「人生は何事をも為なさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い(中島敦『山月記』)」とまでは考えていないけれども

美緒

第1話 人生は何事をも為なさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い

 4月1日、わたしは無職になった。大した理由はない。単純に仕事がなかっただけである。詳細は伏せるが専門職。一年ごとの契約で数年間仕事に困ることなどなかったのだ。

 そもそも社会不適合者である。よく言えば裏表がない。その上曲がったことが大嫌いで理不尽に耐え得る性格をしていなかった。そんな性格であるのに、無駄に愛想がよく、舐められやすい風貌をしていた。トラブルは絶えなかった。

 どこの職場に行っても、働いて数年の正規社員の若者、仕事に根拠のない自信を持ち始めた青年に目をつけられマウントを取られる日々。流せばいいのに受けて立ち、伸びに伸びた天狗の鼻をへし折り続けた。

 正直、疲れていた。幸い、喉元過ぎれば熱さを忘れる性格だったため、その職場を離れると記憶から抹消することができた。


 さて、4月、無職になった私は焦った。仕事がない。何をすればわからない、と。私は困った。言葉にできない焦りが生まれた。我慢すればよかったのか。理不尽に耐えて、社会に適合できていれば仕事があったのだろうか、と。私が悪いのか。どうすればいいのかと悩む日々。周りで起こる全ての出来事に追い詰められた。

 もう無理だ。病院へ行こう。

 ここで幸いしたのが、私の性格だ。無理なものは無理。自分で無理なら人に任せる。他力本願な性格によりわたしは病院へ行った。しかし、私は保険証を持っていなかった。スマホで調べ、保険外治療の病院へ行った。そこで脳波の検査を受ける。

 喋ってる様子からは想像がつかないぐらいの重度の鬱だ、といわれた。元々とてつもなく元気でメンタルが強いからこの程度で済んでいる、と。

 結果が出ればあとは簡単だ。治せばいいのだ。

 安くて効果的な治療をしてくれる病院を探す。薬で苦しむのも長引くのも嫌だった。私はせっかちなのである。

 幸いTMSという脳波治療を見つけ、通うことにした。通うごとに良くなり、それだけでは根本的治療にはならないとカウンセリングにも通うことにした。

 カウンセリングを受ける中で、言語化できなかった自分の悩みや望みを知ることができた。低かった自己肯定感が上がっていくのを感じた。根拠のない自己否定をなくし、根拠のない自信を取り戻すことができたのだ。

 私の視野は広がった。いや、今までが狭すぎたのだ。強固な思い込みを取り払うと自分は幸せなのだと気づいた。そう、私は運がいいのだ。持ってるものに目を向けようと思った。今私が持っているものを大切にして生きる。それが私の鍵だったようだ。


 心の健康を取り戻し始めた私が求めたもの。それは生産性だった。幸い、6月には仕事のお誘いがあり、7月には内定した。9月からは働ける。8月までは失業手当がある。だが、今の私は何も生み出していないのだ。これだ、と思った。わたしの感じていた焦りの原因はこれだったのだ。

 わたしの悩み、苦しみ、焦り、ほとんどがわからない不安からくるのだと気づいた。原因がわかれば簡単なのだ。あとは原因をなくすだけなのだから。


 わたしは考えた。好きなものは何だ。得意なものは何だ。と。

 物作りがすきだった。手先が器用でもないのに、手を傷つけながら、汚しながらも何かを作るのだ。

 本を読むのが好きだった。自分が体験できないことを、本の中で体験するのだ。夢で見るのだ。

 古典文学が好きだった。歴史の中にロマンを感じる。雅な奥深さが好きだった。


 そして、わたしは小説を書き始めた。



「人生は何事をも為なさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い」中島敦の山月記で李徴の言葉の一部だ。ここまで考えて何もしなかったわけではない。ただ、何も考えず行動を起こさなかっただけだ。今はあまりに長い人生を怠惰に生きている。短いと思えるぐらい充実した人生を歩んでみようと思い始めたところである。今のところは。






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