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「一神教について一人で座学に励みましても、どうしても分からぬこと多々御座いまして、以前から、道の者に思い切り訊ねたいと思っていたのです。そこで蟠桃によってこの場に召呼されました上に、『真剣に論ぜよ』と頼まれれば、……この上ない僥倖と、言わざるを得ないではないですか。」

 指されているイロハは、概ねには泰然と、

「承りましょう。何も、私に後ろめたいことは無いのですし、論議を為すこと自体はカハシムーヌの本懐なのですから。」

 手を下ろした不意安は、僅かに頭を下げてから、

「感謝します。では、…… evangelical福音主義者の、イロハさんにお訊ねしたいのですが、」

 その、当て付けのような確認を一同が不穏に聞いた直後、それによって浮ついた精神を、足払うかのように、

「教皇庁に背く道を選んだ貴方方は、『ローマ信徒への手紙』13章の冒頭に対して、どのような折り合いを見出しているのですか?」

 イロハと、そして他の何人かが眉を寄せたが、残んの者は全く質問の意味を解せずに首を傾げる。

 その中から、白沢が、

「不意安さん、もう少し説明してもらっても良いですか? 皆が皆、新約聖書を諳んじてはいないのですから。」

 そもそも新約聖書の話題ということも理解していなかった黒野は、この反問に安心した。

 当の不意安は、仕方なしという態度で、溜め息一つに続いてから気取りげに、

「『凡ての人、上に有る権威に服うべし。そは神に依らぬ権威無く、あらゆる権威は神に依りて立てらる。

 この故に権威に逆らう者は神の定めに悖るなり、悖る者は自らその審判を招かん。』」

 ここまで述べてから周囲を見渡し、黒野があまり理解していなさそうなのを認めると、一度にこりと頰を吊ってから、

「つまり、一見すると、世に有る全ての権威は神によるものなのだから、それに背いてはならず、背いた者には裁きが下されて然るべきという、比較的単純な文意であるのですが、……しかしその実、いとも厄介な説法なのです。

 プロテスタントの福音主義、即ち、後から勃興してきた教会というシステムよりも、聖書の記述こそに帰依すべきという原理主義は、清く高尚に聞こえはしますものの、しかし、この『ローマ信徒への手紙』13章と撞着してしまうように、私には思われるのですよ。聖書を大切にするならば、そこに根拠の無い、教皇以下の階級構造は全て妄念に過ぎなくなるのだろうが、しかしそもそも、他ならぬ聖書自身が、成立済みのヒエラルキーを尊べと命じているではないか、と、

 この点、イロハさん、貴方方がいかがお考えなのでしょうか。」

 当のイロハは、「ふむ、」とのみ述べて一旦間を取ろうとしたのだったが、しかし、ここで人も有ろうに蟠桃から、

「は! 何か撞着するってことは、イロハさん、そもそも根本から何処か誤っているということです。そういう非論理的な代物を排除、或いは唾棄出来ないのは、進歩をしない、つまり何百年も同じことをぐるぐる無益に議論して一歩も進まない、神学の限界なのですよ! かつて200年弱も掛かったとは言えフロギストン説を淘汰し、その後確実な進歩を為して多くのものを産み出してきた、自然科学のようには成れぬのです!」

 このさしはさりを聞いた不意安は、困ったように首を振りながら、

「蟠桃、私としてもそのような弁には概ね肯えますし――だからこその問いだった訳ですが――、貴男のも涙ぐましいですけれども、しかし、私は今、イロハさんにお訊きしているのです。差し出がましい真似は、暫し御遠慮いただけますか?」

 蟠桃が顔を渋くする中で、「夫婦愛?」と、守谷が自然な疑問を述べれば、不意安は其方へ流し目を送りつつ、

「つまり、蟠桃は、イロハさんではなく、そもそも基督教乃至一神教自体がロクなものではないのだ、という流れを持ち込もうとしたのでしょう。そうすれば、もしもイロハさんから透徹した論がお聞き出来なくとも、その咎は彼女ではなく基督教自体となるわけですから、イロハさん個人を『悪魔』として指弾する材料には出来にくくなる訳です。」

 これらの遣り取りについて、心中でどうかはともかく、見た目上は意に介していないような素振りで、イロハはそもそもの問いへ答え始めた。

「そう、ですね。

 ……福音主義、という言葉は確かに有りますが、しかし、それに属する者が一枚岩という訳では決してありません。聖書を尊ぶにしても、逐語的に解釈する党派と、コンテクストを重視して読み解かねばならないという党派がありえます。そこで、私は、専ら後者な訳ですよ。」

「……成る程?」とのみ、ひとまず不意安が返せば、

「例えば、『ガラテヤ人への手紙』3章の末尾において、パウロは、基督教徒には猶太人も希臘ギリシア人も奴隷も主も男も女もないのだ、と述べております。しかし一方彼は、教会の中で女が指導者的立場になるのを決して許しませんでしたし、妻は夫の所有物であり従わねばならないと述べてもおり、そして、奴隷制も容認しました。つまり、プロテスタンティズムと聖書というよりも、そもそも聖書自体、それのA地点とB地点の記述が、字義通りに解釈すると矛盾を招いてしまうのですよ。」

 攻撃の為に鋭くしていた目を、今や興味深そうに瞠りつつ、うんうんと不意安が頷くと、

「そう言う訳で私は、杓子定規な文字通りではなく、背景を考えつつ聖書を解釈すべきである、という立場なのです。」

「成る程、……では、イロハさんは、具体的に『ローマ』13章の冒頭についてどうお考えを?」

「語弊を恐れずに大雑把に述べれば、そのが示しているのは、濫りに秩序を乱すな、といったところでしょう。実際、国家やそれに相当するものがその地に成立しているならば、それなりの実績や実力が有る筈なのですから、つまらない理由で反乱だの反社会的行動などを取るべきではありません。もしも取るならば、そこには相応の正義が必要であり、それが、例えば宗教改革であったと、私は考えます。

 聖書解釈についてプロテスタントから例を挙げれば、マルティン・ルターその人も、独逸農民戦争に関して興味深い行動を取っています。援助的介入を農民から期待された結果、当初はそのように動いていたルターでしたが、この判断は、先に述べました『ガラテヤ人への手紙』3章の神の前の平等精神に拠っていた訳です。具体的には、彼は『農民団の十二箇条に対する平和の勧め』を著して、暴動の責任は福音に背く領主の方に有るとしました。

 しかし、その後農民による大規模な掠奪が進むと、『勧め』のとして、『他の盗み殺す農民暴徒に対して』を発します。それにおいてルターは一転、狂犬の如き農民は打ち殺せ、それは神のよみし給うところである、と、暴力的解決を領主達へ勧奨しているのです。

 更に彼は、別の書簡においてこうも述べております、」

 記憶を引き出す為の努力か、口をもごつかせつつ右手を漫ろにひらめかせてから、ごほんと咳払いをした後に、

「『もしも農民の中に罪の無い者が居れば、神は必ず彼を守って下さる筈である。神が守って下さらなければ、彼はきっと罪が無いのではなく、少なくとも黙認の罪を犯したのである。……!』」

 演説のように堂々と声を張り、色々な意味で一座をぎょっとさせたイロハであったが、すぐに元の声音に戻ると、

「……つまりルターは、農民戦争に関して、当初『ガラテヤ』3章の末尾のような、神の前の平等を尊ぶ立場を取っていた訳ですが、その一月後には、『ローマ』13章の冒頭、権威は敬わねばならぬという立場へ翻った訳です。このように実は、貴方方仏教の自由性を他人ひと事に出来ないほど、聖書の解釈もある程度の融通性を持たざるを得ないのですよ。それもあの、改革の旗手マルティン・ルターにおいてすら、」

「成る程、成る程、」最早不意安は怡然と、「同じ原著主義にしても、自由解釈を許さない伊斯蘭とは、またプロテスタンティズムは変わってくる訳ですね。」

「と言いますより、伊斯蘭ですら諸派が分かれるのですから、やはり聖典の『解釈』を画一的にするのは不可能なのでしょう。」

「ん?」怪訝そうな煝煆から、「諸派と言っても、シーアかスンニかという程度の話ではないのかい?」

「いえ。確かそれだけではなく、例えばスンニ派の中にも四つの法学派が有った筈です、……よね、白沢さん、」

 指名された彼は、もう失点は見せられないと思っているのか一瞬猶予ったが、しかし素直な質問のようだと理解したらしく、つらつらと、

「ハナフィー法学派、シャーフィイー法学派、マーリキ法学派、ハンバリ法学派。そして、これら四法学派にも更に分派が有ります。これらの間には大小の違いが――小さいのは礼拝の姿勢ですとか、大きいのは墓参りやスーフィズムを認めるかどうかですとか――確かに、数々有りますね。」

 不意安は、興味深げに何度か頷いてから、長い溜め息を吐き出して、

「色々と、寡聞がお恥ずかしいですね。皆様からは、本当に多くを学べそうです。……ところでイロハさん、貴女のようでない立場の福音主義者、つまり聖書の逐語解釈、文字通りの読み取りを試みる方々は、そういった聖書の矛盾をどのように処理しておられるのでしょうか。」

「私に訊かれても困る、というのが正直な感想ですが、精一杯お答えするならば、……神は万能にして超越的な存在であるために、そういった『論理』や『矛盾』すらも超越してしまう、というところではないでしょうか。」

 こう説かれて、呆れたように首を振りつつ、「アインスタインの述べたという、神は賽を振る振らない云々の戯言が、可愛く思えますね、」と漏らす不意安であったが、

「しかし不意安さん、そもそも、貴女の問いはあまり良くなかったですね。」

「おや、」背筋を伸ばした弾みで、右腕で巻き込んでいる錫杖を琳琅りんろうと鳴らしつつ、「と、仰言いますと?」

「結局のところ、貴女は、聖書以外を認めない行動は聖書の特定の箇所と矛盾するのではないか、と私へ問われた訳ですよね?」

 少考の後、

「はい、そうですが、」

「しかし実は、この質問は全く筋が通っておりません。『』のと、『』というのは、また別の主張です。」

 あ、と、一言不意安が呻く隙に、

「丁度私は、部分的無誤性――聖書は少なくとも誤った道に人を導かない――を支持する立場ですので、貴女の本意を汲んだ上でお答えはしましたが、……勇んで斬り掛かるのならば、卒の無い問い掛けを以て頂きたいものです。」

 こうして、カハシムーヌの中でもプロの弁士、高級議員であるイロハによって美事返り討ちにされた不意安は、両目をぱちくりさせつつ数秒間呆然としてしまい、見た目の年齢相応の可愛げを漸く見せたが、しかしすぐに、雨水を払う犬のように首を振ると、いつも通りの余裕げな相好そうごうをでっち上げていた。

 それでも流石に少々は硬くなった微笑から、感謝します、とだけ漸く彼女が述べると、

「さて、……つまり、不意安さんの言い出したルールに従えば、次は私が話題を持ち込めば宜しいでしょうか?」

と、イロハが周囲を見渡すのであったが、しかし白沢が手を挙げて、

「失礼イロハ婦人。実はもうじき、我々の礼拝の時刻です。」

「おや、」

「一度、中断しませんか? そもそも全員、中食も取り損ねているでしょう?」

 かくして一旦散会となり、白沢と氷織が、蟠桃に勧められて船の屋上へ向かってから、

「で、何処で喰うんだい?」と、久々に口を開いたのは煝煆である。

 蟠桃は、首を搔きつつ、

「本当は個室を割り振る予定だったから、そこで各自勝手にと思っていたんだが、まぁ、この議場室で良いんじゃないか? こんな事態で、互いに監視もしたいしな。

 すると誰かに、食料を持ってくるのと解凍を頼みたいが、」

 煝煆は勝手に、背を回して、

「では、私達が行ってこよう。」

 そうして蟠桃の返事も聞かずに彼女が出口へ向かうと、自分の右手に熱感と痛みが走り始めたので、黒野は急いで立ち上がった。


 今回は煝煆の魔術によって事前に体を暖めつつ、冷蔵倉庫から然るべき種類と数の食料箱を取り出して来た二人は、袖越しに抱えたそれらによる冷たさの余慶に心地よく与りつつ、例の、無線の有った部屋へ向かった。扉を開く間際に、また何か凶報が届いてはいないかと恐れた黒野であったが、実際には、あおぐろい巨大目を暗く沈ませたまま、受信機はじっくり沈黙している。

 黒野が其方に気を取られている隙に、煝煆が、部屋の隅に横たわっていた、棺桶或いはベンチのような巨きな直方体の前に屈み、片腕では食料の箱を抱えたまま、密かに穿たれていたらしい把手へ器用に手を差し込むと、それは、ウィングボディのコンテナのようにあんぐりと展開した。

「う、」

 そう、彼が噎せたのは、勃然たる温気うんきと蒸気が襲ってきたせいである。

 背けてしまった顔をもう一度其処へ向ければ、大量の蒸気が白々と、直方体の、金属質な中身から立ち籠めているのだった。装飾も何も無く、無骨に管の走る構造体を晒しており、また鉄臭い香りからも、黒野は、魚の腹を切り開いたかのような印象をそこから覚える。

 そんな彼の感慨なんぞいざ知らず、煝煆は、自分の運んできた食料箱をせっせと詰め込んでは、黒野の抱えて来た分もひょいひょいと奪って行くのであった。そうして直方体の中が黒き小箱で犇々ひしひしとされた様子を見て、黒野は、後から詰め物をされて子持ちとされた柳葉魚ししゃものような残酷さを感じ取る。勿論、柳葉魚にしては異様に巨大なのであるけれども、

 彼の存在を思い出したかのように、ふと煝煆が、

「敢えて学語に訳すなら、〝余熱器〟に相当する言葉で呼んでいるが、とにかく動力の排熱が、ここを通るようになっているそうだ。普段はそのまま捨てられるが、何かを暖めたい時にはこうして利用することも出来る。」

 そう述べてから蓋をバタンと閉めると、彼女は、当初黒野がベンチのようだ、と思った儘に、余熱器の上にどっかり腰を据えてしまう。

 間接的にせよ食べ物を尻の下に敷くなんて、と一旦ぎょっとした彼であったが、しかし此方の世界ではタブー視されないのだろうと思い直し、少し間を空けつつ煝煆の隣に自分も座った。倉庫に居たせいでなんとなく寒々しかった腰元が、じわりと温まる。

「どう、だったかな、」

 この、矢庭に投ぜられて来た煝煆の曖昧な問い掛けに、はい?、とだけ彼が返せば、

「ああ、済まん。つまり先刻、我々カハシムーヌが早速真剣に斬りあった訳だったが、君にはどのように見えたかな。」

「ええっと、」戸惑いを見せつつも、「そう、ですね。……問いも答えも、ちゃんと筋が通っていましたし、相手の言ったことでも正しいことはきちんと認めるという、気持ちの良さも有ったような気がします。

 ……知性と、敬意、ですかね。そう言った本来議論に必要不可欠な、しかし屡〻欠落してしまうものが、きちんと具わっていると見え――聞こえ?――ました。」

 恐らくは二重の、つまり、一応は自身達が褒められたことと、そして黒野が平仄の合うことを述べてくれたことという、快さを同時に感じたらしい煝煆は、莞爾と頷いたが、

「でも、それだからこそ、ますます、不安になってしまうんですよね。だって、……誰もこのまま大きな瑕を見せなければ、消去法的に自分が、『悪魔』として名指されるのでしょうから。」

 この、悄然とした弱音、或いは悲鳴に対し、あー、などと彼女は不恰好に呻いてから、どうやら出来る限りの気丈と共に、

「そりゃまぁ君程度の若さで――不意安はどうやら化け物だから気にするな――、我々と同程度のレヴェルの論を立てろ、というのは無理な要求だろう。それ故に君は、そうやって、不運を待つ傍観者のような気分になってしまっているのかも知れないが、

 ……しかし、だからといって、君は全くの無力という訳ではないだろう。例えば、不意安の述べた〝ハイキュウ〟とやら、塔也なら意味を知っているのではないかい?」

「……まぁ、網越しに相手の陣地へ球を叩きつける球技のことですけど、そんな瑣末でどうでも良い話、」

「そうだ、恐らく瑣末だ。しかし、瑣末だからこそ、我々はそんなことを学ばないし。学べない。きっと不意安も、偶〻聞き知っただけだろう。

 つまり、学語世界、不意安の思想で言うなら〝浄土〟に相当するのかも知れないそこで生まれ育った君の、そういった特異な背景によってこそ、見えるもの、見破れるものが有っても良い筈なんだ。それは、或いは、我々の神学的或いは宗教学的論争の中ではないかも知れない。寧ろその他における我々の一挙手一投足から、何かしら『悪魔』の徴表を、君だからこそ、もしかしたら見出せるかも知れないのだ。

 だから、塔也、……君にそうして沈まれていると、我々も困るんだよ。どうか、この事態を打開するのだ、この手で打開することが出来るのだという意気を、君も、私達と一緒に負うてはくれないだろうか。」

 この、真率な声音による言を、俯いたままじっくりと嚙み占めた彼は、矢庭に、緊張していた頰を綻ばせつつ、

「有り難う御座います、煝煆さん。……しかし、そういう口振りからすると、ひとまず貴女は、自分のことを信頼してくれているようですけど、」

「そりゃ、な。」気恥ずかしげに目を逸らしつつ、「……いや、何。どうせこれから暫く一緒に過ごすのだから、もしも君が『悪魔』なのなら、比較的容易に看破出来ると思っているのだよ。ならば、一旦は君のことを半ば盲目的に信頼しておいた方が、期待値的には優れそうな戦略じゃないかい?」

 この、どうも素直には聞こえない言い訳じみた言葉に、ふふ、と、黒野は最早声に出して笑ってしまってから、

「では、自分もその論理に倣って、ひとまず貴女を信頼させて頂きますよ。宜しくお願いします。煝煆さん、」

「ああ、」

 確かこの世界でも通じた筈の、友誼の証、握手でも交わそうとした黒野であったが、しかし、半ば道化た煝煆が、腕で丁字を象りつつ撥ねるように立ち上がったので、彼は、行き先を失った伸びた右手を密かに降ろしたのだった。

 彼女は、そんな黒野の小さい落胆に気づかぬ様子で振り返ると、

「ところで塔也。只管謙遜している君だが、何か具体的に、この情況で役に立ちそうな特技なり知識なりを、実は持っていたりしないのかい? もしも有るのならば、私も知っておきたいな。」

「ええっと、」立ち上がりつつ、「音声記憶、ですかね。昔からこれだけは得意で、」

「音声記憶?」

「ええ。」

 彼は、痰を切る時と同じように喉を鳴らし、その後大きく息を吸ってから、

。……!」

 目を皿にして、驚きの余りか何か身構えてしまっている煝煆へ、黒野は気恥ずかしげに、

「今のはイロハさんの語りだった訳ですけど、自分はこうやって、音声で聞いたことを中々正確に憶えられるんです。特に憶えようとしたことや印象に残ったことじゃないと、駄目ですけどね。」

 煝煆はこれを聞いて、何度も繰り返し頷き、その頷きの度に欣然を深めてから、

「面白い。面白いよ、塔也。……誰かしらが失言したら、君が証拠になれる訳だ。」

 彼が何か返す前に、ぐっと近くへ歩み寄って来つつ、

「本当に、面白いよ。もしも、私と塔也、それぞれの知恵と能力でこの難局を切り抜けられたら、きっと、互いに一生涯の思い出となるだろうさ!」

 娯しげに笑みつつ手を伸ばしてくる煝煆の様子に、黒野はまたも、学者らしい危うさを見出したのだったが、しかしひとまず今は、彼女と今度こそ固い握手を交わした。火術師故なのか、彼女のやや高い体温が、彼を少し安心させる。

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