ミイラが送りつけられてびっくりしてたら、美人のお姉さん達に襲われた件について
綿屋伊織
第一話「発端 時雨」
慶応三年八月
「―――これですね」
そう、指を指された先にあるモノを見た時、沖田総司が出来たことは、うめき声を口の中で殺すことだけだ。
地獄の底へ下るような、深い地の底への旅の果てに、彼はそれを確かに見た。
「こ……これは」
キュッ
思わず後ずさった総司の横に立つ少女が、そっと総司の手を握った。
手に伝わる、華奢で柔らかい感触が、総司の心に生まれた戦慄を和らげてくれる。
―――連れてこなければよかった。
総司は、少女の横顔へ盗み見るような視線を送り、後悔した。
これは、女子供の見ていい代物ではない。
「時雨殿」
斉藤一が言った。
相変わらずのポーカーフェイスのせいで、感情が判らない。
「……これは一体?」
「私の先祖にして、前任者です」
時雨。
そう呼ばれた女は、楚々とした声で答えた。
いつの間に着替えたのだろう。
白装束に身を包み、髪を下ろした女が目の前のモノを見上げる視線を外そうとはしない。
モノ
松明と龕燈提灯(がんどうちょうちん)に照らされた先にあるモノ。
漆黒の闇の中に浮かぶそれを見た総司は最初に巨大な干物を連想した。
黄ばんでボロボロになった布に包まれた干物が岩壁に張り付いている。
本気でそう思った。
近藤や土方から、“その世間ズレした発想をどうにかしろ!”と叱られてばかりの総司は、天性の純粋さ故にそう発想したにすぎない。
否。
総司でなくても、そう思ってしまう。
黄ばんだボロ布は白装束。
干物の上部には、油が抜けた黒髪が張り付いていた。
そう……
人間の―――ミイラだ。
十字架にかけられた罪人のように、手を左右に広げ、まっすぐ立った姿勢のまま、ミイラは岩壁に張り付くような姿勢で、その場にいた。
「記録では慶安4年(1651年)、由井正雪の乱があった年になりますね」
時雨の斜め後ろに立つ背の高い男が、場違いなほど飄々とした声で言った。
「それから200年以上―――よく持ったモノです」
男は、そっと手を合わせた。
「200年に渡り、この天下を乱す者を防ぎきった貴女に感謝します」
光に照らし出された長い髪は、何一つ答えない。
ぼろぼろに崩れかけた皮膚と肉もまた、無言のまま。
黒く窪んだ眼窩に宿る光は、ない。
「……はい」
時雨は小さく、しかし、力強く頷いた。
「これからは―――私です」
「私は一体、何年を保つことが出来るのでしょうか」
「何年でも」
男は楽しげに頷いた。
「それこそ、千年万年、千代に八千代に」
クスッ。
時雨はそっと袖で口元を抑えながら笑った。
「最後に笑わせていただき、感謝いたします。松笛殿」
「あなたには」
松笛―――そう呼ばれた男は、頷き返した。
「私を殺してもらえる―――そう、信じていたのですがね」
「これもまた、運命(さだめ)というものです」
「運命(さだめ)―――ですか」
ふうっ。
ため息と共に、松笛は言った。
「イヤな言葉です」
「本当に」
「本当ですよ―――さて」
松笛は振り返った。
そこには、目の前に存在する不気味な物体を前に、言葉を失っている侍達の一団がいた。
「新撰組の皆様には、力仕事をお願いします」
「力仕事?」
斉藤がいぶかしげに言った。
「まさか、“あいつを降ろせ”とか、いわねぇだろうな?」
「正解です」
岩肌をよじ登り、ミイラを降ろす作業に入った新撰組の隊士達を見守りながら、
「……お話は、聞いているのですが」
沖田の横に立っていた少女が松笛に言った。
「今、目の前に現実として存在しても尚、信じられません」
「“彼女”は、“器”にすぎません」
松笛は言った。
「器の強弱が、中身をこぼさない秘訣ではありますが」
「一体、誰がこんな残酷なことを」
「水瀬家は絡んでいない―――?」
「知りません」
少女はムキになってそっぽをむいた。
「私は水瀬家からは追放された身です」
「唯一の正統なる後継者はあなただというのに」
松笛は、残念そうな顔で少女の端正な横顔をみつめた。
松明に照らし出される少女の若々しい肌が、陰鬱な世界に染まりかけている心を、浄化してくれる。
「どこもそうですけど、お家騒動は」
「その話は」
少女は松笛の言葉を遮った。
「しないでください」
「……それが、お望みでしたら」
ミイラが降ろされるのを見守りながら、松笛は頷いた。
「華より団子。家より総司君ですね?雫(しずく)殿は」
「なっ!?」
一瞬にして耳まで真っ赤になった、雫(しずく)と呼ばれた少女が、何かを言い返そうとした時、
「ちょっと」
つんつん。
雫の肩を何かがつついた。
振り返ると、妙齢のびっくりする程の美女が自分の後ろに立っていた。
名を、梅。という。
「雫ちゃん。お化粧するから手伝っておくれ」
「はい」
「まぁ、あんたにゃ」
赤い天鵞絨(びろうど)の絨毯が敷かれ、石の上に据えられた幾本もの蝋燭が白装束の女性を照らし出す。
化粧道具を用意しながら、梅は言った。
「いろいろ恨み辛みもあるけどさ」
「……」
時雨は、正座したまま、無言でその言葉を聞く。
「女同士で、最後にしてやれるのはこの程度さね」
「ありがとうございます」
「よしなよ。礼はいらないさ。ねぇ?雫」
「はい」
雫は力強く頷いた。
「時雨様?お梅さんは、お化粧がとても上手なんですよ?私もしっかり教えてもらって、いつかお梅さんの死に化粧を」
ガンッ!!
梅の一撃が、雫の脳天に炸裂した。
「ったく!総司君に毒されすぎだっての!」
頭を抱えてうずくまる雫を睨み付けた梅は言った。
「私ゃ遊郭育ちさ。化粧はお手の物。責任もって、三国一の美人に仕立ててやるよ?」
「降ろしたぜ」
女性達が化粧に勤しむ中、むしろの上に降ろされたミイラを前に、斉藤は言った。
その顔には、あからさまな嫌悪感が漂っている。
「それにしても、コイツは一体?」
「聞いていませんか?」
松笛は、おや?という顔になった。
「俺達が聞いているのは、こいつとあんたの道中を護衛することだけだ」
「そうですか?」
松笛は首を傾げた。
「近藤局長にはお話したのですがねぇ」
「どこでだ」
「酒の席で」
「あの飲みすけが酒の席でのことなんて覚えているもんか!」
斉藤が言った。
「翌日にゃ、小便と一緒に全部流しちまってるわ!」
「……成る程?」
無理もない。
松笛は、不思議と何度も頷くと、不意にミイラを指さした。
「この道中の目的は、このミイラにあります」
「……」
斉藤達は、訝しげに松笛と横たわるミイラを見比べる。
「どういう意味だ?それは」
「このミイラの子宮の中には、恐ろしいほど厄介なモノが巣くっています。ミイラは、それを封印するための器なのです」
「……つまり」
京の都に来てから幾度となく、敵として味方として目の前の男と関わってきた斉藤は、不親切極まりない松笛の説明を、脳内で補足した。
「何だか得体の知れないバケモノを、女の体に閉じこめているって寸法か?」
「ご明察」
「壊しちまえ。んなモノは」
斉藤は、とっさに部下の隊士が持っていた松明を掴んだ。
「こんな干涸らびてるんだ。盛大に燃えるだろうよ」
斉藤が、ミイラに松明を近づける。
それを止めたのは松笛だ。
「―――破壊することは出来ないのです」
その声は真剣だ。
「かつて、阿部清明、倉橋 時深(くらはし ときみ)が束になって何とかしようとして出来なかった」
「……燃やす程度じゃすまねぇ、ってか?」
松笛は無言で頷いた。
「ならせめて」
隊士に松明を押しつけ、斉藤は訊ねた。
「こいつの腹の中に何がいるのか、それと、あの女は何なのか、教えてくれ」
「ここまで来たのです」
松笛は頷いた。
「聞く権利はあるでしょう」
「……」
「河内時雨……あなた方にとっては敵の中の敵。彼女はこの」
松笛の指先には、ミイラがいた。
「彼女のご先祖様に代わり、新たなる“器”となる」
「……器には、何を入れる?」
松笛から、斉藤達が何を聞いたのか。
隊士の全員が、一切、語ることなく世を去ったため、一切が不明のままである。
ただ、斉藤の言葉として、こんな言葉だけが残っている。
「近藤さん達は、俺達に何も言わなかったんじゃない。
何も言えなかったんだ。
もし、俺が近藤さん達の立場でも、そうしただろう。
“それ”を知っているなら、誰でもそうするさ」
約200年前の話であった。
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