第13話 脱出

 帝国軍陣地の一番外れにある物資の集積テント。

 そこへと案内されたユイは、テントの入り口には見張りの兵士を置かれた上で、中で待機するよう告げられる。


「さて……参ったね、これは」


 話しかけようとも一切反応を見せない見張り兵を横目に、手持ち無沙汰となったユイは深い溜め息を吐き出す。

 そしてすることがない為、昼寝でもしようかと彼が考え始めた矢先に、先程まで顔色一つ変えなかった兵士が急にテント外へと呼ばれていった。


 何が起こったのかとユイが訝しがっていると、彼のよく知る人物が二名の屈強な部下を引き連れてテント内へと入って来る。


「やあ、ユイくん。久し振りだね」

「これはこれは、シャレム次官。お久しぶりです」


 ユイが苦笑いを浮かべながらそう返事を返すと、シャレムは愛想笑いを浮かべる。


「ふふ、今の私は、帝国のクラリス方面軍第四大隊長だよ。そのような古い名称で呼ぶのは、止めてもらおうか」

「……と言うことは、この戦争が始まる前から、帝国側に寝返っておられたということですか?」


 やっぱりといった表情を浮かべながらユイがそう問いかけると、シャレムはたるみきった二重顎を一度縦に動かす。


「その通りさ。君とラインバーグに軍を追われた後、私は自らの領地に戻っていたんだがね。そんな折に、私と話がしたいと彼等がやって来たのさ」

「なるほど……つまり閣下が、今回のことの手引きをされたわけですね」

「ふふ。まぁ、そういうことだよ」


 満足気な表情を浮かべるシャレムは、ユイの問いかけを笑いながら肯定した。


「しかし、これから閣下とまた同じ旗の下で戦うことになるとは……どうも不思議な気分ですね」

「そうかい? いや、そう言ってもらえると嬉しいが、残念ながらそんな日は訪れないよ、永遠にね」

「……なぜです?」


 シャレムの何かを含むような物言いに、ユイは不穏な気配を感じ取る。

 すると、ユイの表情の変化に気が付いたのか、シャレムは勝ち誇ったような口ぶりで彼に向かい最後通告を突きつけた。


「戦闘前のこの時期に、君のような危険分子を手元に置いておくというのはいささか危険過ぎる。そしてなにより、寝返って祖国を手にするものは一人だけでいい。つまり二人は不要なのだよ。だから君にはここで消えてもらおうと思っている」

「ちなみに、リンエン将軍もこのことはご存知で?」


 シャレムの狙いを正確に理解したものの、この指示自体がどこから出たものかを確認するため、ユイはリンエンの名前を口にした。


「いや、将軍からは軟禁するように指示を受けただけだよ。まぁ、理由などなんとでもなるさ。そうだな、貴様の裏切りが擬態であって、私に向かって反抗してきたので仕方なく殺したと言うシナリオにでもしようか」


 そう口にしたシャレムが右手を上げると、後ろに控えていた二人の屈強な兵士がシャレムの前へと進み出る。

 そして彼等はそのままユイを見下ろすと、右手側にいた兵士がなんのためらいもなく拳を振りかぶった。


「グホっ」


 ユイはその兵士の拳を腹部に叩き込まれると、大きく後ろへとのけぞる。

 そして更に追い打ちをかけるように、もう一方の兵士は蹴りを顔面に叩き込み、ユイは後方へとはじき飛ばされた。


「おっと、まだこれくらいで死んでくれるなよ。どうせ殺すのならば、多少は私の怒りを感じてもらわないとね」

「は、はは。ええっと、私は痛いのは嫌いなんですよ。できればもう少し加減をしてもらえませんか?」


 ユイは蹴られた顔と殴られた腹部をそれぞれ片手で抑えながら、シャレムに向かってぎこちない笑みを浮かべる。

 しかしどこかまだ余裕が伺えるかのような表情に、シャレムは一層の怒りを掻き立てられた。


「ふん、君の希望など誰が叶えるものか。私を嵌めたことを、死んでからも後悔するんだな。さて、再開だ。やれ!」


 シャレムがそう言い放つと、護衛の兵士達は再びユイへと近づき拳を振りかぶる。

 一方、彼等の攻撃のタイミングを計りながら、次の攻撃のためにユイが再び全身を脱力させようとしたその時、大きな革袋を抱える黒髪の小柄な侍女が鼻歌交じりに倉庫の中へと入ってきた。


「きゃあ!」


 一人の男を取り囲んで嬲るかのようなその光景に、黒髪の侍女は驚きの声を上げて立ちすくんでしまう。

 すると、予想外の闖入者に気づいた兵士達は判断に迷い、指示を乞うかの様にシャレムへと視線を向けた。


「お嬢さん。死にたくなければ、そこの隅でおとなしくしていなさい。でないと、きっと後悔することになりますよ」


 予想外の珍客に対し、シャレムはやれやれとばかりに首を左右に振りそう宣告する。

 すると黒髪の侍女はシャレムの言葉に対し、驚愕の表情を浮かべながらコクコクと何度も頷きその場にへたり込んだ。


「さて、他にも誰か来ては面倒です。あまりのんびりしていられませんので、残念ですがそろそろ消えてもらいましょうか」

「シャレム次官、どうか許してもらえませんか。私は働くのと痛いのは、どうもに苦手で……」


 命乞いをするかのようなユイの言動に、シャレムは一層愉快そうな表情を浮かべる。


「ふふふ、君はこれから労働や痛みの全てから開放されるのです。むしろ私に感謝して欲しいね。では、私を嵌めたことをあの世でも悔いるがいい。死ね!」

「いいえ、むしろ貴方達が死になさい」


 シャレムの後方から静かな声が突然発せられると、その声の主は小さな黒い影となってその場を疾走する。

 そして次の瞬間、二人の護衛兵の首筋から赤い液体が一斉に吹き出した。


「クレハ……遅い!」


 逆手持ちの形で短刀を両手に握る黒髪の女性に向かい、ユイは感謝より先に苦言を呈する。

 すると、クレハと呼ばれた少女は、ユイを睨みつけながら冷たい声を紡ぎ出した。


「貴方がこんなわかりにくい場所にのこのこと連れ込まれるからでしょ。この侍女の服を借りるのにも、骨が折れたんだから。あとエインスの坊やから預かってきたからこれをあげるわ」


 そう口にするやいなやするや否や、クレハは革袋の中に入っていた長刀を取り出すとユイに向かって投げつける。

 そうして刀を受け取ったユイは、もっと大事に扱ってくれと愚痴をこぼしながら先ほどまでの痛がっていた演技を止めた。


「さて、立場が反対になりましたね。シャレム次官」

「くそ、やはり裏切っていたのは擬態だったのか。この卑怯者め」

「はは、嘘から出たまことというやつですね。それでも、さすがに貴方に卑怯者扱いされるのは心外ですよ」


 ユイは苦笑いを浮かべながら、首を左右に振ってシャレムの言動を否定する。


「くそ、このいやしい庶民めが。一度ならずも二度までも、この私の邪魔を。貴様ごときの下賎な民が――」

「うるさいブタね。黙りなさい」


 怒りに任せてユイを罵倒するシャレムを耳障りに感じると、クレハは彼の首目がけて短刀を一閃させる。

 シャレムは彼女のその動きに反応することさえできず、そのまま前のめりに沈み込んでいった。


「あ……できれば彼は拘束して、後で国内の背後関係を吐かせたかったんだけど」

「ここでこいつを拘束しても、今は監視しておく人員が居ないわ。素直に諦めなさい。それよりもそろそろ準備に掛からないと、まずいんじゃないの?」


 ユイの愚痴には付き合っていられないとばかりに話を打ち切ると、クレハは彼を急かすようにそう促す。


「仕方ない……か。なら、こいつらの物をちょっと拝借するとしようかな」


 溜め息を吐きながら肩を落とすユイの視線は、先ほどクレハによって倒された兵士へとまっすぐに向けられていた。

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