した。


「さてこの時期に女王に就任されるのは、吉と出るか凶と出るか……サイコロの目には最近嫌われているけど、今回は良い目が出て欲しいものだね」

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