無限数

京国芹佳

観測者1

「自殺」という言葉を聞いたことがあるだろうか。

その要因には、「学校でのいじめ」「家庭内暴力」「病気の悩み」など様々なものが存在する。


15の夏、私は自殺した。ちなみに上記のような理由はない。


人生は死んだら即終了のゲームに似ていると思う。

正確には即終了ではないかもしれないが、そんなことは誰にも分からない。


人は人生を慎重に歩む。

常に外敵や体調をを気にしながら、平均台を歩く。


平均台の下は暗闇でどうなっているかわからない。

ふかふかのマットが敷いてあるかもしれないし

地面なんかなくて、永遠に落ち続けるかもしれない。

 

でも、それは誰にもわからないから人は慎重になる。


でも、それって本当に幸せだろうか。

 

私から見れば、人間は動物園の飼育ケージにいるように見える。

客のニーズに応えられなければ撤去されるように。


それから、人は理由をつけるのが得意だ。


私はある日、友人に尋ねた

「そのようにに周りの目を気にして、苦痛ではないのか?

なんのために、そうやって【善い人】を振舞うのか?」と


友人は答えた

「周りの評価は自分の内面に直結する。

もし、自分の中に確固たるイメージ持っていたとしても、そのイメージが自分になるわけではないと私は思うんだ。

だから、もし自分が 【善い人】 で在りたくても、そのために本当の【善い人】になる必要はないんだよ。周りに【善い人】と思われてさえいればいいのさ」


私は続けて聞いた

「答えになってないよ。なぜ君は【善い人】になりたいんだい?」


友人は答えた

「人生を自由に生きるためだよ。

そもそも、【善い人】だとか【悪い人】なんて基準は時代によって変化していくものであり、不動のものではないんだ。

つまり、私は結局自分のために、社会にとって【都合の善い人】を演じているだけであって、自分のためにやっていることだから苦痛ではないね。

結局のところ、人間のすべての行動は巡り巡って自分のためになっているのだと私は思うよ」


しばらく沈黙が続いた後、私は「ふーん」と一言返し、その会話は終了した。


家に帰って、僕はソファに沈み込んだ。

友人の意見は、もっともらしく聞こえた。しかし、僕はどこかに違和感を覚えていた。


友人は言った「自分のため」と。「人生を自由に生きるため」と。

しかし、その人生とは結局、社会に縛られているだけではないのだろうか。


そもそも、なぜ【悪い人】だと人生を生きづらいのだろうか。

友人が言う通り、すべての行動が自分のために行われているのだとしたら、まず最初は自分さえよければいいのではないのだろうか。

本能的な行動に走るのではないのだろうか。

人間はそこまで、計算高く、理性的な行動をとれているのだろうか。


人生とはそんなに壮大なものなのだろうか?

何十億年という地球の歴史の中で、そんな数秒のことに悩む人間は理性的な生き物なのだろうか。

そんなことを考えていたら、今ある苦悩や感動が馬鹿らしく感じてしまった。


その瞬間、衝動的に私はこう呟いていた。



「死んだらどうなるんだろう」



私は気になった。

それだけだ。  


大人は大変な事だと言う。


しかし、僕にとっては

「気になるものが落ちていたから拾っただけである。」

私は

「気になることがあったから、落ちただけである。」

 

時間がゆっくりと流れた。


今日は母親がパートで家にいなかった。

沢山の時間と想いが詰まっているはずのリビングは、オレンジ色に染まり、静寂を生み出していたことを思い出す。


15の夏、私は自殺した。理由は知的好奇心から。

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