ヨサカ幻獣蒐集譚―彼方に集う獣たち―
小野寺かける
第1話
助手求ム、と書いてある。
「……多分」
「ん? どうした嬢ちゃん。こんなところでしゃがんだら、可愛い袴が汚れるよ」
「いえ、ちょっと気になって」机に肘をついて年若い店主が覗き込んでくる。恭佳はすかさず顔を上げて問いかけた。「これ『助手求ム』って書いてあるんですよね?」
「おう。ついこの間、俺の知り合いが貼ったんだ」
なにが言いたいか分かるとでも語るように、彼はにやりと笑った。
「字が汚すぎて読みにくかっただろ」
「まあ、はい――あ、すみません。お会計お願いします」
腕に抱えていた商品を机上に広げると、彼は素早く計算を終えて合計額を提示してくる。恭佳もまた首から下げていた巾着の中から必要なだけ銅貨を取り出し、持参していた風呂敷とともに手渡した。
店主が品物を包んでいる間に、恭佳は再び広告に目を落とす。
広告の中央には「助手求ム」と豪快な字が躍っているが、具体的になんの助手かは記されていない。視線を左に移すと、いくらか小さくなった字が数行並んでいた。が、店主が指摘した通り、ミミズがのたうち回った、もしくはナメクジが這いずったかのような筆跡は簡単に読めない。
「まか、な、い付き……」
「『まかない付き、住み込み、週末は二日間お休み』だったかな。ほい、お待たせ」
たっぷり膨らんだ風呂敷は、見た目ほど重くない。
「今日は親父さんのおつかい?」
「墨が足りなくなったからついでに買ってきてくれって言われて――助手求むとは書いてありますけど、どういう仕事かは特に書いてないんですね」
店主もそれは知らなかったのか、いそいそと恭佳のそばに回って広告を確認し、呆れたように小さく笑った。
「書き忘れたんだろうな」
「住み込みってことは家事手伝いとかなんでしょうか。だったら助手なんて書き方しないような気もするし。知り合いが貼ったって言ってましたよね。なにか聞いてたりしませんか?」
「残念ながら」と彼は軽く肩をすくめる。「聞く前に出ていったし、まあ俺には関係ないかって思ってたからなあ」
よほど慌ただしい知り合いなのだろう。店主いわく「なんだか焦ってる風だったな。普段はそんな奴じゃないんだけど」とのことだ。
「にしても、嬢ちゃん。そんなにこれが気になる?」
問いに答える代わりに、恭佳は週末二日休みの隣に書かれた一文を指さした。
「この『一〇〇〇』っていうのがお給金、ですよね」
「多分な。けど……」
店主が苦い顔をするのも仕方がない。なにせ単位も、一日に貰える額なのか、はたまたひと月分なのか、全く書かれていないのだ。もし仮にひと月分だとして、単位が「一〇〇〇シュ」とすると、
「家族六人……あ、いや違う。五人なら余裕で暮らせるだけのお金だなあ……」
自分の計算に間違いがないか何度か指折り数えて、やはり誤っていないとうなずく。
家庭の事情を考えると、悪くないどころか好待遇の求人広告だ。どういう助手か分からない部分だけは引っかかるが。
「これ、行ったらすぐに雇ってもらえるんでしょうか」
「うーん、どうだろう。俺の店以外にもあちこちに同じもの貼ってるだろうし、食いつく奴はごろごろいると思うんだ。だから、ほら」
店主と二人で解読した一文には、「
「希望者はこの時間までに集まれってことだろう。にしてもあいつ、色々と言葉足らず過ぎるだろ。年齢制限とか、これを持って来いとか、なにも書いてない。今度会ったら叱ってやろう」
「明日の正午――――よし」
これ以上、母にばかり負担をかけさせるわけにはいかないからと勤め先を探していたところだ。広告が目に入ったのもなにかの縁だろう。
恭佳はすぐさま店主に、面接場所である〈一ノ宮トキ邸〉の所在を聞きだした。
翌日、恭佳がやって来たのは、己が暮らす町の外れにある雑木林の一角だった。竹やクスノキ、その他名前も知らない木が乱立するそこはなだらかな丘になっているようで、ちらりと振り返ると歩いて来た道の下に、堀で囲まれた町が見えた。
木漏れ日の中を歩くのは恭佳だけで、いっそ薄ら寒く感じるほどひと気はない。本当にこの先に、例の求人を出していた何者かの邸宅があるのか怪しく思えてきたほどだ。
昨日は帰宅してから、すぐに両親に話した。母は「そんな訳のわからないものじゃなくて、仕事内容がはっきりとしたものにしなさい」と至極まっとうな意見を述べて唇を曲げていたが、反対に父は「いいじゃないか、自分でやりたいって思った仕事なんだから」と笑いながら背中を押してくれた。
採用されるかどうかはこれからだと気を引き締めたところで、急に視界が開けた。
「…………えっ、本当にここ?」
あまりにも古くて今にも崩れそうな家屋だから驚いたのではない。逆だ。
立派すぎたのだ。こんな雑木林に建っているのがおかしく感じるほどに。
白い土壁が続いているせいで、屋敷の全貌は判然としない。壁の向こうでちょこんと屋根が頭を出しているが、外から分かるのはそれだけだ。
どれだけの敷地面積なのだろう。というか、入り口はどこなのだ。ひとまず壁伝いに進んでいくと、今度は突然、人の列が現れた。
――――まさか。
ざわつきながら列を作るのは、恭佳と同じ十代後半か、それより上の年齢くらいの女性たちだ。例の広告を見て集ったに違いなかった。装いはそれぞれ違い、着物や袴、最近流行りの〝どれす〟とやらを纏っている者もいた。よく見ると女性より圧倒的に少ないが、ちらほら男の姿もある。想像していたよりも希望者がいたことと、全員あの汚すぎる字の解読に成功したのかと、二重に驚きながら最後尾についた。
恭佳の後も何人かやってきて、締め切りの正午を迎えた頃に少しずつ列が動き始めた。かと思えば、気を落とした、あるいは憤慨した様子の女性たちが次々に列の横を通り過ぎて帰っていく。
一体この先でなにが。いや、何がもなにも面接には違いないけれど。当惑している間も、女性は一人、また一人と去っていき、そのたびに列は進んでいく。
やがて門が見えてきた。二人並んで通っても、なお余裕があるほど広く立派だ。通り抜けた先で待ち構えていたのは、これまで見たこともないような大豪邸だった。恭佳が暮らすボロ家屋とは比べ物にならない、木造三階建のお屋敷だ。壁の向こうから見えていた屋根は豪邸のそれではなく、どうやら蔵のものだったらしい。
門から玄関までは灰褐色の石畳が並び、脇に目を向ければ鯉が泳ぐ池、その奥には神聖な雰囲気を湛える祠があり、反対側には手入れに一日を費やしてしまいそうな庭園が広がっている。春を謳歌する花々の香りが鼻腔をくすぐり、甘やかなそれは強張っていた肩を緩めてくれる。
「――……、……い、おい、そこの!」
急にいらだった声が耳に飛び込んできて、はっと我に返る。非現実的な屋敷や庭に呆然としている間も列は進み、気がつけば恭佳の番が回ってきていたようだ。
玄関先に立っていたのは、二十代後半と思しき男だ。今にも舌打ちせんばかりに表情を歪めている。
「何回呼びかけられりゃ反応するんだ、小娘」
「も、申し訳ありません」
反射的に謝ってしまったが、そんなに何度も呼びかけられていたっけと内心首を傾げた。ぼんやりしていて気がつかなかっただけか。
彼が例の広告を出した本人だろうか。
「名前、あと年齢」
――この場でやるの?
なにやら怪しい雰囲気を感じつつ、自分が知らないだけで面接とはこういうものなのだろうとも思う。恭佳は背筋を伸ばし、素直に男の問いに答えた。
「
「字の読み書きは」
「出来ます!」
「家事は」
「料理を作るのは好きですけど、他はあまり……あ、でも出来なくはないです」
「ふうん」
男はしばらく考えるそぶりを見せ、恭佳をじっと見つめてくる。
緊張で、せっかく力が抜けていた顔が強張ってしまう。おかしな風に筋肉が引きつって、奇妙な表情を作っていないか心配になってきた。こんな簡単なやり取りで採用か否か決まるのだろうか。悪い印象を与えるような言葉を口走っていないか、と次々に不安が生まれてくる中、男はなにか確認するように屋敷の方を振り返り、「小娘」と恭佳に視線を戻した。
「
「は――――はい?」
急になにを聞くのだろう。思わず聞き返すと、彼は「化け物と言いかえても構わん」と腕を組む。
「とにかく信じるか、どうかだ」
「化け物……」
どう答えるのが正解なのだろう。少しだけ迷って、自分の思うままを答えることにした。
「信じてます」
「見たことがあるのか?」
「私はないですけど、いるとは思ってます」
――なにせ、化け物の仕業としか考えられない出来事を目の当たりにしたことがあるから。
とは言わなかった。
男はじっと恭佳を見つめてくる。ようやく落ち着いてきた恭佳もまた男を見返して、初めて彼がどのような出で立ちや顔つきをしているのか観察できた。
身長は恭佳より頭半分ほど高いとみえる。あまり肉のついていなさそうな身体を包むのは詰襟のシャツと上着で、そのどちらもカラスの羽のように黒い。髪もまた同色で、前髪は丁寧に後ろに撫でつけられていた。
ふと彼の瞳に目を留め、恭佳は思わず息をのんだ。
――山吹色……じゃない。黄金色?
ヨサカ人にありがちな黒や焦げ茶色の瞳とは明らかに違う、異質な色だ。切れ長で鋭いまなじりと相まって、本能的に畏怖を覚えさえする。けれど光を
このまま見ていたいような心地になったが、彼が瞬きをして視線を外したことで、恭佳はまるで金縛りから解放されたような気分になった。
「入って中で待ってろ」
「ご、合格ですか!?」
「誰がそんなこと言った。俺は待ってろと言っただけだ」
む、と恭佳はわずかに眉間に皺を寄せた。
「確かにそうですけど。でも待ってろって、中でだけじゃ、どの部屋でとか仰って下さらないと分かりません」
「うるせえな。とにかく入れば分かる」
お前の後にも人はいる、と半ば強引に切り上げられ、恭佳は渋々、言われた通り男の横を通りすぎて中に入った。履物のまま入っていいようだが、さてここからどこへ行くべきか。廊下は前方と左右に続いている。入れば分かると言われたが、行き先の表示も何もない。
とりあえず前へ行ってみるかと思ったところで、音もなく右の廊下から女が現れた。急にぬうっと出てくるものだから、危うく恥も外聞もなく悲鳴を上げるところだった。
やけに色白な肌に真っ白な衣をまとった女は、これまたヨサカ人らしからぬ青い目をゆっくり瞬き、くるりと背を向けた。数歩進むと、恭佳がついてこないのを不思議がるように振り向いて手招いた。
「こっちに来いってこと?」
問うてみたものの、女は恭佳の言葉が分からなかったのか、軽く首を傾げていた。
とりあえず彼女の後をついて廊下を進む。歩くたびにぎしぎしと軋まない木の廊下というのが新鮮で、いかに自分の家が古いのか思い知らされる。
右側には部屋が並び、左側の窓からは中庭が望める。案内されたのは、突き当たりを左に曲がった先にある広い部屋だった。畳敷きではなく、板張りだ。長机が縦横に二列ずつ並べられ、各机に椅子が二つ収められている。どことなく見覚えがある風景だなと思えば、既視感の正体は去年まで通っていた学習塾の一室だと思い付く。
南向きの窓は恭佳の背丈に比べて大きく、横の幅も広い。先ほど外から眺めていたものとは別の池の様子も
椅子にはすでに三人、女が座っていた。年の頃は全員似たり寄ったりだが、装いから考えるに身分はそれぞれ違う。
「えっと、私はどこに座れば……あれっ」
いつの間にか案内してくれた女がいなくなっている。戸惑ったものの、ずっとこの場で立ち尽くしているわけにもいかない。恭佳は誰も座っていなかった右の前側にある机におずおずと移動し片方の椅子に腰を落ち着けた。
どれだけ待っただろう。緊張していたせいで、短かったのか長かったのかよく分からない。恭佳のあとも女が二人、少年が一人入ってきて、最後に玄関先の男が現れた。
「待たせたな。俺が一ノ宮トキだ。この邸宅の主でもある」
男は端的に自己紹介を済ませ、前に立って一人一人の顔を順に見やると「早速だが」と口の端をつり上げた。
「お前らにはこれから一週間、ここで暮らしてもらう」
「は……?」
疑問を口にしたのは恭佳だけではなかった。全員がどういうことだと戸惑い、中には机を叩いて立ち上がり、聞いていないと抗議する者もいた。
だがトキは動じた様子もなく、むしろこちらを試すような意地の悪い笑みを浮かべている。
「そう簡単に採用するわけがねぇだろ。一週間、ここで暮らして耐えられねぇなら見込みはない。だろう?」
トキの語尾は誰かに同意を求めるものだったが、当然、部屋にいる誰もが頷かなかった。
――もしかして、とんでもないところに来てしまったのでは。
恭佳の胸の内を見透かしたのか、トキがまた意地悪く笑ったように見えた。
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