第2話 護衛の依頼

「なんでこんな朝から呼び出されるかな……全く世の中は嫌なことばかりだ、本当に」


 カーリンでの田舎左遷生活も四年目に差し掛かった春の早朝。

 彼にとって唯一となる上司のエルンストから、ユイは軍施設を兼ねる老朽化した市庁舎へと呼び出されていた。


 クラリス軍の階級は軍務省の頂点に位置する一位から始まり、一般採用の新人兵及び戦時の召集兵に与えられる十位までの、十段階の階級に別れている。

 現在ユイは中央からの派遣と言う事情もあり、六位の階級を与えられていたが、実際これはカーリンにおいては彼が最上位の戦略士官であることを示していた。


 そして呼び出し主である上司のエルンストは五位。

 つまり彼こそ、このカーリン軍の最上位である軍務長を務める人物であった。


「しかしこんな時間に私に用だなんて、おそらくろくな話じゃないよな……」


 クラリス王国における地方軍の編成。

 それは中央の軍部を構成している陸軍省・魔法省・戦略省の三省からそれぞれ士官が地方へ派遣され、その下に現地採用の兵士が配属されることが一般的なやり方である。


 しかしこのカーリンは山脈を背にする大陸最西端の田舎都市であり、他国との国境線も存在しないことから、その戦略的価値は皆無に等しい。

 その為この地では軍事力の必要性が著しく低く、これまで全て現地採用した陸軍省の兵士によって都市警備をまかなっていた。


 そんな中、中央の監督を行っていない事は地方軍の専横を招く可能性があるとして、三年前に建国以来始めてカーリン軍の体制が問題視された。

 それは同地の貴族が一部現地兵を私兵のように扱い、腐敗の温床となっているという報告が届いた結果でもある。


 それ故、監査役として陸軍省以外の人材を現地へと派遣することが軍中枢で決定され、魔法省と戦略省の押し付け合いの末に、戦略省から同地へ初めての駐在武官を出すことが決まった。


 そう、その左遷人事でカーリンへと送り込まれたのが、『王都の穀潰し』と呼ばれたユイ・イスターツである。


「まぁ、なるようにしかならないか。ただ、もし転勤の話なんだとしたら、どうやって断ったものかな……」


 上司のエルンストはユイが朝に非常に弱いことをよく知っており、普段は会議や打ち合わせなどがあっても午後に開くよう配慮してくれている。

 そんな上司が早朝から彼に呼び出しをかけるという事態に、ユイはただならぬ不吉な予感を覚えていた。


 それ故、彼は王都への転勤という最悪の事態も想定し、既にどのように断るかを脳内でシミュレートをしていた。

 そして五パターン程の断り方を脳内でシミュレートしたところで、ユイはようやくエルンストの執務室へと辿り着く。


 一度深い溜め息を吐き出し、ユイは覚悟を決めると軽くドアをノックする。


「イスターツ君かな? お入りなさい」

 ノック音に反応して、ドアの内側からエルンストの穏やかな声が響く。

 そして声に促される形で執務室へと足を踏み入れると、三十代半ばの身なりの良い金髪の男性が、ソファーに腰掛けているのがユイの視界に映り込んだ。


「久しぶりだね、イスターツ君。こちらへ赴任してしばらくした頃に会って以来だが、カーリンの水は馴染んでいるようだね」

 その金髪の中年男性は、腰掛けていたソファーから立ち上がると、ユイに向って両手を広げて笑いかけた。

 ユイはその男の名前がすぐには思い出せず、さしあたってとっさに頭を下げる。


 すると、金髪の男性の向かい側のソファーに腰掛けていたエルンストが、自らのもとへユイを招いた。


「イスターツ君、こちらに掛けたまえ」

 促されたユイは、エルンストの隣に腰を沈めると、ようやく脳内の人名リストから、眼前の身なりの良い男性のことを探り当てた。


 サムエル伯爵。

 それが向かいに座る男性の名前である。


 そして更に付け加えるならば、彼を呼ぶ際には伯爵ではなく市長という名詞がその名の後ろに付く立場であった。


「朝早くに呼び出して済まないね。本当はもう少し前もって準備してから、君にお願いしようと思っていたんだが……」

 エルンストの話の切り出し方に、ユイは一抹の不安を覚える。

 しかし市長が同席していることを踏まえると、異動の話の可能性は低いと彼は当たりをつける。そしてそのままユイは、話の先を促すようその視線をエルンストへ向けた。


「実は君に護衛の依頼を頼みたいんだ。期間は一週間ほどの予定なんだけどね」

「護衛……ですか?」

 エルンストの意外な申し出に、ユイは思わず問い返す。


 カーリンにおいて護衛任務は陸軍省の管轄業務であり、戦略省所属のユイに対して、護衛任務を依頼することは通常では考えにくい話であった。


「ああ、護衛任務なんだ。本来は戦略省から派遣されている君に、この仕事をお願いするのは申し訳ないのだが……ただ今回はちょっと特殊な事情があってね」

 エルンストがためらいがちにそう話すと、向かいに座るサムエルが微笑を受かべながら話を続ける。


「いや、私から君にとエルンスト軍務長にお願いしたんだよ。実は王都から我が領地に観光客が一人来ることになったんだけどね、問題はこれがちょっと変わったお客さんなのさ。その名をエリーゼ・フォン・エルトブートと言ってね」

 その名を耳にした瞬間、脳内の出会ったことのある人名リストに存在しないことをユイは確認する。

 しかしエルトブートという苗字を冷静に認識した瞬間、彼は後頭部を強く殴られたような衝撃を覚えた。


「エルトブートって……まさかエリーゼ第一王女ですか!」

 確認するように、ユイは二人の顔を交互に見返す。

 すると彼の視線の先でエルンストは重く一度頷き、もう一人のサムエルはユイを値踏みするような表情を浮かべつつ、その見解を肯定するために口を開いた。


「ああ、そのまさかさ。一応、領地視察を兼ねた観光ということなんだが、私の私兵の中には王女の護衛に適当な人材がいなくてね。そこで王都から来ている君に白羽の矢を立てたわけでさ」

「イスターツ君、王女と応対できるような教養のある者など私の部下にはいない。だから王都から来た君にしか頼めないんだ。すまないが、お願いできないだろうか?」

 上司であり高齢でもあるエルンストが、そう口にした後に頭を下げる。

 その光景を目の当たりにして、ユイはもはや断ることなどできず、溜め息混じりに首を一度縦に振った。


「お断りできるのであれば、そうしたいところですが……そうはいきませんよね。わかりました、お受けさせて頂きます。ただエリーゼ王女の護衛をするにあたり、うちの部隊だけではいささか数が少なすぎると思うのですが」

 六名しかいない戦略部の面々の顔を脳裏に浮かべながら、ユイはエルンストに向かってそう問いかける。

 すると、彼の上司は心配いらないとばかりに首を左右に振った。


「それに関しては、王都から近衛の護衛がついてくるそうだ。だから君達には、護衛と言うよりも、主に案内役をお願いすることになる」

 そのエルンストの言葉を聞いて、護衛の面ではあまり過剰な心配が必要ないことにユイは安堵した。


 もちろん護衛の近衛達が地方兵に偏見を持っていたら、トラブルが引き起こされる可能性がある。

 だからこそ一抹の不安は残るものの、今はそれよりも実務的な確認が急務であると考えると、彼は思考を切り替えた。


「……わかりました。それでエリーゼ王女は、いつ頃に御到着の予定なのですか?」

「それが今日なんだ」

 エルンストは苦虫を噛み潰すかのような表情を浮かべながら、ユイに向かってそう告げる。


「今日……本当ですか?」

 思いもしないエルンストの回答を受けて、ユイは搾り出すようにそれだけを口にする。


「ああ。エリーゼ王女が、視察はありのままの姿を見たいといってね。他の領地への視察でも同じだそうだが、事前連絡なく、突然領土内の視察へと向かわれる方らしい。私の方への連絡も昨夜が初めてでね、既に三日前には王都を出ており、到着は今日の正午だそうだ」

「それはまた……とんだお転婆さんですね。第一王女様は」

 二人の悩める姿をみやり、何がおかしいのか半笑いを浮かべたサムエルは、ユイへと話を振る。


「でもイスターツ君。君も王都にいたのだから、噂ぐらいは聞いたことなかったかい。第一王女の無軌道ぶりは、貴族達の話の種だったのだがね」

「大半の貴族の方からは、あいにくと覚えが良くなかったもので……しかし視察と言われても、どちらに御案内すればよろしいでしょうか?」

「そうだね。取り敢えず今日は、カーリンの私の別邸で歓待をすることにしている。今のところの予定としては、明日は市内、明後日は郊外、そして明々後日にはクロセオン山脈を見学されたいそうだ」

 カーリンの風光明媚な自然を代表する山脈の名前をサムエルが口にすると、ユイはようやく今回の王女一行の主目的を理解した。


「なるほど。実際は観光客だということがよくわかりました。だとしたら、そのつもりで準備させて頂きますよ。それでは手配を急ぎますので、私はこれで」

 そう口にすると、ユイはそのままソファーから立ち上がり、二人に一礼して執務室を出て行く。



「しかし、本当に彼で大丈夫なのかね。確かに士官学校時代の彼の成績は、見せてもらったが……」

 サムエルはユイが出て行ったドアからエルンストに向かって視線を移すと、抱いていた疑問を口にする。


「彼はとても優秀な男です。彼に関する風評に芳しいものは少ないですが、実際のところ彼自身の業績は汚点など一つもない。あえて言うなら、上に媚びないところが減点でしょうか」

「なるほど……さすがは上司だ。よくわかっておられる」

 そう言うと、サムエルは満足げに頷く。


 実際、エルンストが軍務長になって以降、このカーリンは様々なトラブルを抱えながらも治安が破綻することはなかった。

 だからこそ、眼前の老将に対し、サムエルは全幅の信頼を置いている。


「いえ、私が上司でいられるのは、おそらく彼がここにいる間だけですよ。きっと王都に帰れば、すぐに上に立つ男です。もっとも、その前に私が退役してしまうかもしれませんが」

 エルンストは彼の期待する青年のことを口にすると、先程までの憂鬱そうな表情が嘘の様に、自然とその顔をほころばせていた。

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