第13話

 どうにか一ノ宮邸に帰還して玄関をくぐると、シルキーがいつになく慌てた様子で現れた。

「え、ちょっ、どうしたの!?」

 恭佳の後ろにいる人物を見て一瞬だけ表情を硬くしたものの、それどころではないのだろう。シルキーはレンフナ語でなにかしら訴えながら、恭佳の腕を掴むと引きずるように歩き出した。こちらもこちらで事情を説明したいのだけれど、そんな余裕はなさそうだ。

 連れて来られたのは書斎の前だった。中にはトキが居るはずだが、と思った直後、明らかにトキのものではない男性の怒鳴り声が聞こえてきた。

「お客さんでもいるのかな……」

 そっと耳を押しつけ、他にもなにか聞こえないか探ってみる。シルキーは胸の前で手を組み、そわそわと不安げな表情を浮かべていた。

「――――貴様が――――加護が薄く――――証拠に――――」

「――考え方――――知るかそんなの――――」

「……ううん……?」

 部屋の壁や扉が厚いものだから、声の端々はくぐもって聞こえにくい。とりあえず何者かとトキが言い争っているのは確実だ。

 堂々と入るのははばかられるが、かといって喧嘩がおさまるまでずっと待っているのも落ち着かない。少しくらい開けても気付かれないよね、と恭佳は薄く扉を開けた。

「だいいち長男はお前なんだから、俺がどこでなにをしてようが家には関係ねえだろ」

「ふざけたことをぬかすな! 貴様には神の血を継ぐという自覚が足りておらぬ。太陽神の血を継ぐ限り、その身はヨサカのために使うべきであろう!」

「うるせえな! 俺がなにをやってるかも知らねえで! 俺が国のことを一切考えてねえとでも思ってんのか、テメエは!」

 がたん、と響いた音は椅子が倒れたそれか。トキが勢いよく立ち上がったのかも知れない。声はよく聞こえるようになったが、室内の様子はあまりよく見えないのだ。

「二十七にもなって、いつまでも幼子おさなご気分が抜けぬのだな。すぐに飽きるであろうと放っておいた我にも責任はあるやも知れぬが」

「俺を幼児扱いしてんのはお前くらいだ。つーか、桂樹!」

「は、はい!」

 鋭く名前を呼ばれ、恭佳は反射的に応えながら扉を開けた。どうやらとっくに気付かれていたようだ。

「何者だ」

 真っ先に訝る声を上げたのは、トキと言い争っていた男だ。

 部屋の中央にいたのは、時代錯誤もいいところの水干すいかん姿の男だった。素足に草履をはき、頭にはこれまた今では見かけることの無い烏帽子をかぶっている。

 しげしげと眺めてしまったあとで、恭佳は男のふっくらした顔つきと、右の目尻のほくろにぴんときた。

 ――この人って!

「代王の……!」

「無礼者。平伏せぬか」

 男は不満げに恭佳を睨みつけ、居丈高に命じてくる。「へぁっ」と恭佳が固まっていると、トキは面倒くさそうにため息をつき「しなくていいから、こっちにこい」と手招きしてきた。

 恐る恐るトキの側に近寄り、改めて正面から水干の男を見る。

「トキさん、あの……なんで蓮希さんがここに……?」

「敬意というものを知らぬ娘だな。刻永ときなが、貴様の愛妾あいしょうかなにかか?」

 男――蓮希の視線は冷たい。どうやら恭佳への第一印象は最悪らしいが、それはこちらも同じだ。行列で輿に担がれていた時は優しそうな人だと思ったのに、口を開けばだいぶ腹立たしい性格であることが分かる。

 ――あれ、そういえば今。

「トキナガ……って誰のことですか」

「俺だ」

「はい!?」

「その辺のことはあとで説明する。今はとにかくこいつを追い返すのが先だ」

「追い返すだと!? 話はまだ済んでおらぬぞ!」

「うるせえって何度言やぁ分かるんだテメエは! 散歩進みゃ忘れる鳥頭か!」

 ぎゃあぎゃあと二人はまた言い争い始めてしまう。

 恭佳には無礼者と厳しかった蓮希だが、トキの暴言には気分を害した様子はない。先ほどの話の内容から察するに、二人は兄弟の可能性が高い。家出の話をしていた時に「兄貴に連れ戻されたくもなかった」と言っていた覚えがあるし、恐らくその兄というのが、蓮希なのだろう。

 ということは、だ。

 ――トキさんってもしかしなくても、代王の息子だったりする?

「気が済んだのなら戻ってくるだろうと思っておったが、もう待てぬ。貴様が役目を全うせぬせいで太陽神の加護が薄れつつあるに違いないのだ」

「加護が薄れたかどうかは俺が一番よく理解してるし、薄れちゃいねえよ。その程度も分からねえならさっさと帰れ」

「であれば、先日のおかしな熊はどう説明するのだ! 加護が作用しておらなんだから、あのような異形が現れたのであろう!」

「何でもかんでも『加護が~』とか馬鹿の一つ覚えみたいに言ってんじゃねえよ」

 トキはいら立たしげに腕を組み、蓮希は顔を赤くしながら睨みつけている。

 ふと蓮希は室内に視線を巡らせ、本棚に目を留めた。「なんだこれは」と引っ張り出したのは、トキがレンフナから持って帰ってきた幻獣事典の一つだ。

「異国の書か」

「それは――」

「トキさんは今、そういう幻獣事典の翻訳とか、ヨサカ独自の幻獣事典を創ろうとしてるんです」

 このまま二人だけで話させていると、すぐに喧嘩になってなかなか次に進まなそうだ。恭佳はトキに代わり彼が今なにをしているのか簡単に説明した。

 すると蓮希はおかしなものを見るように幻獣事典を眺め、やがて「くだらぬ」と一蹴した。

「幻獣がどのようなものかは知らぬが、加護が強ければそのようなものに民が襲われる心配も無かろう」

「そんなことありません! その、加護がどうのとは私にはよく分かりませんけど、この間の熊だってちゃんと調べて弱点や対策を記しておけば、次に遭遇した時にどんな行動をとればいいのか分かるじゃないですか」

 恭佳は肩から提げていたカバンから、紙を何枚か取り出した。ぬっぺふほふや河童について記された、いずれ幻獣事典となる紙だ。それを蓮希に差し出すと、彼は半ばひったくるように受け取ってしげしげと見始める。

「トキさんは今、幻獣事典を創るためにたくさん幻獣を調べて、記録してるんです。それだけじゃない。翻訳作業だってあるし、きっと大変なんですけど、面倒くさいとか飽きたとか言ったことは、」

 ないんです、と言うつもりだったのに、言えなかった。

 蓮希が紙を真っ二つに引き裂いたからだ。

 彼は親の仇のごとく紙をびりびり破ると、「くだらぬ」と床に落ちた紙片を草履で踏みにじる。

「異国から戻ってきたと思えば、幻獣事典だと? そのようなことにかまけてばかりおるから加護が薄れるのだ。――ああ、分かったぞ。ここにある書物を全て処分すれば、貴様は今度こそ家に戻ってくるのだな?」

「なっ……!」

「今この場で、即刻処分せよ。それを見届けるまで、我はここから一歩も動かぬぞ」

 蓮希は、トキが幻獣に関連するすべてを処分すれば戻ってくると信じて疑わないらしい。当然トキにそんなつもりは欠片もなく、彼の手は青筋が浮くほど強く握りこまれていた。

「テメエは昔っからそうだ。俺の意見なんて全く聞いちゃいねえ。何様のつもりだ」

「我は貴様の臣下であると同時に兄なのだ。父上や母上は好きにさせよと言うが、弟が好き放題するのを黙って見届ける兄がどこにいようか」

「知るか。俺はもうテメエと話す気は無い。さっさと帰れ」

「言ったであろう。処分するまで動かぬと」

「処分するよりも、テメエを家に帰す方がよっぽど簡単だってのを忘れてねえか?」

 怒りを押し殺した声を吐いて、トキはぱんっと手を鳴らす。

 次の瞬間、蓮希の姿は跡形もなく消えていた。

 床に穴が開いたとか、そんな仕掛けでもあったかと思ったが、床はいつも通りだ。蓮希だけがはじめから居なかったように、忽然と消えている。

「えっ、蓮希さんどこに行ったんですか」

「帰した。今ごろ自分の部屋で地団太踏んでる頃だろうよ」

 そんな説明で満足すると思っているのだろうか。

 戸惑ったまま、恭佳は先ほどまで蓮希が立っていた場所に散らばる紙片をかき集めた。トキが原文を書き、恭佳が清書し、恭佳の父が絵を描いてくれた紙は、見るも無残に破られている。

「どうしてこんなこと……」

「気にすんな。また書き直せばいいだけの話だろ」

「そうですけど、そういうことじゃないんです! なんだかトキさんの気持ちを蔑ろにされてる感じがして、すごく嫌な気分になりました」

「? 別に俺はいつものことだし、気にしてねえぞ」

「私は気にします! 本当にトキさんのことを考えてるなら、絶対にこんなことしないと思うのに……」

 まるで紙と一緒にトキの熱意まで破り捨てられたような気がして、恭佳は悔しさのあまり唇を噛んだ。いつものこと、と言うからには、昔から蓮希はトキのやることなすことに、ああして口を出していたのかも知れない。

 いくつもの欠片になってしまった紙を手のひらで包み込んでいると、頭に大きななにかが乗った。くっと顔を上げてみると、トキの手が恭佳の頭を軽く叩いていた。

「ありがとな」

「?」

「俺の代わりに怒ってんだろ、お前。安心しろ、俺も全く怒ってないわけじゃねえから」

「そ、そうですか」

 なんだか急に気恥ずかしくなってきた。頬や耳まで熱い気がする。

 顔の火照りを誤魔化すようにトキから顔を反らしつつ、恭佳は気になっていたことを問うた。

「一ノ宮トキは筆名って初めの頃に聞きましたけど、本名は刻永っていうんですか」

「ああ。ちなみに一ノ宮は家出先のエアスト家から取った。エアストってのはヨサカ語で『第一』を意味するからな」

「へえ……いや、そうじゃなくて。蓮希さんがお兄さんってことは、トキさんも代王のご子息ってことですよね?」

「まあ、そうなるな。だからって別に呼び方とか変えなくていいからな」

「変えるなんて一言も言ってませんよ」

「ならいい」

「ところで僕はいつまで放置されていればいいんだ?」

 廊下から声がかかり、恭佳は「あっ」と振り返った。茶を飲むべくトキは湯呑に手を伸ばしていたけれど、動きがぴたりと止まった。

 しまった。トキと蓮希の言い争いで完全に忘れていた。慌てて謝りながらずっと待機していたであろう彼を呼ぶと、一緒に様子をうかがっていたシルキーも書斎に入ってきた。

 トキは新たに現れた人物に、不審げな表情を浮かべている。

「お前、〈機関〉の」

「まだちゃんと名乗っていなかったな。立川蒼依という」

 立川は律儀に名乗り、トキに向かって軽く頭を下げた。

 彼は出会った時の軍人じみた黒衣と違い、今日は深緑色の着流しに淡い縞模様の帯を締めている。

「なんでこいつがここにいる」

「帰ってくる途中に助けていただいたんです」

 一ノ宮邸に戻ってくる途中に遭遇した三毛猫は、結局恭佳一人の力ではどうにもならなかった。幸い怪我はしなかったものの、普通の猫よりはるかに凶暴でどこまでも追いかけ回される羽目になったのだ。

 それを、たまたま遭遇した立川が助けてくれたのだ。彼はいとも簡単に角を折り、三毛猫が元に戻るまで穏やかに背中を撫でてやっていた。

 恭佳も立川も、お互いの顔は覚えていた。礼を言いがてら少し話をしていると、せっかくなので角が生えた動物たちのことを説明したいと言われたのである。

「それで一緒にここまで来たんですけど、立川さんの話をする間もなく、さっきの状況に……」

「なんでのこのこ連れてきたんだよ。こいつになんて言われたか忘れたのか? 斬り捨てるって言われたんだぞ、俺たちは」

「安心してほしい。今日は敵意などないし、そこにいるシルキーを処分するつもりもない。魔獣まじゅうのことを知らないようだったから、ただその説明をしに来ただけだ」

「魔獣?」

 恭佳とトキがそろって首を傾げると、立川はやっぱり知らないんだなと一人で納得するように頷く。

 場所を応接間に移し、恭佳はトキと並んで座り、立川と向かい合った。彼はシルキーに用意された緑茶や菓子に少しずつ口をつけると、これまた律儀に味の感想を述べた。

「で、魔獣ってなんだ」話を切り出したのはトキだった。「幻獣とは別ものなのか?」

「最近になって目撃が増えた、幻獣とは全く異なる獣だ。幻獣は神力イラを源として活動する人工生命体だが、魔獣は魔力マナを吸収して暴れる。また魔獣は人工的に作られたものじゃなく、元からいる動物に〈核〉を外付けすることで出来上がる」

 熊を例にして言うのなら、額に生えていた角こそ外付けされた〈核〉だという。

「あの、魔力ってなんですか?」

 恭佳がおずおずと問いかけると、立川はすぐに教えてくれた。

「神力は神由来のものだが、魔力は人由来のもの……と言われている。なにせ発見されたのがごく最近だから、どのような作用があるのかなど、不明点はまだまだ多い未知の力だ」

「けど俺が行ってたレンフナじゃあ魔力も魔獣も、一言も聞かなかったぞ」

「レンフナで聞かなかったのも無理はない。魔獣がはじめに現れたのは別の国だから」

「しかし、なんでその魔獣が最近やたらとヨサカに現れてんだ。〈機関〉はなにかしら情報を掴んだってのか」

「言っておくが、普通なら簡単には話さないぞ。説明しておかないと君たちは安易に関わってきそうだから、警告のために来たんだ」

「ここに来た理由はなんでもいい。さっさと話せ」

 威圧的なトキの口調に怯んだ様子もなく、立川は静かに茶をすすると、ゆっくりと口を開いた。

「とある集団が、ヨサカ全土に魔獣をばらまこうとしているらしい」

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