第2話 アーマッド

 ユイ達二人が王都であるエルトブールに到着したのは、ほぼ夕刻へと差し掛かる頃合いであった。

 王都の南に備え付けられた重厚な正門を潜ると、大きな商店や宿が立ち並ぶ石畳の大通りが彼らの視界に広がる。


「これが王都ですか……噂には聞いていましたが、この通りに立っている人の数だけでも、うちの村の人口より多いですよ」


 カーリンとは明らかに異なるその光景にカインスは目を白黒させ、目の前を通り過ぎる無数の馬車や人の数を数え始める。

 一方、カインスがカーリン近くの農村出身であることを思い出すと、ユイは苦笑いを浮かべながらその口を開いた。


「さすがにお前の村と比べるのもどうかと思うが……一応、ここが王都エルトブールだよ」


 ファーブルグ大陸の西方地域において、クラリス王国は周囲に比べやや小規模の国家である。

 北のラインドル王国は同規模であったが、南にケルム帝国、東にキスレチン共和国と大陸に名だたる大国が周囲に存在しており、残念ながら国家の規模としてクラリス王国はそれらとは比較にはならなかった。


 だがこの国が弱小国であるかといえば、そうではないと言われることがほとんどである。それはクラリスが天然資源の非常に豊かな国家であるためであった。


 穀物、水資源、そして豊富に産出される魔石。

 これらの豊かな実りは、クラリス国民の日々の糧となるだけでなく、他国との商取引においても有効な商材として取り扱われていた。


 そのためこれらの潤沢な取引材料を有する王都エルトブールは、大陸西方でも有数の商業都市と言える。


「カインス。取り敢えず軍務庁舎には厩舎が無いから、すぐそこで預けて行こうか」


 まだ物珍しそうにキョロキョロしているカインスに声をかけると、ユイは城壁沿いにある軍部専用の厩舎へとまっすぐに向かい、二頭の馬を軍の厩舎員へ預けると彼らは転属辞令を受け取るために軍務庁舎に向かって歩き始めた。


「隊長……これはすごい建物ですね」


 周囲の建物よりも二回り以上大きな建築物。

 それが視界の中へと映り込んでくると、カインスは驚きとともにポカンと口を開く。


「ああ。カーリンの市庁舎もかなりのものだったけど、ここは陸軍省と魔法省、そして戦略省を加えた軍務三省の本部が入っている建物だからな」

 城を見た日には腰を抜かすんじゃないかと心配しながらも、ユイはカインスに向かいそう説明を行った。


 実際。軍務庁舎はユイの語った通り、王立軍を構成する三つの省の本部が入居するまさに軍の中枢施設である。


 魔法を使わない歩兵や騎馬兵が中心となる歴史ある陸軍省。

 近年急速に発展し、現在では魔法にて戦争時の中心を担う魔法省。

 そして戦争時の戦略を考え、主に軍部の運営に関わる戦略省。


 これら三省の中において近年魔法省に押されてきてはいるものの、ユイの所属する戦略省は軍部の頂点である軍務大臣を輩出する規定となっており軍部の花形とされている。

 そのため、四階建てである軍務庁舎の構成は、それぞれの力関係を反映する作りとなっていた。


 つまりもっとも格が高いとされる戦略省が三階に本部を置き、次の二階が魔法省、最後に一階が陸軍省となり、最上階の四階には各省の上役と軍務大臣の執務室が置かれている。


「さて、驚いてばかりいないで中に入ろうか。日が暮れる前に戦略省の本部に行って、辞令を受け取る必要があるからな」


 呆けたままであったカインスに向かい先を促すと、二人は庁舎内へと入って三階に向かう。


「すいません、カーリン市の戦略部に所属しておりましたユイ・イスターツですが……実はこちらへの転属辞令を受けたのですが」


 戦略省本部の受付に着いたユイは、カウンターの手前に座る眼鏡をかけた若い女性に向かって声をかけた。


「ええと……ユイ・イスターツさんですね。少しお待ちください」


 そう言って眼鏡の女性は、机の引き出しに入った命令書を取り出し上から順に確認し始める。そして大量の命令書の中から該当する一枚を取り出すと、彼女はその文面を確認しその表情は一変させる。

 そして突然席から立ち上がると、彼女はユイに向かって慌ただしく敬礼を行った。


「し、失礼いたしました。ユイ・イスターツ四位でいらっしゃいますね。お待ち致しておりました」


 突然の女性の対応の変化に戸惑い、ユイはその頭に疑問符を浮かべる。

 しかし脳内で先ほどの彼女の言葉を咀嚼していく中で、彼はどうにも引っかかるような違和感をある単語に覚えていた。


「四位? あの……私は五位、もしくは六位だと思うのですが」

「いえ、昨日付けで四位への昇格命令が出ております。今後の任務に関しましては、戦略局局長がイスターツ四位に直接お伝えすることとなっておりますので、四階の局長室へと向かって頂けますでしょうか?」

「はぁ……」


 突然降って湧いたような話にユイは目を白黒させ、何かの手違いではないかという希望的観測を抱く。

 しかし現状では、判断するための情報が少なすぎることもあり、ユイは自分を納得させられるだけの仮説を組み上げることができなかった。


 ただ今回の転属命令書が戦略省からではなく王女名義で郵送されてきた経緯を思い出し、ある種の悪い予感がユイの脳裏を覆い始めていく。


「あの……イスターツ四位? どうかなされましたでしょうか?」

「いや……失礼しました。ええと、戦略局局長室へ向かえばよいのですね。色々とありがとうございました」


 彼女に問題がないことを伝えるとユイは慌てて頭を下げ、そのままそそくさと四階への階段へと向かう。

 そして首を傾げながら歩き始めたユイに向かい、後ろに控えていたカインスが真面目な表情を浮かべながら問いかけてきた。


「隊長……一体どういうことでしょうか?」

「さぁね。むしろ、私の方が聞きたいところだよ……」


 そのユイの返答を受けて、カインスも同じ様に首を傾げる。

 まるで答えのでないテスト問題を前にした学生のような気分のまま、ユイは局長室へと向かい出した。


「しかし戦略局というと、隊長が以前に所属されていた部署ですよね。結局は、また元の部署に戻るということでしょうか?」

「どうかなぁ……それはないと思うんだ。お世話になっていた私の前の上司は、私の異動と同時期に局長職を解任されてしまってね。その後任となったワイセルド局長は、規律に非常に厳しくて、どうも私のことを嫌ってそうだったからさ」


 ワイセルドのような真面目型の軍官僚に露骨に嫌われていた昔のことを思い出すと、ユイはなんとも言えない気分となる。


 実際のところ組織の中において、いわゆるユイのようなややいびつな形をした歯車は、特定の状況下では機能する。

 しかし逆に言えば特定の状況下以外では使いづらく、ワイセルド達のような正論の歯車だけで構成された組織にとってはただの異端児にすぎなかった。


「ここだよ、カインス」


 そんな過去を思い出しながら足を進めていると、あっという間に局長室の扉の前へと到着する。

 そしてユイは覚悟を決めて一度強く息を吐き出すと、部屋の扉を控えめにノックした。


「はい、どなたですか?」


 彼のノックに反応するように、ドアの内側から落ち着いた声が返ってくる。

 そのどこかで聞いたことのあるような声に、ユイは違和感を覚えた。


「本日、赴任しましたユイ・イスターツとカインス・ウォールです」

「ああ、ユイ君達ですね。どうぞお入りなさい」


 その言葉の柔らかさに一層の既視感を覚えると、ユイは特定の人物が脳裏へと浮かび、迷うこと無く扉を開け放った。


「やあ、ユイ君。お久しぶりだね」

「アーマッド先生!」


 目の前に立つ四十代半ばといった感じの白髪混じりの男性を目にして、急速にかつての記憶がユイの脳裏を駆け巡る。

 そしてそのあふれる記憶の海に溺れたが故、目の前のアーマッドに対しつい士官学校時代と同じ呼び方をしてしまった。


「ははは、その様子だと私が軍本部に戻ってきていることを知らなかったようだね。実は一昨年にこちらへ呼び戻されてしまってね」

「そうだったのですか。これは失礼致しました、アーマッド局長」


 ユイが慌てて敬礼を行うと、アーマッドは苦笑いを浮かべながら首を左右に振る。


「局長はやめてくれ。士官学校に八年もいると、すっかり教師業に馴染んでしまってね。二年たっても未だにこの役職に違和感があるんだよ。だから呼び方も昔のままにしてもらえないかな」


 そう口にしたアーマッドは来客用の椅子へ座るよう勧めると、自分もその向かい側へと腰掛ける。


「しかし先生が軍本部に戻られていたとは……本当に全く知りませんでした。しかも戦略局の局長ということは、三位へと昇格されたのですよね? 遅ればせながら、おめでとうございます」

「はは、ありがとう。昇進に関しては別に悪くはないんだが、局長職はちょっとね。私としてはもう少し教授職を続けていたかったところさ」

「確かに先生は教授職が似合ってはいましたが……でも戦略部の局長職と言えばまさに出世コースじゃないですか。なにがご不満なんですか?」


 意外そうな表情を見せるユイに対し、アーマッドは顎に手を当てながら口を開く。


「そりゃあ戦略局の局長なんて言えば聞こえはいいけど、実際にやっていることはただの諜報員という名のネズミの元締めさ。つまり、あまり表にできないことをやっているような連中を従えているわけで、正直に言ってろくな奴がいないのさ。今の私の周りにはね」


 寂しそうにそう言い切ると、アーマッドは肩を落としたまま深い溜め息を吐き出す。

 その姿を目にしたユイは、この部屋に入ってから感じていたある違和感を、ためらいがちに口にした。


「先生……少し痩せられましたか?」


 記憶の中にあるアーマッドの姿と今の姿を照らし合わせ、目の前にいるかつての恩師は頬がわずかに痩け頭髪を彩る白髪は一回り増えていることに気づく。


「ああ、少しだけね。まぁ、この仕事をやっている限りは、汚いことも含めて、いろいろあるからさ。それに比べれば、やはり教師は良かったよ。士官候補生達は純真な奴も多かったし、たまにユイ君達の世代の連中みたいに、面白い生徒に出会えることもあるからね」

「隊長の世代といいますと、例えば近衛をされていましたリュート六位なんかもそうなんですか?」


 カインスが興味深そうに横から問いかけると、アーマッドは笑みを浮かべると一つ頷く。

 そして記憶をたどっていくような仕草をしながら、彼はかつての教え子達の名前を口にしていった。


「カインス君だったかな、その通りだよ。リュート君、アレックス君、そしてユイ君。彼らの世代は黄金の八十八期と呼ばれていてね、まさに特別な世代だったんだ。もちろん能力だけではなく、問題も引き起こすという意味でもね。だから私たち教師は彼等のことを悪夢の八十八期と呼んでいたものさ」


 かつての教え子たちの姿を脳裏に浮かべながら、アーマッドは昔を懐かしむようにまぶたを閉じる。


「へぇ……隊長にもそんな青春時代があったんですね。今じゃこんなのですけど」


 自らの隊長の学生時代の話を初めて耳にして、カインスは興味深そうにユイへ視線を向ける。


「おい、こんなのってなんだ。こんなのって」

「はは、カインス君の期待に反するようで申し訳ないのだけど、ユイ君は学生時代からこんなのだったよ」


 ユイを指さしながらカインスに向かってアーマッドはそう告げる。

 すると、ユイは反論することを諦めたかのように苦い表情を浮かべた。


「あの頃は色々ありましたけど、私のことは別にいいじゃないですか。それより、そんなに士官学校が好きだったのに、どうして戦略省に呼び戻される羽目になったのですか?」

「おいおい、君がそれを言うのかい? 君は知らないのかもしれないが、私が今の職に就かなければならなくなった原因は、正直言って君にもあるのだよ」

「えっ、私がですか?」


 アーマッドの口にした内容に全く心当たりの浮かばないユイは、怪訝な表情を浮かべそのまま聞き返す。


「そうだよ、はっきり言って君のせいさ。ふむ……どうやら本当にわかっていない表情だね。仕方ない、順を追って説明しようか。まず私の前任者であるワイセルドだが、彼がシャレム派に属していたことは知っていたかい?」

「……いえ。私がここにいた時にシャレム派の人間は一通り調べたつもりですが、そのリストの中には含まれていなかったと思います。でもワイセルド前局長と言えば、かつて南部のウシャーナ市の軍務長を努めておられていましたよね……つまりそういうことですか」


 シャレム伯爵領の中心都市であるウシャーナ市に言及したユイは、そこに至り一人納得する。


「ああ、そのとおりさ。君も知っての通り、ウシャーナ市はシャレム伯爵領の中心都市だからね。あそこは以前からシャレム派の巣窟だったから、彼がシャレム派であることは否めない事実だよ」


 ウシャーナ市絡みの軍人の顔を脳内でリストアップしていくと、改めてユイはそのほとんどがシャレム派であることに気がつく。

 そのユイの反応を見て取ったアーマッドは、更に彼に説明するよう再び口を開いた。


「君達によってシャレム派が解体されてなお、ワイセルドはコネと己の能力で中央へ復帰した男さ。それなりに優秀な軍務官僚と言えるだろうね。ただやはり派閥のバックアップ無しに中央で局長職を務めることは並大抵ではなくてね、次第に軍務省内での影響力を失っていき、最終的に地方へと追いやられる羽目になったということさ。まあ彼だけではなく旧シャレム派のポストは、軍務大臣であるメプラー達の草刈り場にされてしまっているからね」


 アーマッドの説明を耳にしてユイは納得したように深く頷く。

 そして気になった点を、そのまま彼に向かって問いただした。


「なるほど、そういう経緯だったわけですか……しかし気になるのは、なんで後任がアーマッド先生なんですか? 先生がメプラー大臣達と懇意にしていたという記憶は無いのですが」

「それは私に対する人事が、四大公爵への根回し工作の一つだからさ。彼らにとって大事なものは、ライン公の親戚という私の出自であって、別に私の能力なんか元々勘定に入っていないようだからね」


 首を左右に振りアーマッドが自嘲気味の笑みを浮かべると、ユイは真剣な眼差しで彼に向かい口を開く。


「そんなことはないですよ。能力的な話をするとすれば、先生以上にふさわしい人間が、この国にどれだけいます? 正直言って誰もいませんよ」

「ありがとう、お世辞でもそういってくれると嬉しいよ」

「いえ、これはお世辞ではないのですが……ともかく事情はわかりました。しかし私の上司がアーマッド先生で良かった。これで私やカインスも、ここで何とかやっていけそうな気がします」


 そう口にしたユイは、側に控えるカインスに向かい視線を移す。

 すると、カインスもアーマッドの人柄に惹かれるものを感じたのか力強く頷いた。


 そんな二人の反応に、アーマッドは少し嬉しくもどこか申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「ああ、その件なのだけどね。本当は私としても君達を戦略局に引っ張るつもりだったんだ……ただ途中で予定外の横槍が入ってしまってね」

「予定外……ですか。そういえば、先ほど受付で四位へ昇進していると言われましたが、私の階位は、確か五位のはずだったと思います。もしかすると、それも今回の人事に何か関係があるのでしょうか?」


 ユイは先ほど戦略省の受付で抱いた疑問を、アーマッドに向かってそのままぶつける。

 すると、アーマッドは彼の知っている範囲で、その疑問に関する答えを話し始めた。


「ああ、その通りだ。正直なことを言うと、私にもまだ君の役職がわかっていないんだ。なんせ今回の君の人事は王家の預かりでね、四位への昇進も王家から直接軍部への働きかけによって引き起こされたものさ……と言っても、理由が全くわからないというわけではないけどね」

「と言いますと?」


 その持って回ったかのようなアーマッドの口ぶりに、ユイは眉間にわずかにしわを寄せる。

 一方、そのユイの反応に、アーマッドは呆れたような表情を浮かべると、かつてユイに指導した時のようその理由を語りかけた。


「……本当にわからないのかい? 端的に言えば、君はエリーゼ第一王女を反逆者の卑劣な罠から救った英雄だということさ。つまりはそれが理由だよ」


 アーマッドが口にした言葉の意味を脳内で咀嚼すると、ユイは急に頭痛が走ったかのような感覚を味わう。

 そしてすぐさま両手で頭を抱えると、現実を受け入れるのを拒否するかのように、そのままの姿勢で固まってしまった。


 そうして幾ばくかの時間を費やした上で、彼が最初に取った行動はアーマッドへの抗議だった。


「あのですね……私が英雄だなんて誰か他人と間違っているんじゃないですか? あの地で私がしたことは、ただ王女の失敗の尻拭いをしたというだけのことですよ。それがどうして英雄っていう話になるんです」

「おいおい、周りには私達しかいないとはいえ、相変わらず大胆な発言をするな、君は。その辺りは学生の頃から全く変わってない」


 下手すると不敬罪と取られてもおかしくはないユイの発言に、アーマッドは呆れたようにたしなめる。


「そうそう人間なんて変わるものじゃありませんよ」

「英雄なんて呼ばれるようになったから、少しは大人になったかと期待していたんだが……まぁ、そこが君の面白い所ではあるか。ただ……」


 アーマッドは続けようとした言葉を口にするかわずかに迷う。

しかしユイに向かって穏やかな笑みを浮かべ直すと、一度は消しかけた言葉を彼は再び投げかけた。


「ただね、ユイ君。私が思うに……きっと世界は君がそのままでいることを許してくれないと思うよ」

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