第19話

「――やだなあ、なんの話?」

 一瞬の無表情が嘘のように、常吉は眉をハの字に下げて苦笑する。

「レチア教に情報を売った? 俺が? なんの? なにかの間違いじゃない?」

「幻獣屋って稲庭さんのことですよね」

 誤魔化されるのは想定済みだ。特に動揺もない。恭佳は淡々と言葉を続けた。

「私が気を失ってるふりをしていた時に、あの人たち色々喋ってました。『簡単に信用していいのか』とか『味方につけておいて損はない』とか。あと『真っ向からやりあって勝てるわけない』だったかな。その時に、幻獣屋って」

「うーん、やっぱり間違いだよ。身に覚えがない。ほら、お客さんに説明してるときに嬢ちゃんもいたろ? 三つくらい隣の町で知り合いが似たような店をやってるって。情報を売ったのはそっちかも知れないよ」

「すぐ近くに幻獣専門店があるのに、わざわざ遠い所まで行くと思いますか? それにあの人たちは狙いすましたかのように、私が帰る時にあの場所にいました。あそこを通る時間を予想できるのはトキさんと家族以外には、直前に話した稲庭さんしかいません」

「家族の誰かが嬢ちゃんのことを外で話してるのを、レチア教の奴らが聞いた可能性もあるよ」

「それなら幻獣屋なんて言い方はしませんよね」

 参ったなあ、と常吉は笑うが、弧を描いているのは唇だけで、目は冷然としている。

「けどそれだけじゃ証拠として弱いような気もするよ、嬢ちゃん」

「自覚はあります。でも稲庭さん以外に考えられないんです」

 恭佳は巾着から金貨を一枚、取り出した。机の上に滑らせるようにして常吉に渡すと、彼はしばらく金貨を見つめてから「他の客に邪魔されたくないし入り口だけ閉めてくるよ」と立ち上がる。

 話す気になってくれたのだろう。金貨一枚でどこまで説明してくれるのか分からないが、出来ることならこれ以上は金の力に訴えたくない。トキのようにぽんぽん金貨を渡していたら恭佳の懐が寒くなってしまう。

「確かに俺は、嬢ちゃんとトキのことを売ったよ」常吉は会計用の机に直接座り、恭佳を見下ろしてくる。「『熊の魔獣を倒した二人組と知り合いだろう。レチアさまの器にするから教えろ』って迫られてね。もちろん初めは断った」

 本当だろうか。嘘くさいと思われているのは百も承知だろうが、常吉は飄々と口を閉ざさない。

「断ったけど、材料にされたいのかって脅されちゃあね。金ももらったし、喋るしかないでしょ。嬢ちゃんの帰り時間と通るであろう道、あとはトキと正々堂々戦わなくていい方法とか。無理に押し入るより人質を取って脅した方が素直に来てくれるはずだって提案した。まさか嬢ちゃんの爪を剥いでトキに送りつけるなんて、俺も完全に予想外だった」

「……稲庭さんは誰の味方なんですか」

 胡乱な眼差しで問う恭佳に、常吉は堪えた様子もなく「俺は俺の味方だよ」と肩を竦める。

「赤の他人なら金次第って感じかな」

「表向きは商売人、裏の顔は幻獣屋だと思ってたんですけど、情報屋でもあったなんて」

「別に名乗ってるわけじゃない。職業柄、仕入れだとか配達だとか、色んなところに出入りするからそのつど面白そうな話も拾ってくる。それを金と引き換えに話してるってだけ」

「……守銭奴ですね」

「否定はしない」

 他に聞きたいことはと言いたげに首を傾げられ、恭佳は以前、商品を落としてしまった棚を振り返った。当然だが今はしっかり整理整頓され、恭佳が無理に背を伸ばして取ったとしても落下してくる心配はなさそうだ。

「蓮希さんともお知り合いなんですね。この間落とした封筒に、蓮希さんの輿にあったのと同じしるしがあったのを見ました」

「だろうね。それに関しては言い逃れできないな」

 常吉は先ほどと違ってのらりくらいと躱すことなく、諦めたように頬をかいた。

 いつもは客の目に入らない場所に保管しているが、あの日は手紙を読んでいた最中に客が来てしまい、ここなら大丈夫だろうと咄嗟に商品の上に乗せたそうだ。予想に反し、運悪く恭佳に見つけられてしまったのだが。

「トキさんとご友人なら、お兄さんである蓮希さんと仲が良くてもおかしくはないですもんね」

「別に仲がいいわけじゃない。なんならあいつが一番、俺を金で動かしてるよ」

 詳しく聞けば、常吉と蓮希は同い年で、通っていた学校も同じだったという。代王の息子が在籍する学校に通うとなると、常吉もそれなりに裕福な家庭に育っているのかも知れない。とてもそうは見えないが。

「トキと知り合ったのは本当に幻獣関連だよ。蓮希の弟だってことも知らなかった。兄弟仲が悪いってこともあとから気づいた」

「稲庭さんと蓮希さんは、手紙でどんなやり取りをしてたんですか」

「他愛のないことだよ。トキが普段どんな生活をしてるか、一人で寂しがっていないか、人様に迷惑をかけてないか」

 他にもあんなこととか、と指折り数える常吉を前に、恭佳は蓮希の顔を思い浮かべていた。

 トキに対して蓮希はかなり高圧的だったように思うのだが、あれは心配の裏返しだったのか。

「俺とトキが知り合いってのは、トキから話したんだと思うよ。どういう経緯か知らないけど、喧嘩でもした時に口走ったんだろうね。あいつがレンフナから帰ってくる前後くらいに急に蓮希が来て、『どこで暮らしているのか分からず心配かつ腹が立つので、友人であるお前が弟の日々の様子を報告しろ』って命令された。金と引き換えにって言ったら、すっごく渋い顔されたけど」

「でも報告してたってことはお金払ったんですね……」

「まあね」

 蓮希は侍従なども連れず、一人で稲庭商店に乗り込んできたのだという。「あいつもいまいち、代王の後継ぎっていう自分の立場ってのを分かってないと思うんだよね」と常吉がぼやいた。

「トキさんの助手の面接に蓮希さんの信者さんが来てたのは、稲庭さんがトキさんの住まいを暴露したからですか」

「そう。でもあれは蓮希が独断で行かせたみたいで、要するに他の奴らに周知されてなかった。可哀想な少年は『代王さまのもとから逃げ出した』と疑われて、しばらくトキの面接に落ちたことを蓮希に報告も出来ずに折檻されていたってさ」

 蓮希が事情を説明すればすぐに解放されていただろうに、彼は庇おうとしなかったのだろうか。恭佳が疑問を口にすると、太陽神へ祈りを捧げる準備などで忙しく、少年に気を向けることが出来なかったのだろうと常吉は語った。

「実力行使すればトキなんてすぐに家に連れ戻せると思うんだけどね。俺の報告から隙を見つけようとしたり、手下を送り込もうとしたり、頭が固いというか、回りくどいと思わない? そこが一周回って面白いけどさ」

「……そういえば、変なこと言ってた気がするんですよね。『我は貴様の臣下であると同時に兄でもある』って……後継ぎが蓮希さんなら、トキさんの臣下って意味がよく分からなくなるんですけど……」

「その話はまた別料金だけど、どうする?」

 払うか否か。恭佳は首を横に振った。

 トキの話はトキに直接聞けばいい。話したければ話してくれるはずだ。

「そうだ、最後に一ついいですか」

「ん? なに?」

 机に座っている常吉と、立っている恭佳とでは少し身長差がある。恭佳は彼に降りるよう頼んでから、目線が合う高さまで少し屈んでもらった。

 なんだろうと珍しく不思議そうな顔をする常吉に、恭佳はにこりと笑いかけて。

 頬を思いきり平手打ちした。

 ぱんっと軽快な音が鳴り、常吉の足元がわずかに揺らぐ。張られた頬を手でおさえて、常吉はまばたきを繰り返していた。

「私が痛くて怖い思いをしたのは稲庭さんのせいだって分かったので、仕返しです」

「ああ、うん……ちょっとびっくり。満足した?」

「十発くらい殴りたいところではありますけど、そんなにやると私の手が痛くなってトキさんのお手伝いが出来なくなっちゃいますから」

 すでに常吉をった右手がじんじん痺れている。

 ひとまずお互いさまだ、と己の中でひとつ区切りがついた。これで後々に禍根を残すことなく、今まで通り常吉と接することが出来る。常吉も恭佳の意図を察したのか、口の端を綻ばせた。

「それじゃあそろそろ帰ります。ありがとうございました。なんだか金貨一枚ぶん以上の話をしてもらったような気がします」

「そう?」

「だってトキさんはもっとお金を渡してました」

「手揺らしたらくれるんだもん。ひょいっとお金を渡してきちゃうところは兄弟だから似てるんだよね。金にものを言わせるのもどうかと思うけど」

「稲庭さんに言われたくないと思いますけど」

 それもそうだ、と常吉は歯を見せて笑った。



「確認させてくれ。間違ってたら訂正してほしい。幻獣名は吸血鬼ヴァンパイア、作成魔術師は〈無垢〉のツヴァイト家、定期的に人血を飲まなければ体が老いる、ただし死ぬことはない。刻印はへその上……銀に弱い以外は特に弱点はない、だな?」

「おおむね問題はないわ。けど一つだけ。私以外の吸血鬼もみんな銀以外の弱点が無いとは限らないわ。ニンニクや聖水に弱い個体はいるはずよ」

「了解。そのあたりもしっかり書かせてもらう」

 トキは麗しい女性の声に応え、手元に用意した紙につらつらと文字を書きこんだ。

 一ノ宮邸の応接間には、トキや立川のほかに、恭佳でもシルキーでもない、別の女性が一人加わっていた。赤と黒が混じり合うドレスをまとった、妖艶な美女だった。癖のある黒髪を彩る赤いリボンが印象的である。

 女性は立川に密着するように腰かけ、くすくすと笑みを含んだ視線をトキに注いでいた。

「幻獣事典の参考にされるなんて、何百年ぶりかしら。なんだかうきうきしちゃうわ。そう思わない?」

「僕に聞かれても困る。君が嬉しいならいいんじゃないか」

「もう。そこは冗談でも『ああ、そうだな』くらい言ってくれたらいいのに」

 女性につんつんと頬をつつかれても、立川は仏頂面を崩していない。彼にとって慣れたやり取りなのだろう。

 女性から聞き取ったあれこれを一通り書きこんだところで、トキは凝り固まった首を回しながら椅子にもたれかかった。目の前から漂ってくる甘ったるい雰囲気がじゃっかん面倒くさいが、めろと言ったところで、立川はともかく女性が素直に従うとは思えない。協力してもらった以上、黙って見過ごすしかなかった。

「とりあえず礼を言わせてくれ。ありがとう。これで幻獣事典がより濃密なものになった」

「いいのよ、気にしないで。久しぶりにツヴァイトの話を出来て私も楽しかったから」

 ああでも、と女性は萌葱色だった瞳を赤く変化させ、つんと唇を尖らせた。

「協力したんだもの。やっぱり言葉以外のなにかが欲しいわ」

「元からそのつもりだ。なにがいい? 俺に用意できるものなら――」

「そうねえ」と呟いた女性は、瞬きのうちにトキの眼前に移動していた。押しのけられた机ががたりと音を立て、立川が律儀に位置を直している。

 紅をいたように真っ赤な唇がゆっくりと開き、鋭くとがった犬歯が姿を見せる。見せびらかすように女性はトキに顔を近づけると、ほっそりとした肢体でしなだれかかってきた。

「最近、血を提供してくれてる幻獣屋が誰かさん・・・・のせいでお休み中で、しばらく夫の血しか飲めていなくて飽きてきちゃったの。だから少し、味見だけでも、ね?」

 吐息とともに、女性の牙がぷつりとトキの首筋に食いこむ。押しのけるくらい出来るのだが、血を吸われればどうなるのだろうという好奇心が勝る。トキは柔らかくくびれた女性の腰に腕を回し――――

「ただいま戻りまし……た……」

 開け放していた応接間の入り口から聞こえた声が、どんどん尻すぼみになっていく。

 はっとして目を向けると、目の前で何が起こっているのか分からずに困惑している恭佳がいた。まずい、と視線を彷徨わせながら女性をひきはがすと同時に、買ってこいと頼んだ墨が廊下に転がる音がする。

「……何してるんです?」

「なにって、別にただ幻獣の調査を」

「そんな光景でしたか、今の……?」

「多分というか確実に誤解してるぞ。おい、桂樹!?」

 トキが呼び止めるのも聞かず、恭佳は顔を真っ赤にしてどこかへ走り去ってしまった。

 追うべきか放っておくべきか悩み、トキはなぜ咄嗟に「まずい」と感じたのか分からず眉根を寄せた。やましいことをしていたわけではないのだし、堂々としていればよかったはずなのに。

 ひとまずシルキーを呼んで恭佳の様子を見に行かせ、改めて女性に向き直る。彼女は残念そうに頬を膨らませて椅子に座り直し、隣の立川は深いため息をついていた。

「悪ふざけが過ぎる」

「ふざけたつもりなんてないわ? あなたと契約した時くらい大真面目よ」

「目の前で他の男の血を吸われる僕の身になってみろと言っているんだ」

「嫉妬させたくてやったに決まってるじゃない」

「……痴話喧嘩ならよそでやってくれねえか」

 あらごめんなさい、と女性は流麗に微笑み、「先に帰ってるわね」と立川の頬に口づけると、ドレスの裾を捌いて身を翻した次の瞬間には霧のように姿がかき消えていた。

「それじゃあ僕も帰らせてもらう。任務があるんでな」

「おう。じゃ、今後も幻獣の紹介よろしく」

 トキの一言に、立川が腰を浮かせた体勢のまま固まる。その瞳は「聞いていないぞ」と訴えていた。

「血を吸わせてもらう代わりに、契約した幻獣を紹介するという取り引きだっただろう」

「誰も今回限りなんて言ってねえし、〝契約した幻獣〟なんて限定的なことも言ってない。嫌なら〈機関〉に露見ばらすだけだ。テメエが幻操師げんそうし――幻獣と契約した異能者で、しかもその幻獣が妻だって」

「……その一言で僕を従わせるのも限度があると思うんだが」

 しかし立川は渋々頷いた。頷かざるを得なかったともいう。

 それだけの弱みを、トキはがっちり掴んでいるのだ。

 安心しろ、とトキは脚を組み、勝ち誇ったように微笑んだ。

「桂樹にも常吉にもテメエの正体は喋っちゃいねえ。意外と俺の口はかたいぞ」

「……信用していいものか分からないが……正体といえば」

 立川は恭佳が走り去った廊下を一瞥する。

「助手の彼女は知っているのか? 君が――太陽神だと」

「教えてねえ。教えるつもりもない」

 トキは背もたれに腕をかけ、大きくのけ反って天井を見上げた。

 褐色の地に淡い金色で様々な模様が描かれたその中央には、各家庭の掛け軸や蓮希の輿にあったものよりいくらか複雑化された陽輪教のシンボルがある。中心部の眼は、両目とも見開かれていた。

 両目が閉じた印は一般的なもの。片目が開いた印は代王とその血族が用いるものと区別される中、両目が開いた印は太陽神にだけ許された印だ。

 ヨサカ人らしからぬ黄金色の瞳も、太陽神としての証である。

『俺は神力を持ってるが、魔術師なわけじゃない。言っておくが幻獣でもねえし、幻操師とも違う』

 恭佳の救出へ向かう最中、ただの人間ではないとはどういう意味かと立川に問われた際にそう答えた。

『じゃあなんだというんだ』

『神力を使える存在がまだいるだろ? ――神だよ』

 もちろん初めは訝られた。簡単に信じろと言っても難しい話だろう。

『ヨサカの太陽神は眠りについたと神話で語られているが』

『本体は、な。俺はいわゆる〝分身〟みたいなもんだ。太陽神の魂と記憶を持って生まれた人間。力が回復しきるその時まで眠り続けたままじゃヨサカの現状が把握しきれねえだろ? そのために太陽神が考え出したのが、俺のような分身だ。分身だから本体ほど強大な力を持ってるわけじゃ無えってのが難儀なところだな』

 分身がいつ、どの機会に生まれてくるのかは太陽神の気まぐれだ。トキでさえも分からない。前の分身が死んだのは五十年前で、次の分身がトキの死後いつ生み出されるのかも不透明だ。

『代王は太陽神の代わりに国を治めているんだろう? 太陽神が――分身とはいえ――降臨しているのだから、その期間の代王は不必要なのでは』

 立川の疑問はもっともだった。

『眠りにつくまでずっと国を治め、守り続けてたんだぞ。たった一柱ひとりで。そろそろ気ままに国の様子を見たいだろ』

 その後、魔獣が群れているであろう場所に乗り込むのだし、異能者としての力を底上げさせるために立川に血を吸わせ、先ほどの取り引きを取り付けたのだった。

「太陽神であることを知っているのは?」

「テメエと俺の家族、シルキー以外には常吉だけだ。他の奴には話したところで信じねえと思うし、仮に信じたとして、今まで通りに接してくるとは思えねえ。言っておくがテメエが幻操師であるように、俺が太陽神だってのは弱みにもならねえ。喋られたところで特に迷惑するわけでもねえから、それは覚えとけよ」

「承知している。……しかし、助手にくらい話しておいても良さげだが」

「あいつが気付いたらな」

 気付くとは思えねえが、とぼそりと付け足すと、同調するように立川も無言で頷いた。

 立川は「では」と歩き出すと、廊下へ出る直前に、女性と同じように姿を消す。〈機関〉では幹部並みの実力者であろう彼が、手のひらの上で動いてくれるのはなんだかとても愉快だな、と本人には直接言えるはずのないことを、トキは内心で呟いた。

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