第7話 亡命者

「カインス! 旦那の許可は下りたぜ」


 ユイの指示を耳にするなり、クレイリーは隣で駆け出したカインスを煽る。

 しかしカインスは、あまり乗り気でない表情を浮かべながら言葉を返した。


「兄貴……オイラはあんまり殴りあうのは好きじゃないんですけどね」

「おい、そんな旦那みたいなことを言ってるんじゃねえ。ほら、一人そっちに行ったぞ」


 渋るような言葉を口にするカインスに対し、一人の兵士が向かって行ったことをクレイリーは告げる。

 その声でカインスは前方へと視線を向け直すと、額に傷を持った兵士がものすごい形相で迫りつつあることを理解した。


「仕方ないですね」


 突如殴りかかってきた男の腕を、カインスはその太い腕であっさりと捕まえる。

 そしてその兵士の腕を掴んだまま彼はぐるりと一回転すると、自らに迫り来る三名の兵士たち目掛けて、その男を放り投げた。


「やっぱりお前の力は半端ないな」


 カインスによって軽々と放り投げられた男を受け止めるため、両手が塞がる形となった兵士たちを目にし、クレイリーはそんなことを口にしながら彼らへと接近する。

 そして慌てた彼らが身構えるより速く、クレイリーは最も手前に位置した兵士を躊躇なく全力で殴り飛ばした。


「兄貴……別にオイラはですね、人間を投げ飛ばすためにこの体を作っているわけじゃないんですよ」


 わずかに遅れて駆けつけてきたカインスは、そう口にしながらやや小柄な兵士の脇に両腕を差し込む。

 そして兵士の背後で自らの手をガッチリと掴むと、彼は勢い良く後方へとホールドした兵士を反り投げた。


 カインスによって放り投げられた兵士は、まるでピンポン球のように後方へ投げ飛ばされる。そして背後にあった青果店の果物の束にぶつかりったまま、ピクリとも身動きをしなくなった。


「取り敢えず三人。そしてこいつで四人……と」


 カインスのケタ違いの腕力に度肝を抜かれ、完全に隙だらけとなったもう一人の兵士。

 そんな彼に対し、クレイリーは左手で相手の肩口を捕まえながら右腕をぶん回すと、そのまま兵士の首を狩る形でなぎ倒した。


「さて、あと何人だ?」


 クレイリーは次なる獲物を求めて、周囲をぐるりと見渡す。しかし彼の視界の中に、ラインドル兵の姿が映ることはなかった。


「兄貴……姉さんが派手に魔法ぶっ放したようで、もう全員のしちまったみたいです」

「……マジかよ。まったくあいつは」


 弓使いであるが故に空間把握能力に優れたカインスの発言を耳にし、クレイリーは途端に呆れた表情を浮かべる。

 すると、そんな言動を耳にした赤髪の女性が、目尻を吊り上げながら不機嫌な声を彼へと浴びせてきた。


「あん? なんかアタイに文句あるのかい?」


 その言葉をきっかけとしていつものいがみ合いを二人が始めた頃、馬車の中に子供を置いてきたユイは、地面に転がる無数の兵士たちを目にして溜め息を吐き出す。


「はぁ……こりゃまた、派手にやったものだね」

「閣下。もしかすると外交問題になりますよ」


 戦闘が終わったことを確認し恐る恐る馬車から降りてきたノア。

 彼女はユイの側へと歩み寄ると小さな声でそう告げる。


「まあ、やってしまったものは仕方がないさ。最初に手を出した時点で覚悟の上だしね。そういえば、そこのお兄ちゃんも大丈夫かい?」


 仕方がないという表情を浮かべながらノアにそう告げると、ユイは自らの視線をフード姿の男へと移した。


「はい。あの人数だと僕一人ではとても捌ききれませんでしたので、本当に助かりました。ありがとうございます」


 フードを被っているが故に顔の上半分はわからなかったものの、ユイはその口元に安堵の表情を浮かべていることを見て取った。

 そして改めて彼に向かい言葉を口にしようとしたところで、突然横合いから不満そうな女性の声が彼らの会話に割り込んでくる。


「おい、待ちな。礼を言う相手が間違っているよ。アタイが最初にあの馬鹿どもをぶっ飛ばしてやったんだ。それに隊長は全く手を出してないじゃないか」

「はは、ナーニャ。そんなことはどっちでもいいじゃないか」

「良くはないよ。まったくだから隊長は――」

「はは、ともかくこの場に長居すると、また面倒なことになりそうだ。取り敢えず、大使館に戻るとしよう。あそこならこの国の司法の手もしばらくは及ばないだろうし……というわけで、馬車の中の子も連れて行くから、君も私達に付いてきたまえ」


 ユイは柔らかい笑みを浮かべながら、フード姿の男に向かってそう声をかける。


「いや……僕は……ちょっと」


 思わぬ誘いを受けたフード姿の男は、驚くとともに戸惑いを見せる。


「これだけの騒ぎを起こして、一人で逃げ切れる算段はちゃんとあるのかい? そうでなければ、一緒に来たまえ。君がどういった組織に所属していようが、今回の件では共犯なんだから気を使おうとも一緒だよ」


 そう口にしながら、ユイはカインスへと目配せをする。

 すると、ユイの無言の指示を受けたカインスは、丸太のような腕でフード姿の男の肩をガッチリと捕まえると、有無を言わせずそのまま馬車の中へと連行していった。


 そうして出発時より二名多くなった人員を無理やり収納すると、馬車は改めて大使館への道を進み始める。


 大柄なカインスなどもいるため室内はまさにすし詰め状態。

 しかし予定外の乗員のこともあり大使館に着くまで誰一人として口を開くものはなかった。


 そうして馬車が大使館に近づいてくると、二人の予定外の客を見つからないようにするため、ユイは大使館の裏側へ馬車を回すように指示を出す。

 そして裏通りに馬車を止めさせると、職員のみが使用する裏口から、一行は大使館の中へと忍び込んだ。


「旦那、先導しやすぜ」


 クレイリーが周囲を警戒しながら、一行の先頭に立って皆を先導していく。

 職員の目をかいくぐりながら、彼らは裏手の階段を駆け上がっていくと、執務室のある三階まで辿り着き長い廊下へと足を踏み入れた。


 そうして結果的に、ユイ達一同は、誰からも呼び止められること無く、執務室にまで辿り着くことに成功する。


「うまくいきやしたね」

「ああ。職員の数は多いけど、大使館そのものが大きいお陰で助かったよ」


 一行が安堵し、室内に弛緩した空気が漂いかけたその時、突然執務室の扉がノックもされずに開かれる。


「閣下! 失礼を承知で入りますぞ!」


 その声ともに部屋の中へと押し入ってきたのは、血相を変えたホイス次席大使であった。


「……や、やぁ、ホイス君。こんにちは」


 ホイスの後ろに控える警護の兵士たちに向かいチラリと視線を走らせながら、ユイは誤魔化すかのような笑みを浮かべつつ返答する。


「閣下、一つお尋ねしたい。失礼ですが、後ろにお連れの方々は一体どなたですかな?」


 ユイの後ろに控えるどう見ても棄民にしか見えない子供と、顔をフードで隠した怪しい男を視界に捉え、ホイスは険しい表情を浮かべながらユイを詰問した。

 これだけ素早いホイスの対応から、執務室までのどこかで目撃されていたことを理解し、クレイリーはまずいことになったとばかりに目頭を押さえる。


「えっと、この子たちのことかい? 話すと長くなるんだけどさ、いわゆる我が国への亡命者……かな」


 詰め寄られる形となったユイは頭を掻きながら、完全にホイスの想定外の言葉を口にする。


「ぼ、亡命者ですと?」


 まったく予期せぬ回答を提示されたホイスは、思わず一瞬言葉を見失う。

 すると、そんな彼を畳み掛けるように、ユイは矢継ぎ早に口を開いた。


「ああ、亡命者さ。ここは大使館で、私は大使だからね。亡命を求めようとする者を、無下にすることはできなくてさ」

「私には棄民の子どもと、怪しげな浮浪者がいるようにしか見えませんが……改めて確認いたしますが、どちらに亡命者がいるのですか?」

「だからさ、ほらここに」


 顔に貼り付けた笑みを崩すことなく、予期せぬ展開に動揺するフードの男と、まったく話を理解していない子供の肩にユイは手を乗せる。


「……正気ですか?」

「ああ、正気も正気。じゃあ、詳しいことは後日説明するから、あとはその時にでも」


 ホイスに向かってそれだけ述べると、もはや話は終わったとばかりに、ユイは彼らを部屋の外へと追い払う。

 一方、追い払われる形となったホイスは、明らかに普通ではない何らかの事情をそこに感じ取った。


 しかしながら、現段階では何らの証拠も手元に有しておらず、自らより役職は上であるユイに対し、彼はこの場でこれ以上詰め寄ることを断念する。


「おい、どういうことだ。奴はムラシーン殿に会いに行ったはずじゃなかったのか? 亡命者をここに連れてくるなんて話は聞いてないぞ。ましてや、あんなわけのわからん二人をな」


 廊下に出てユイ達の目がなくなった瞬間、彼は部下に向かって苛立ち混じりの疑問をぶつける。


「私にも一体なにがどういうことなのか……」


 困惑の表情を浮かべたまま二の句を継げない部下に対して、ホイスは眉間に皺を寄せたまま彼を睨みつける。

 そしてすぐさまホイスは、怒鳴りつけるように部下へと命令を下した。


「あのユイ・イスターツが連れてきたのだ、何らか理由があるに違いない。すぐさま調査を行うんだ。それとムラシーン殿への報告も忘れるなよ」

「はっ、直ちに」

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