第6話

「お前の店の事情を最近知ったらしい客はいるか?」

 恭佳の顔ほどの大きさの火の玉が一つだけ揺らめく薄暗い室内で、トキが何者かに訊ねる。疑問形になっているが、その口調には否と答えることを許さない威圧に満ちていた。恭佳は湯呑によく似ているけれどどことなく違う器にちびちび口をつけ、果物のらしき香りが漂う茶を味わった。名も知らない花が細々と描かれたそれはマグカップというらしい。

「顧客の情報をそう簡単に教えるわけにはいかないよなあ。そう思わないかい、嬢ちゃん」

「そう、ですね」

 右隣に座っていた男に笑いかけられ、なんと答えたものか迷いながらも頷く。正面の棚にもたれかかるトキに睨まれた気配がして、そっと視線を外した。

 ――出かけるぞ。

 ぬっぺふほふを作った何者かを捕まえに行く、と言われて一ノ宮邸を出たのが一時間ほど前。てっきりまっすぐ貧民街に向かうものと思っていたのだが、トキがまず向かったのは町の西側、とある商店だった。

 このあたりは恭佳が生まれ育った地で、トキとともに来たこの店にも馴染みがある。というか、トキが出した求人広告はここで見つけた。

 そして恭佳の隣に座っている桜色の髪の男こそ、ここ、稲庭商店の店主、稲庭いなば常吉つねよしである。彼は開いているのか閉じているのか微妙な目をさらに細め、「教えなくもないけど」と手のひらを差し出す。

「それなりの対価を支払ってもらわないと」

「ンなことだろうと思った」

 くすくす笑う常吉に、トキが指先でなにかを弾いた。キン、と甲高い音は金貨を弾いたそれに違いない。火の玉の灯りを受けて一瞬だけ輝いて、常吉の手に吸い込まれていく。

「はい、確かに受け取った――で、最近知ったらしい客、ねえ。いるよ、何人か。そして何組か。ついこの間ヨサカに来たばかりって奴が六割くらい。あとは知り合いから聞いてきましたってのが四割ってとこかな」

 簡単に教えるわけにはいかないと言っていたわりに、金貨一枚であっさり教えてくれるのか。普段の接客とは違った雰囲気に、恭佳は密かに驚いていた。

 三人が今いるのは稲庭商店の地下だった。広さはトキの書斎より少し広いくらいだろうか。土壁がむき出しになっており、その前にずらりと並ぶ棚には赤い液体で満たされた半透明の袋だとか、明らかに動物の死骸と思われるものが浮かんだ瓶などが置かれている。階段から降りて真っ先にそれを目にした時には悲鳴を上げそうになったけれど、慣れてしまえばなんともない。

「その中に怪しい奴はいなかったか」

「俺の店の地下に来る奴なんて、たいてい怪しい奴でしょ。お前も含めて」

「あぁ?」

「おー怖い。ちょっとからかっただけでそんな怒るかね。嬢ちゃん、こいつにこき使われたりしてない? 大丈夫?」

「助手として勤め始めたのは昨日からですし、今のところは」

「馬鹿正直に答えなくていいぞ、桂樹」

 トキはいら立たしげに腕を組み、常吉はそれを見ておかしそうに笑っている。緊迫感はなく、二人が話す時は常にこんな空気なのだろう。

 話がなかなか進まないトキたちをよそに、恭佳は棚に並ぶ品々に一つ一つ目を向けてみる。なにやら厳重に封をされた箱や、見たこともない植物を乾燥させたものなど、一般の客なら目にしそうもないものが並んでいた。

 稲庭商店は地上二階建ての木造で、恭佳が父のおつかいや日用品を買い求めるために訪れていたのはこちらだけ。今いる地下は、ごく限られた客しか知らない秘密の場所なのだと常吉は言っていた。

 ――うちはね、表向きは「なんでも揃ってる便利な商店」だけど、あくまでそれは隠れ蓑。実際のところは、「幻獣専門店」なんだよね。合言葉を知ってる人だけに案内してる内緒のお店が、地下ここなのさ。

 トキがまず常吉の店に来たのは、ぬっぺふほふやそれに関する情報を知っていそうな客について心当たりがないか聞きに来たためだ。幻獣専門店という特性上、彼のもとにはそういった情報が集まりやすいのだと。

「あーでも、怪しいっていうか、ちょっと気になる客はいたかな」

 常吉はぐいっとマグカップの中の茶を飲み干し、濡れた唇を指で拭う。

「さっき言った四割の中に、魔術師はどうやって幻獣を作っていたんでしょうか、だったかな。そんな感じのことを聞いてきた奴がいた」

「……お前はなんて答えたんだ?」

「『どうやっても何も、神力イラを使う以外にないでしょうね』って言った」

「いら? ってなんですか?」

 首を傾げる恭佳に、トキは「あとで教えてやるから」と素っ気ない。

「お? 珍しいな。なんで知らねえんだ、とか言って怒らないのか」

「うるせえな、話を続けろ」

 常吉は完全にトキの反応を面白がっている。なんとなく二人の関係性が掴めてきた気がしつつ、恭佳も話の続きを待った。

「けどまあ、神力なんて生まれ持ったもの、先天的なものだしな。見た感じ、あの客には神力なんて無さそうだったし、単純に気になったから聞いたのかなって思ったわけ。一応教えておいたけどね、『幻獣を作るんなら、死ぬ覚悟が無いと』って」

「そこではっきり処刑されるぞって言わねえのかよ」

「処刑されるって言っても、レンフナとかあっちの方の国では、でしょ? ヨサカはそもそも幻獣とか魔術師に馴染みがないわけだし、幻獣作ったら即処刑、なんて法律があるわけでもない」

「あっ、そうなんですか」と口を挟んだのは恭佳だ。トキの口ぶりからてっきり法律でなくても、それに準ずる厳しい決まりでもあるのかと思っていたのだ。

「もちろん、トキが行ってたレンフナとかだと、見つかれば即座に捕えられて首とかスパーンとやられるよ。最悪の場合、一族もろともさようならだ」

「……え、それはつまり、例えば私が幻獣を作って、それを家族は知らなかったとしても、家族全員……」

 恭佳の呟きに、トキと常吉が揃って頷いた。

 それほどまでに幻獣の作成は禁忌なのか。もし興味本位で火の玉程度の幻獣を作ったらどうなるのかと聞けば、幻獣の種類にかかわらず、作成者が迎える結末はどれも同じだと答えが返る。

 だが常吉が言った通り、ヨサカは幻獣や魔術師に対するこれといった決まりがあるわけではない。だから仮に幻獣を作ったとしてもな組織に捕えられる心配はほぼないし、確実に処刑されるというわけでもない。

「それを利用して、昔も今も、十家に属さない〝はぐれ魔術師〟が海外からやってきてこっそり作ったりしてるんだよね」

「そんな人たちがいるんですか?」

「たまーにね。ま、どこかの誰かさんが家出先でいろいろ学んできたみたいだし、その影響もあってそういう奴らって大体すぐに痛い目を見るんだけど」

 ちらと常吉がトキに視線を向ける。今回みたくぬっぺふほふを作った奴を捕まえに行くといったような前例が、これまでに何度かあるのだろう。

 ふと恭佳は違和感に胸をさすった。なんだろう、トキの行動に引っかかるものがある気がしたのだが、いまいちその正体が掴めない。

「で? 聞いてきた奴はどんな反応をしたんだ」

「んー、どうだったかな。もう少しで思い出せそうなんだけどー」

 ひょいひょいと常吉の手のひらが揺れる。トキがもう一枚、金貨を飛ばした。

「どんな反応もなにも、挙動がおかしいとか会話が成り立ってないとか、おかしな感じはしなかったよ。だけど最後に……」

「最後に?」

 常吉がまた手を振り、トキが金貨を放つ。金貨一枚あれば、恭佳の家庭の食費ひと月分はやすやすと賄える。それだけの額をあっさりと渡しているあたり、トキの金銭感覚がおかしいのか、それとも常吉の情報にはそれだけの価値があるということなのか。恭佳にはどちらなのか分からない。

「『試してみます』って言ってた。それは確かだ」

「試してみますって、それはつまり、幻獣を作ってみますってことなんじゃないんですか!?」

「普通に考えればそうだと思うし、俺も嬢ちゃんと同じように思ったよ。神力もないはずなのにどうやって作るんだかねえ」

「……そいつの住所は?」

「サナレちょうクルス東二丁目」

 貧民通りの近くだ。貧民街の真っただ中と言ってもいい。ぬっぺふほふを見かけた橋も、そこから歩いて五分ほどの位置にある。

「俺が知ってるのはそれだけ。詳しい番地だとかは聞いてないから、自分で調べてくれ」

「それだけ分かれば探せる。俺を誰だと思ってる」

「はいはい、そーでした」

 聞きたいことだけを聞いて、トキはさっさと階段を上っていく。がこ、と階段を隠していた床板を外す音が聞こえたあたりで、恭佳も常吉とともにトキを追いかけた。

 稲庭商店には常吉以外の従業員はいないらしい。幻獣専門店という裏の顔を隠しておくには仕方がないのかもしれない。店主である常吉が地下にいたのだから、一般客が入ってこられないように店の扉には鍵をかけ、窓も全て閉ざされている。

「そういえば幻獣専門店って仰ってましたけど、やっぱり幻獣を作ろうとする人が来たりするんですか?」

 恭佳は窓を覆っていた遮光の幕を外しつつ、床に放置されていた別の幕を回収していた常吉に訊ねてみた。彼が拾っているそれを放置していったのはトキである。そのトキの姿が見当たらないが、二階から音がしていることを考えるに、そちらの窓を開けに行ったようだ。

「いや、お客さんの大半は幻獣だよ。むしろトキとか、幻獣の作り方を探ってるらしい奴とかみたいな、普通の人間の方が少ないかな」

「あ、そうなんですか?」

「うん。ほら、地下に赤い液体が入った袋があったろ? あれ、なんだと思う?」

 幕を丁寧にたたみながら、恭佳は少しだけ考え込む。

「……物騒なものですか?」

「人によってはそう思うかもね。さて答えはなーんだ」

「………………血、とか?」

「おっ、鋭いねえ」

 否定してほしかったのだが、常吉はぱちぱちと拍手しながら認めてきた。

「あの血は吸血鬼ヴァンパイアって幻獣が買っていくんだよ。吸血鬼ってさ、読んで字のごとく血を吸うわけ。だけど人を襲うわけにはいかないだろ? だからうちが提供してるの」

「そ、その血はどこから調達してくるんですか!? それこそ物騒な手段じゃありませんよね!?」

「あはは、安心して。大丈夫。血を抜き取らせてくれる協力者が何人かいるんだよ。ちゃんと報酬も支払ってる」

 他にも棚に並んでいた品々は、幻獣のために用意されたものがほとんどだという。なぜそのような店を営むことになったのかという経緯については「面白そうだったから」とだけ言われた。

 恭佳が知らないだけで、この国には異国から流れてきた幻獣が想像以上に多く暮らしているのだろう。一ノ宮邸にいるシルキーだって見た目は普通の人間なのだから、彼女のような幻獣と道端ですれ違ったとしても、何も知らないままの恭佳だったら人間ではないだなんて気がつく余地もなかったはずだ。

「二階の幕は全部外してきたぞ」

 ととと、と早足で階段を下ってきたトキが、その足で扉を開けに行く。

「外すのはいいけど、ちゃんとたたんできたんだろうな」

「それはお前の役目だろ」

「なあ嬢ちゃん。トキはあれだろ、脱いだ服はそのまま床とかに放りっぱなしにしておくような奴だろ」

「そんな気がしてきました」

 今のところ邸内でそんな光景を見たことが無いが、もしかすると放り出した先からシルキーが回収しているのかも知れない。なんとなく場面を想像して、恭佳は思わず笑いそうになった。

 トキは居心地が悪そうに、「稲庭商店」と書かれたのれんを担いだまま顔を顰めている。

「ごちゃごちゃ言ってねえで、さっさと行くぞ」

「分かりました」と恭佳は棚の一角に置いておいたカバンを肩から提げた。

「気を付けていって……あ、ちょっと待て」

 二人を見送ろうとしていた常吉が、なにか思い出したように店の奥に引っ込んでいく。戻ってきた時、彼の手には菊や金盞花キンセンカなどで作られた花束が握られていた。

「お姉さんの墓前にでも供えておいて」

「いいんですか? こんなきれいなお花」

「うん。命日、先月末だったよね」

「ありがとうございます。姉も喜ぶと思います。ちゃんと伝えておきますね」

 よろしくね、とはにかんだ常吉の目元に、少しだけ悲しげなしわが寄った。

 先ほど受け取った情報から察するに、トキは当初の予定通りこれから貧民街に向かうはずだ。姉の墓はそこまでの通り道にある。

「トキさん、お急ぎかも知れないんですけど、ちょっとだけお墓によっても大丈夫ですか? すぐに終わりますから」

「……ああ、いいぞ」

 良かったと恭佳の頬が綻ぶ。その様子を、トキはなんと声をかけていいのか分からないような、困ったような目で見つめていた。

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