第3話 戦略部

「それで旦那。エルンストのおやっさんは、一体何の用でやしたか?」


 市庁舎内に置かれた戦略部の一室。

 そこへ肩を落としながら足を踏み入れてきたユイに向かい、定刻通りに出勤していたクレイリーが興味深そうにそう問いかける。


 クレイリー・アーム。

 彼はユイがカーリンへ赴任して、最初に付けられた部下であった。


 その見た目は盗賊や山賊の一味のような人相ではあるが、歴とした元陸軍省の現地採用兵である。

 元々市内外の情報を収集し、エルンストにその内容の報告を行う。それがかつての彼の役割であり、ユイが王都からやってきた際にその人柄の調査も兼ね、エルンストがクレイリーを戦略部へと送り込んだ。


 結果として彼は、自らより十歳も若く緩い性格をした上官を好み、そのまま戦略部にいつくこととなる。

 基本的に単独行動が中心となるこの戦略部において、彼は比較的ユイと行動を共にすることが多く、その能力には全面的な信頼を置かれていた。


「おや、もう聞いたのかい。相変わらず噂を聞きつけるのが早いね」

 部屋の中にある六つの机のうち、最も奥に位置する机の上に腰掛けると、ユイは軽く肩をすくめながらそう告げる。


「へえ。普段なら昼過ぎにやっと出勤する旦那が、こんな早朝に出勤したと話題になってやしてね。そうしたら市長も来ていると言うじゃないですか。そりゃあ、色々勘ぐって話をする奴も出てきやすぜ」

「それは全くもって不本意な話だけど……なるほどね」


 たしかに普段から出勤が遅いのは、言い訳できない事実である。

 しかしたまに時間通り出勤したからといって騒がれたことには、流石の彼も苦笑を浮かべずにはいられなかった。


 そして彼はまるで餌を待つ動物のような表情を受かべるクレイリーの表情に気づき、ため息交じりに要約した内容を告げる。


「要するにだ、エルトブートさんという貴婦人に、この土地の観光案内をしてくれという話さ」

「へぇ、エルトブートさんですか。しかし女性の観光案内ならいい仕事じゃないですかい。で、そのエルトブートさんって方は、お若いんですか? えっ、あれ、エルト……ブートですか?」

「ああ、エリーゼ・フォン・エルトブートさんだ。確かまだ十七歳だったかな」

「……え!? ま、マジであのエルトブートですかい!」


 クレイリーが目を見開いて語調を強くすると、その反応にユイは少しだけ気を良くして大きく頷いてみせる。


「ああ、第一王女だそうだ。まあ、ただの地方都市の視察なわけだから、適当に観光地の案内をすれば満足して帰ってくれるだろう」

「なるほど観光案内ですかい……しかしなんでまた旦那が?」

「さあ。たぶん王都に長いこと居たから、多少の礼儀作法でも期待されているんだろう」

「なるほど。旦那も貧乏くじを引かされたってわけだ」


 そう口にしてクレイリーが苦笑すると、ユイは弱った表情を浮かべながら頭を二度掻く。


「そうだね。まあ、当たらずとも遠からずといったところかな」


 軽く両腕を左右に広げながら、ユイはそう返答する。

 するとまさにそのタイミングで、戦略部の木製のドアが無造作に開けられた。


 姿を表したのは、でかい弓を手にした大男と、その背後に隠れるような形で抜き身の刀を肩に乗せた蒼髪の女性。

 まるで押し入りに来たかのようなそんな二人の姿を目にして、ユイは呆れ混じりに苦言を呈する。


「カインス、弓は外に立てかけて市庁舎内に持って入るなと言っただろ。というかフートの剣は論外だ。せめて鞘に収めてくれ」


 ズカズカと中へ入ってきた二人に向かい、ユイはいつものようにそう指導する。


 しかし以前から欠片も素行を治す素振りを見せぬ二人は、上官の苦言など全く気にする素振りを見せず、前に立つ大男はむしろ朗らかな笑みを浮かべてみせた。


「あ、隊長おはようございます。しかしこんな時間に出勤とは珍しいですね。おっと、クレイリーの兄貴も来てたんですね」

 先ほどのユイの苦言などまるで無かったかのように、カインスは弓を片手に手近な椅子に腰掛ける。

 そしてもう一方のフートは、いつものごとく無言のまま抜き身の剣をそのまま壁へと立てかけた。


「おい、お前ら。今日から数日は護衛の仕事だそうだ。旦那の前では別にいいが、護衛対象の前では、多少の礼儀とかマナーとかいうものを見せろよ!」

「……なんで私の前ではいいんだ?」

 ユイはすでに彼らのマナーなどとっくに諦めていたが、一応抗議の声を口にする。


 だが彼の部下たちがそんな言葉に耳を傾ける様子は無く、ユイは諦めたかのように大きな溜め息を吐き出し、いつものように妥協という名の折り合いを自らの中でつけることとなった。

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