エピソード13

一通りの報告を終え、瞳を輝かせた凜に散々脅されたり、からかわれたりした私。

ふと、時計に視線を向けると、11時30分。

「ねえ、凜」

「ん?」

「学校は行かなくていいの?」

「は?」

「……だから、学校」

「学校になんて行ってる場合じゃなくない?」

凜が自信満々で言い放った。

「そ……そうなの?」

私と凜は決して優等生なんかじゃない。

高校の入試だってテストの順位だって私達はさほど変わらない。

卒業さえ出来るなら、成績なんて大して重要じゃない。

高校を卒業したら、何かをしたいなんて目標がある訳でもないし……。

先の事が分からないから、なんとなく高校に行く。

私達にとって学校なんてそのくらいの存在。

何をしても退学になる事がない義務教育の中学生だった頃に比べると多少の窮屈さは感じるものの、最低限度の単位と成績しか満たしていない私達は、きっと他の生徒から見たら自由奔放に違いない。

「もう、バレたかな?」

冷蔵庫に入っていたプリンを口に運びながら、凜が呟くように言った。

「なにが?」

グラスに入っていたアイスコーヒーを飲み干してから私は尋ねた。

「瑞貴に私がここにいる事がそろそろバレるかなと思って」

「どうだろうね?……てか、瑞貴は今どこで何してるの?」

「いつもと同じなら、学校の空き教室で仮眠中」

「ふ~ん」

「……でも、今日は寝てないと思うよ」

「……?」

「学校に行ってるかも微妙」

「じゃあ、どこで何をしてるの?」

「溜まり場で緊急ミーティング中……とか?」

「……!?」

「議題は“連絡が取れない綾の居所を探せ。”だったりして」

「……!!」

凜の予想があまりにもリアル過ぎて笑えない。

そんな私を他所に楽しそうな凜。

「……時間の問題だね」

私の口から大きな溜め息が零れた。

「ん?なにが?」

「瑞貴がここに来るの」

私はタバコに火を点け、くわえたまま、ソファから腰を上げた。

バッグの中からメイク道具の入ったポーチを取り出してさっきまで座っていた場所に再び腰を降ろした。

「綾?何やってんの?」

不思議そうに私を見つめている凜。

凜の質問の意味は『今から何をするの?』じゃなくて『なんで、今メイクするの?』

そう理解した私は答えた。

「念の為に……」

「あぁ、なるほどね」

納得したように頷いた凜。

この言葉だけで私の言いたい事がちゃんと伝わるのは凜だから。

「でも、まだ早いよ」

凜は空になったプリンのカップを手に立ち上がった。

「えっ?」

「私、ちょっと学校に行って来る」

「は?」

凜は手に持っていたプリンのカップをゴミ箱に落とした。

……さっき『学校なんて行ってる場合じゃなくない?』って言ってなかったっけ?

「私が学校に顔を出したら瑞貴がここに来るのを遅らせる事が出来るかもしれない」

……あぁ……。

凜が学校に行くのは、私の為なんだ。

もし、瑞貴が今、溜まり場にいたとしても、凜や私が学校に行けばすぐに瑞貴に連絡が入る。

瑞貴の事だからその辺の手回しは完璧なはず……。

本人が学校にいなくてもチームの男の子達は学校にいるんだから。

そんな状態の学校に凜が顔を出したら、連絡を受けた瑞貴はすぐに学校へ向かうはず……。

「夕方までは、大丈夫だから」

「……凜……」

「ギリギリまではメイクなんてしない方がいいよ。『もう、限界!!』だと思ったらメールするから」

「……うん……」

凜は、夕方まで瑞貴を引き止めてくれるつもりらしい……。

「私の口からは、一切さっき聞いた話は出さないから。安心して!!」

凜は、私の肩を軽く叩いて玄関へ向かおうとした。

「……凜!!」

「うん?」

私の声に足を止めた凜が振り返った。

「……ありがとう……」

私の言葉にニッコリと微笑んだ凜。

「なに言ってんの?別に私は何もしてないし」

凜はそう言って私の部屋を後にした。

◆◆◆◆◆

再び、1人になった部屋。

私には考える事がたくさんあった。

響さんの気持ちがはっきりと分かった今、次に響さんと顔を合わせた時、私はどんな態度でいたらいいのか……。

人から告られた事が初めてって訳じゃない。

今までの私だったら告られたからっていちいち気にする事なんてなかった。

それは、自分に全くその気が無かったから。

でも、今回は違う。

響さんと出逢った日から感じていた違和感。

その違和感は、凜の言葉で確信に変わった。

私は人を愛せない訳じゃなくて、今まで愛すべき人に出会えなかっただけ……。

その言葉は、私に安堵感と不安定を与えた。

私も他の女の子達と同じように恋愛が出来るという安堵感。

それから、初めて自分の中に芽生えた感情に戸惑いにも似た不安感。

この世に絶対なんて存在しない。

私は今までそう信じていた。

多分、これから先もその考えるが変わる事はない。

私が響さんを想う気持ちも、響さんが私を想う気持ちもいつかは変わってしまいのだろうか。

だったら、私は今のままがいい。

いつかなくなってしまう恋愛関係よりも、すこしでも長く繋いでいける友人関係でいたいと思ってしまう。

それから、瑞貴にバレないようにしなきゃ……。

今回ばかりは、何がなんでも瑞貴はバレちゃいけない。

これは、アリサと私との問題。

第三者が口を出したら余計面倒くさくなってしまう。

これがお店の女の子が相手じゃなかったら良かったのに……。

私は雪乃ママのお店を辞める気なんて全くない。

それは、アリサも一緒に違いない。

バイトの私とケンカをしたくらいでNo.1のアリサがお店を辞める訳がない。

……って事は、これ以上アリサとモメる事は出来ない。

でも、ケガが治ったらまたアリサと同じ空間で働かないといけないし……。

だからって、今更、私から謝るなんて絶対に無理。

お店で自分の居場所を守る為に、アリサのご機嫌取りをしたり媚びたりなんて絶対にしたくない。

響さんとの事も……。

瑞貴との事も……。

アリサとの事も……。

……。

……。

……あぁ……もう……本当に……。

「……面倒くさい……」

私は大きな溜め息を吐いた。

止めた!!

いくら考えたからと言っても解決するわけじゃないし……。

もう、考えるのは止めよう。

なるようにしかならないし……。

軽く現実逃避気味の私。

いちいち悩む事が面倒になった私は、考えないといけない事を全て考えない事にした。

いくら考えても悩んでもその通りになんてならない。

だったら、考えて悩むだけ時間の無駄。

そういう結論に達した。

結論が出た私は気分が軽くなり、空になっていたグラスにアイスコーヒーを注ぐ為にキッチンに向かった。

冷蔵庫を開け中を覗き込むと、なんだか笑いが込み上げてきた。

一体、響さんは何をどう考えてこれだけの食材を準備したんだろう?

どんな表情で、その食材を冷蔵庫にしまったんだろう?

そんな事を想像して思わず顔が緩んだ時だった。

リビングのテーブルの上で大きな音がひびいた。

振動と共に鳴りひびく着信音。

お気に入りの曲で聞き慣れている“凜専用の着信音”。

時計を見るとまだ15時過ぎ。

私は冷蔵庫を閉め、リビングのテーブルに近付いた。

……メールか……。

私は胸騒ぎを感じた。

これが、着信だったら別に何も思わなかったのかも知れない。

「『もう、無理!!』だと思ったらメールするから」

凜の言葉が頭に浮かんだ。

ケイタイを手に取ってメールボックスを開いた。

そこには、“綾、ゴメン!!”という文字。

短い文。

凜のメールはいつも長い文章で色とりどりの絵文字が駆使してある。

このメールを見て私の胸騒ぎは大きくなった。

“ごめん”って……。

一体なにが“ごめん”なの?

凜が短い文に込めた意味を私は必死で考えていた。

いつもは使わない頭をフル回転して……。

その時、インターホンがなった。

一度じゃなくて連打している。

……凜?

その押し方は今朝の凜の押し方と同じだった。

私は、手に持っていたケイタイをテーブルに置き立ち上がった。

リビングから玄関に繋がる廊下を歩いていく。

その間も鳴り響いているインターホン。

その音は徐々に私から冷静な思考力を奪っていった。

リビングから玄関までの短い距離。

だけど、私が冷静さを失うには充分な距離だった。

鳴り響くインターホンの音を聞くと、一刻も早くドアを開けないといけないような気がしてくる。

ドアの外を覗くことも忘れ、ロックを開いた。

無機質な音が響いた瞬間……。

私がドアを開く前に、外からドアを開けられた。

……凜かもしれない……。

そう、思っていた私の予想は、ドアの前に立つ人物を見て外れた事が分かった。

「……よお」

固まる私を見て、その人は勝ち誇った笑みを浮かべた。

「……」

……油断してた。

瑞貴の登場は私の予想よりも早かった。

まだ、メイクも、溜まり場へ行く準備も出来ていない。

私の目の前に立っている瑞貴の後ろには、瑞貴と同じくらいの歳の男の子が5人立っている。

瑞貴がチームを動かしたのは一目瞭然だった。

その男の子達に向かって瑞貴が声を掛けた。

「無事捕獲だ。もう、いいぞ」

瑞貴の言葉に男の子達が軽く頭を下げエレベーターの方に向かって行った。

「……さてと」

「……?」

「綾、ゆっくりと聞かせてもらおうか?」

綺麗な顔でニッコリと微笑んだ瑞貴。

「……!!」

私は大きな溜め息を吐くしかなかった。

◆◆◆◆◆

テーブルを挟んで向かい合っている私と瑞貴。

この部屋の主は私であるにも関わらず、なぜかソファを占領し、足を大きく開いて腕を組んで、私を睨んでいる瑞貴。

……一方、私はフローリングに置いたクッションに座り、ひたすら瑞貴から視線を逸らしている。

言葉は無く、ただ気不味い時間だけが流れて行く。

瑞貴がこの部屋に来て、もうすぐ30分。

口を開こうとしなければ、タバコさえ吸おうとさえしない……。

どうにかこの沈黙を破りたくて私は口を開く事を決心した。

「……瑞貴」

「あ?」

ただ名前を呼んだだけなのにたった一文字だけを発した瑞貴の声は低くて不機嫌さが顔を出しまくっている。

そんな瑞貴に一瞬、イラっとしたけど……。

……だめ、だめ……。

ここは、我慢しなきゃ!!

気分を変えて、私は再び口を開いたけど……

「なんか、飲み物でも……」

「いらねえ」

見事に遮られた。

我慢しようと心に誓っていた私。

だけど、下手に出ていたのに言葉を遮られた私の口からは無意識のうちに舌打ちが漏れてしまった。

自分でも聞き逃してしまいそうだったのに、その音をバッチリとキャッチした人が約一名。

眉間に深い皺を寄せ、鋭い眼付きで見ている……というより明らかに睨んでいる。

「……綾」

「なによ?」

「お前、人の飲み物の心配をするよりも、俺に話さないといけない事があるんじゃねえか?」

「……ない……」

「あ?」

「あんたに話さないといけない事なんてない。……てか、話があるならあんたがここに来てすぐに話してるわよ」

「……」

「なにも話がないから、30分も沈黙が続いたんでしょ!?」

凜は、瑞貴にどこまで話したんだろう?

それが、分からないから下手な事は言えない。

「……何も言う事はねえんだな?」

「ない!!」

不機嫌度全開の瑞貴と逆ギレ度全開の私。

再び始まった沈黙。

こうなったら、逆ギレしないとやってられない。

お互いに視線を逸らさない静かな時間。

さっきまでの沈黙に気不味さを感じていた事が嘘のように流れる時間。

先にその時間に終わりを告げたのは瑞貴だった。

「……ったく……」

諦めたように呟いた瑞貴がポケットからタバコを取り出した。

ずっと私から逸らさなかった視線を手元のライターの火に移した瑞貴は、大きく煙を吸い込みゆっくりと吐き出した。

「なんでお前達は何も話そうとしねえんだ?」

「……お前達って?」

「お前と凜だよ」

瑞貴が疲れ果てたように大きな溜め息を吐いた。

どうやら、凜は瑞貴に何も話していないらしい。

……凜、ありがとう!!

不機嫌丸出しの瑞貴に凜が睨まれている光景が想像出来る。

本当にごめん!!

今度、何か美味しいものを奢るから!!

私は心の中で凜に向かって両手を合わせた。

……よし。

凜が何も言っていないって事は、まだ瑞貴は何も知らないんだから……。

「凜は何も知らないわよ」

「は?」

「凜は何も知らない」

「……」

「私は凛にも、何も話していないから、『何も話さない』んじゃなくて、何も知らないから『話せない』のよ」

「知らない?」

瑞貴が灰皿に灰を落とした。

「えぇ、知らないわ」

まっすぐに私を見つめる瑞貴。

かなりの勢いで逸らしたい衝動に駆られたけど……。

ここで、逸らしたらこれが嘘だってバレちゃうし、凛の頑張りまでもが無駄になってしまう。

見つめ合う時間は、どうしてこんなに長く感じるんだろう?

これが、恋人同士の甘い空気とかだったらあっという間に時間は過ぎるものなのかしら?

この空間に甘さなんてこれっぽちもない。

あるのは危機迫るような、緊迫した空気のみ……。

瑞貴と見つめ合う事は、かなり危険が伴うことを今日初めて学んだ。

「へえ~、凛は知らねえのか」

「……」

……やっと信じてくれた!?

私は、瑞貴に見えないようにテーブルの下で小さくガッツポーズをした。

「凛は、『何があったかは全部知ってるけど、私の口から何も話せない!!』って言ってたぞ?」

「……」

……ちょっと……。

そういう情報は先に言ってくれない?

今更、そんな報告をされても……。

なんか、私がバカみたいじゃない……。

……てか……。

もしかして、私、カマ掛けられた?

瑞貴は、私と変わらないくらいバカなくせに、こんな時だけ頭の回転が早いんだから。

しかも、私は瑞貴の罠にガッチリ嵌ってるし。

私は大きな溜息を吐いた。

瑞貴に見つからないようにガッツポーズまでしたのに……。

私は全身から力が抜けてしまった。

「……で?」

「……」

「そのケガの理由は?」

「……言えない……」

「ここ数日間連絡が取れなかった理由は?」

「……言えない」

「お前がバイトを休んでいる理由は?」

「……言えない」

「いつまで、バイトは休むんだ?」

「……今週の末から行く」

「学校は?」

「明日から行く」

「その顔でか?」

「このくらい、いくらでも誤魔化せる」

「そうか」

「最後にもう一つ聞いてもいいか?」

瑞貴のその質問に私は耳を疑った。

……?

最後?

もう?

本当に?

瑞貴の質問攻撃はまだまだ続くと思っていた私。

だから、逆に拍子抜けしてしまった。

……でも……。

これで最後なら、なんとか乗り切れるかもしれない。

やっと、このストレスが溜まる時間から解放される。

だったら一刻も早くその質問をして欲しい。

こんなに息苦しい時間は早く終わらせたい。

瑞貴の最後の質問に答えられなかったら、また『……言えない』で済ませればいい。

なんか、よく分からないけど今日の瑞貴は、私が答えたくない事を深くは探ってこない。

そう思った。

その瞬間は……。

確かに、そう思ったんだ。

……だけど、それは私の思い違いだったんだ。

深く探ってこないんじゃなくて、瑞貴にはそれらの質問以上に私に聞きたい事があったんだ。

「この部屋に誰が来てた?」

「は?」

予想すらしていなかった瑞貴の質問。

「この部屋に誰がいた?」

……?

……誰って……。

凛の事を言ってるの?

もう、瑞貴は今朝、私と凛がここで一緒にいた事は知っている。

だから、話しても大丈夫よね?

「凛でしょ?」

「……違う」

「えっ?」

「凛がこんな香水をつけるはずがねえ」

「……香水?」

「あぁ、男物の香水の匂いがする」

“男物の香水”

その言葉で、思い浮かんだのは響さんの顔だった。

確かに、響さんが帰ってすぐは、微かに香りが残っていた。

だけど、本当にそれは微かな香りだった。

響さん自身だってかなり接近してみないと香水をつけている事には気付かなかった。

そのくらい微かな香り。

そのくらい微かな残り香。

どうして、瑞貴がそれに気付いたのかが不思議なくらい。

これは、正直に話すべきなんだろうか?

瑞貴の真剣な表情に私は再び追い込まれていた。

正直に話すしかないのかしら……。

でも、響さんがここにいた事を話たら、その理由も聞きたくなるんじゃない?

その理由を話したら、全ての事の発端となった“原因”も話さないといけないし……。

……どうしよう……。

「誰がいたのか言えねえのか?」

私に向けられた鋭い視線。

その言葉は瑞貴の作戦だったのかもしれない。

私の性格を知っている瑞貴だからこそ、発した言葉。

“売り言葉に買い言葉”

例えるならば、その言葉がピッタリだった。

売られたケンカは絶対に買ってしまう私が、売り言葉を買わない訳がない。

「……響さんよ」

あれだけ、悩んだにも関わらず、すんなりと私の口から出た名前。

言ってしまった後に『しまった!!』って思ったけど、時すでに遅し。

私が発した言葉は確かに瑞貴の耳に届いた。

「やっぱりな」

だけど、その反応は私が想像していた反応とは違った。

私は、瑞貴がもっと驚くと思っていた。

『なんでだ?』とか『どうしてだ?』とかの質問をされる事を想像していた。

だけど、瑞貴は驚く事もなく、それどころか、私が言う名前が分かっていたかのようだった。

「……知ってたの?」

そんな瑞貴の言動に驚いたのは私の方だった。

「あ?」

「響さんがここにいた事を知ってたんでしょ?」

「別に知ってた訳じゃねえよ。まぁ、情報は入ってきてたけどお前の口から直接聞くまでは確定じゃなかったしな」

「情報?どういう事?」

「忘れたのか?」

「は?なにを?」

「俺はチームのトップでお前はチームのメンバーだ」

「それは、ちゃんと覚えてるけど?」

「チームのメンバーが連絡も取れず行方不明になったら、俺が責任を持って探すのが当然だろ?」

「そ……そうなの?」

「あぁ」

瑞貴は得意気に頷いた。

その顔を見てやっと分かった。

いつもは、私が答えるまでしつこく聞き続ける瑞貴が今日は私の『……言えない』ですんなり納得した理由が……。

「どこまで、分かってるの?」

「ほぼ全部」

瑞貴の言葉に私は大きな溜め息を吐いた。

……油断してた。

私が話さなければ、バレる事はないと思っていた私が甘かった。

もう瑞貴は、今までの瑞貴じゃない。

“仲良しグループ”のリーダー的存在の瑞貴じゃない。

瑞貴は一つのチームのトップなんだ。

瑞貴の一言で動く人間はたくさんいる。

その情報網だって今までとは比べものにならないはず。

そんな瑞貴に、私が起こした事件の情報を集めるのは容易いこと。

しかも、アリサとケンカをしたお店だって、私が住んでいるマンションだって瑞貴の縄張りである繁華街なんだし……。

なんで、こんな簡単な事に気が付かなかったんだろ……。

……ちょっと待って!!

『ほぼ全部』

瑞貴はそう言わなかった?

ほぼ全部って……。

「ねえ、瑞貴」

「あ?」

今度の『あ?』はさっきの『あ?』とは違い、ぶっきらぼうではあるけど私の話を聞こうという意志がある『あ?』だった。

だから、私は思い切って尋ねてみた。

「『ほぼ全部』ってどの辺まで分かってるの?」

「ん?そうだな……」

瑞貴は綺麗な顔に妖艶な笑みを浮かべた。

「……!?」

そんな瑞貴に自分の顔が引き吊ったのが分かった。

「お前が、仕事中に店の前でNo.1の女と殴り合いのケンカをして、一週間バイトに出られなくなった事くらいしか、俺は知らないけどな」

「……!!」

……『ほぼ全部』じゃなくて『完璧』に知ってるじゃん。

「あと、ケンカしたのはいいけど、相手が思いの外強くてここ数日間動けなくなってた」

「……」

「んで、そんなお前の看病の為に神宮組長がここに来ていた」

「……」

「どうだ?俺の情報網は?」

「……すごい……」

「だろ?」

得意気に笑っている瑞貴。

「そこまで、分かってるなら、ウチのNo.1の情報だって掴んでるんでしょ?」

敢えて私がアリサの名前を口にしなかったのは、もしかしたら、いくら瑞貴でもその情報は持っていないかもしれない……という最後の望み的な想いから。

私の想いに気付いているのか、いないのか、瑞貴は鼻で笑った。

「club “Snow Flower”の現No.1アリサ。本名、山村 里菜、22歳。繁華街の駅前のマンションで半年前から男と同居中。今、分かってるのはこのくらいだな」

「……それだけ分かってたら充分でしょ?……っていうか……」

「なんだ?」

「……あんた、そのうちストーカーでパクられるわよ?」

「ストーカーで捕まったら、格好悪ぃな」

瑞貴は、楽しそうに笑った。

「ねえ、瑞貴。これは、私とアリサの問題だから……」

「分かってる」

瑞貴が私の言葉を遮った。

「……分かってるって……」

「手や口を出して欲しくねえんだろ?」

「……うん」

「これでも、俺はお前の性格は分かってるつもりだ」

「……」

「お前が最初っから正直に話せば、俺だって動く必要は無かったんだ」

「……ごめん……」

「まぁ、お前が俺には何も言わない事も想定内だったけどな」

瑞貴はバカなクセに……。

勉強が苦手で学校の授業を真面目に受けているところなんて同じクラスで隣の席の私でさえ見たことがないのに……。

なんでこんな時だけ頭の回転が早いんだろう?

「別に俺は、手も口も出すつもりなんてねえよ」

「えっ?そうなの?」

「あぁ、だけどな……」

「だけど?」

「今回だけだ」

「なにが?」

私は首を傾げた。

「もし、この先、今回みたいにお前が顔や身体に傷を作っていたり、何日も連絡が取れなくなったりしたら俺は速攻で動くからな」

平然と恐ろしい事を言い放った瑞貴。

「……」

……なに?

……これって……。

最終宣告!?

「それから……」

まだ、何かあるの!?

最高に嫌な予感を感じた私はゴクリと唾を飲み込んだ。

「今回の事も今日から一週間以内にきっちりカタをつけろ」

「……は?」

……カタをつけろって丸く事を収めろって事よね……。

「それが、今回の件に俺が手や口を出さない条件だ」

「……もし……」

「あ?」

「一週間で終わらなかったら?」

「その時は遠慮なく俺が出張る」

瑞貴は不敵な笑みを浮かべた。

「ちょっ!!出張るって……これは女同士のケンカなのよ。男のあんたが出てくるところじゃないの。それに、これは私の問題よ。あんたには関係ないじゃない」

「は?女同士のケンカ?お前が性別にこだわるとは思わなかった」

「どういう意味よ?」

「お前も凛も大嫌いじゃなかったか?『女のくせに』って言われんの」

「……」

瑞貴の言う通りだった。

だから、私はなにも言い返せなかった。

「どうしてもお前がそこにこだわるなら簡単だ。そのアリサって女だけじゃなくて男も一緒に潰せばいいだけじゃねえか」

「そんなの……」

無茶苦茶じゃない!!

喉まで出掛かった言葉を私は飲み込んだ。

瑞貴が言っている事は別におかしい事じゃない。

確かに世間一般的には無茶苦茶な話かもしれない。

でも、私達の世界ではこの考え方が普通なんだ。

自分の身を守る為なら手段なんて選んでいられない。

特に瑞貴はそう。

自分がみんなを守らないといけない立場だから。

下の人間を守れないならトップに立つ資格なんてない。

それが瑞貴の考えだ。

「俺に手や口を出して欲しくねえなら一週間でカタをつけてこい」

瑞貴の瞳を見た私はその言葉に頷いた。

「分かった」

瑞貴がこんな瞳の時は、

私が何を言おうが、

キレようが、

軽く暴れてみようが、

女の子らしく泣き真似しようが、

絶対に自分の意見を変える事はない。

……まぁ、瑞貴が今回の件を調べる為にチームを動かした時点でチームの男の子達にも話は伝わっているんだろうし……。

きっちりと最後までカタをつけないといけないのは、私にも理解出来る。

中途半端だったら、動いてくれた男の子達に示しがつかないだろうし……。

瑞貴が私にくれた一週間という時間。

瑞貴が私に与えてくれた時間。

その時間だってギリギリの時間。

その時間が短かったら、私の負担が大きくなってしまう。

反対に長かったら、チーム内から不満の声が出てしまい瑞貴に対する不信感に繋がってしまう。

瑞貴が提示した時間は、瑞貴の立場上、最大限の猶予の時間なんだと思う。

「カタがついたら報告しろよ」

「うん」

「よし、じゃあ、とりあえずこの話は終わりだな」

その言葉に私は全身から力が抜けた。

……良かった。

なんとか終わった。

「なぁ、綾」

「何?」

「お前、神宮組長と付き合ってんの?」

「は?」

思わず顔を上げると瑞貴は私の顔を見てはいなかった。

いつの間にか取り出したケイタイを弄っている。

その態度は真剣に尋ねているっていうよりも、ちょっと気になったから聞いてみました的な感じだった。

だから、私も気負いする事なく答えた。

「付き合ってないわよ」

「でも、お前の看病の為にここに来てたんだろ?」

「そうよ。でも、ただそれだけじゃん」

「ふ~ん」

瑞貴はそう言ったまま、しばらくケイタイを弄っていた。

部屋の中には、ケイタイの操作音だけが響いていた。

……なんか喉が渇いた……。

私は、冷蔵庫にある飲み物を取りに行こうと立ち上がった。

キッチンに向かう為にソファに座っている瑞貴の横を通り過ぎようとした時、瑞貴の声が聞こえた。

「……俺じゃなかったんだろうな……」

その言葉に、私は足を止め瑞貴に視線を向けた。

……瑞貴ったら、ケイタイに話し掛けてんの?

軽く突っ込んでやろうと思ったのに……。

瑞貴の視線は、ケイタイじゃなくて、しっかりと私を見つめていた。

絡み合った視線。

私を見つめる瞳は悲しく切なそうに揺れていた。

「……なんで、お前が頼ったのは、俺じゃなくてあの人だったんだろうな……」

瑞貴は私から視線を逸らす事なく言った。

でも、その口調は独り言のようにも聞こえた。

……あの人って……。

瑞貴の手が伸びて来て、私の手首を掴んだ。

「……瑞貴?」

「お前はどうなんだよ?」

「……どうって?」

「神宮 響が好きなのか?」

その名前を聞いただけで鼓動が速くなった。

胸の辺りが締め付けられるように苦しい。

自分でも今日気付いたばかりの気持ち。

その気持ちをどう扱えばいいのか分からない。

その気持ちをどう表現していいのか分からない。

「どうなんだよ?」

手首を掴む力が増した。

瑞貴が私に望んでいる言葉は分かっている。

今まで、態度と言葉で何度も自分の気持ちを伝えてくれたから。

だけど、瑞貴が望む言葉と私の気持ちは違う。

「……分からない」

そう答えたのは私が弱いから。

私の本当の気持ちを正直に瑞貴に伝えたら、瑞貴が傷付いてしまうと思った。

「……そうか」

私の手首を掴んでいた、瑞貴の力が弱まった。

「うん」

「……だったら、遠慮なんてしねえから」

「えっ?」

「誰が相手でも俺は遠慮なんてしねえから」

「……瑞貴?」

そこには、さっきまでの弱々しい瞳の瑞貴はいなかった。

力強さと冷静さを兼ね備えた俺様な瑞貴が不敵な笑みを浮かべている。


その時の私には全然分かってなかった。

中途半端な私の態度が余計に瑞貴を苦しめ、傷つけてしまう事に……。

「なんか……」

「……?」

「飲み物くれ」

「は?」

「お前は、俺に茶の一杯でも出してやろうって気持ちはねえのか?」

「全く無いけど?」

「……」

「……」

断言した私を容赦なく睨む瑞貴。

「綾、後でタバコを奢ってやる」

「眼で脅迫した次は、タバコで買収?」

「仕方ねえな。2個でどうだ?」

「せめて3個にしてよ」

「商談成立」

瑞貴はにっこりと笑みを浮かべて私の手首を放した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る