ピアニストと刑事

醍醐潤

第1話

          1


 午前六時三十分、岩清水祐介は目覚まし時計のアラームで目を覚ました。久しぶりによく眠れた。


 ベットを整え、洗面所に向かう。歯磨きと洗顔をして、寝癖のついた髪を元に戻した。

 朝食は、目玉焼きとサラダ、ホットコーヒーと決めている。五分ほどでそれらを用意すると、ダイニングテーブルの上に並べて、食事を始めた。


 祐介は、現在三十歳。この一軒家には二年前から暮らしている。彼は、ライブハウスやコンサートでピアノを演奏することで生計を立てている。つまり、彼はピアニストなのだ。


 ピアニストとしてのキャリアのスタートは、国立音楽大学の三回生の時。祐介が作曲した自作、『風に吹かれて君を』を動画投稿サイトに投稿したところ、それが瞬く間に注目の的になり、数々の賞を受賞した。

 幼稚園の頃からピアノを習ってきた祐介は、多くのコンクールを受賞してきたが、このような形でデビューするとは、夢にも思っていなかった。


 今現在、彼はCDを三枚発売し、それらは順調に売れ上げを伸ばしている。


 食事が終わると、祐介はリビングの隣にある部屋のドアを開けた。十三畳の部屋には、ヤマハ製のグラウンドピアノが置いてあった。また、音がよく響くように壁には、学校の音楽室のように多数の穴が開いている。

 

 ピアノの蓋を開けると、白と黒の鍵盤が現れる。吐息を吐くと、静かに優しく鍵盤に両手を置いた。

 祐介は演奏を始めた。

 弾いている曲は、世界中で知らない人はいないだろう、作曲家ベートーヴェンの『エリーゼのために』だ。穏やかな朝の時間に似合うのは、この曲だと思う。

 祐介はフォルテとピアノを意識しながら弾く。しかし、強い音と弱い音でこの曲を表現し、自由に演奏する。それが彼のスタイルだ。


 まもなく曲はエンディングを迎える。優しい余韻が部屋一杯に響いている。この余韻を聞くのも祐介の楽しみの一つだ。


 その時、その余韻をかき消すようにインターホンのチャイムが鳴った。


「誰だ、こんな朝早くから」

 時計の針は、まだ午前七時を回っていない。ため息をついて、部屋を出る。


 すると、背筋が震える何かを感じた。モニターを確認すると――やはり、思った通りだ。五十代のスーツを着た一人の男が立っている。今は会いたくない人物だ。しかし、ここで無視をすれば、疑われてしまう。


 祐介は仕方なく、玄関ドアを開けた。

「朝早くから、どうもすいません」

 男は苦笑いしながら後頭部を掻いた。

「いらっしゃるなら、電話ぐらい寄越していただきたいのですが」

「申し訳ない。至急、お話を聞きたいことができましたので」


 祐介は嘆息することしか出来なかった。「ちょっと待ってください。部屋を片付けていないもんで」

 机の上に置いてあった書類を棚にしまったり、軽く掃除機をかけた。


「お待たせしました。どうぞ」

 岩清水宅に足を踏み入れた男は、きちんと靴を並べ、祐介が用意したスリッパを履いて、リビングに入った。ソファに朝早くから訪ねて来た来客を座らせ、彼はキッチンへ。

「紅茶かコーヒーどちらにしますか?」

「では、紅茶をお願いします」

 男の要望を請けて祐介は、自分の分の紅茶も用意した。出来た紅茶をカップに注ぎ持っていく。「お待たせしました。どうぞ」

「ありがとうございます」紅茶を啜った男は、「良い紅茶ですね」と、感想を述べる。


「お気に入りの紅茶ですから」

「ところで、先程弾いていらしたのは、『エリーゼのために』にですね」

 聞いてらしたのですか、祐介がカップを口から離すと、

「素晴らしい演奏だったものですから。つい、聞き入ってしまいました」

 こう見えて私はクラッシックが好きなんです、と来客の男は言った。「今でもクラッシックは、レコードと決めています」

「僕もクラッシックはレコードで聞きますよ」

 祐介はカップ片手に語る。男は目を丸くした。

「あなたのような若い人が、レコードを聞くなんて珍しいですね」

「子供の頃からです。親の影響もありますね」

「さすが、英才教育を受けてきただけありますね」

 祐介は相手の発言を否定した。「親は関係ありません。あくまでも僕の趣味ですから」

「それは、失礼」

 男は頭を下げた。


「ところで、聞きたいことって言うのは、何ですか?」

 祐介は、聞いた。

「失礼。つい話に花が咲いてしまいましたね」

 男はスーツの内ポケットから、手帳を取り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る