第6話 棄民

 王宮でのムラシーンとの会談を終えると、ユイはクレイリーたち引き連れ、帰りの馬車へと乗り込んだ。


「それで、ムラシーン宰相はいかがでした?」

 クレイリーが馬車が動き出したことを確認して、ユイに会談での印象を尋ねる。するとユイは複雑な表情を浮かべ、少し回答に迷った上で、口を開いた。


「なかなかだね。まあ今日は本当に挨拶だけのつもりだったんだが、思った以上に厄介そうな御仁だよ」

「そうですかい。旦那がそう言うってことは、本物のようですな」

 クレイリーはツルツルの頭をさすりながら、ユイの言葉を元にムラシーンを論評する。


「ところで、ノア君。宰相殿は最初から手短にという話だったんだが、そんなに忙しいのかな? どうも次の仕事が押していたようだったんだが」

 ユイは馬車に乗るなり酒を飲み始めるナーニャを、隣からチラチラと見ているノアに対して声をかける。するとノアはハッと向き直り、ユイに対して返答した。


「えっと、私も詳しいことはわかりませんが、国内の政治を王宮で全てこなされていることもあり、外出されることもないそうです。ほぼ一日中執務室に篭りきりとも噂されていますね」

「へぇ、そこまでして、権力なんか欲しいもんかね。あたいはこいつさえあれば、他になにもいらないんだけどねぇ」

 ナーニャはそう言いながら、再び酒瓶に口をつけると、ノアに向かって飲むかいとばかりに差し出した。しかしノアは両手と首を左右に振って断る。その仕草を見ると、ナーニャはあっさりと興味をなくしたように、再び酒瓶を口元に引き寄せた。


「しかし執務室にいるだけではできないこともあるだろ。この国はうちみたいに内政と軍事でトップを分けているわけじゃないんだ。軍事演習とかの視察や国家行事などの出席などはどうしているんだい?」

「いえ、そういったものも一切出席されないようです。なんせ自宅にさえも戻らず、今は生活さえ全て王宮で済まされているという話です。なので、この国の市民たちでも、ムラシーン宰相の姿を見たことないものが大半という話ですね。実は私も一度も見たことがなくて、それで御同行出来ればと、お願いしたわけでして」

「ああ、それは済まなかった。しかし王宮から離れないね、なるほど。まぁ、それだけ大変だということかな」

 ユイは顎に右手をさすりながら、なにか考えこむ仕草をしながら二度頷く。


 そうして一行を乗せた馬車は、王宮を完全に離れ城下町の中を走り始めた。元々緊張感とは無縁の酒臭い女性を除けば、馬車の中は一つの会談を終えたこともあり、ようやく弛緩した空気が流れはじめる。そうしたことから、ようやく周囲の街並みを見渡す余裕もできると、クレイリーやカインスはノアに向かって、市内の建物のことなどを次々と尋ねていった。ユイはノアが二人に向けて行う説明を、ぼんやりと聞きながら、馬車の進行方向の窓を眺めていると、その視界の中に見慣れない子供の姿を捉えた。


「あれはなんだい?」

 ユイがまだ幼いであろう子供が、ボロボロの衣服で物乞いのような仕草をしているのに気がつき、その子を指さしてノアに尋ねた。するとノアはやや陰りのある声で俯き加減に答える。


「あれは、棄民の子供ですね……」

「棄民?」

 ユイが聞きなれない単語を耳にして、思わず聞き返すと、ノアは心痛な表情を浮かべながら説明をした。


「ええ、宰相がこの国の実権を握るようになってから増えている、家族に捨てられた人たちのことです。そのほとんどは老人や幼い子どもたちでして。というのも、宰相は国家の衰退を招くと福祉政策を全面的に見直されましたので、自らの親や子を養えない家庭が増えたことが原因なのですが……」

「ふぅん。それで、その使わなくなった予算はどこへ割かれたんだい?」

 ユイの疑問に対し、ノアは視線を左方へと動かすと忌々しげに口を開いた。


「あのような者たちにです」

 ユイは彼女の視線の先を追うと、そこには市内を巡回中の見るからに柄の悪そうな二人の兵士がその場にいた。


「ああ、軍事費かい。なんていうか、ありきたりな話だね」

「ええ。でもそんなことに金を使って何になるのでしょう。この国は周囲を海に囲まれ、唯一の地続きが南の我がクラリスです。福祉予算を削ってまで、軍事費を増やす意味なんて……」

 ノアは頭を振って、この国の政策を否定すると、ユイはあっさりとした口調で彼女に答えた。


「意味はあるんだろう」

「えっ?」

 ユイのなんでもないような呟きに、思わずノアは驚きの声を上げる。


「だから、意味はあると思う。具体的には二つだね。一つは国内の治安というより宰相の支配体制の確立だね」

「それは……」

「人は誰でも金を出してくれる相手には恩義を感じるものさ、その相手が誰であれね。そして利害で結ばれた関係は、通常より大きな利がない限りはなかなか破綻しないものでね。つまり福祉を切り捨てることと引き換えに、国家の金を使って宰相個人に従う兵士を大量に雇うことに成功したと考えるべきだろうね」

 ユイの淡々とした語り口とその内容に、ノアはやや否定的な気持ちを覚えるも、反論にたる事実を見つけることができず、言葉を見失う。しかたなく、やや気分を害したような目つきをしながら、彼に先を促した。


「……それでもう一つは?」

「南に国力の弱った支配しやすそうな国があるだろう。そこを頂くためさ」

「ま、まさか。だって我が国はラインドルとは五十年以上に渡る同盟国ですよ。それを攻めるだなんて」

 ユイは祖国が侵略されるという仮定をあっさりと話すと、ノアは信じられない話を聞くように首を左右に振った。


「宰相が約束したわけじゃない。そんなものは、支配した後に言い訳を考えればいいものさ」

「ですが……」

 それでもなお、ユイの発言を否定しようとするノアに対して、ユイは優しく語りかける。


「秘書官、あなたはとてもいい人のようだ。王立大学でラインドルの歴史を専攻しただけあって、この国の歴史と政治にも明るいみたいだし有能だとも思う。しかし過去に明るいと意外と固定観念を持ってしまいがちなものだけど、国家間の約束事だからといって永久なものとは限らない。それにもともと約束なんて、お互いにとって都合がいいから取り決めたもので、より都合がいい話さえあれば、そちらに流れるのが――」

「旦那!」

 なおもユイがノアに対し自説を説明しているところを、クレイリーの鋭い声がそれを遮った。


「どうした?」

「あのガキまずいですぜ」

 ユイはクレイリーの声を受けて、再び棄民の子供に向かって視線を動かすと、その子供がまさにその時、兵士の腰に下げられた金貨袋に手をかける所であった。そしてその子が袋に手をかけた瞬間、一気に走りだそうとするも、財布を盗まれていない方の兵士が、その子供に気がつくと、あっという間に首根っこを捕まえられてしまった。


「ふざけた餓鬼だな。人様の物を盗むなと習わなかったのか?」

 そう言って、その男は子供を掴んだまま地面へと叩きつける。そしてもう一方の金を盗まれかけた兵士が、子供の腹に躊躇なく左足を乗せた。


「人のものに手を出すとどうなるか、俺たちで教育する必要があるようだな」

 その男はそう言うなり、すこしずつ子供の腹の上においた足へと体重を乗せ始める。すると子供の苦悶の声があたりに響き始めた。騒ぎに気づき、街の人々の中にも足を止めるものはいたが、それに関わっているのがガラの悪そうな兵士と棄民の子供と気づくと、一様に見なかったふりを始める。


 ユイたちの中で、最初にその事態に気がついたクレイリーが、その兵士に対して怒りの表情を浮かべると、躊躇なく馬車から降りようとした。しかしそんな彼の行動を、ユイは右手で制する。


「旦那、なんで!」

 クレイリーは思わず静止したユイに向かって、怒りの矛先を向けかけるが、ユイはなにも言わず首を左右に振ると、周囲で遠巻きにその光景を見つめる野次馬の中で、明らかに異なる動きをする一人の男に視線を向ける。その人物は、やや平均より低い印象のフードをかぶった男であった。彼は兵士たちの背後へと、音も立てずに忍び寄ると、兵士に反応させることもなくあっという間に右拳を二閃した。


 背後から突然殴られた男たちは、自らを襲った急な痛みに、一瞬なにが起こったのか理解できなかった。しかし地面に手をつけている自分たちの目の前で、フードを被った怪しげな男が、先ほどの盗みを働こうとした子供を介抱する姿に気が付く。その瞬間、何が起こったのか事態を察すると、兵士たちは途端に激昂する。


「てめえ、俺達に手を出すとはどういうことかわかってんのか?」

「ふん、君たちはまるでハイエナだな。弱いものをなぶって楽しむ質の悪いハイエナだよ。野獣は野獣らしく、人間相手に口を開かないでほしいものだね」

 そのフードを被った男は、やや若い青年のような声で、その兵士たちを挑発した。


「なんだと!」

 兵士たちは、その言葉を受けるなり、怒りに任せてすぐさま起き上がると、フードの男に向かって突進する。しかしその男は鮮やかな体捌きで、二人の男の突進をかわすと彼の右側にいた男の左腕を捕まえると、そのままその背後へと回し、腕を一気に絞り上げた。


「くっ、き、貴様!」

「おっと、もう一方の野獣くんも動くんじゃないぞ、お仲間の腕が折られたくなければね。さて、そこの君、立てるかい。今すぐこの場を離れるんだ」

 フードの男はようやく自力で起き上がろうとした棄民の子供に、すぐさま逃げるようにと促す。一瞬その子供は、戸惑いの表情を見せたが、そのフードの男の言葉に従ったほうがいいと理解すると、慌ててその場を駆け出す。しかし、その子は数歩走った所で、大きな人間の壁にぶつかり、後ろへひっくり返るように、弾き飛ばされた。


「おい、アキムとスエブ。そんな兄ちゃん相手になにを遊んでいるんだ?」

 そこには騒ぎを聞きつけた、ガラの悪そうな巡回の兵士たちが、続々と集まってきていた。そして、その兵士のうちの一人が、自らにぶつかって転倒した子供をつまみあげると、フードの男に向かっていやしい笑みを浮かべた。


「さて兄ちゃん、そこまでだ。よくもまあそいつらを遊んでくれたものだな。さてこの子を助けて欲しかったら、おとなしくその手を放し――」

 子供を捕まえた兵士が、笑いながら話していると、突如彼のこめかみに氷の弾丸が直撃し、でかい図体が一瞬で崩れ落ちる。


「さて、そこのゴロツキども。あんたたちが誰かは知らないけど、あたいの相手をしたい馬鹿はかかってきな」

 そこには子供が人質にとられるなり、馬車から飛び出して氷の弾丸を放った赤髪の女性が立っていた。そしてナーニャが兵士たちの視線を一身に集めた隙に、ユイは全速力で子供に駆け寄ってその子を保護する。


 ユイは子供を確保して安堵の溜息を吐くと、すぐに後ろの状況を確認するため振り返った。するとそこではナーニャがなんの手加減なく兵士たちを叩きのめす光景が繰り広げられていた。その魔法を隠しもしない戦い方に、ユイはもっと目立たないようにやれるだろと頭を抱えると、彼の後を追ってきたカインスとクレイリーに向けて指示を出す。


「もう手を出しちゃったから仕方ないが……カインス、クレイリー、適当に相手してやってくれ」

「旦那はどうするんで?」

 クレイリーの問いに対して、ユイは保護した子供を両手で抱え上げると、苦笑いを浮かべ返答する。


「ん、私かい。残念ながら両手がふさがっているからね、荒事は君たちに任せるよ」

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