第10話 襲撃
「軍務長は準備が整い次第、魔石工房に向けて兵を進めてください。私はとりあえず、部下四人を引き連れて先行しますので」
「わかった。イスターツ君……無理はするなよ」
ユイ達の実力に関しては、エルンストは十分以上に知悉している。
しかしそれでも、少人数で先行させることに関し抵抗と申し訳なさを彼は覚えていた。
「はは、私の辞書に無理をするとか、頑張るなんて文字はありませんよ」
エルンストの心配そうな声に対し、苦笑いを浮かべたユイは、頭を掻きながらそう返答する。
そんなユイの言葉を受けて、エルンストも釣られるように苦笑いを浮かべた。
「では、早速向かいますので、これにて失礼します」
ユイはエルンストに向かって敬礼を返すと、踵を返し後ろに控えていたクレイリー達の下へと歩み寄る。
「旦那、クレハの奴はどうしやすか?」
「とりあえずあいつはそのままだ。ただ連絡だけは絶やすなと伝えておいてくれ」
タリムに張り付かせているクレハの処遇に関する問いかけに対し、ユイは迷うことなく即答する。
「わかりやした。では陸軍の方にも依頼して、連絡用の人員を増強しておきやす」
「ああ、そのあたりは任せる。そうそう、ナーニャ。現地について火事の程度次第では、君に水魔法を全員に向かって唱えてもらうから、そのつもりでいてくれ」
クレイリーに情報絡みの対応は一任すると、ユイはナーニャに向かって視線を移し、最低限の炎対策を口にする。
「あんまり水魔法は好きじゃないんだけどねぇ……まあいい、容赦無くずぶ濡れにしてやるから、お前ら覚悟しな」
ナーニャは戦略部の面々を見渡しながら、そう言ってニヤリと口角をあげる。
すると、濡れることが嫌いなフートは露骨に嫌そうな表情を浮かべ、そんなフートの反応に気がついたカインスは彼女の頭にそっと手を乗せた。
こんな事態にも関わらず、いつもとあまり変わらぬ面々の姿。
それを目の当たりにし、ユイは思わず苦笑いを浮かべる。
「さて、ではちょっと面倒なハイキングに出かけるとしようか」
「エリーゼ様、もう少しで炎上地帯を越えられそうです」
「ええ、わかります」
エインスの励ましの言葉を耳にしながら、エリーゼはその白い肌に炎の熱気を感じつつも必死に山道を下る。
そしてようやく最も炎上の激しい領域を超え、次第に少しずつ周囲の温度が低下し始めたまさにその時、粘りつくような嘲笑混じりの声が道を急ぐ一行の鼓膜を震わせた。
「おやおや、こんな山の中をそんなにお急ぎで……一体、どちらへ向かわれるおつもりですか?」
その声と同時に、突然エリーゼの頭上に向かって燃え盛る木々が倒れ込んで来る。
「危ない!」
予期せぬ事態にわずかに反応が遅れる。
しかしエインスはエリーゼを抱えながら、どうにか倒れる木々より前方へとその身を投げ出した。
下り坂にも関わらず全力で前のめりに飛び、エインスは受け身も取ることすらできず、ただただ転げ落ちるように斜面を転がる。
二度、三度、四度。
跳ねるように転がりながら、前方に林立していた巨木に体をぶつけると、ようやくその勢いは収まりを見せた。
「……大丈夫ですか、エリーゼ様」
強烈に背部を打ち付けたエインスであったが、自らの負傷よりも先に抱きかかえていたエリーゼの無事を確認しようとした。
しかし先程の衝撃でエリーゼは足を痛めたのか、立ち上がろうとした彼女は苦痛に顔を歪めてその場に崩れ落ちる。
「ふふ、こんな山道はお姫様の高貴なお足には合わないようですね。しかし隣にいる君。君には用はありません……邪魔ですし、申し訳ないがここで消えて頂きましょうか」
悪意を帯びたその声を耳にして、エインスは視線を上げる。
すると、その彼の視線の先には、下卑た笑みを浮かべる長髪の男と神経質そうな短髪の男が存在した。
「お前達が何者かなんてことは聞くまでもないか……どうせタリムに雇われたゴロツキだろうしね」
「はは、ゴロツキ呼ばわりされるのは心外だな。まあタリム氏と協力関係にあることは事実ではあるが」
「兄者。後方を遮断しましたが、いつ他の者達が駆けつけてくるかわかりません。無駄口を叩く前に、さっさと仕事をこなしますよ」
髪の長い兄者と呼ばれた男は、弟の遠慮ない発言に思わず舌打ちする。しかしその言葉が正しいことを認めると、彼はそのまま右手を前へと突き出した。
腰元に下げた剣を引き抜くのではなく、ただ中空に右手を突き出すという動作。
それを目にしたエインスは、長髪の男が魔法士だと予測して心のアラームを全開で鳴り響かせる。
そして先程の『兄者』という言葉から、もう一人の男も魔法士であるという可能性を考慮し、数的不利を補うために同行していた近衛達を探すように慌てて周囲を見回した。
だが彼が気づいた事実はあまりに残酷なもの。
それは先ほどまで彼らを先導してくれていた八名の近衛兵たちが、既に彼らに数倍する人数の武装兵に取り囲まれて一方的に虐殺されつつある光景が前方に広がっていたためである。
「エインス……すいません、私が動けないばかりに」
目を覆わんばかりの光景を前に、エリーゼはエインスに向かい謝罪を口にする。
しかしそんな謝罪の言葉を耳にしたエインスは、逆に安心させるよう彼女に笑いかけた。
「エリーゼ様、それは違いますよ。こう言った時は、『貴方に任せたわ』と一言くださればそれだけで良いんです」
エリーゼに向かってそう言葉を掛けると、エインスはゆっくりと目の前の男達に向かい歩を進める。
「覚悟は決まったかい? ならばその命を貰い受けるよ。フォイエル!」
兄者と呼ばれた長髪の男が一つの呪文を唱える。
その瞬間、彼の突き出した右手には燃え盛る炎が宿り、そしてその炎はエインス目がけて一気に解き放たれた。
長髪の男と自らの位置関係から、この炎の軌道にエリーゼがいないことを理解すると、エインスは側方へ回り込む形で炎をやり過ごす。そしてそのまま前に向かい大地を強く蹴りだした。
一瞬で消失する二人の距離。
そして剣の間合いへ入り込むなり、エインスは切り上げるように剣を振るった。
「ちっ!」
炎の魔法を放った魔法士は予想より素早い剣撃に舌打ちすると、大きく後方へと飛び退る。
一方、更に距離を詰めようとするエインスに対し、突然側方から新たなる魔法が彼へと向けられた。
「シュタイフェ・ブリーゼ!」
側方にいた短髪の男が口にした呪文。
それが響き渡るなり、彼の眼前の空間に歪みが出現し、そこに一迅の風が生み出される。
そして次の瞬間、その風はエインス目がけてまっすぐに疾走を開始した。
「……フォイエルにシュタイフェ・ブリーゼですか。たしか帝国式の魔法ですよね。なるほど、あなた達の正体が見えてきました」
前進を止めてその疾風をやり過ごすと、エインスは敵の魔法士達に向かってそう言い放つ。
途端、長髪の男は苛立ちを表情に募らせ、改めて右手に炎の魔法を編み上げた。
「……ふん。たとえ我らが何者であろうとも、ここで命を落とすお前には関係のない話だ。フォイエル!」
解き放たれた新たなる炎。
それは再度側方に大きく跳ぶことで、エインスはどうにかやり過ごそうとする。
しかしそのタイミングで、兄と連動するように風の魔法士も二撃目の風を生み出す。
もはや回避不能。
だからこそ、エインスは覚悟を決めどうにか受け身をとろうとする。
しかし魔法の威力はあまりに絶大であり、彼はそのまま後方の木へと叩きつけられた。
「くぅ……さすがにこの足場で二人同時に相手にするのは、ちょっと骨が折れますね」
再び打ち付けた背中の痛みにエインスは顔をしかめつつ、先ほどの反省から両魔法士を同時に視界に収めるよう体を動かす。
しかし予想外の声が彼の鼓膜を震わせたのは、まさにその直後のことであった。
「止めなさい! 離して!」
後方から突如響いたエリーゼの声に、エインスは慌てて振り返る。
すると、先程まで近衛を取り囲んでいた反乱兵達が、王女を掴まえてそのまま連行しようとしていた。
「やめろ!」
エインスは魔法士と対峙していたことも忘れ、全力でエリーゼの下へと走り出す。
しかし完全に無防備となったその背中に向かい風の魔法が放たれると、その衝撃でエインスの体は大きく吹き飛ばされた。
「おっと、どこに向かおうというのかな。今が戦いの最中であったことを、忘れでもしてしまったのかね?」
まともに風魔法の直撃を受けたエインスは、痛みのあまりすぐに動くことができずその場でうずくまる。
そんな彼のダメージを見て取った短髪の魔法士は、懐に隠し持っていたダガーを鞘から引き抜き、エインスに止めをささんと跳びかかった。
うずくまった状態のエインスは、痛みに支配された脳と体に対して必死に鞭を打つ。
しかし彼には理解できていた。
この状況下で、そして今の己の状態で、自らの死という運命を回避できないことを。
そんな自らの敗北へと思考が及んだ瞬間、彼は覚悟を決め両目をつぶる。
しかしそんな彼のもとに、死とともに襲い掛かるはずの痛みはいつまでもやってこなかった。
「キ、キサマは!」
長髪の魔法士の憎々しげな声が鼓膜を震わせ、驚いたエインスは目を見開く。
彼の視線の先、そこには真横から差し込まれた長剣により、魔法士によって振り下ろされたダガーが阻まれている光景が存在した。
「いつも言っているだろ、エインス。最後の瞬間まで諦めるなと!」
長剣の主へと視線を移したエインスは、あちこちに火傷の痕を負いながらも、全力でこの場に駆けつけてくれたリュートの姿を認める。
一方リュートは、そのまま魔法士の持つダガーを跳ねあげると、一歩前へと踏み込み魔法師の左腕を躊躇なく切断した。
「グワァッ!」
迸る鮮血と魔法士の叫びがその場を彩り、左腕を失った短髪の魔法士は痛みのあまり地面をのたうち回る。
「リュート先輩、ありがとうございます」
「ふん、後輩の面倒を見るのは当たりまえのことだ。しかしさっきの態度はなんだ? お前もあいつに影響されて、諦め癖が付いてきたんじゃないか?」
「はは、それはあるかもしれません。リュート先輩は確かに『いつも諦めるな』って言われていましたが、あの先輩には『固執せずさっさと諦めて、もっと楽な方法を考えるんだ』って指導されていましたから」
「ふん。だからあいつはダメなんだ」
リュートはそう口にしながらも、どうしても浮かびそうになる笑みを必死に押さえつける。
その仕草を隣で忍び見たエインスは、先程までの全身を覆っていた悲壮感が嘘のように消え、その口元を思わず緩めた。
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